『邂逅』残り時間  426:59



 あれから日が出ている出ていないに関わらず、強い“誤った生命”反応は不定期的に現れた。不安定なような、しかし反応を示した時にははっきりと感じ取れるものとして僕の身体を震わせた。

 あの時の感覚は未だに忘れられない、同じ“誤った生命”反応。僕は昼夜問わずその在処を探した。


 そしてついに突き止めた。それと同時に、僕は少し戸惑った。いつもなら、街中の仲間はずれにされた端の端っこや、倉庫のような、本当にニンゲンが住んでいるのか怪しい部屋から“誤った生命”反応を察していた。だが、今回はケースが違った。ごくありふれた、どこにでもありそうな三階建てのアパートの一室。その最上階の真ん中辺り。

 主の部屋はすぐにわかった。一つだけ、昼間だとはいえ明らかにオープンな部屋があったからだ。そう決めつけるのは可笑しな話だが、実際そうであったのだから仕方ない。


 開けっ放しの窓の隙間から、部屋の様子を窺った。誰もいないかと思ったら、どこかからか「うーん」というわざとらしい声が聞こえてきた。


「こうかなぁ……いや、こっちかも」

「ちがうっぽいー」

「うぅ……。わけがわかんないよ~」


 差し込む日の光が、一人の少女を照らし出された。髪は長いが縛っておらず、薄手の部屋着で少し瞼が重そうであった。必死に机に向かっているところから課題に追われているように見える。

 何の変哲もない、ごくありふれた少女であった。これに僕は驚いた。何度か目を疑って、やはりと確証を得るのに時間がかかったのも仕方ないほどだった。彼女から、あの“誤った生命”反応を感じ取ったからだ。


 この少女は過去に何かとんでもない過ちを犯したのだろうか。それとも、このまま野放しにしておくととんでもない厄災を巻き起こすのだろうか。それは考えたくもなかった。たとえ自分が死神であろうが、正統に生きるニンゲンには進んで活動してほしいし、生きてほしい。これは死神に限った話ではなく、神様全体共通の考えである。

 その善意とは裏腹に、心の底から熱い何かが溢れ出そうになっていた。一種の憎悪に似た、怒りのような感情。”誤った生命”に早く鎌をかけなければという衝動。僕は平常心を抑えるのに精一杯であった。


「……ふぇ?」


 少女がこちらを振り向いた。はっと我に返ると、大鎌を握った右腕が、少女に向かって伸びていた。僕は意識しないうちに、自分の鎌を目の前の少女に向けて突いていたようだ。

 鋭利な刃が不気味に光り、少女のあどけない表情を写し出す。少女は視線を逸らし、鎌の存在をしかと認めた。


『怖いか?』


 僕は咄嗟に言葉を漏らす。短くも、しかし声が震えるのを必死に抑えながら、右手に持つ鎌を軽く押し出した。これで少女はすぐに怖気つく。


「ううん!」


 はずだった。


「ねえ、わたしをころしてくれるの?」

『……えっ?』


 突然の告白に、素っ頓狂な声が出てしまった。


「おっきなその鎌で、わたしのくびをすぱーんって。ちがうの?ちがうっぽい?」

『いや、その。えーっと。うん……』

「えー、ちがうのぉ」


 残念そうな表情を浮かべる少女。その顔に偽りはなく、こちらをからかっているようには見えない。


『何故そんな悔しそうなんだ。死にたいのか?』

「うーん。しにたいかっていわれても……。ころしてくれるんでしょ?」


 何かが捻じ曲がっている。目を輝かせてこちらを見つめる少女から僕はそう感じ取った。

 “誤った生命”反応は、死神に備え付けられている謂わば能力のようなものであり、感覚に近いとも言える。それがこの死を望む少女かられたならば、過去未来に何かしらを巻き込んだ、または巻き込む可能性がないとは言い難い。この少女は、時分がいつにせよ、生命バランスに過ちを犯す。規模がいくらかであるにせよ、確定的であることには間違いはない。

 ただし、この“誤った生命”反応は、所謂自殺願望者には示さない。少女がこれから独り身を投げる程度では、僕は気にもかけない。“誤った生命”反応には理由がはっきりし、その原因は瞬時に把握できる。今回のケースは異例だ。

 。というのが、今の僕の正直な感想だった。


『お前、何をした』

「えー?」


 直接聞いて、わかるものではないと知っていた。しかし、疑問は口に出すことしかできなかった。


「ねてた、かな?」

『……そうか』


 僕は静かに鎌を構える。これでは惰眠の罪を裁いているようだ、と苦笑する。だが、彼女が“誤った生命”である事実は裁かなければならない。


「しにがみさん、わらってる」


 少女がそっと呟く。死神は、亡者の前で笑うものだ。


 鎌が日光に照らされ冷たく光る。早く早くと血をほっするかのように、少女の顔を舐め回す。少女は抵抗することなく、退屈そうに刃が己を刻むのを待っていた。


『じゃあな』


 一閃。

 間髪入れず大鎌を、一気に引き抜く。刃が少女の首を通り抜け、少女は全身の力を奪われたようにぐったりと椅子にもたれかかる。首筋には鎌をかけた痕がしっかりと残された。




『……………………』




 静寂が暫し呼吸さえ許さなかった。

 止まったはずの心臓から激しい動悸がした。軽く肺に空気を含んでから、ふうっと大きく息をつく。全身が緊張していたようで、もう一度ゆっくり深呼吸をしてほぐす。死神に生理現象は必要ないが、不思議と身体が酸素を求めているようであった。

 ようやく一仕事終えたんだ。少女の後姿を眺め、自らに言い聞かせた。これで、良かったのだと。

 “誤った生命”にはタイムリミットが設けられる。鎌をかけられた者は必然的に、だ。彼女がいつ息を引き取るのかはわからない。それは死神が管理するものではなく、世界が勝手に決めつけてくれる。死へのカウントダウンが、今から始まっている。


「……おなかすいたなぁ」


 僕はその場を後にした。

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