『時間』残り時間  00:05



 夜が明ける。

 暗い青紫のスクリーンに、白い光が迸る。


 僕はこの時を待っていたのだろうか。日の出と共に、そんな考えがよぎった。


 運命の更新。死神史上を覆しかねない歴史的瞬間になるやもしれない。

 もしかしたら、僕がただ知らないだけで、実は過去にも事例はあったのかも。へんてこな発想は、すぐに頭を振るった。違う。僕だって信じられないほどだ。彼女だけは特別なんだ。死神として認めてはいけないが、認めざるを得ない存在なんだと。


 死神の鎌を受けたニンゲンが生き延びた最長の時間は427時間。今、仁愛は鎌をかけられて426時間が経過しようとしていた。


 ――予測された『死』まで、残り一時間。


 仁愛はまだ眠りについている。布団に埋まる身体から、小さな顔が覗かせていた。


 太陽が顔を出し切るまではそんなにかからなかった。陽の光が、アパートの一室に差し込む。

 その光が仁愛の顔に当たると、少女はもどかしそうに唸りをみせた。うっすらと半目を開き、一度閉じる。再び目を開くと、身体をのっそりと起き上がらせた。


「ん……。あれ、しにがみさん?」

『……』

「おはよ」

『…………』

「……ふふっ」


 目の前の少女は眠たい瞼をこすりながら、裸足のままベッドから降りた。崩れていた布団を丁寧に畳む。カーテンを開き、身体一杯に陽の光を受け止めると、大きく伸びをした。


 ――予測された『死』まで、残り30分。


 仁愛は風呂場に併設されている洗面所へと向かう。顔を洗い流し、口の中に洗剤を付けた棒を入れては泡立てながら歯を磨いていく。朝から風呂に入るわけではないようだ。


「……」

『……』

「……がらがら~、ぺっ」

『…………』


 仁愛にとってはいつも通りの作法で、いつも通りの日常を繰り返している。


 ――予測された『死』まで、残り20分。


「しにがみさん、着替えるから、ちょっと後ろ向いてて」

『……』

「……あの、聞こえてます?」

『…………』

「……んもー。こっちは恥ずかしいんだから、あんまりじぃっと見つめないでよね」


 そう言って仁愛は服の中に腕をしまいこみ、下着を手に取って身に着けていく。その状態でさらに別の白い服を上から着込んだ。しばらくもぞもぞと動いてから、器用に首元から先程まで着ていた寝間着だけを取り除く。同様に、スカートを上から履いては足元から脚の寝間着を取り除いていた。


 随分と器用なことができるもんだなと感心してしまった。仁愛は着替えている最中を見られることを「恥じて」いたが、イマイチ僕には理解できなかった。見てるからそう感じないのだろうか。


 そう言えば、ニンゲン社会では異性の着替え姿を除く行為はタブーとされているそうだ。ガッコウでもその一環で分けられていた。僕はそのタブーに触れていたのやもしれない。死神を誰が裁くのかは知らないが。


 ――予測された『死』まで、残り10分。


 仁愛は「食」の支度を始めていた。鼻歌を交えながら、簡素な朝のごはんを用意する。「食」と言っても、朝からはそこまでこだわらないようだ。リョウリをすることもなく、食材を適宜皿に並べていった。一枚の白く四角いものを機械の中に入れる。


 ――予測された『死』まで、残り5分。


 時間は刻一刻と刻まれていく。何気ない日常が、崩落するのか、それとも延長されるのか。仁愛は赤熱した機械の中をまじまじと見ていた。


 ――予測された『死』まで、残り3分。


 長くも早い、時の進行。あるはずのない固唾を飲んで待ちわびる。


 ――予測された『死』まで、残り1分。


 時間は止まらない。少女には何が降り注ぐのだろうか。内在的なものだろうか。外在的なものだろうか。ここまできては、どちらも起こり得ないのだろうか。


 ――残り、30秒。


 仁愛は何も知らない。ただひたすらに朝ごはんの支度に専念していた。


 ――残り、10秒。


 秒刻みで僕は心の中で数える。あと、5秒。……3、2、1――。


「――ピピピピピピピ」


 突如電子音が鳴り響いた。


 僕には理解できたものではなかったが、仁愛は冷静にスマフォを手に取って、電子音の出どころを探していた。しばらくして「ピッ」と鳴った後に静寂が訪れる。


「早起きしちゃったから、アラーム消し忘れちゃった」


 焼き焦げた何かを皿に並べながら、仁愛は食事を始めた。

 サクッという音とともに、それは仁愛の口の中へと運ばれていく。青々した野菜や赤く実っている野菜も次々と頬張っては、朝ごはんを片付けていった。


 ――残り、-300秒


 日常が流れいてく。僕にとっては大きな山を越えたような気分だが、仁愛にとっては何の変りもない生活様式だ。死神による絶対的な『死』が、延びてしまった。


 ここからは僕にも想像がつかない制限時間だ。死ぬその時まで、カウントダウンは続いていく。いや、むしろ、今から彼の少女のカウントダウンは始まったに過ぎないのかもしれない。




 ――残り時間、-00:11


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る