『首筋』残り時間 113:47
[エスカレイターからの転落が起因となる圧死……68.6%]
首筋に見えない赤い線を引かれたニンゲンが、危険な目に遭うとどうなるか。
ああ、あそこの少年。このまま転んで巻き込まれて死ぬんだろうな。僕は安易にその終末を予想していた。
人工物であるエスカレイターは電気というエネルギーで生きてるかのように動いている。物質の塊である以上、それを動かす力はニンゲンの力などでは到底及ばないだろう。ましてやニンゲンの子はなおさらだ。
上りのエスカレイターには利用しているニンゲンが他にいなかった。少年はそれを知ってか、全身全霊で階段部へと向かって走る。
それとほとんど同時に、仁愛は両手に持った荷物を落としていた。投げだした、と言う方が正しいかもしれない。傍らに佇むあどけない少女の表情は愕然としていた。
[エスカレイターからの転落が起因となる圧死……83.7%]
少年が大きく踏み込む。興味心より、ほとんど自殺行為に近い。ニンゲンの子の行動はニンゲンにも抑えられないものがあるというが、危険を顧みないのだろうか。それとも、興味心の方が自制心よりも勝るのだろうか。
案の定、少年はエスカレイターの流れにバランスを崩して躓いた。小さな身体が宙に舞う。甲高いニンゲンの悲鳴が響く。
[エスカレイターからの転落が――]
そして、少女が駆け出した。
『――っ!』
それはあまりにも無謀だった。
エスカレイターまで近づき、その側面を蹴った。そのまま身体を捻らせ、流動する階段を踏み込み、勢いよく大きくジャンプした。ものすごいスピードで駆け上がって、上階へと走る。走る。エスカレイターは仁愛が蹴った衝撃か何かで止まっていた。仁愛は伏せていた少年の元まで近づく。既に服がエスカレイターに絡まりかけていたが、寸前で少年自体は巻き込まれずに済んだようだ。ゆっくりと少年の絡まった布を解いていく。
[エスカレイターからの転落が起因となる圧死……0.0%]
「あ、ありがとうございます!」
少年の母親と思しきニンゲンが顔を崩しながら傍で喚く。悲しみではなく、死への恐怖だろう。少年は今、生きている。
「いえ、それよりも……」
絡まっていた服を解いた仁愛は抱える少年がなかなか離れないことに疑問を抱いていた。よく見ると、少年は白目を剥いたまま口が半開きになっていた。
「気絶、かな。しちゃってるみたいで……。事故ですし、一応診てもらった方がいいかもしれません」
「ああ、そうですね。うちのバカがご迷惑を」
そんなことないですよ。仁愛は少年の身体を横に倒す。口元に手を当てて、呼吸を確認した。首元に二本指を置き、脈を測る。少女が撫でた指の痕にあった見えない首筋の線が、うっすらと消えかかっていた。
死、ではない。『魂』が見当たらないからだ。少女の言う通り、気絶しているのだろう。
では何故、少年の見えない痕が消えかかってしまったのか。今の事故が、世界は決定因子だというのだろうか。
「…………」
仁愛と目が合う。少しだけ、怒っているのだろうか。僕にはその心当たりはない。少年もまた、初めて見る姿だ。鎌をかけたのはまた別の死神だろう。
もしかすると、少年が死にかけたことに対してなのだろうか。仁愛には見えないはずの首筋が見えていたのか?死神である僕が見えていることで、イレギュラーが既に発生しているのだ。自分の首筋にあるものも実は知っていて、助けた少年にも同様のものがあるとわかったのかもしれない。今回は助けたことで運命が変わってしまった。少年はまだ生きている。首筋は、やはり徐々に薄れかかっていた。
仁愛がこの首筋のことを知っていて、少年にもあるとすると、僕に容疑をかけているのかもしれない。とんだとばっちりだが、死神の所業であるのは否定しない。それよりも、ニンゲンが見えない首筋を見えていることが異常だ。
死なない少女。死神が見える少女。死を知り、未然に防いだ少女。仁愛、君はいったい何者なんだ。
『…………』
ほどなくして、サイレンが鳴り響いた。仁愛は荷物を取りに戻り、少年の母親に声をかけて離れた。無害そうに見えた少年は誰が何を理由に鎌をかけたのだろう。“誤った生命”反応は僕からは感じ取れなかった。そうでなければ、無作為に斬り付けた死神が存在したことになる。仁愛じゃなくても、僕でもそれは悪とみなすだろう。
投げだした荷物は少し崩れているようだったが、盗まれていないようだ。ここで盗みを働くものがいたら、僕が制裁したかもしれない。そんな余裕はないが、その様子を見た仁愛はどう思うだろうか。正義と見るだろうか。そもそもこの少女に対して鎌をかけた僕は今、正義なことをしているのだろうか。仁愛には疑われているが、死神が疑われても否定はできない。死神は死を伝える存在。鎌をかけられて生きていることの方が不思議だと思うくらいなんだから。
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