『  』残り時間  0



 身体がとても重い。


 気分もあまり良いとは言えない。


 今までにない感覚だった。頭もふらふらとしていた。はっきりとは聞き取れないが、何かが声として聞こえてきた。


『――待っていたよ』


 耳から通じて聴覚に響いてくる。


『ずっと、この時を』


 ぼやけていた視覚が徐々に馴染んできた。いつもより低い視線で、僕は見上げる。

 鼻に湿気った臭いがこびりつく。嗅覚は初めてで実感がわかない。

 落ちたときに口の中を切ったみたいだ。苦しいような、不快な味覚が口の中全体に広がる。


『……どう?生きているという感覚は。しにがみさん――ううん、。でも、それもすぐに、無くなるから』


 見上げた先に一人の少女の姿が宙に浮かぶ。最早ニンゲンとは呼ぶに呼べないは、紺色の制服をぼろぼろにしながら、ゆっくりと浮上していった。右手には、どこか見慣れた大きな鎌を携えていた。


「……き、君は…………にあ……」


 声が掠れる。喉の奥がつっかえているような、詰まっているような感じで、上手く喋ることができない。


 少女だった者は姿かたちもすっかり変態していた。赤いマフラーが地べたに落ちて消失する。首元の何もかもが削れており、傷跡は消え去っている。顔にある片方の眼が抉れて、先の面影はなくなっていた。


『悪く思わないでね』


 謝る少女だった者の表情は、それでも笑っていた。


『ちゃんと質問に答えるよ。生神……現代に生きている神であった私の役割は死神。――。今宵、しにがみさんだったいきがみさんに死を齎す者』

『死神の、死神……?どういうことだ』

『うるさいっ!黙ってろ!』


 霞む死神兄さんの言葉に、少女だった者は𠮟咤する。動くなと言わんばかりに大鎌を振りかざす。


『どうしてこんな私が存在すると思う?それはね、私達死神が、増えすぎたからよ。こうしてこの地域に三体も集まってきてる。ううん、一神ひとりはもういないから、四体も居たわ。一地域に四体も死神だなんて過剰。それを減らすべくして、<世界>は一部の死神に役目を与えたの』


 それが、死神の死神。


 死神を減らすことにも、死神による死の宣告システムが採用されたということなのか。<世界>は自ら産んだ神を自らの手では下さない。回りくどくも、こうやってバランスを保とうとする。


「…………に、あ……」


 力の限り腕を伸ばした。重たい腕はとても短く、とても幼いようであった。掌の肉付きが、生まれてから数年のニンゲンの子のようにぷにぷにとしていた。


『もうお喋りはここまで――』


 少女だった者が奥を見据えた。釣られて僕も、近づく光に視線を向ける。

 

 鉄の箱が僕の眼前に迫っていた。あと数メートル程だろうか。ぶつかってしまっては、ひとたまりもないだろう。今までであれば非接触物なんてどうってことはなかった。それも今は違った。猛スピードで近づく脅威にも、しかし僕は至って冷静であった。


 振動。轟音。僕は今、生を感じている。迫りくるデンシャが鮮明に映る視界。痛みを伴う柔らかな皮膚。血の味、血の臭い。身体に生命が宿り、あらゆる五感や重力が僕に降り注ぐ。


 光がほとばしった。辺り一面が光に飲み込まれるように、僕はその中に入った。


 時間がゆっくりと進む。


 昔の映像が急速に甦ってきた。少女との出会い。平凡な日常を送る少女。死なない少女。穢したくなるほど綺麗な肌の少女。事故に遭い、事故を庇う少女。にっこりと僕に向かって笑う少女。プレゼントがあると僕に渡す少女。


 僕は仁愛に何かしてあげることはできただろうか。

 ひたすらに死を望み、死ぬまで待っていた。何もしてやれなかったな、と後悔した。

 ただ僕は、仁愛の傍にいることしかできなかった。


「…………ぁ――」


 光が当たり一面に満ち溢れる。周りが何も見えなくなるほど、光が全てを塗りつぶした。


 死ぬ瞬間というものは僕にはわからなかった。ニンゲン曰く、天からの遣いが迎えにくるそうだ。天国まで導いてくれるとか。

 そんなの迷信だとは僕も思っていた。でも、今は何となく、それが迎えに来ているようにも思えてきた。


 伸ばし切った腕を、もう少しだけ上げる。指と指の間に何かが交差した。手を繋いだみたいだった。温もりに包まれながら、ゆっくりと目を閉じた。顔に、唇に、天からの遣いは優しく触れてきて――




 衝撃が、僕の意識を殺した。





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