『襟巻』残り時間  89:35



 僕が仁愛と出会ってから337時間が経過した。残り時間でいうと、ニンゲンが生き永らえた最長記録まで100時間は既に切っていた。


 このまま何事もなかったかのように記録は更新されてしまうのだろうか。そうあってほしくない本能と、そうあってほしい自分がいた。死神は死を宣告する者。死を望む者が死を届けられないなんて失格だ。だが、本当に死ぬ必要はあるのだろうか?


 仁愛に限った話ではない。“誤った生命”反応は、死神ぼく自身の本能だ。息を吸うように、ごく自然と感じとれてしまう。わかってしまうが故に、それが正義だと思い込んでいた。実際、そうであったケースがほとんどだったから。


 でも、それは本能が勝手に判断していたに過ぎない。拒絶するその身体の奥底からこみ上げてくる憎悪、憤怒。鎌をかけたいという衝動。これらが誤りである可能性もある。アレルギー反応に近いだろうか。だからといって従わないわけにはいかない。発作が起こる前に、行動には移した。結果として、まだ未着なだけだ。


『…………』


 少女は平々凡々と生活している。スマフォをいじって、インターネットというニンゲンが作り上げた便利な情報網から新たな情報を探っているようだった。部屋着もシャツ一枚に上着と短めのパンツで太ももがこちらを覗かせていた。


「……ん?」


 こちらに気づく仁愛。少し、観察するに近づきすぎただろうか。それとも、僕が自分から近づきたかったのかもしれない。理由は、特にない。思い浮かばなかった。


 目が合う。昨日とは打って変わって、純粋で無垢なまなこをしていた。あの怒りに満ちていた目とは別人物のようだ。どうして怒っていたのかは僕にはわからない。少女にもまた、死神と同じような本能があって、それで怒っているように見えたのかもしれない。


「しにがみさん、どうしたの?」


 じぃっと近くで見つめてしまったせいか、仁愛がスマフォを置いてこちらに向き直った。見えない赤い傷が、なんだかとても不釣り合いに見えた。


「なんだか、とても悲しそうな顔してる」


 少女は呟いた。僕が、悲しそう?死神が何を悲哀する。表情に出てたというのか。あまり他の死神から顔について触れられたことがないため、どんな顔をしていたかがわからない。ベッドの傍らにある鏡に映らない自分がちょっとだけ悔しかった。


 あっそうだった、と仁愛が思い出したかのように、商店街から持ち帰った紙袋を漁り始めた。他の衣類に混じって、赤く細長い布生地を取り出す。


「しにがみさん、これあげる!」

『これを……?』


 仁愛は赤い布生地をこちらに差し出していた。布生地にしては、精巧に編み上げられているようだ。端々の糸がほつれているのはわざとなのだろうか。


「マフラーだよ。首に巻くやつ。セールで掘り出しものになっていたから、たまたま買っちゃったんだ。なんか、よくよく見たら、しにがみさんの首元が寒そうだなーって思って、さ!」

『…………』


 死神を視認できる少女。死神に声をかける少女。死神に贈物を届けるニンゲンの少女。

 かつてここまでこちらに干渉してきた存在はいたのだろうか。死神ぼく達はニンゲンきみ達に死を届ける憎き存在であろうに。


『残念だが、もらうことはできない』

「あっそっか。触れないって言ってたもんね」


 小さな肩を落とす少女。ギュッとマフラーを握りしめていた。


『……だが、その好意を受け取ることは可能だ』

「えっ」


 僕はそのマフラーをなぞるように手を近づけて、そのあと自分の首元に『力』を溜め込む。布を首に巻くとは、だいたいこんな感じだろうか。想像で自らの首元に似たマフラーなるものを展開した。この程度の創造であれば、ニンゲンの『魂』数十人分で誰でも作り上げられるだろう。


「わあ。すっごい、おんなじやつだ。ペアルックできるね!」

『ぺあ……はわからないが、ニンゲンはこれを首に巻いて苦しくないのか?』

「しにがみさんがそんなこと気にするなんて、おかしいの。首ってすぐ冷えちゃうから、あったかくするのにいいんだよ。別に首しめるためにあるわけじゃないからね」


 体温調整のための代物のようだ。死神には必要がない機能性だが、せっかくだからこの格好で続けてみようか。なんだか、少しだけ暖かいようにも感じられた。


 仁愛も手元のマフラーを首に巻いて真似ていた。いや、真似をしたのは僕の方だった。とても丁重に巻き上げていた仁愛に対して、僕のはぐるぐる回しただけでとても乱雑だ。見よう見真似で再度巻き直してみたが、うまくいかない。恥ずかしくなって、自らを嘲笑する。その様子を眺めていた少女もまた、僕に合わせてにっこりと笑っていた。

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