『買物』残り時間  114:15



 曇りなき青い空。朝日はとっくに昇りきっていた。あのアパートの三階の一室はまだカーテンが引かれたままであった。


 仁愛はまだ起きてないのだろうか。今日は学校がないようだ。先週と同じく、五日間の平日を終え休日に入ったのだろう。平日と休日で一日の生活が変わってしまうのもニンゲンならではである。僕は彼の少女が起きるのを待った。


 もしかしたら、寝てる間に死んでいたかもしれない。死因は窒息だろうか。ニンゲンの脳だけが生きていて、心臓だけ止まってしまったならば気づかない可能性もありうる。そんな淡い希望は、勢いよく開かれたカーテンの先に佇む姿によって失われた。


『…………』


 何故だろうか。仁愛は所謂仁王立ちして、腕を組んで立っていた。興奮げに鼻の穴を膨らませている。いつもの感じでは無さそうだ。だが、以前みたいな死の臭いは感じ取れない。普段より顔立ちがはっきりしている。目元の頬が少しだけ潤っていないだろうか。ずっと前から起きていて、既に寝起きの儀式を済ませていたように見えた。


「――しにがみさん、ちゃんとおぼえてたのね」


 そんな風に仁愛が叫んだように思えた。そのまま部屋の中へと戻り、身支度を始めている。何度も身丈ほどある鏡で自分を見比べては、張り切って外へと飛び出していった。


 程なくして道路に出てきた。仁愛は辺りを見渡した後、僕に向かって手招きをしてきた。いたずらっぽく歯を見せて笑っていた。こっちに降りてこいというのだろうか。やはりこの少女は僕に対して神であるという尊厳が失われてしまっているのではないか。


 とはいえ、無視する理由もないため素直に従った。……こういうことをするから、余計舐められてしまっているのだろう。


『なんだ』


 仁愛は長い髪を翻してこちらを振り向いた。えへへと軽やかにつま先をあげては、もう半回転して前方に向き直る。慣性に従って少女の全身を覆う服がくるりと半周遅れで回った。薄桃色のそれは腕と脚を隠しておらず、傷一つない素肌がこちらからでも認識できた。

 いつもとは異なる服装だ。小走りに駆ける後ろ姿を眺めながら、目線の高さまで浮かび上がっては一定の距離を保つ。


 道中で不思議そうに少女を見つめる通行人が多少はいたが、その真後ろに僕がいることは誰も気づかなかった。これが普通なんだ。仁愛だけが、僕が視えている。再びくるりと目を合わせてきては、「なんでもないよ」とからかうように笑った。


『どこかへ行くのか』


 聞いたところで、どうしようもないのはわかっていた。この先に何事もないか、死ぬか、どちらかだ。でも、僕の口は勝手に少女の動向を知りたがっていた。

 

「そうだよ~。、ね!」

『……何が、だ?』

「何がって、他に誰がいるのさ!」


 仁愛は後ろ――僕がいる方向に向かって手を差し伸べた。これはどういう意味だろうか。一緒とは何事なのか。疑問を視線で投げ返すと、「鈍感だなぁ」と目の前の少女は小さくぼやいた。


「わたしに言わせるつもり?こういうのは普通男子がエスコートするものじゃないの」

『手を握れとでも言うのか。前にも伝えたとは思うが……触れることはできない』

「知ってる。いいじゃない、ふんいきだよふんいき」


 そう言って無理やり僕の腕を掴んで、そのまま引っ張るように歩み始めた。正確には、触れてはないのだが――なんとなく、僕は彼女に強引に引っ張られているような錯覚に見舞われた。


 仁愛が目指した先は、街中にある一つの商店街の一角だった。仁愛達が通うガッコウとは真逆の方向で、大通りに沿ったように展開されていた。ニンゲンが多く交じり合い、出入りする場所。建物の門には「すーぱーまーけっと」と死神の僕から言わせてもセンスがないと感じる装飾が施されている。建物自体は大型で、何層にも区画が設けられていた。クルマを止める専用の駐車場も敷地内に有しているようだ。


 ごく普遍的なニンゲンが生活する一環として通うであろう商業施設。少女もまた、そのニンゲンのうちの一人なのだろう。


「ふっふーん。デート、デートぉ」


 少女は鼻息荒げに前へ前へと進んでいった。死神である僕は特にニンゲンの混雑には影響しないが、いやそのためか、小さな少女を見失いそうになった。何度か手は放してしまっただろう。そのたびに仁愛は振り返って、僕が近づくを待っていた。そうこうしているうちに、いつの間にか、横にべったりと少女がくっついて歩くようになっていた。


「まいごのまいごの、しにまるくん~♪ あなたのおうちは、どこなんだ~♪」


 エスカレイター(とニンゲンが呼ぶ、足場が自動で移動する階段)で二階へと上がり、鼻歌交じりに仁愛は一つのお店へと入る。商業施設内には小さな店舗が疎らに展開されているということは知っていた。多くを取り扱うことで、多くのニンゲンを誘い込むのが魂胆なのだろう。ここは衣類を取り扱う店のようだ。


 衣類にも多くのモノがあることは僕も知っていた。着るモノ、羽織るモノ、被るモノ。こういったニンゲンの衣類を参考に、僕達死神は身なりを整えていることだってある。僕はあまり姿は変えたことがないが、他の先輩死神や噂の蛇姐だって、元はニンゲンを参考にしているのだろう。独り少女は店の中で見物を始め、僕は外で様子を窺っていた。


 ごく自然と少女はニンゲンらしい生活を続けていた。165時間前みたいな、死に直結しそうな事件や事故が起こりそうにもない。あの時がピークだったのだろうか。


 仁愛は今、二つの衣を両手に掲げては、自分に重ね合わせて鏡で見比べていた。「どっちがいいかな~」という独り言は、鏡に映らない後ろの僕に対してなのか、近くを通りかかった店のニンゲンに対してなのかはわからなかった。独り言だから、どちらでもないだろう。

 鏡の先にいる少女と目が合う。見えているわけではないが、その瞳は僕からの答えを待っているかようにも感じ取れた。


 そうこうしているうちに少女は幾ばくかの時間を費やしていた。ニンゲンの寿命はそう長くないのに。口には出さなかったが、退屈と思われたのか、待たせちゃったねと素直に謝ってきた。


「荷物運びさせようと思ったけど……待ってもらっちゃったし、ちゃんと自分で持つよ」

『あいにく、荷物は運べない』


 冗談が通じないんだから。大きな紙袋を抱える少女は健気に微笑んだ。


 間近で見た少女の笑顔は、ごくありふれた平凡な少女そのものの表情だった。


 それも束の間、一人のニンゲンの声によって遮られてしまう。


「――やめなさいっ!」


 僕達より前方、やや上方気味だろうか。叫び声が耳を劈く。


「はやく、こちらに!あぶないわよ!」


 ニンゲンの悲鳴に近い大声が、三階へと続くエスカレイターより響き渡る。


 一人の少年が歩いていた。エスカレイターの上。一方向にしか進まないエスカレイターには逆走している状態で、少年は母親と思われるニンゲンから逃げるように駆けていった。

 少年にとっては単なる悪戯心だったのだろう。やめろと言われたからこそ、やりたくなる。ニンゲンでいう天邪鬼に類する行動。


 僕も最初はそんなものだろうと踏んでいた。ニンゲンの子は、特に行動がうまく読めないことが多いからだ。


 その少年の首筋に、僕にしか見えない赤い線があることに気づくまでは。



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