『動物』残り時間  30:51



 陽はとうに沈み、夜の帳が降りる。


 仁愛の優しい寝顔を確認した僕は、星々が鏤められた空を仰ぐ。400時間程前の僕は、必死な形相でこの街を昼夜駆け巡っていただろう。それの結末が迎えてないのにも関わらず、僕はとても落ち着いた心をしていた。


 普遍。不変。朝日が昇って、闇に覆われて、それを一日として。これからも繰り返していくのだろう。


 当たり前であること、何も変わらないこと。それに越したことはない。


 難しいことは考えたくなかった。夜風に当たりながら、街中を探索してみることにした。


 一つの地に着く姿を見つけて、僕はその影に近づいた。


『死神兄さん、何をしているのでしょうか?』


 鎌で何かを掬い取り、光る『魂』をゆっくりと胸に押し当てている。その後手を合わせていた死神兄さんは、しばらくしてから顔を上げて振り向いた。


『おっ、坊主か。――なんか、雰囲気変わったな?』


 そんなことないですよ。そう言いかけて、首元のマフラーに触れて止まった。この姿では確かに、死神兄さんと会うのは初めてかもしれない。


『「イメチェン」ってやつですよ。ニンゲンを模倣するのも気分が変わっていいですね』

『ははっ。坊主からそんな言葉が聞けるなんてな。もう十分、ニンゲンの様式にも慣れてきただろう』

『いや、まだまだ未熟です』


 謙遜するなって。死神兄さんは少しだけ笑っていた。少しだけ、というところは僕には妙に引っかかっていた。


『そういう死神兄さんは、進捗どうなのですか?動物狩りの死神とやらを探していたとのことでしたが』

『ああ、そのことだが……』


 死神兄さんは語尾を濁して、視線を下した。つられて僕も死神兄さんの足元を見ると、何かが静かに一つ、転がっていた。


『これは?』

『犬だよ。いや、正確には、犬だった者だ。ニンゲンに飼われていたようだが、宿命を果たしたようだ。ついでに魂もこちらで回収済みだ』


 ニンゲン以外の別の生命体。ニンゲンと共存することがあり、主に愛玩として過ごす動物。死神兄さんとこの地で出会った際に聞かされた話だ。


『珍しいですね。死神兄さん自らがニンゲン以外の動物の魂まで管理するなんて』

『そうだな。俺も実は初めてなんだが……ニンゲンほど魂は強くないから、質の話だと微妙かもな』

『急にどうして、動物の魂なんかを?』


 動物狩りの死神を探していた死神兄さんのことだ。きっと、何かがあったのだろう。

 死神兄さんは『そんな深い理由はないぞ』と前置きして、無理に笑って見せていた。なんだか、ちょっぴり寂しそうだった。


『てっきり動物狩りの死神がいると思い込んでこちらにやってきたんだが、とんだハズレだったみたいでな。ここの宛が無ければ、どこにいるのやら俺には見当がさっぱりつかない。動物狩り専門の狩り場なんざ、わからねえからな。ここにいた犬だって、前々から生命が薄かったから、もうすぐ死期を迎えると察していたが、それに動物狩りの死神が回収しにくる気配が全くなくてな。だからってせっかく見つけた魂なんだし、あいつに倣って弔ってみたんだ。……独りでこっそりやろうと思ってたんだが、坊主には見られちまったな』

『すみません、気安く近づいちゃって』

『いいんだよ、そんな謝らなくても。俺は仕事を伝授した弟子に会えて嬉しいぜ?噂の蛇姐とかと出くわすなんかより、よっぽどな!はっは!』


 そんなことを言ってると、蛇に噛まれてそうだな。僕は何もいない空間を横目で確認しながら、そっと心に留めておいた。蛇姐さんの存在はいるだけで僕の心にも優しくはない。


『まぁ。それは兎も角だ。俺はもうここを離れようかなと思ってるぜ』

『そうなんですか?』


 もうここには用事が無くなったしな。死神兄さんは小さく呟く。


『すぐに、ってわけじゃないけどな。しばらくは待ってみるが、いつの間にかいなくなっても一神ひとりでやっていけるだろう。それに、坊主に会えただけでも良かったぜ』

『僕も会えて光栄です。死神兄さんに仕事ぶりをきちんと見せられなかったのは残念ですが』

『そういえばそうだったな。あれからもきちんと働いてるんだろう?』


 その言葉に、僕はちょっとだけドキッとした。久々に出会った時にも、このような会話をした気がする。


『大丈夫ですよ、今追ってますから』

『おっ。随分と調子良さそうだな』


 正確には、今もまだ、であるが。

 あれから十日以上経過するのだ。死神兄さんにとって別のターゲットだと思われているだろう。そんなことはない。あれから僕は何も変わってないのだ。


 満足気な表情を浮かべた死神兄さんはふわりと浮かび上がって、こちらに手を振った。別れの挨拶だろう。もう会わないとなると、悲しい気持ちが湧いてくる。でも。これは永遠の別れではないのだ。ニンゲンでいう『死』のような、二度と会うことができないわけではないのだ。

 そう考えると、僕は何だか、余計に悲しい気持ちが湧き出てくるような感情に満たされてしまった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る