『入浴』残り時間  394:33



 少女は夕時の食事を終え、別の場所へと移動したようだ。僕は部屋へと近づき、少女の姿を探る。


 部屋は至って普通の装飾であった。最初に訪れた際にも見たが、特殊なものは掲示されておらず、凶器や普通のニンゲンにはないものは見当たらない。


『……ん?』


 一ヵ所に不自然に置かれた衣に目が留まる。

 これは少女が身に着けていたものだろうか。下着のような類までが、床に置かれた籠のなかに適当に投げ出されているようだった。


 「――ふんふっふふ~ん」


 少女の鼻歌のような声が聞こえてくる。籠の近くの部屋からであった。


 僕はその部屋へと向かう。すりガラスの扉の先に照明がつけられていた。少しだけ、何故だか僕の心がその部屋に入ることを憚られる。


 部屋の中は湯気で充満していた。部屋自体はそこまで広くはないため少女の顔はすぐにわかった。ここは風呂場のようだ。ニンゲンは毎日のように身体を清める習性があるため、一時的に無防備な姿になることがあるらしい。その瞬間を犯人が狙うならば、ごく普通の少女ではひとたまりもないだろう。


「ふふっふんふ…………きゃあ!」


 少女の鼻歌が突然悲鳴のようなものに変わる。何かあったのだろうか、僕はその場に立ちすくんで辺りを見渡した。ついに、世界が決定を下すのだろうか。


「こ、この……へんたいっ!」


 慌てふためいた様子で少女がこちらに向かって風呂のお湯をかける。飛沫は僕の身体を通り抜け、扉へとびちゃびちゃかかった。

 周りに危険を及ぼすような生命体はいない。明らかに狙った先は、僕が立ちすくんでいた場所であった。


『どうしたんだ』

「どうしたんだ、じゃないよ。へんたい!なんでお風呂までのぞいてきてんの!」

『聞こえてるのか?』

「きこえてるって、そこにいるじゃん」

『見えてる、のか?何故だ』

「えっ……」


 少女の動きが止まる。視線がしっかりと合った。確かに、少女は僕の姿を認めているようだった。

 朝から何か違和感を覚えていた正体がわかった。死神の絶対たる視認の刈り取りが欠如していたのだ。僕は今まで仕事を何とかギリギリでもこなしてはきたが、このような失敗は一度もしたことがない。丁寧過ぎだって褒められたことまである。先輩にこのことを伝えたら、なんて叱られるのだろうか。


「だって、ずっとわたしのことみまもってくれてたんでしょ。ここまではちょっとキモ……やりすぎだけど」


 あれ、いつからだっけと少女は頭を抱える。落ち着いたようで、こちらに背を向けてゆっくりとお風呂に浸かる。


「しにがみさん、でしょ」

『そうだ』

「否定しないんだ。……ころしにきたんでしょ。くびをすっぱーんって。やんないの?」

『……やらん』

「そう……なの?」


 ちらりとこちらを一瞥したあと、会話は途絶える。

 少女は立ち上がって、洗面台の前へと腰かけた。「あんまじろじろ見ないでよね」と忠告してきた後、鏡を見ては後ろにいる僕の姿が映らないことを識る。


 少女の綺麗な肌が露わになった。相変わらず湯気が立ち込めてはいるが、その身体に傷ひとつたりともなく、ストレスや自傷行為の過去も見受けられない。洗剤を手にとっては、髪の毛を丁寧に纏め上げていく。


「かみのけあらってくれる?」

『生憎、できない』

「できないんだ。触れないの?」

『……』

「だいじょうぶ、べつに言いふらしたりとかしないし」


 少女の言葉に嘘はないようだ。もしそうであれば、既に昼時に外に向かって僕の存在をガッコウにいたニンゲンに聞くような素振りを見せたはずだから。 


 長めの髪の毛を泡で包み込んでいく。鏡に映らない見えない傷が後ろからも見えた。少女には気づく術もなく、シャワーと呼ばれるもので泡を落としていく。見えない傷が、再び髪の毛によって隠された。


 もし仮に、死神がニンゲンを本当の意味で傷をつけることができたなら。僕はこの場でいくらでも殺すことはできただろう。大鎌でも、台所にある包丁であってもいい。露わになっているこの無防備で綺麗な身体を汚すことに造作もない。だがしかし、死への誘導フラグが役割であり、僕の仕事はニンゲンを殺めることではないのだ。

 この少女が“誤った生命”であることは事実である。死神の本能がそう告げたのだ。その理由は未だにわかっていない。

 その本能が、僕に再びドス黒い感情を生み出す。今すぐにでも切り刻んであげようか。目の前の清廉潔白な身体を穢すことがむしろ本望なように。


「ねぇ、しにがみさん」


 シャワーを止めた少女は問う。


「しにがみさんはわたしをころさない。でも、わたしはしぬの?」

『……ああ』

「だいたいどのくらいで?」

『いつか、死ぬ』

「そっかー」


 興味があるのかないのか、少女は軽く受け流す。あれから既に丸一日以上が経過しているのだ。予兆はないが、もうすぐ死を迎えることは言わないでおこう。


『お前が死ぬまで、見ていよう』

「それってプロポーズ?」


 くすくすと少女は笑った。立ち上がっては、「そろそろいいかな」と小さくぼやく。


『どうした。何が、だ?』

「あの……」


 少女は、恥ずかしげに、少しだけ睨みつけるような表情で、


「いい加減そこから早くはなれていってください。へんたいしにがみさん」


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