『蛇姐』残り時間  210:29



 ある日の昼頃。先週と同じように、ガッコウにいた時のことである。


 いつも通り退屈そうに過ごす仁愛にあと名乗る少女の観察を続けていた僕は、その気配が目前に近づくまで気づくことができなかった。


 ここはガッコウの大庭の真上の空の中。太陽が雲の中で「かくれんぼ」しては見つかるを繰り返す。視線の先にいた仁愛はジュギョウに飽き飽きし机に突っ伏していた。


 今日もガッコウでの成果は無さそうだ。そう考え、この場から離れようとした時にその影は現れた。雲の翳りではない。あたかも初めから一緒にいたかのようにその影は話しかけてきた。


『ネエ、坊や。どこに行くのかしラ』

『――っ!』


 耳元の声に大きく飛び退く。驚きよりも、危機感を覚えてだ。そこにいると全く分からなかったことが、その影の主に対して感じ取れた。


『アラアラ。そんな逃げなくてもいいのにネ』


 僕が知り得る情報と合致する者ではない。黒ずんだ体格にドレスのような衣装を纏っている。そのドレスもまた、よく見ると細長い何か蛇のようなもので溢れていた。膝から下は無く、代わりなのか片足に一匹の蛇が垂れている。顔であろうパーツはほとんどがなくなっていたが、唇だけ艶美にも紅く映えて見えた。その顎のラインに沿って下方向、ドレスの境界辺りの胸元には特徴的な膨らみがある。


『女型の、死神……?』


 死神に性別はない。生殖行為を必要としないからだ。

 しかし、それを呼ぶには一番近しいものであった。ニンゲンの女性体に似せた死神。蠢くドレス内の蛇の一匹が、歪な大鎌を携えてるのを見るに、死神で間違いないだろう。


『もしかして、動物狩りの死神か?』


 死神兄さんが探していた死神。ここにいるということは、その可能性はあるだろう。

 だが、死神兄さんが言った特徴には似ているようには思えなかった。毛むくじゃらでうねうねしてて、とは伝えてきたが、後者はともかく前者はあまりにも異なるであろう。死神兄さんの伝え方が悪い、という可能性も無くはないが、そうとは考えられない。それよりも、この女型の死神のことであればもっと別の特徴を言うはずだ。


 舌なめずりする女型の死神は、僕の独り言にからかっているのか『さあネ。どうかしラ?』と曖昧に答える。


『随分と熱心に観察してたじゃないノ。どの子を狙おうとしてるのかナ。それとも、もうヤっちゃっタ?』


 若いんだからとっても活発的ネ、と意味深長にも微笑む。


『あの奥にいる男の子かナ。それとも、あそこで机に伏せている女の子かナ?』

『……要件があるならば、早く言ってください』


 少なからず、この女型の死神は僕なんかよりも云百年、下手したら何千年も過ごしてきた玄神くろうとではあるだろう。ここまで見た目を変化させてきた死神はほとんど見たことがない。大先輩がここに用事あるとするならば、狩場も譲渡せざるを得ない。


『ほんとに若い子ってせっかちネ。もっとゆっくりヤってもいいじゃないヨ。それとも、焦らされるのは苦手かナ?』


 女型の死神ははっきりと答えるつもりはないようだ。強者の風格か、はたまた単に僕をからかっているだけなのか。


『確かに、僕は仕事をこなしました。でも、最期を看取る所で横取りはさせません。先輩だとしても、仕事は仕事ですから』

『アラ。そこまではヤらないワ。もしかして、強引な方が好みかしラ?いやネ、そこまで気づけなくてごめんなさいネ』

『恐縮ですが、仰る意味がわかりません』

『ウフフ。冗談が通じないなんて、ピュアなんだかラ。こんなピチピチな子は久しぶリ。勿体ないし、今すぐにでも食べちゃいたいワ』

『えぇ……』


 とてもやりにくい。思考が読み取れないのもあるが、この女型の死神とはあまりにも馬が合わないようだ。これも、自分がまだまだ未熟であるからであろうか。


『坊やはいつもここにいるのかしラ。ここの中のどの子が、いつになったら死に絶えるのでしょうネ。坊やみたいな年頃の幼子が死んじゃうなんテ。嗚呼アア、なんて残酷。でも、それも世界の決定なのネ。ウフフ、ウフウウフフフフ……』


 この死神の笑い声には、嬉しみよりも、どことなく闇の深い何かを感じ取れた。


『あなたはずっと前からこの地域にいたのでしょうか。僕がやってきたこともわかっているような口振りでしたが』

『アララ?そんなこと無いワ。ついさっき来たばっかりだもノ。でも、坊やが喋ってくれるお陰で、本当だってわかるのヨ』


 再び不気味にも微笑みだす女型の死神。やはりうまく調子がつかめない。それどころか、この死神に多くを見破られてしまいそうだ。もしくは、既に知っているのだろうか。彼の少女、仁愛が死神と出会って未だに生きているということを。


 それを切り出すには、まだ女型の死神の信用は得られていない。それに、この死神であれば、知っていたとしても話してくれる確証は少ないであろう。わかっていながら、曖昧な答えを出して逃げられてしまいそうだ。


『それであれば、もう一度要件をお聞きします。何か御用ありますでしょうか?』

『フウン。そう畏まられちゃうと可愛くないわヨ。坊やがいたから、話しかけただけじゃないノ』

『は、はぁ。……お暇なんですね』

『ウフフ、ウフウウフフフフ……』


 やはりからかっているのだろうか、それとも図星なのか。女型の死神は口元を手で隠しながら笑い声を漏らす。


『フフッ。坊やを困らせちゃってばっかりは良くないわネ。私はここから退場させてもらおうかしら。でも、せっかくの一期一会で離れちゃうのは寂しいワ。一緒に来てもらうなんて難しそうだし、代わりってほどでもないけど坊やの腕一本いただけないかしラ?』

『お断りします』

『アラ、結構な即断。嫌いじゃないワ』


 じゃあネと手を振るう女型の死神を合図に、ドレスに纏わりついていた蛇達が一斉に上に向かって動き出した。まるで裾が捲れ上がったように見えたそれは女型の死神の顔をめがけて牙を剥けては、そのまま主に齧り付いた。捕食する獣のようにのさばる蛇の姿は異様であった。蛇が何体も何度も噛みつき、しまいには女型の死神の全身が蛇に吞み込まれてしまう。完全に消えたところで、蛇もまた黒ずんでは空気中に溶け込むように消滅してしまった。


 きっと移動したのだろう。あたりの静けさに違和を覚える。またあの死神が顔を出してくるのではないか。

 そう考えた僕は何もない後ろを振り返った。そこには、何もなかった。何もないことが、僕にはちょっとだけ落ち着くことができるようでもあった。


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