『奔走』残り時間 -65:23
『ウオオオオオッ――』
獣のような咆哮が耳に残った。その声は、自分の口から出ていたのだと頭蓋骨の響きから遅れて伝わってきた。
夜の商店街を駆け抜ける。ニンゲンが空を見上げていたら鳥か何かに勘違いしてしまうだろう。実際は見上げる者はおらず、見えてしまう者もいない。
この時間、唯一見えてしまう彼の少女は、きっと例のアパートの一室で寝る準備を整えているはずだ。もうすでに息絶えている可能性もあった。そうであるならばどれだけ好ましいだろうか。そう期待して今までに散々裏切られてきた。僕は、もうその戯れに構っている余裕など無い。
仁愛をガッコウで見放してから一日以上が経過していた。ずっとずぅっと、“誤った生命”反応を探っていたのだ。
それでもやはりすぐに見つかるものではない。むしろ、気が付いてからすぐに行動に移して良かった方だ。ぐだぐだしていたら、今度は僕へのタイムリミットが迫ってきてしまう。
ニンゲンは少なくはない方だった。数えてみれば、今日はニンゲンにとっての休日のようだ。その影響か、幸いにも対象を探しやすそうであった。
「いらっしゃぃっせー。今なら一杯無料ですよー」
「せんぱぁい。ひっく、まあてくだせえ」
「ねぇ。一緒にうちに来ない……?」
ニンゲンの賑わいの中心を通り抜ける。かなりの低空飛行で、間近でニンゲンを検知しては選別をする。
『これも違う。こいつも……だめだ、平常だ』
千鳥足で歩むニンゲンも、妖しげに誘うニンゲンからも、“誤った生命”反応は見られない。世界が正義だと決めてしまっては、僕には抗える術はない。
あの蛇姐さんとやらであれば、この混雑した中をところかまわず大鎌を振りかざせたかもしれない。そんな芸当は僕にはできない。いや、本来できないはずだ。だが、今だけは少しだけ欲しいとも考えてしまう。
『いないのか……?“誤った生命”体は、いないのか?』
商店街を通り抜け、「しょっぴんぐもーる」と書かれた看板の下を掻い潜り、提灯のぶらさがる裏路地へと回る。
「…………ニュフ」
『――っ!』
微弱だが、一つだけ見て取れた反応があった。
屋台が並ぶ細長い小道の端。電信柱に隠れるように、ニンゲンの男が独りニヤついていた。手には掌サイズの革製の物を握っていた。
おおかたこの男は窃盗を働いたのだろう。小さな行動で、小さな反応。だが、“誤った生命”反応はしかと受け取った。
そうであれば、僕には充分な動機になる。彼は小物の窃盗だけかもしれないが、これを機にいずれ連鎖的に大事を犯してしまう可能性だってある。成功してしまうと、ニンゲンは失敗を恐れずに過ちを繰り返す傾向があるからだ。僕の経験談だが、現にそう観察してきた結果からの予兆のようなものだ。狩ることに、否定はない。
「……ん?なんだぁ、これゃ」
“誤った生命”の男が、何かを疑問視していた。見つめていたのは、僕の大鎌だ。今、彼の首元に近づけていた。
醜悪。慷慨。衝動が、僕を真っ先に動かす。狩らなきゃいけないんだ。狩らなきゃいけないんだと。
「ひっ……」
『何も言うまい。死を以て死を償え』
“誤った生命”のニンゲンと目が合う。このときの僕は、きっと怒りに満ちていたかもしれない。そうだ、僕がやるべき対象は、このような存在なんだと。“誤った生命”反応の中でも、動機がはっきりとしている醜いニンゲンなのだと。
右手に力を込める。大きく振りかぶって、狙いを定めた。
「し、しし、死神だぁ!」
『……っ!?』
男は想像を上回る速度で走り出してしまった。彼の頭上を大鎌が掠る。大きくフルスイングした僕は、感触が掴めなかったことに驚いて反応が遅れてしまった。
その一瞬が仇となった。“誤った生命”反応を示した男は叫びながら商店街の方へと駆けていってしまう。逃さまいとすぐにその背中を追いかけた。
「てぁ、助けてくれぃ。死神が……死神が、追いかけて、くる!」
『くそっ。僕としたことが……』
男は叫びながらニンゲンの通りが多い道へと紛れ込んでいった。“誤った生命”反応が徐々に濃くなっていく。そのおかげで見失うことはないが、すぐに手にかけることが困難になってしまった。
『――ニンゲンが、多すぎるっ。流石にこの場で断罪するのは厳しい……!』
「うわああああぁ!」
悲鳴を聞いてニンゲンが一斉に声主へと視線を向けていた。男にしか姿が見えていないとはいえ、この場では実行に移せまい。世迷言だとは思われるにしろ、事後への影響は可能な限り最小に収めたい。
その上、男が叫ぶせいか、行く先々で人が避けるように道を開いていた。男が減速する気配が全く感じ取れない。文字通り必死の形相で、全速力の僕と距離を近づけさせてくれない。
商店街を抜け、脇道へと逸れた。あの場所ならばニンゲンは少ないだろう。だが同時に、この先抜けられてしまうと大通りまで一直線につながってしまう。そこに逃げ込まれてしまうと、お終いだ。
「ぜぇ、はぁ、はぁ……」
『くっ。追いつけ!』
「まだ来て……っ!」
男の目が大きくかっ開いた。僕の存在をしかと認めたからだろうか。僕だって必死だった。狩りをする僕の形相もまた、ニンゲンにとっては醜いものなのだろうか。
その考えは、一本のダガーナイフが頬を掠めることによって遮られてしまった。
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