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22 敗北のジュヴナイル

 フェリーの風は生温く、湿気を伴って肌に纏わりつく。重い空も、海の果てしなさも、エンジンの躍動も、僕は身に覚えがあった。ただ、海の向こうの淡風が小さくなっていく事だけが今回は違う。そして、同乗者も。

「王国から逃げ出せると思ったら、大間違いでありますよ」

と、貝川はフェリーの船内からゆっくりと現れ、そう言った。人質代わりに連れてきた彼女。手に松葉杖代わりの傘をつきながら、慣れない歩調で慎重に歩く。

「島から出ても、私たちはお前を監視するであります。乖田かいだ夕」

「私達?」

僕は訊ねた。

「お前に仲間なんていないぞ」

 僕の言葉に、貝川は眉を顰める。

「……いるでありますよ」

「いないんだよ」

「何を馬鹿な事……あっ!」

 言いかけた瞬間、傘の先端が甲板を滑り、彼女は前のめりに転んだ。予期せぬ転倒に自身を庇えず、激しく全身を地面に打ち付ける。

 僕は貝川に手を差し伸べる事はせず、彼女の哀れな姿をじっと見ていた。弱音も吐かず、慣れない体に苦悶の表情一つ浮かべない彼女を見ていて、気分が晴れるような事は決してない。彼女への冷酷さは、僕自身への罰でもある。

 助けてはいけない人間を助けた。

 それでも助ける他無かった。

 彼女を助けたのは僕の独善で、そのせいで今後も不幸な人間が生まれてしまうなら、僕には逃れられない責任がある。

 貝川はふらふらと立ち上がり、傘を地面に突き立てると、また慎重に一歩を踏み出すのだった。

「……不便そうだな」

 僕は彼女の動かなくなった左足を見てそう言った。僕の能力をコピーして命拾いした彼女だが、片足の機能は修復不能なほど破壊されてしまっていたらしい。

「ええ。多分、元に戻る事は無いですね」

「どんな気分だ?」

「そういう人生もあります、って感じ」

 彼女はあっけらかんとそう言い切るのだった。

「元に戻らないのは、この国も同じ事。私が作ったのは大淀王国だけじゃありません。私の行動は異能者たち全員の革命の狼煙であります。彼らは自らの能力の存在意義と、社会からの抑圧に立ち向かう事を知るわけです」

「全ての異能者がお前達のようになると思ったら大間違いだ!」

「ええ、その通り。半分の異能者は暴虐を憎み、正義の為に立ち上がる。王国に立ち向かうあなた達のようにね。そして戦争が始まる」

「最後に敗北するのはお前たちだ」

「あーっはっはっはっはっはっはっはっははははは! ひーひひっひ!」

 貝川は笑った。地平線の向こうにまで届くような、禍々しくも清々しい笑い声。

「……くくく、くく。それが出来なかったのは、乖田くん、あなたじゃない」

 貝川は傘を放り投げ、テラスの手すりにぐっともたれ掛かる。上半身を反らせる度に、ほんの少しだけ浮き上がるつま先。ぽん、と肩を押せば、そのまま彼女は船から転落してしまうだろう。

「ほら! ほらほらほら! このまま私を海に叩き落とせば、それでよろしいじゃないですか! この足じゃ救助も間に合わず海の底に沈んでいくでしょうね。二度とこの憎らしいツラを拝む事は無いです。それが私たちの敗北であり、あなたの勝利。でしょう?」

「そんな勝利なんて望んでない」

「その甘さが命取りなんですよ、乖田くん。あなたの行動はいつも遅い。失敗し、何かを失って初めて気がつき、後悔する」

 彼女の言葉に、僕は皮肉っぽく笑った。

「……それが見たいんだろ。お前は僕が後悔する姿が見たい。だから自分からビルから飛び降りて、僕に能力をコピーさせたんだ。お前を助けた事に対する、僕の罪悪感に苦しむ姿が見たかった。違うか? お前が見たいのは他人の苦悩だ。淡風に、汐摩に、日本中に苦悩の種火を撒き散らして笑ってるんだ」

「そうかもしれませんね」

 貝川は否定しなかった。

「でも貝川。少なくとも僕は、もうお前の思い通りにならない。こっちにも考えがある」

 僕は甲板に放り投げられた傘を拾い上げ、貝川に差し出した。

 彼女は差し出された傘と僕の顔を交互に見つめ、訝しげな顔をする。

「残念だけど、僕には苦悩も後悔も無い。お前を殺す覚悟は無かったけど、お前を助ける覚悟はある。ほら、傘を受け取れよ。汐摩に着いたら、ちゃんとした松葉杖を買わなきゃいけないな」

 ぽかん、と口を開け、僕の言わんとしている事を飲み込めない貝川。

 僕は言葉を続けた。

「お前には聖子が……あいつの能力が必要なんだろ? 僕もあいつには言いたい事がある。あいつがパッと目の前から消えて、何か大事なものをあの島に忘れてきたような気分だよ……だから、僕は汐摩を駆けずり回ってあいつを探す。あるいは日本中を探す事になるかもしれない。お前と目的は同じだ。お前はその足であいつを探せるか?」

「私の仲間が探してくれるであります」

「だから言っただろ。お前に仲間なんていないって」

 僕はポケットからスマホを取り出し、電話帳を開く。宛先は、左右あてらあてな。王国にいた時は彼女に対しての迷惑を懸念し、ずっと電話出来ずにいた。もう僕の事なんて忘れた方が良いと思う事もあった。が、彼女は僕をまだ信じていてくれたし、実際に助けてくれた。左右は僕の仲間だ。だから、迷惑ついでじゃないけれど……ちょっと彼女の名前を貸りようと思う。

 こちらのコールに、左右は出なかった。彼女には彼女の立場があり、不用意に僕からの電話に出ることが出来ないのかもしれない。だが、かえって好都合だ。

 発信音の後に、メッセージをどうぞ。ピーッ。

「左右。僕だ、乖田だ。このメッセージに返信は必要ない。僕たちはきっといつか出会う事になると思うから、積もりに積もった話はその時にでも。だから、取り急ぎ一言だけ。『貝川は僕たち側』だ。もっかい言うぞ。『貝川は』……おっと!」

 慌ててスマホを奪いに来る貝川。

 が、僕が身を躱すと、どしん、と彼女はまた甲板に転ぶのだった。

「『貝川は僕たち側』だ。以上!」

 電話を切り、スマホをポケットにしまう。小さくため息をつくと、僕はうつ向けで突っ伏したままの貝川を見下ろすのだった。

「お前の政治は所詮、恐怖だ。あるいは“大淀きらら”そのものだ。お前が仲間だと言っている人間は、お前をそれほど信用していない。この電話は盗聴されてるんだろ? 今のメッセージは、お前の仲間の猜疑心を掻き立てるだろう。ぐらついた人の心を崩落させるには、たった一言で十分だ。それを教えてくれたのは貝川、お前だけどな」

「……馬鹿な事を!」

 貝川は顔を上げ、罵倒した。

「それが自分の首を締める結果になるって、分からないの!?」

「その通りだ。左右は僕を信用してくれるだろうけど、左右の友達や仲間は僕を疑い、僕や貝川から左右を守ろうとする。僕もお前も、ぼっち同士ってわけさ。

 僕たちはもう家には帰れない。王国民や警察や僕達が傷つけた人たちに追われ、頼りに出来る友達もいない。汐摩を、日本中を彷徨って、聖子を探す逃亡生活を送る他無いわけだ。お前には聖子が必要だ。でも、その足じゃ簡単にはいかないだろ? だから、僕がお前を助ける。それが僕の覚悟で、お前を助けた事に対する罪滅ぼしだ。聖子という目的を同じくして、お前は僕を利用し、僕はお前を見張っている。

 結局のところ、僕とお前のどっちが勝利した? 答えはどっちもNOだ。僕たちは二人とも敗北した。あの島にいた全員が敗北した。でも、人生は終わっちゃいない」

「私の人生なんて、とっくに終わってる。あなたもね」

 僕は倒れた貝川に手を差し伸べた。

 彼女はじっとこちらを睨んだ後、僕の手を払い除け、自力で立ち上がろうとする。

 曇天からぽつぽつと雫が振り始め、急激に加速する雨脚。

 濡れた甲板に足を取られ、バランスを崩した貝川はまたその場に倒れてしまった。

 僕は雨に打たれながら、彼女が立ち上がる姿をじっと見守っていたが……やがて、見るに見かねて彼女の腕をぐっと掴んだ。

「助けなんていらないわよ……!」

 彼女は聞き取れない程の小さな声でそう言った。でも、僕の腕を振り払うような事はしなかった。

 全てに見捨てられて、絶望のどん底に落ちたお前を、僕が救ってやる。

 その様を見てきっと、僕は心の中で貝川をほくそ笑む。

 貝川が純粋な悪なら、僕は歪んだ正義だ。

 邪悪を閉じ込めて苦しむ姿に満足する、陰湿でサディスティックな正義だ。

 それが僕の勝利だ!

 僕の事をお人好しだって?

 ……そうだったのかもな。今日この瞬間までは。



 ――それから数ヶ月。

 僕と貝川は、佐渡聖子の行方を追いかけ続けた。ネットで拾える情報はあくまで噂程度で、やはり実際に足を使う以外に彼女を捉える方法は無い。東京、東北、果ては北海道まで追いかけたと思いきや、あっさり汐摩に戻っていたりと、相変わらずの気まぐれさに僕らは翻弄されていた。

 噂に踊らされているだけだろうかと不安になる事もある。が、聖子は行く先々で、必ず“ある痕跡”を残していた。

 痕跡とは即ち、友達だ。

 各地方にいる異能者たちと仲良くなり、困っていれば助け、宿と飯を都合してもらいながら、彼女は旅を続けているらしい。あのいかにも人嫌いな聖子が、一体どういう心変わりだろう? 貝川はこう分析している。

「敗北したのは佐渡聖子も同じ。自分の能力を過信して、全て自分の思い通りになると思っていたんでしょう。でも、私があの人のプライドをへし折ってやったわ。

 佐渡聖子には成長が必要だった。佐渡は自身の成長を“他人”に結論づけたんでしょう。それが正しいかどうかは、私には判断しかねるけれど」

 紛うことなき成長じゃないか、と僕は思ったが、貝川はこう付け加えた。

「……成長と劣化は似ている。もうあの人に昔の鋭さは存在しない。でも……今の佐渡聖子が何をしようとしているのか、興味はある。この世相は彼女を放ってはおかないわ」

 貝川の言った世相とは、異能者界隈の激動。つまり、彼女が放った種火の行方だ。

 王国は相変わらずきららを中心に存続し続け、この国最大の異能者集団として君臨し続けていた。が、王国をモデルにした独自の組織を作る連中や、あるいは逆に“異能者による対異能組織自警団”などが国中に頻出し始めていた。第二、第三の王国、あるいは第二、第三の僕達の出現に、社会の、とりわけ異能者たちの様相は混沌を極めていた。

 その中でも異彩を放つのが“スマイルナイツ”という異能犯罪に対する自警団の存在だ。覆面姿で他の異能者達を圧倒し、正義を下し、何の痕跡も残さず闇に消え去るヒーロー集団。彼らの姿は空気に溶けて見えず、振るう刀は鉄をも切り裂き、呪いは必ず敵を地獄のどん底に叩き落す。

 身に覚えのある能力の数々が、朧気にスマイルナイツを構成する“騎士”たちの顔を連想させた。何より……鉄を切り裂く刀の存在は、彼女が本当に生きているという可能性が、俄に僕の人生を希望あるものに変えてくれる――そして、彼らが僕を受け入れる事は決して無いこともまた、明確になる。自分の首の骨をへし折った相手とは友達になれない。でも、それでいい。

 とにかく、異能者による犯罪とその撲滅。正義と悪の応酬は激化の一途を辿った。気がつけば日本は、少年少女による紛争地帯へと変貌していた。

 また敗北者が増えていく。聖子はある時期から、ただの友達探しの旅ではなく、争いを止めるネゴシエーターのような仕事をし始めるようになった。彼女の足は自然と危険な地域に向けられ、僕たちは彼女に追いつくどころか、自衛に必死にならざるを得なかった。貝川の存在は大きな足枷だったが、彼女を見捨ててしまっては何の意味もない。また、聖子を追いかけなくなってしまったら、同じく意味がない。

 遠のく理想。守りきれない現実。

 しかし、今度ばかりは僕は敗北するわけにはいかない。


 そして貝川の話だ。

 不自由な片足での長旅は僕の想像を絶する苦行だったに違いない。なのに、彼女は一度たりとも『疲れた』と言ったことは無かった。顔を真っ青にし、息を切らし、道端に倒れても、しばらくすれば澄ました顔で立ち上がって目的地へ向かう。

 自分がやった事には後悔しない。それが彼女の矜持であり、それを否定してしまっては彼女の存在そのものの否定に繋がる。だから彼女は弱音を吐かないし、僕の情けも受け容れないのだった。

 そんな中、貝川の気持ちにある変化が起きた。

 とある片田舎の定食屋で、僕たちはテレビに写るニュースをぼんやりと眺めていた。異能者同士の争いが産んだ被害者のドキュメンタリーで、異能者の組織から抜け出そうとした少女が、罰として耳を切り落とされたという話だ。

 貝川は僕の手前、動揺を見せようとはしなかったが、露骨に箸の進みが遅くなり、テレビに釘付けになっている様子だった。

 この異常な組織を産んだきっかけが、貝川の大淀王国だったら……そうとも言えるし、そうじゃないかもしれない。実際にどれだけ貝川の影響があるかは知らないが、大事なのは貝川の心に重い何かが生まれた事だった。異能者絡みの不幸は上げればキリがないほどで、その全てが貝川の心に感傷を抱かせていたワケじゃ無い。ただ、この耳を切断された少女のニュースだけは、明らかに貝川歩を“傷つけていた”のだった。

 そんな彼女を見て、やはりというか、当然というか、僕は面白くも何とも無かった。四六時中行動を共にしている彼女の考えは、もはや口に出さずとも僕には分かる。罪悪感に彼女が苦しむ様子を心の中で笑うのが僕の役目だったはずが、いざ目の当たりにしてみると哀れみが勝ってしまう。どうしようもないお人好しから、僕は少しも成長出来ずにいた。

 その日から貝川は、どんどん無口になっていった。何かを聞いても返事が返ってくる事は稀で、ぼんやりと町や風景を眺める事が多くなった。すぐそこに居るのに少しも存在感が無く、僕はいつか彼女が煙のように消え去るんじゃないかと不安になった。


 ……そして、予感が的中した。

 とある民宿で夜中に目を覚ますと、隣で寝ていたはずの彼女の姿が無い。慌てて服を着こみ、玄関に出てみると、彼女の靴だけが綺麗に無くなっている。

 民宿は山の麓にあり、辺りには街灯も少なく真っ暗で、おまけに深い霧が立ち込めていた。ほんの数メートル先も見えない視界。不用意に外に出れば戻ってくる事すら困難を極めるだろう。山を降りたか、あるいは登ったか。選択を誤れば、まず彼女と遭遇出来ない……あいつが逃げ出すつもりになれば、打ってつけの状況というわけだ。

 僕はしばらく民宿の軒先でぼんやりと立ち尽くし、やがて意を決すると、山の頂上に向かって伸びる石段を歩き始めた。

 現実か幻想かも分からない世界を彷徨い、慎重に、ゆっくりと山を登っていく。登りながら、僕は考えた。これ以上あいつに関わって、いったい僕の人生になんの意味があるのだろう? 責任? ケジメ? 聖子も貝川も忘れて、今すぐ汐摩の家に帰るのが、僕の本当の道じゃないのか?

 ……出来っこない。僕の人生は、もう普通の道には存在しない。

 家に帰るのは、もっと後だ。僕は何一つ解決していないし、何一つ成し遂げていない。

 でも、こうしてこの山道を登る以上、僕はまだ勝利も敗北していない。

 お前も同じだろ? 貝川歩。

 僕なんかに負けてたまるかって気持ちが、お前にもあるはずだ。だからお前は耳を切られた少女のニュースで涙を流さなかった。敗北はまだ道のりのずっと先だって、そう思ったはずだ。全てを投げ出して、この山を降りたりはしないはずだ。

 やがて石段を登り終えると、山の中腹の広場に出た。霧に遮られた視界の中で、広場がどれぐらいの広さなのかは分からない。直ぐに木や崖にぶつかる気もするし、途方も無く広い気もする。想像力だけが僕の足を牽引し、次の一歩を踏み出させる。

 濁った視界を黙々と歩いていると、ふと、僕はこのまま現実に戻れず、二度と誰にも会えないような気がした。あるいは、今まで誰かに“会っていたような気がしただけ”のような気がした。全ては幻で、捉え難い他人の姿は僕の幻想。真実を見ようとすればするほど、全てはこの視界のように阻まれてしまう。

 諦めて引き返し、民宿で眠りにつけば……貝川の姿はきっと、もうそこには無い。貝川自身がそこにいても、僕は本当の彼女を見る事が出来なくなってしまう。

 今まで出会った色んな人々の顔が思い出せない。

 家族、友人、クラスメート、左右、聖子、ミカリン、オヤジさん、貝川……色んな人々の虚像を浮かべては、ああだったような気もするし、こうだったような気もする。彼らの姿があやふやになってしまうと同時に、僕自身までこの霧の中に溶けてしまう。

 孤独に突き動かされ、前に進む。見えない霧の中で必死に目を凝らし、足をただただ前に踏み出す。そして、たどり着いた先に待っている“誰か”は、本当に“その人”なのだろうか?

 それでも、僕は霧を引き裂いて足を前に進めた。

 だって、そうするしか無いのだから。

 霧の中にぼんやりとした人影がベンチに座っている。顔は分からなかったが、立てかけた松葉杖が人物の正体を僕に教えている。

 近づくにつれ、やがて貝川の顔がはっきりと見えた。彼女はこちらをちらりとも見ず、ぼんやりと空を見ていた。星なんて一つも見えない、面白くもなんともない夜空だった。

 途端に、僕は寒気を覚える。震える程ではないけれど、いよいよ冬が顔を覗かせ始める晩秋の気温。

「……おい、貝川」

 僕は言った。

「風邪ひくぞ。風邪ひいても、明日は出発するからな。今度こそ聖子に会える気がするんだ」

 見てみると、貝川は コートをしっかりと着込んでいる。僕はTシャツ一枚でここに来てしまったらしく、少しバツの悪い気持ちになった。風邪をひくのは僕の方だ。

 貝川は僕の登場をどう思ったのだろう?

 彼女は目をつむり、小さなため息をついた。

「……こんな夜中に、逃げるつもりじゃないだろうな」

 訊ねると、彼女はじろりとこちらを睨むが、何も言わない。

 僕は彼女の隣に腰を降ろし、自分の膝に頬杖をついた。

 右も左も分からない深い霧の中で、ぽつんと二人ぼっち。どれだけの時間そうしていただろう。十分か、一時間か、あるいはもっと長かっただろうか。静かで、穏やかで、イラつく時間が続く。

 彼女は僕の前から逃げようとはしなかったし、僕もそれはしなかった。こいつに敗北するようなマネは出来ないという矜持が各々の胸中に存在するのは確かだ。でも、それ以上に大事な共感が、僕が貝川に対して、貝川が僕に対して、同じく存在することにたった今気がついた。

 こいつなら、僕を救ってくれるかも。

 こいつなら、私を救ってくれるかも。

 僕はあの夏を“貝川のせい”にして謳歌し、貝川は僕たちを利用して同じく謳歌した。灰色の青春にどんな色でもいいから塗りたくりたいという願望を、お互いを利用して叶えていたのだ。自分が傷ついた事も、仲間が傷ついた事も、他人が死んだことも、殺し合った事も、全ては行き過ぎた青春の一つの有り様だった。

 もう僕たちは元に戻れない。でも、孤独や絶望には耐えられない。僕と貝川は誰かに救って貰う必要があり、それは奇妙な共依存という形で成立しているのだった。

 認める他ない。僕は共犯者だ。鬱屈した人生をぶち壊し、壁の向こうへと脱出した。望んで巻き込まれたわけじゃなく、貝川に連れ出された壁の外。でも、その誘いを拒否するタイミングは確実にあった。それなのに一方的に被害者面するのは、果たして卑怯じゃないだろうか?

 耳を切られた少女は、そもそもどうして組織に加入していたんだろう?

 ……答えはその人自身にしか無い。

 スバラシ会は、王国は、組織は、自警団は、イノーは、全員の心の中にあった。僕たちはただ、自分が救われる場所を探し求めて旅を続けているだけだ。

 自分の人生を焼き焦がし、歪んだ青春を敗北に塗りたくって。

 貝川は松葉杖を手に取り、ゆっくり立ち上がると、ちらりと僕の方を見る。

 そしてメガネを一度、クイッと上げた。

「……救って欲しくなんて無い。仲間なんて要らない。友達も要らない」

 貝川は捨て台詞のようにそう言うと、不自由そうに杖をつき、霧の中へと消えて行った。

 彼女は自分の気持を言葉通りに言わない。

 だから、今の言葉は彼女なりの精一杯の素直さだと、僕は思う。

 そう受け取ってしまう僕は底抜けにマヌケなお人好しだ。それに、視界が非常に悪かった。乳白色の霧の中に朧に映った貝川歩の表情が、僕にはこう訴えていたような気がして仕方が無らなかった。

 “なんとかしてよ、この人生”と。

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イノー 奥山キイチ @kiiichi

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