『  』残り時間 -1451541



 仁愛の姿が見えない。


 朝日が昇り、そして違和感は唐突に訪れた。何も気配を感じられない。閉めきられた三階のアパートの一室。遮光カーテンで隠された部屋の先には誰もいなかった。


 どういうことか、僕にもよくわからなかった。忽然と少女が消えたのだ。ずっと観察していたわけではないため、どのタイミングでいなくなったのかもわからない。僕にはパッとその場からいなくなってしまったように思えた。


 記憶では、確か僕は仁愛の元へ夜中に近づいていたはずだ。いつの夜だったかまでは定かではない。昨晩、いや一昨晩か。それから……どうしていただろうか。


『おかしい……』


 全てが理解できていない。


 まず、少女は死んだのだろうか。僕はそれすらも確認できていなかった。死んだならば、ここにいない理由付けにもなりうる。だが、今までそのような素振りを見せなかった少女が唐突に死ぬだろうか?僕にはそうとは考えられなかった。


 最後に姿を見たのは昨日だったように思える。『だった』というのも、僕も記憶が曖昧になってしまっているのだ。どうしてかはわからないが、覚えてないことを思い出すために割く時間は無駄であろう。昨日は、普通に観察して過ごしていたはずだ。少なくとも、仁愛の最期は見ていないはずだった。


 では、生きていると仮定した場合に、だ。仁愛は今どこにいるのだろうか。

 住処にはいない。いつも通りであるならば、彼女は出掛ける支度をしている時間だ。しかし、どこにも見当たらない。布団の中にも、風呂場の水底にも。アパートをぐるりと見渡してみたが、何かが落ちている形跡もない。


 考えられるとするならば、ガッコウだ。昨日も今日も平日だ。仁愛はガッコウに向かうはずである。住処がずっと固定というわけでもあるまい。たまたま他の場所で寝泊まりしたって可能性もある。僕はアパートから離れた。


 大通りに出た。整備された道路上をクルマやジテンシャが忙しなく行き交う。紺色の見慣れた制服姿のニンゲンが、ぽつぽつと現れ始めた。仁愛の姿は、まだ見当たらない。


 一人の少女が目に入った。仁愛とたまに共に登校をしていた者だ。顔に覚えがあった。

 とりわけ仁愛を待つわけでもなく、ひたすらにガッコウへと向かっていった。仁愛はいない。別にそれがおかしなことではない。時々一緒にいただけだ。まだ、これだけでは情報は不足していた。


 ガッコウに辿り着いた。何も変わらない景色。綺麗に清掃された玄関に、吸い込まれるように同じ姿のニンゲンが入っていく。先程の少女も、中へと飲み込まれていった。


 仁愛の教室を覗いた。続々とニンゲンが中に収納されていく。仁愛の姿は、全く見当たらない。


「……はーい、みんな席についてー。学級委員、挨拶お願いー」


 一人のニンゲンが入室しながらやる気のない声でニンゲンを取り纏めた。同じく力無い声で「起立きりぃーつ」という掛け声と共に、少年少女のニンゲンが各席で立ちあがった。


「――おはようございます」

「あい、おはよー。今日も欠席はいないねー。じゃあ、昨日の続きやるよー」


 棒読み口調のニンゲンは何かしらのメモを取る。白く細長い棒を手に取って、流れるようにジュギョウを進めていった。


 窓際の一番後ろの席は空いたままだった。鞄も花瓶も、何も置かれていない。空白がそこには存在していた。

 ジュギョウは淡々と進む。指揮するニンゲンが電子音を切り目に入れ替わっては、受動的なジュギョウが少年少女のニンゲンに退屈を与えていた。


 ある電子音を境目に、少年少女達は皆散り散りになった。お昼時の食事休憩のようだ。


 日は高く昇り、二人の少女を照らした。窓際の一番後ろの机に、一人の少女が腰をかける。長く茶色い髪を頭の両端で結んでいる少女は、目の前に佇む丸っこく黒い髪形をした少女に問いかける。


「……ねぇ。この席前からあったっけ?」

「うん。あったよ」

「マジぃ?いっつも前の席にいるから気づかんかったわー」

「机が余ったから、って聞いたことある」

「えー、じゃあさ。アタシこっちの席にいきたいんだけど。誰も使ってないんっしょ?知らんけど。前の席にいるとすーぐに指名されちゃってなんだよ」

「日向にいたらすぐ寝ちゃいそうだねっ」

「何笑ってんのよ」


 ふふっ、笑ってないよ。見知らぬ少女達の他愛もない会話はその後も時間いっぱいまで続いていた。



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