『仕事』残り時間 343:XX
俺は仕事をするべく、
ニンゲンが眠りにつく直前。寝るか寝まいかの境目に至るタイミングが一番『狩り時』だと考えている。個体差は承知の上だが、一般的には多くのニンゲンが日の出と共に活動を始め、深夜に眠りにつく。休眠には独り身になることがほとんどであり、妨害する邪魔も少なく、『仕事』がやりやすいわけだ。もっとも、記憶は一緒に刈り取れるが、記憶を刈り取るためだけに目撃者を減らすようなヘマを犯したり等はしない。
『ひぃ、ふぅ、みぃ……充分だ』
ローブにしまっていたダガーナイフの本数を確認する。ニンゲンを煽るには適切な道具である。鎌ほどの力はないにせよ、見た目だけでも効果は
『……ん?あの姿は』
暗い空の下。今ここに空に浮いているとしたらそれは同業者だろう。探していた彼の死神だろうか。それにしてはとても幼いように見える。
『あー、あの坊主か。観察に勤しんでたせいか、ここにきて二週間しばらく見かけなかったな。ははっ、相変わらず正直にここで過ごしてきてたのか』
まだ若き死神少年。齢70年といったところだろうか。ニンゲンの一生に近い年齢ではあるが、死神にとって生まれたてホカホカな御年頃だ。
この死神少年のことは随分と前から知っていた。何せ『仕事』についてやり方を教えたのがこの俺だからだ。死神少年の動きはとても模範的で生真面目といっても差し支えない。独り立ちできるにあたり、確かにこの辺りの地域を20年程前に紹介したかもしれない。『狩場』としてはちょっと特殊な穴場だった。ずっと続けるには満足できないだろうが、最低限の『役目』をこなすことが可能な土地であった。
死神少年は独り一心に何かを見つめていた。おおかたニンゲンの行動を観察しているのだろう。死神はニンゲン観察が好きだが、あそこまで生真面目なのもそうそう珍しい。まして寝ている間も何か起こらないかと毎日ずっと眺めているのは俺にはもう無理だ。経験則ではあるが、睡眠中に死に繋がる事故やニンゲンについて学べることは幾百年暮らしてきてほとんどない。
『……さて、と』
死神少年が佇む位置より月とは真逆の方向。団地から外れて、川沿いにある橋の麓付近。
鉄橋はあかりがつけられておらず、月明かりだけが頼りな程暗い闇の中。昼間はニンゲンを大量に乗せたデンシャという人工物が行き交うが、夜は運行しなくとても静かになる。
川のせせらぎを背景に、短い草原の上へと降り立つ。少しだけ人工物のゴミが散乱しており、その奥には積まれた人工物の段ボールの山が積まれている。鉄橋の影に位置するそれは、隙間から光が漏れていた。段ボールはそれを隠すようにバリケードのような役割をしているようでもあった。
段ボールのバリケードの奥に、一つの“誤った生命”反応を検知する。近づいてみるに、酒瓶と使い古された毛布に包まれた一人の男がいた。
『やあ』
「……んぁ。…………って、なんだお前はっ!?」
男は毛布を勢いよく横に投げ捨てた。段ボールのバリケードが少しだけ崩れてしまう。
『おっと、失礼。自己紹介が先だったか。名前はもう忘れちまったが、死神っていえばわかるな。お前に死を伝えに来た』
「な、何の冗談だ。コスプレか?」
『いやはや、何も冗談は言ってないぜ。コスプレじゃなくて、死神だ』
男が疑いの目で睨みつつも、右手を腰の後ろに回す。俺が見逃すはずもない。何度か観察して見た、相当手慣れた動作だった。
「ちっ。西の奴らがチクったのか。どこと繋がってる?」
『まさか。ちゃんとこの目と足でお前を探した。目も足もとうの昔になくなっちまったがな。身体の部位に関しちゃ、どこも繋がってないようなものだ』
「ふざけてんのか、てめぇ。はっきり言わないと……」
男は懐から刃渡りの長い包丁を突き出す。僅かな明かりに何かがこびりついた刃が鈍く照らされる。すぐにでも刺さってしまいそうだ。
「へっ。何の脅しかはわからんが、この俺を知ってやってきたんだろうな。悪いが、すぐそこで眠ってもらうぜ」
『死神は眠れないんだがな……』
「うるせぇ!さっさと失せろっ」
男は腰を低くしたまま体重を乗せて包丁を突き出す。刃の先は首元へと向かっていた。
男の身体はすんでのところで止まった。握っていたものが静かに落ちたような音がした。
「……な、なんだご、ごれば…………っ!」
『何か言ったか?聞こえないな』
男の喉元にはダガーナイフが一本刺さっていた。そう深くはないが、男の視界にははっきりと映っているようだ。
ローブを払い、仕舞っていた残りのダガーナイフを両手に広げる。右手でそのまま投げては、さらに男の首へと首輪のように突き刺す。左手は放射状に投げて、男の身体を倒して地面に固定させる。
『失礼。この死神たるもの、恥ずかしながらも大変不器用でね』
男が恐怖に怯えてか言葉を発することができずに、ピューという音だけを喉から漏らす。
『こうやって固定しないと綺麗に裁くことができなくてな。おおっと、動くと大変なところを斬っちまうぞ』
大鎌を携えて、男の首筋を狙う。先ほどの男が所持していた包丁の何倍も刃渡りがある大鎌。それをしかと見た男は何もすることができず、今度は身体のありとあらゆる部位から液体を漏らし始めた。白目を剥きかけている。もう意識も限界のようであった。
『さあ。死を以って死を償え』
首輪状に刺さったダガーナイフに沿って鎌を引っこ抜く。勢いで首に刺さっていたナイフが空を舞った。それを全て捉え、元のローブの内側へと戻す。地面へと固定したナイフは自然と消滅していた。
男は万歳した状態で気を失った。首には見えない一本の痕が刻まれている。血を流しているような傷はない。身体はところどころ濡れており、段ボールや周りに散らかったカードのようなものにうっすら染みがついている。これが最期でないことがこの者のまだ良かったところだろう。世界が決定するまで死んだわけではないのだから。
『……いやぁ、毎度毎度疲れるなぁ』
一か月ぶりの仕事だった。普段は一、二週間程度の
しばらくは身が自由になるだろう。余裕ある時間を使って、二十年ぶりに他の死神と戯れるつもりだ。そのためにこの地まで来たのだから。
『あの坊主にも一声かけておくか』
この男に関しては、経過を観察する必要は無いだろう。明日か明後日か。どのような最期を迎えるか気にはなるが、そう珍しい類ではなさそうだ。このまましぶとく生き残るわけもない。何せ、鎌をかけられたニンゲンには必ずや免れることのない死が訪れるのだから。
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