カルネアデスの天秤 2
ガチャン、と音がして、重々しい鉄の扉が開いた。そこから俺たちを拉致した黒服のお兄さんたちがずらずらと現れ、最後に一人だけ、毛色の違う男が入って来た。白地に黒のストライプが入ったスーツ、ボルサリーノをかぶり、葉巻を咥え、手には高級腕時計、ベルトと靴はコードバンで仕立て、身に着けているもの全てが高級品で、それを完璧に着こなした伊達男だ。
「初めまして、後藤一郎君。私はライオット。ヨーロッパで『ZOS』という会社の役員をやっている」
伊達男ライオットはそう切り出した。
ZOSと言えば、東欧に本社を置く輸入業をメインに行っている会社だ。アジアの調度品をヨーロッパに対して販売していて、日本の伝統工芸品なども取り扱っている。
ただ、この会社には悪い噂がある。武器、麻薬などを取り扱う死の商人で、輸入業はそのカモフラージュだと言う。成長著しい会社に良くつく尾ひれだと思っていたのだが、どうもそうじゃなかったようだ。
しかし、正体が分かったからこそ疑問が残る。何故俺たちは拉致されたんだ。見ての通り俺はちょっとばかしプログラミングが出来る程度のエンジニアで、ゼノビアはただの輸入雑貨店のオーナーだ。どう考えても彼等と接点がない。マフィア風に言えば、彼らのシマを荒らすこともできない。なぜ、が頭にいくつも浮かぶ中、ゼノビアが震えながら尋ねた。
「もしかして、あなた達は『山羊』を探しに来たの?」
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「一郎。あなた山羊って知ってる?」
コーヒーを飲みながら新聞を読んでいたゼノビアが、何気なく聞いてきた。
「山羊? っていうと、あのメエメエ鳴く動物?」
「そっちじゃなくて」
苦笑しながら、ゼノビアが俺の前に新聞を差し出した。目を細めて、彼女のほっそりとした指が示す箇所を読む。
「製薬会社に『山羊』が侵入? 重要書類でも食べられちゃたかな?」
「食べられたのはデータみたいよ。これで国内だけでも五件目、他にもアメリカやヨーロッパの巨大企業がやられてる」
少し興奮気味に彼女が話してくれた。
「『山羊』は世界中の企業が恐れ忌み嫌うクラッカーよ。これまで数多くの企業が山羊と名乗るクラッカーに情報を盗まれているの。未発表の最新家電から最新兵器、新薬などのデータが軒並みやられ、被害額は製品の将来価値、株の損益も含めると天文学的な数字になってるみたいよ」
「ずいぶんと大食いな山羊さんだ。でもその割には、この新聞じゃあんまり悪く書かれてないね。凶悪犯て言われるのに」
俺の指摘に我が意を得たり、とゼノビアが頷いた。
「やられているのは悪い噂の絶えない企業ばかりなの。製品の偽造や詐欺、時には事故を隠ぺいしていた企業まであった。山羊が盗むのは、そういう犯罪の証拠が主よ。だから人々の中には山羊を義賊として讃える人間もいる。ネットにはこれまでの山羊が関わったであろう事件を集めたサイトや、コアなファンが設立したファンサイトまであるくらいなの」
「君もその一人、ということかな?」
彼女が楽しそうに話すのを、少しばかりジェラシーしている自分がいる。だが、仕方がない。彼女はそういう義賊とか、弱気を助け強気を挫く話が好きなのだ。アルセーヌ・ルパンにロビン・フッド、ビリー・ザ・キッドにゾロ。彼女が日本語にはじめて触れたのも、時代劇のねずみ小僧次郎吉や石川五右衛門からだ。
「そうね。否定は出来ないわ。犯罪は褒められたものではないけれど、違法な手段でしか裁けない罪があるのも事実よね。そして、私たち民衆は、そういう義賊の痛快な活躍に目がないもの」
「そうかい」
ポンと新聞をテーブルに放り出し、コーヒーカップを手に取る。そんな俺を後ろからゼノビアが抱きしめた。
「嫉妬してるの?」
うりうり、と俺の頬や鼻の先をぷにぷにと指で押してくる。
「そんなに子どもっぽい拗ね方してたか?」
「してたわよ。一郎ってこういうところが可愛いわよね」
「褒め言葉か? それ」
思わず苦笑が漏れる。彼女にこうしてひっつかれているだけで、先ほどのささくれ立った気持ちが落ち着いてくるのだから現金なものだ。
「大丈夫よ」
ぎゅ、と彼女の腕の力が強まった。
「私にとっての山羊はあなただから」
彼女の体温から、抱きしめられる腕から、彼女の信頼が伝わってくるようだ。
「・・・褒めすぎだよ。完全なアナログ人間のゼノビアからすれば、エクセルで表計算できる人間は全員山羊みたいなもんだろ?」
「言ったわね」
ぎりぎり、とゼノビアが力をこめる。全然苦しくはないが、大げさに苦しがって許しを請う。
「でも、日本にいる可能性は高いらしいのよね」
しばらくじゃれあった後、俺を離してくれた彼女は向かいの席に座り、自分もコーヒーを飲む。
「漢字使ってるし、インターネットのどこかのサイトでは、警察だかインターポールだかの捜査情報が嘘か真か流れていて、その中に日本在住を有力視する声があるんだって」
「そうなんだ。そこまでばれてるってことは、もうすぐ捕まっちゃうってことかな?」
「どうだろう? 個人的には捕まってほしくはないな。でも、警察に捕まったほうが色々とマシかも。山羊が気をつけなければならないのは、警察よりも企業の追っ手のほうでしょうから」
「どうして?」
「そりゃそうよ。今まで山羊が情報を盗んできた企業はバックにはマフィア、日本だとヤクザ・暴力団がついているところばかり。彼らは面子を大事にするからね。自分たちの売り上げを激減させた山羊は殺したいほど憎い相手だと思う。後は、それ以上に他の企業が放って置かないと思うわ。色んな企業の情報を盗めるってことは、最高の産業スパイになれる素質があるってことでしょう。今まで入手した情報も黄金と同じ価値があるし。みんなが彼を欲しているでしょうね」
「モテモテだな。うらやましい限りだ」
「あら、あなたもモテたかったの? 警察とマフィアと企業の追っ手に。筋肉質な男たちに追われる趣味があるなら、お付き合いは考え直したほうがいいかしら?」
「それは嫌だなぁ。でも、君にはずっと追われていたい、かな」
そういうと、彼女はふふ、と微笑み、右手を銃の形にして俺に狙いを定めた。
「捕まったら、覚悟してね。一生逃がさないから」
脱獄は、ちょっと無理だな。両手を挙げて降参した。
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ZOSも悪い噂のある会社だ。以前に山羊の被害を受けていて、彼らも血眼になって探している、そして、何の因果か俺を山羊だと思っている、彼女はそう考えたらしい。
「一郎はエンジニアだけれど、犯罪に手を染めるような人ではありません」
すっかり日本語が上手になったゼノビア。怯えながらも、俺を庇ってくれている。それだけで胸が熱い。感謝の気持ちを伝えるために、彼女の手を強く握りしめた。彼女も強く握り返してくる。
しかし、ライオットは人差し指を横に揺らし、言った。
「そいつは違うよお嬢さん。俺たちが用があるのは、貴女だ」
「・・・え?」
驚く彼女に、ライオットは続ける。
「ゼノビア・オーファン。貴女は実に、見事な赤毛をしているね。まるで炎のように情熱的な赤だ」
「そ、それが、どうかしたのでしょうか?」
「知っているかどうかわからないが、我らがZOSのボス、ギリー・リモチェッロも若いときはふさふさの見事な赤毛だったんだ」
ライオットは懐から一枚の紙を取り出した。何語かよくわからない単語がズラズラと書き立てられ、最後の方に数字が99.98%と書かれている。
「ギリーの御大には昔、愛人がいた。だが愛人は御大の前から姿を消した。二十年も前の話だ。御大はずっと探し続けていて、最近その愛人が既に亡くなっていたのを知った。悲しみにくれたが、希望も残った。愛人には子どもがいることが分かったんだ。当然、探せと命じるわな。で、コレ」
俺たちの前で、紙をひらひらと揺らすライオット。
「まことに申し訳ないけど、勝手に親子鑑定をさせてもらった。結果がコレ。ほぼ間違いなく、ゼノビア嬢、あんたは御大の娘だ」
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