『暇潰』残り時間  257:03



「やーっと解放されたんだって。いいじゃないの、ちょっとくらいさー」


 少女はパジャマ姿のまま、駄々をこねるように口を尖らせた。


 事故未遂の後、病院に送られて処置を施された少女は半日ほど監修されていた。少女は事故に遭ってないとの主張を続けたが、制服姿のニンゲンが念のためだと入院を強く推したそうだ。病院にいたニンゲンも外傷はそこまで酷くないとわかっていたためか、最初は言う通りに寝かしつけていた。しばらくして制服姿のニンゲンが現場に移ったのを確認し、少女を解放したそうだ。


 少女はそのまま手配されたクルマに乗って帰った。ここまでに既に一日を要したようだ。


 睡眠を取ってから、起床した少女は翌日を迎えている。昨日の予定はおじゃんになったと嘆きながら、観察していた僕を見つけては手招きして呼び寄せてきた。

 話を聞くに、流石に事故本体には遭ってないとはいえ、足の怪我は相当なもので動きたくないとのことだ。支えはいらないが、歩くだけで痛みを感じるという。


「結構痛いんだよ。動きたくない」


 つまるところ、暇だから相手してくれとのことだ。


 やれやれとは思いつつも、放っておいたら外部に死神の存在を干渉させかねないため、ある程度の我儘に付き添ってあげようという根端だ。


 それに、事故未遂も含めて僕も聞きたいことがいくつかあった。


『死ななかったからな』

「そうだね、死ななかったね」

『死にたかったわけでないようだが……何故死神ぼくを見て喜んだ?』

「よろこんだっていうか、見かけたっていうか……」

、だと?」


 うん、と少女は頷いた。


「ずっと前にね、しにがみさんとは別のしにがみさんと出会っちゃって。そのときは何も知らなかったんだけど、急に『どうして死なないんだ?』って聞かれちゃって。わけもわかんないまんましばらくして、そのしにがみさん、どっか行っちゃったんだ」


 別の死神と出会ったというのか。その時も、少女は無事で済んだというわけだ。


「そしたらね、しにがみさんがやってきて。姿も似てたし、すぐにしにがみさんだって、戻ってきたのかなって思ったの。でも、違ったみたいね」


 流石にお風呂までは近づいてほしくなかった、と少女は小言を漏らす。


「しにがみさんがまた来たから、今度こそ死ぬのかなーって思って。ちょっとだけ期待しながら普通に過ごしてたんだけど、何も起きなかったね」


 期待してたら普通じゃないか。少女は僕に向かって笑顔を向ける。


 姿が似てた、というに僕に似た容姿の死神だということだろうか。死神は力を誇示するために年齢とともに容姿を変える。ある程度の仕事を続けると、ちょっとずつなるのだ。死神兄さんが良い例である。

 少なくとも、死神兄さんや噂の動物狩りの死神――少女が過度に僕のことを見ていなければ――ではなさそうだ。別の死神がいた、というのだろうか。


「そうだ、しにがみさん。しにがみさんって名前はあるの?」

『名前?』


 少女は大きく頷く。私もしてなかったねと頭を掻きながら、照れ臭そうに自己紹介を始めた。


「わたしはニアよ。仁の愛って書いて、仁愛にあって読むの。しにがみさんは?」


 ニンゲンは個の独自性を持たせるために、名前をつけられる傾向がある。親から受け継がれた「姓」と、子の存在を示す別の「名」を組み合わせた名前だ。少女――仁愛がいうこの名は「名」にあたるものだろう。この地域特有の文字一つ一つにも意味があるようで、言葉や呼び名だけでなく文字も伝えたのはそのことだろう。


『名は無い。必要も無い』


 その名前というものは死神には存在しない。必要としないからだ。多くの死神は生まれてから他の死神に干渉することなく淡々と仕事をこなす。場合によっては出会い縄張りの奪い合いにあることもあるが、それに名前を必要とすることはない。一種の動物に似たものかもしれない。


 そもそも名前をつけて呼び合うのはニンゲン固有のものだ。言葉が発達し、ニンゲンの群れを総統する者が現れてから、個を呼び合うために名前というものが生まれたらしい。僕が生まれる何千年も前の話だ。死神兄さんも受け売りだと言ってたくらい。義兄のように慕ってくれた死神兄さんですら、僕のことは名前で呼ばなかった。とりわけ名前が欲しいと感じたこともない。


「そっかー。名前つけていい?」

『必要がない、と言っただろう』

「わたしが呼びたい」

『……勝手にしろ』


 やったー!と謎に喜ぶ仁愛。ニンゲンは名を呼ぶに嬉しいと感じるのだろうか。


「そうだなー。しにがみさん、しにがみさん…………しにまるさんで!」

『し、しにまるさん……』


 何故だろう。僕の心がむずむずするというか、とても反発したがっている呼び名だ。


『あまり変わりは無いだろう。今まで通り、しにがみと呼んでもらって構わない』

「えー、でもさー。ペットの犬のことをイヌさんだなんて普通呼ばないしー」

『ペットの犬……』


 僕はそのペットと同等な存在なのだろうか。この仁愛というニンゲンの少女から、神である尊厳が徐々に失われてしまっているのではないか。


『しにがみでいい。否、しにがみのままが良い』

「却下。つまんないし」

『しにがみと呼べ』

「……や」

『しにがみ』

「べーっだ」


 あまりにもつまらないこの論争は、その日の太陽が沈みかけるまで続いた。


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