『食事』残り時間 199:57
死神は、ニンゲン含め全てのモノから非触である。
弾丸で撃ちぬかれようが、光を当てようが、水をかけられようが。それら全てのモノが通り抜けてしまう。あたかもそこには始めから何もないように、物理的な接触が行われることはない。
故に、死神からもモノへの接触は不可能であった。ナイフを突き立てようとも、果物に興味があっても、それを手にすることはできない。勿論、首に見えない大鎌の跡を残すことも、実際に接触という現象は起こっていない。
ただし、非触な死神は非触なモノであれば創り出すことができる。死神兄さんのダガーナイフなんかが良い例だ。身に着ける衣、武具や身体のパーツなんかも創ろうと思えば作れるだろう。
そのためには『力』が必要であった。『力』とはいえ抽象的でなくニンゲンの「エネルギー」に近しい。活動源といっても差し支えない。
ニンゲンは「エネルギー」を外部より二次的に摂取しなければ得られない。それと同様に、死神もまた『力』は摂取することで得られ、累積されていく。謂わば食事に相当するものだ。
だが実際に何かを食べるわけではない。死神は非触だ。これに不変はない。
どうするかといわれれば、それは死神の『役割』の一つが「食事」に値する行動であった。
「……おばあちゃん?ねぇ、こっちを見て」
一人の女性体のニンゲンが、横たわる別のニンゲンの皺枯れた手を握りしめて囁く。傍には椅子に座って足をぶらつかせるニンゲンの幼体と、険しい表情で様子を窺う白衣のニンゲン。それに一定の間隔で電子音を鳴らす機械。その機械から延びた管を辿ってみれば、横たわるニンゲンへと繋がれている。
あまり明るい雰囲気とは呼べないここはビョウインと呼ばれるニンゲンの施設の一角だ。部屋は異なるが、先日仁愛が一時的に運び出されたところでもあった。
「……」
「良いよ。無理して、喋らないで。私が、わかる、よね?」
ゆっくりと優しく話しかける。そのニンゲンの声は少しだけ震えていた。明るく取り繕うとしているようだが、目には涙があふれかけていた。
横たわっている老体のニンゲンは生命反応がとても不安定であった。“誤った生命”反応とは異なる、死への
しかし――当たり前ともいうべきか――首筋には見えない傷跡はない。誰も大鎌をかけてないのだろう。それもそうだ、このニンゲンは“誤った生命”ではない。僕も昔から注意深く観察していたわけでもない。たまたま見かけたニンゲンだ。
「…………」
「うんうん。私は、ここにいるから、ね?」
「……………………」
「うん。う、うん……」
「…………………………………………」
無機質な機械が鳴らす電子音の間隔がとてもゆっくりになる。無音となった静かな空間がむしろうるさいほどだ。その無音が、周りのほとんどの者があまり良いとは聞き取れていないようであった。
間もなくして、機械の音が変わった。何かがこと切れたかのような反応であった。
「……御時間となりました」
白衣のニンゲンが漸く口を開くと、女性体のニンゲンが大きく泣きじゃくり始めた。溜まった水が溢れかえるように、我慢していた涙でベッドを濡らす。ニンゲンの幼子も、しゃっくりを上げていた。
『もう少し、かな』
横たわるニンゲンを見つめる。足の先から何かが消えはじめ、膝にまで至った。次第に手の先、胸元にまで走る。最終的に首元にまで到達すると、消えていった何かがふわっとニンゲンから抜けていく。
僕はそれを逃さず、大鎌の峰で汲み取るように手際よく回収した。『魂』とも呼ばれるそれは、僕の手の内に集まってから、ゆっくりと形を成すように凝縮されていく。ある程度の大きさまで小さくなった『魂』を、僕はそのまま大きく齧り付く。全身に『魂』が沁み込んでいくのがわかる。
――死神の仕事。一つ、生命の死から生まれる『魂』を回収すること。
生命が『死』ぬ寸前に見えるそれは死神にしか見えない。実際は“誤った生命”反応や、首筋につける見えない傷跡のように感覚に近いだろう。ニンゲンは臓器の機能が停止する瞬間を「死」と呼ぶようだが、死神はまた別で判断をつける。それが『魂』と肉体との分離だ。
ニンゲンが死ぬ寸前に、光となった何かがニンゲンから溢れだそうとする。
鎌は収穫に使う道具である。死神にとって、対称は『魂』であった。
『これでしばらくは大丈夫だろう』
この行動の主なる目的は『魂』が悪さしないためでもあるが、死神の活動源にもなるため定期的に行う必要があった。普段は仕事をこなしていれば自然と流れで出来てしまうのだが、今回はイレギュラーで探してきたのだ。とはいえこれもまた、“誤った生命”同様に見かけた時には自主的に処理する必要がある。仕事ではないため最優先とかそういうわけではないが、地上に遺っても誰も得はしないのだから、僕は「食事」も兼ねて見つけ次第実行に移している。
「ねぇ、おかあさん」
ニンゲンの幼子が震えた声で母親と思われるニンゲンに問いかける。
「おばあちゃん、ちゃんと天国にいけたかな?」
「そうね。……きっと、天国から今も見守ってくれているよ」
「そう、だね!」
ニンゲンの子は洟をすすり、ちーんと白い布で噛む。そのまま赤くなった鼻と目元を広げて、無邪気に笑った。陰気な表情ばっかりであった母親もつられて、自分の子に向けて小さく微笑んだ。
『天国、ねぇ』
ニンゲンが死後住まうとされる地の存在。そんなものはない。在るならば、初めからそこに住まうべき。だが、ニンゲンは古くから死を恐れその存在を信じているそうだ。
生きている限り、死は密接なものとなる。希望に縋ろうが、絶望に落ちようが。生命たるものの行きつく先は全て一点に収束するのだ。
『……あの子、いつになったら死ぬのかな』
もしかしたら例外があるのかもしれない。一人のニンゲンの顔を思い浮かべて、一瞬だけそう考えた。一瞬だけだった。すぐに頭を振るい、ここにもう用はないと踵を返した。
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