『凡凡』残り時間  383:11



 少女の朝はやはり早くもなく遅くもなかった。


 昇り始めた日の光が僕の身体を透過して部屋に差し込む。少女は普段のルーティンワークを回すように水いっぱいに顔を整え、昨日と同じ朝食を取り、下着姿になって白い衣に袖を通す。ふと日の光を見ては、何か一言呟きながら遮光カーテンを閉められた。


 少女は住処より姿を現し、階段を駆け下りる。整った襟のある紺色のブレザーには汚れはなく、折り目がくっきりとあるスカートが段差毎に舞っていた。道端に落ちていた空き缶を拾っては、穴の開いた青色のバケツへと丁寧に運ぶ。途中道で出くわしたニンゲンの老婆がそれを見て、微笑みながら少女を褒めていた。


 既に鎌をかけてから43時間以上が経過している。少女には、最も死が迫っているタイミングとも言えよう。あれから二日ほど眺めているが、もうすぐで僕の業務は完了するはずだ。

 しかしながら、やはりと言うべきか、少女の“誤った生命”についての情報は未だわからず終いである。平凡でよくいる少女。今日は少しだけ早足で同じ歩道を歩いている。ツウガクロには相変わらずクルマやジテンシャの通行は無く、蛍光色のベストを着た老人が交差点で安全を謳っている。『外在的要因』が一つずつ排除されてしまっているようだった。


 [ジテンシャからの突撃による脳震盪……0.2%]

 [クルマの介入による全身衝突……0.7%]

 [通り魔による逆恨み……0.0036%]


 今日は少女に近づく者はいなかった。昨日の帰り道と同様に、辺りを見渡して、不意にこちらを向いては、目一杯の笑顔で大きく手を振った。近くを通りかかったスーツ姿のニンゲンが、釣られて不思議そうに空を仰ぐ。彼には少女の動向が理解できていないようであった。


 少女と同じ服装のニンゲンがちらほらと姿を現し始める。ガッコウに近づいてきたのだ。これまでの道のりには危険は未だ生じていない。

 校門を通り抜けて、玄関に吸い込まれていく。少女もまたその中に入っていった。あのまま玄関の口が咀嚼したならば、とも考えてみる。ガッコウは生きてないためそんなことをしないのはわかりきっていた。


 少女は昨日と同じ教室に辿り着いた。流れるように自分の席につき、荷物を下ろす。一度机に突っ伏してから、パァっと空を見上げる。満面の笑みでこちらを見つめてきた。この時の僕の表情は、何とも言えないものだったなと後から思い返す。


[昼食時に毒物混入食品を摂取……0.0002%]

[他のニンゲンとの喧噪による打撲……0.0007%]


 鎌をかけてから丸二日が経過した。それでもなお少女の身には一切何も起こらない。退屈そうにしては、チラチラと外の様子を窺い、ニコッとこちらに笑顔を向けた。ジュギョウを行うニンゲンを気にしながら窓を見ているため、遊んでいるのではないかと推測された。


 このままでは少女に干渉してしまいそうだと考え、この場を離れた。死神は、個に対する死の誘導フラグを設立させるだけであり、世界そのものに干渉してはならない。

 とは言っても、そこまで遠くは行かずガッコウの中を散策することにした。階段、他の教室、売店。死の発端は初めから少女の傍にあるとは限らないからだ。ガッコウという因子から探ってみることにシフトする。


 だがガッコウ内において人為的要因となりうる危険は見かけない。他の教室に無理くり介入するニンゲンはいなく、階段は一日のジュギョウを終えると同時に清掃によって綺麗に片づけられる。売店で売られているものはどのニンゲンでも食べるものであり、そもそも少女はそこへと行きつくことが少ない。休憩時間の少女は会話を嗜む程度であり、喧噪や唐突な変化を呼ぶようなものはなかった。運動もまたジュギョウの一環として行われるそうだが、それも少女は適度にこなす程度であった。無論、ジュギョウで死に至るような危険な運動は初めから行われることはない。


 昨日よろしく今日もまた少女のガッコウ生活を終えようとしていた。僕が70年間見て学んできた一般的なニンゲンの様式美そのもの。あまりにも普遍的であり、変わるような様子もない。少女には危険が近づかないようだ。


 [ジテンシャからの突撃による脳震盪……0.09%]

 [クルマの介入による全身衝突……0.36%]

 [通り魔による逆恨み……0.00014%]

 

 少女は今朝来た道をなぞって歩いていた。何を気にするでもなく、まっすぐ進んでいる。他のニンゲンもまた行く末は違えど、何事もないことが当たり前なように歩んでいく。僕が期待していたものがどんどんと遠ざかっていく。嗚呼、どうしてなのだろうか。彼女は“誤った生命”であるはずなのに、世界は何も決定を下さない。それは本当に、世界から危険を遠ざけてしまっているような、そんな不思議な気分に僕は少しだけ陥っているようにも感じとれてしまった。

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