『役目』残り時間  XXXX:XX



「ひっ……。し、しし……しにが、みっ!」


 目の前にいるだらしない恰好をした男が倒れ込むように、僕の足元に転がり落ちてきた。“誤った生命”の反応が色濃く映し出された男。坊主頭にしては髪が少し伸びすぎていた。白髪が所々目立つ彼の頭には、大量の汗が滲み出ている。代謝が良いのだろうか。しかし、男はまるで死神に会ったかのように顔を蒼くし、地べたに尻もちをついていた。

 いや、死神に会ったというのは比喩ではなく、現実に出会ってしまった。


――死神との出会い。それは己の死を意味する。


 そんな噂話がニンゲンの間で広まっているようだが、それは紛れもない事実である。その名の通り死神は死の宣告を生業としている。ニンゲンに死を伝えるのが死神の仕事であり、死神の定めでもある。自分でも直視することのできないほど醜く朽ち果てた顔、古びた布きれのようなぶかぶかのフード、ふわりと浮かんだ身体、右手には身の丈にも余るほどの大きな鎌。僕は死神。だから今、僕はこうして一人の“誤った生命”の男に大鎌を突き立てているのだ。

 鎌は収穫に使う道具である。その対象は農作物でもあり、『魂』でもあった。


『動くと首が飛んじゃうよ。動かなくても首は飛んじゃうかもしれないけど』

「ふ、ふざ、ざけ……ふざけっ……」


 恐怖からか、男は舌が上手く回らないようだ。その光景も僕は幾度となく見て来た。ニンゲンは単純だ。わかりやすいといっても過言ではない。動けと言えば動くし、生きようとすれば必死に我が身を守ろうとする。それが、たとえ他人を巻き添えにしても、だ。この男だって例外ではない。寧ろ、僕たち死神の“対象”だ。僕はそんなニンゲンの裏を見つけては、なんの面白味もないその生命活動に終止符を打ってきた。


――死神の仕事。一つ、それは“誤った生命”の死への誘導フラグを確立させること。


 僕たちは決して自らの手でニンゲンを殺めるわけではない。あくまで(死神だけど)、個を死に近づけることを生業とする。

 男の喉元に鎌の峰を押し当てる。ヒクッという音とともに、男の全身が震えあがる。後ろに引き下がろうとするが、さらに僕が鎌を押し当てていく。また後ろ、また後ろと男が蜘蛛のように這いつくばり、終いには壁へと迫られてしまう。男は震える手で壁をつかもうとするが、無論掴めるものもなく、空を掻いた。


 最早成す術を無くした男がついに両腕を上げた。


「わ、わかった。そう物騒なもんを突き立てんなって。何が欲しいんだ?か、金か?お前でも金は欲しいんだろ?」

『ふーん』


 僕は鎌の尻で邪魔な腕を退けて、刃先を首筋へと向けた。鎌の刃は血を欲するかの如く、汗にまみれた男の顔を舐め回す。一粒、刃はその滴を吸い込んだ。


「な、なんでだ……」


 震えた声で訴えてきたが、僕には届くはずがない。

 冷めた視線を送れば、男はすぐ目を泳がせた。男は様々な悪事を起こしてきたのだ。彼はそれを自覚してやっており、故に僕に目を付けられてしまったわけだ。これは当然の出来事であり、自業自得である。


『天網恢恢疎にして漏らさずってね。意味知ってる?ニンゲンの言葉って便利だよね。天が死神の味方なのかはさておいて』

「こ、この……クソガキがっ!」


 男が勢いに任せて隠し持っていたであろう拳銃を突き付けてきた。間髪入れず乾いた音が二、三発と鳴り響く。しかし、それは音と共に僕の身体を通り抜けていく。何か鏡のようなものが後ろで割れる音がした。

 男の歪む表情を認めてから、僕は素早く鎌を引き抜く。痛みに堪えきれず、男は断末魔の如く悲鳴を上げた。グニュッという確かな感触と共に、不健康な赤黒い血が四方八方に飛び散り、男の首が勢いよく跳ねる――ことはなく、彼の首は繋がれたままであった。

 男は死んだ魚の目をして力なく壁に寄りかかった。拳銃を握った拳が、重力に従って床を殴る。男の口はポカンと開かれ、虚空を見つめていた。僕は首筋に引かれた一本の赤い線を認めてから、一息ついた。僕の仕事はこれで終わりだ。


 外はとうに暗く、静かな空気が辺りに流れる。


 それを打ち消すかのような遠くから迫る気配を感じ、僕はその場を離れた。




 ガンガンガンと近所迷惑になりかねないノック音がした後、破れんとばかりに勢いよく扉が開けられると、男の部下と思われる集団が押し寄せた。


「ぼ、ボス!何事でっ」

「大丈夫っすか!?」

「……あ、ああ」


 強引に肩を揺さぶられ、ボスと呼ばれた男は煩そうにその手を払った。

 壁に寄りかかったまま、首に片手を当てて骨を鳴らす。その場にいた誰もが、ボスの首元の赤い筋に気付く気配はない。


「なんだよ、おめぇら。いきなり……うっせぇな」

「良かったぁ。急に悲鳴や銃声を上げたもんで、自分びっくりしたっすよ!」

「あん?」


 ボスは訳が分からないといった表情を浮かべ、目の前にいる部下にガン飛ばす。張り付いていた部下は目を丸くし、すぐにボスから身を離した。周りから眺めていた部下達も一斉に整列して正座する。


「も、申し訳ねえ。ただ、ボスが心配で駆けてきただけっす!」

「俺が何したっていうんだよ」


 ボスは壁から身を起こし、土下座している部下の脇腹を蹴りながらデスクに向かう。


「で、ですから、ボスが悲鳴を上げたもんで……」

「ヒメー?誰がいつ上げたってんだよ」


 ボスはたばこの箱を取り出し、近くにいた部下に火を付けさせる。部下たちはぽかんと口を開けたまま、煙を吹くボスの顔を見上げる。


「……え?」

「何か文句あるんか、お前ら。俺の顔に変なもんでもくっついてるんか?」

「い、いえ……」

「じゃあさっさと部屋から出ろってんだろ。わらわら集まりやがって、今何時だと思ってんだ。ガキじゃあるめぇしよ!」


 ボスの怒鳴り声を合図に、駆け寄ってきた部下たちは一目散に部屋を後にした。

 舌打ちをしてから、一服する。無性にイライラしている様で、たばこの味がいつもより不味く感じたのか、床に投げつけてはすぐに足で踏み躙る。くそっと呟き、頭を激しく掻いた後、さりげなく首筋に触れるが、刻まれた赤い傷に気付く様子はない。




『首、飛ばなくてよかったね。……って、もう聞こえてるわけないか』


 僕はその一部始終を見届けてから、漸くその場所を後にした。




 後日。とある白髪混じりの男の身体が遺体となって、住宅地街にある川沿いのゴミ捨て場から無惨な姿で発見された。

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