『事故』残り時間  280:25



 何かが起こる。

 空気が違う、とでも言えば良いだろうか。日の出と共に、それは予知となって僕の身体へと差し込んでくる。この時を待ちわびていたのだ。


 今朝の少女のルーティンはいつもと違った。

 今までとは起床する時間も異なる。顔もゆっくりと洗い流し、熱を帯びた小さな機械で髪を梳かす。簡素だが化粧を施し、鏡で自らを見つめ満足げに頷いた。


 ニンゲンの世間が休みであることは僕にも理解できた。ほとんどのニンゲンは平日と呼ばれる五つの日と休日と呼ぶ二つの日を繰り返し過ごしている。主に若い時期のニンゲンが大概当てはまる。この少女もそのようだ。

 今までは変わり映えのないつまらなさそうな日々を過ごしていたようだったが、今日の少女はとても晴れやかであった。これから良いことが起こるのだろうか。


[頭を殴打しショック死……10%]


 だが、少女が変化を求めるということは、世界もまた変化に適応するものだ。とりわけ死の誘導フラグが始まっている今は、危険が降り注ぐ可能性が非常に高まる。


 そんなことを知る由もなく、少女は駆け足で外に飛び出す。寝坊した分、遅れが生じている様子だ。


 並べられたジテンシャの一つを手に取り、流れるような動作で飛び乗る。半分開いたポーチを前方に備え付けられている籠に投げ入れては、すぐに漕ぎ走り出した。


[ニンゲンへの衝突……16.3%]


 きっと何かが起こる。僕の勘がそう告げてきて耳がやかましい。急ぐ少女の後ろを空中から追った。


 通学路を抜け、公園の脇を通り、左手へと曲がって大通りへと差し迫る。


[交通事故による衝突……31.3%]


 遠方より、銀色に鈍るクルマがものすごい勢いでこちらへと向かっていた。何かから逃れるように、住街にも関わらずそのスピードが落ちる気配もない。道行く人が皆、危機を察知して避けていた。

 その死角にいた少女はそれが見えないようであった。避ける手筈もない。今まさに、点と点が結びつくのだろうか。


[交通事故による衝突……44.4%]


 僕はより上空でその二点を見つめた。銀色のクルマの後ろもまた赤いランプの黒いクルマが追尾しており騒がしい。流石に少女も非日常的な音に気づいた様子であった。


[交通事故による衝突……68.7%]


 少女が左を向く。銀色のクルマの運転手は焦りの形相を変えずにアクセルを踏み込む。


[交通事故による衝突……81.9%]


 二点が交差すまで、もう間もなく――


[――による衝突……50.0%]


「わっ!」


 ジテンシャから足を踏み外した少女は、その場で大きく転倒した。身体が横に薙ぎ払われ、ジテンシャだけが少しだけ前方に独り進む。ふらふらと進むジテンシャもやがて力なく倒れ、籠に入ったポーチが中身をばらまいた。一本のスティック状のものが、コロコロと転がっていく。


 そのスティック状のものを踏みつけるように、先の銀色のクルマが勢いよく横断した。クルマの勢いは止まらないまま、少女から離れた先で電柱に正面から衝突し轟音を散らす。後ろからついてきたクルマはゆっくりと止まり、中から制服姿のニンゲンが周りを喚起し始めた。


「お嬢ちゃん、だいじょうぶかい!?」


 息遣いの荒い老年のニンゲンが少女に声を掛ける。えへへ、転んじゃって、と少女は健気に笑う。


「あらまぁ。くるまにぶつかったわけじゃないのかえ?」

「いてててて。くるま?……って、すごい音したけど。もしかして、事故でもありましたか?」


 少女を疑問に聞く耳を持たず、老年のニンゲンは少女の足を見ては「血だらけじゃない!救急車よ、救急車!」と大きく騒ぎ立てる。


「あの、ほんとうに、恥ずかしながらころんだだけなので……」


 少女の力ない言葉は届かず、周りの大人達が駆けつけては介護に回る。スマフォを片手に連絡を取る者、周りに注意を促す者、応急手当で傷口を塞ごうとする者。少女への死は遠ざかっていく一方であった。


[ジテンシャの転倒……0.0%]


 間もなくして、警笛と共に白いクルマが現場へと到着した。少女は抵抗することもできずに、苦笑いのままそのクルマへと押収されてしまう。白いクルマは、そのまま別の場所へと運ばれていった。

 このクルマの行く先は病院だろう。多くの傷ついた者を救いだしたり、及ばずに最期を看取ったりするニンゲンの施設だ。今回の少女の場合は、命に別状はなく後者になることはないだろう。


『どういうことだ……?』


 少女は救われてしまった。そう、死なずに済んだのだ。


 見えない首筋を持つ者が、決定的な事故を免れた事例など今までに見たことがない。僕は生まれて70年の死神だが、もっと長生きした死神兄さんからもそんな話は聞いたこともない。あるのだろうか。否、それでは死神の仕事に必然性が失われてしまう。


『世界は、まだその時ではないというのか……』


 意識を銀色のクルマへと向ける。制服姿のニンゲンが丁寧に回りを囲っていた。銀色のクルマの中の男は正面からの衝撃によりとうに尽きていた。


 野次で集うニンゲンをすり抜け、僕は銀色のクルマの持ち主へと近づいた。赤く見えない首筋が一閃。所々に太く何かで刺したような見えない傷痕。この痕跡は、僕は昔に何度か見たことがあった。

 見えない首筋の線は、力尽きた男から徐々に薄れていくように空中へと溶け込んでいく。幾度となく見てきた、死神による死の瞬間だ。この男は死神の鎌を受け、そして世界の運命へと導かれて死んだのだ。


 この男は大鎌によって死へと結びついた。あの少女は大鎌によってまだ死へと結びつかない。ここに一体何の差があるのだろうか。技量だろうか、もしくはもっと別の何かだろうか。未だ死なない少女への疑問は、ますます広まるばかりである。



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