カルネアデスの天秤 4

 ライオットはまるで舞台俳優のように、大げさな身振り手振りで語る。


「永遠の愛を誓う夫婦は数多くいる。彼ら彼女らは声を揃えて言う。彼女なしじゃ生きられない、彼の為なら死ねる、大いに結構。だけど、本当かな、と常々思ってしまう訳だよ。いい機会だ。ここで一つ試させてくれ」

「そんな、冗談だろ・・・?」

「冗談でこんな準備はしないよ。本気さ。そうだ、もう一つ君に話しておかないとね。もし君が腕を切られるのが嫌なら、すぐにそう言ってくれ。手錠もギロチンも外して逃がしてあげよう。それだけじゃない。迷惑をかけたお詫びに一億、君に支払おう」


 一億、だって?


「ただし、彼女は諦めてもらう。さすがに死ぬところを見せるのは忍びないから、外したらすぐさま出ていってくれよ?」

「彼女を、救いたかったら・・・?」

「時間内にスイッチを押せ。彼女が気を失ってスイッチを押せなくても俺が代わりに押して止める。その時は、君の案を用いよう。代わりの死体を用意して、彼女は死んだと思わせる、かもしれない」

「確実じゃないのかよ!」

「そこは俺の気分次第さ。まあ、この場合もご褒美として治療費プラス一千万くらいは払ってあげるよ。どうする? 君はエンジニアなんだろう? もし右腕を切られて、たとえ繋がっても後遺症が残ったら、仕事に差し支えが出るんじゃないのかい?」


 リハビリ次第だろうけど、当然支障は少なからず出る。治るまでは休業だろうし、下手すりゃクビだ。なんだかんだ文句はあるけど、今の仕事は気に入っている。それを失うのは辛い。けど。

 彼女の方を見た。震えて声も出せないようだ。


「はい、スタート」


 無慈悲なコールで、チェーンソーが唸りを上げる。

どうする、どうする?!

 自分の一部を失う恐れがこれほどのものとは思わなかった。もし俺が拷問されたら、一分で何もされてないのに白状する自信がある。何を白状するのかは知らないけど。


「さあさあ、どうする後藤君。彼女を取るか、自分と金を取るか。一億は、君にとって魅力的だと思うがね。一生遊んで、まではいかないが、節約すれば働かなくても一生暮らせる額ではあると思うんだよね。日本のサラリーマンの生涯稼ぐ金額は二億から三億って話じゃない?」


 日本の事情に詳しいなおい。


「はい、もう一分経ったぞ。どうする? 残りは四分だ」


 ガコ、と不気味な音を立てて、チェーンソーが彼女に迫る。ヒィ、とか細い声がチェーンソーの唸り声に吞み込まれた。


「もう、止めてくれ! 頼むから彼女を離してくれ!」


 懇願する。ライオットの靴を舐めんばかりに頭を下げて頼み込む。言われれば舐めて隅々まできれいにする。だが、無慈悲にもライオットは聞き入れることはなかった。


「だったら、スイッチを押せ。そしたらチェーンソーは止まる。代わりに君の腕は落ちるが。下手すりゃ後遺症どころか、この場で失血死するかもしれないがな。はい、二分。残り三分だ」

 再びチェーンソーが彼女に近付く。少しでも動いたら彼女の首が飛びそうだ。


「らちが明かないな。後藤君、もう一つルールを追加だ。答えを出せずにいたら、彼女の首が飛ぶと同時に、ギロチンも作動する。その時は金も治療費も払わない」

「そんな」

「当たり前だろ。チャンスは時間と共に消えていくもんだぜ? それに、俺は優柔不断な奴嫌いなんだよ。そんな奴に払う金なんかない。代わりに鉛弾くれてやる。さあ、また一分経ったぞ」


 ガコ、とチェーンソーが迫った。巻き起こる風すら獰猛で、彼女の髪を揺らす。


「考えるまでもないだろう。一億だぞ一億。そして、愛しているけど彼女はまだ他人だ。他人の為に一億をフイにするのか? そんな馬鹿な奴居るわけないよな? それに、自分の腕は惜しいだろ? 下手すりゃ命さえ失いかねない。それでいいのか?」


 悪魔の囁きのように、ライオットが俺の耳元で言葉を紡ぎ続ける。俺は、彼女の方を見た。彼女も、涙にぬれた目で俺の方を見ていた。


「一郎、あなたは生きて」


 ガコ、チェーンソーが直前まで迫った。猶予はラスト一分だ。彼女のその言葉で、決心した。


「ゼノビア、ごめん」


 ゼノビアが堅く瞳を閉じ、天を仰いだ。つつ、と涙が頬を伝う。ライオットの顔が喜色に歪んだ。


「そうだ、そうだとも。それが正しい。後藤君。君は正しい選択を」

「うるせえ、俺が彼女に話してる最中だ、黙ってろ!」


 ライオットが口を噤んだのを見て、彼女に言う。


「これから、俺の稼ぎは減るかもしれない」

「・・・え?」

「右手に障害を抱えるから、多分苦労かけまくると思う。それでもいいかな?」


 その言葉の意味を彼女は理解して、大きく目を見開いた。


「一郎、あなたまさか・・・ダメ!」

「悪いが、たとえ君であってもその頼みは聞けないね。・・・ライオット」

「・・・何かな」

「俺は強欲なんだ。だから一千万と、世界で一番愛しい人の命を貰う!」


 目を固く閉じ、スイッチを押した。来たる痛みに耐えるために。ゼノビア、助かったらすぐさま救急車呼んでくれよ。気を失ってるかもしれないからな。



 しばらく経った。一秒が何時間にも、なんて感覚的な話じゃなくて、実際に何秒どころか、何分か経とうとしていた。さっきから五月蠅い脈拍が既に百を超えてるから間違いない。片目ずつ開ける。痛みは視覚で倍増するって言うから、見ないから痛みが来ないのかなと思ったんだ。けど、変わらず右腕は繋がってる。もしかして、間に合わなかった? グダグダ喋らずにさっさと押せばよかったのか? でも、すでにチェーンソーは停止し、彼女の生首がどこかに落ちていると言う訳でもない。


 パチパチパチパチパチ


 まばらな拍手が密室に満ちている。何だ、何が起きてる?


「おめでとう後藤君。君の勝ちだ」


 ライオットが言った。何の話だ、と問う前に、繋がれていたはずの彼女が立ちあがり、俺の前に来た。


「合格よ」


 一瞬、ゼノビアかどうか疑ってしまった。だって彼女は、こんな獰猛な笑顔を浮かべない。儚げで、少し照れたように小さく笑う。なのに目の前のゼノビアはライオンが牙を剥いたみたいな笑い方でこちらを見下ろしている。


「悪いが、試させてもらった」


 盛大なネタ晴らしが、彼女の口からもたらされた。

 ZOSのボスは自分であること。確かに昔は噂のようなあくどいことをしていたが、自分が継いでからは堅気であること。そもそもZOSは『Zenobia Orfano Società』、直訳して『ゼノビア・オーファンの会社』の頭文字だそうだ。


「どうして医療品を輸送したら麻薬密売という噂がついたのか、訳が分からないわ」


 と彼女は苦笑した。


「え、じゃあ銃の密売も嘘?」

「モデルガンなら輸送したことがある。日本のモデルガンは精巧で、向こうでも人気だからね」


 企業努力が実り、彼女の会社は軌道に乗った。従業員も増え、ヨーロッパの各首都に支店を展開し、事業はどんどん拡大した。それにつれて社内システムをもっと効率化させたい。だが、そこで思わぬ壁に阻まれた。


「私たちの悪い噂が出回りすぎて、どこの派遣会社もエンジニアを派遣してくれない」


 刺青をした人が温泉入浴お断りされるように、黒い噂のある企業には人を貸し出せないとヨーロッパでは軒並み断られたらしい。自分たちで整えようと案も出たが、全員が素人に毛が生えた程度で、注文サイトのサーバーの負荷がかかり過ぎても対処できず、ダウンさせたことで無理、と諦めたらしい。そんな訳で、アジアで探そうという話になり、出来れば一生お抱えにしたいから個人を抱き込もうということになった。そこで白羽の矢が立ったのが俺だったわけだ。


「調べて見たら、君は様々な案件に関わっていてノウハウを持っている。しかもSNSに会社辞めたいとぼやいている。じゃあ、辞めてうちに来てもらおう、と思ったわけさ」


 調べれば調べるほど、後藤一郎という男はZOSにとって都合の良い男だった。インフラ設計にシステム構築・運用・保守が可能。アプリ開発にも携わり、イベント時の携帯基地局のトラフィック調査など緊急時の負荷に対する対応経験を持つ。また家族はなく独り身だ。本人の許可一つで国を離れることが出来る身軽さは、本拠地を海外に置くZOSからは非常に都合が良い。

 だが、これだけの好条件であるにも拘らず、東洋人を取り込むのに少なくない反発があった。そいつは信用できるのか、と。そういうスタンスだからなかなか新入社員を確保できなかったんだが、とゼノビアは苦笑した。ゆえに、ボス自らその人間の本性を試した、というわけだ。


「もしかして、最初に会った時も?」

「電車で会ったのは偶然だ。もちろん、一郎の生活圏に行こうとしていたのは事実だが。あの時は少々焦ったぞ。なんせターゲットである君が目の前にいたのだからな。時差ぼけで寝ぼけていた目がいっぺんに覚めたよ」


 だが、結果的にあれが功を奏した、と彼女は言う。確かにあの出会いがあったおかげで、その後の出会いもすべてがあまりに自然に、スムーズに交際がスタートした。それは、動いていたからだ。


「じゃあ、もしかしてゼノビアって無理してた? 好きでもない男と付き合ってたってこと?」


 そっちの方が激しくショックだ。こちとら腕は失う覚悟で彼女にプロポーズしたってのに。項垂れる俺に、少し顔を赤らめたゼノビアが「そ、そこは安心していいから」と言った。


「それは、確かに最初は君を取り込むために近づいたわ。だが、共に過ごし、君の人となりを知っていくうちに、私も惹かれていたのは事実。先ほどの君のプロポーズが嬉しかったのは紛うことなき本心よ。ただ」

「ただ?」

「申し訳ないのだけど、婿養子となってもらいたいの」


 その日、マスオさんとなることが決定した。相手を好きになってしまった時点で、俺の負けは決まっているのだ。


「ねえ、他に隠してることって、ある?」


 聞いてみた。すると彼女は前と同じ儚げな笑みを浮かべ、口元に人差し指を当てて言った。


「夫婦でも秘密はあった方が良いわ。夫婦円満の秘訣らしいわよ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る