『干几』残り時間  EEE;11



 少女の朝はとても遅かった。


 とっくに昇っていた日の光は少女を急かす。鳴り響く電子音を他所に、半開きの目で普段のルーティンワークをこなそうとしていた。顔がうまく整わず、朝から包丁を落とした。着替え途中に白い衣が破け、替えの衣を探そうとする半裸の姿は痩せ細っていて少し哀れであった。


 遅れて少女は住処より姿を現した。着崩れた紺色のブレザーと折り目に皺が寄れたスカートを舞わせて、階段を一段飛ばしで飛び降りる。踏み外して頭から転倒する姿は、くるりと無理な姿勢に直して受け身を取っていた。


 [ERROR……CODE:ERROR]


 鎌をかけてからもうX日が経過する。経験則とはなるが、大抵のニンゲンは鎌をかけたら死ぬ。少女は違った。だから、昨晩に僕は数え切れないほど執行した。何度も何度も。確実に。幾重にも連なる見えない赤い線は、何かを塗りつぶしている様であった。少女を正面に、一ヵ所だけ大きくて太い傷痕がはっきりと見えていた。死への可能性に関しては測定不可である。


 少女が“誤った生命”であることについての情報は得られなかった。至って普通の少女。今は通り魔に追われて走っている。ツウガクロに安全は無く、全速力で通過するクルマやジテンシャが縦横無尽に少女の近くに集っていた。


 [ジテンシャからの突撃による死……20.66397e%]

 [クルマの介入による死……ERROR]

 [通り魔による死……ERROR]


 少女はおぼつかしい様子で歩みを進めていた。次々と迫る危険をすんでのところで回避する。ジテンシャが少女を轢く。クルマが勢いよく目の前の塀に衝突する。大通りに出ると、トラックが玉突き事故を発生させた。爆発のような重低音が響き渡ると、少女は灰色の煙に巻かれた。赤黒い炎が生きているかのように蠢く。腹をすかせた獣のように、少女へと齧りつこうとする。少女はしゃがみながら身体を捻らせ、風を煽って獣をどかしていた。


 少女は一人だけで一つの四角い建物を目指していた。ガッコウと呼ばれる教育施設。少女が玄関に飲み込まれると、ゆっくりと校門が咀嚼を始める。次に玄関が見えた時には下駄箱が散乱していた。少女は片足だけを履き残して階段へと向かう。


 階段の踊り場あたりを曲がった先。少女の目の前にニンゲンの大群が雪崩れ込んだ。人形の入った箱をひっくり返したかのような波が階段中に溢れ返る。少女は踏み込んで、そのラッシュを耐え抜いた。


[�������������……ERROR]

[���������������……ERROR]


 もう何がなんだかわからなくなってきた。


 視界がぼやける。記憶も曖昧だ。少女がどこにいるのかも把握出来ない。ガッコウだろうか。家にいるのだろうか。さっきまで、どこに向かっていただろうか。ここは、どこだ。


 今起きている事象におかしいと疑問に感じることは無かった。頭がぼんやりとしていた。ふわふわしているとも言えた。ニンゲンでいうところの「ユメを見ている」状態に近しいのかも。死神は眠らないためユメは知らないが、ニンゲンはそのように表現するらしく、僕はその中に陥ったのだろう。


 ユメの中。どうやったら起きることが出来るだろうか。睡眠は目を瞑ることで発生するという。眠るという行動がわかってないため、目を強く擦ってみた。何も変わらない。もう一度、試してみる。視界が余計にぼやけてしまった。


 だんだんと暗くなっていく。日が沈んだのだろうか。今は何時頃だろうか。日付はとっくに越えたのか。仕事をしなければ。


 仕事。そういえば、僕はしばらく役割をこなしていなくて。一人の男を追って、それから……どうしていただろうか。別の誰かを追っていた気がした。死神兄さん?違うような気がする。気がしただけで、気のせいかも。どこか遠くで、違うと叫ぶ僕がいた。


 視界が狭まる。僕が目を閉じているのだろう。ユメのなかで、目を瞑るとはどういうことだろうか。考えて、やはりやめた。


 意識が遠のく。何も考えたくない。何も考えてない。何もかもわからない。


 僕は、僕の意識の奥底へと、ゆっくりと静かに『眠』った。


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