『実行』残り時間 ERROR
曇り空。星は見えず、暗い夜道に照らされる街灯だけが光の頼りになる。
時刻は日付を越えたあたりだろうか。住宅街も消灯する部屋がぼちぼち増えてきた。
外に生物の反応はほとんど見えず、虚空の中を独り、僕は佇んでいた。時々、クルマが通りかかろうとしていたが、それが過ぎ去ってしまうと静寂でうるさくなる。
手には一本のナイフがあった。両刃のついた、傷一つない黒ずんだダガーナイフ。光を当ててみると鈍く反射した。
僕は死神兄さんみたいに他の武具を携えてるわけではない。持って使ったことも更々なかった。だからといって、先程まで的の中心に当てるような練習をしてみたわけでもない。ただの一本のダガーナイフ。用途は識っているが、わかっていない。
そっとローブの内側に隠しておく。別に誰にも奪われたりはしない。ニンゲンになら、尚更だ。でも、他の手の者には知られたくなかった。隠しものをする悪戯な子供心が僕にも働いてしまったのだろうか。詳細は不明だった。
夜風が吹く。僕のローブはたなびかない。僕は住宅街の中を移動し始めた。
仁愛は既に眠りについていた。ベッドの上で、仰向けになって布団を被っている。ニンゲンの寝姿は何度も見たが、少女の胸の上下が無ければさも生きてるかはわかりづらい。呼吸音が小さく、見るだけでは既に息絶えてしまったかのようだ。そうであるならば本望だと何度も願ったが、事実はそうでもない。
『…………』
僕は仁愛の上に跨った。ニンゲンの寝姿をこの角度から見ることはそうそうなかった。やはり生きているのだろうか。僕にはよく理解できない。このまま目が覚めてしまわなければ。今は覚めてほしくもない。そう願った。
ローブに隠していたダガーナイフを取り出す。ナイフは、暗闇ではただひたすらに冷たい色を放っていた。このナイフは何を欲しているのだろうか。血ではない。死であろうか。
『…………』
ゆっくりと右手に握ったナイフの柄を僕の首元に近づける。そのまま、上半身を倒すように仁愛に近づく。
ナイフの先端が、少女の首を捉えた。見えない赤い線に沿って、刃の点と交わる。そのままケーキを切るように、すんなりとナイフの刃が見えない傷痕に吸い込まれていく。
力を強く押す。加減はわからない。だが必要もない。
ダガーナイフの根元が少女の小さな喉にまで達した。僕の目の前に、少女の顔が写る。少女は安らかに呼吸をしている。僕にはまだ気づいていないようだった。
さらに右手の力を込める。全身が前かがみになる。顔と顔は、ほとんどくっついていた。僕の身体が存在していれば、僕の顔は、口は、少女の唇に触れていた。
静かな時間が流れる。
呼吸がしばしできない。僕の口が奪われてしまったように、息が止まる。この場合は逆なのかもしれない。
『…………』
「…………」
しばらくしてから、僕は身体を起こした。ナイフは少女の首の中心に根深くささったまま、短い柱のようにそびえていた。
空いた右手に次いで大鎌を持たせる。大鎌は、血を欲するように暗闇でも小さく鈍く光った。
同じく小さな少女の首元に鎌の刃を沿える。見えない赤い線に沿って、もう一度死神の大鎌をかける。これは前代未聞の行動。そこまでしたいのかは僕にもわからない。身体が勝手に動いていた。今更引くことはできなかった。
大鎌が暗闇を照らす。少女の顔を映していたのだろうか。暗くて黒くて、僕の目では何だかわからない。だが、相も変わらず大鎌が欲しているものはわかっていた。
一呼吸をつく。僕は右手に力を込めた。
大鎌を大きく振りかぶった。勢いをつけて、二度目の軌跡が仁愛に降り注ぐ。
一閃。
少女の首は飛ばない。血も流れない。死神の鎌にしては、素っ気無かった。もう一度、僕は構えた。それでも首は飛ばなかった。満足できなかったのは、大鎌だろうか。僕なのだろうか。
『……………………』
どのくらい時間が経過したか。部屋にうっすらと光が差し込んだ。日の出には早すぎた。空が少しだけ晴れたのだろう。月が心配そうにこちらに顔を見せたようだ。
僕は手を止めた。そして、少しだけ呼吸が荒んでいたことに気づいた。生理現象は必要とせずとも、自然となってしまった。カーテンの隙間から、そっと夜空を見上げる。
見世物じゃない。僕は月を睨む。
月は怯えたかようにこそこそと再び雲の中へと紛れていった。
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