14 正直者

「それで……左右あてらさんはどうなったんですか!?」

 一息入れようとグラスに口をつけた瞬間、渚は食い入るようにそう尋ねてきた。氷が溶けて水っぽくなったコーヒーを一口飲みながら、僕は『ちょい待ち』と彼を制止した。

 件の“左右VSスバラシ会”の話は渚の興味を強く引いていた。ゾンビ化していた空白の時間を埋めたいという気持ちはもちろん、それにしてもたった一晩であまりにも変わりすぎていた身の回りの事情。僕たちが巻き込まれた状況の正体と、これからの行方。

 混迷極まる現状の全てを知る者が居るのなら、是非とも真相を聞かせてもらいたいところだったけど……少なくとも僕は僕自身が体験した事を話せるし、巻き込まれてしまった渚達に対してその義務がある。隣に座るカウボーイオヤジも珍しくその目は真剣で、いつもの放埒な振る舞いは控えているようだった。故あって、彼とももうしばらく付き合いがありそうだ。

「ご存知の通り、左右は助かったよ。一応は僕が助けた……って事になるのか? いや、僕ですらないかもしれない。左右は自分が助かるって、変な確信を持っていたみたいなんだ。それが何故なのか、訊いてもロクな答えは返ってこなかったけれど」

 僕の言葉に、訝しげな顔をする二人。

「面倒臭え言い方すんじゃねえよ」

 と、オヤジは悪態をつきながら、タバコの煙を大きく吐いた。渚は煙たそうに何度か目の前で手を払ったが、家主が自分の家でタバコをふかして誰が文句を言えよう。居候の身なら尚更だ。

「面倒臭い必要があるんですよ……じゃ、とりあえず事実だけを語ります。

 ……何度目かのリビジョンの巻き戻しの後、実は、僕は近くの建物の屋上に登っていたんだ。リビジョンの巻き戻しがビルの屋上にしか作用しないと分かって、左右がこっそりスマホで救援要請をしていた。怪しまれないよう『乖田かいだくん』なんて音声認識で宛先を呼び出して、彼女は遠回しに、まるで敵との会話の一環のように僕に指示を出していた。『リビジョンさんは外からの攻撃に弱いですよね』とかなんとか……ちょっとワザとらしくてヒヤヒヤしたけど、まあ、とにかく彼女は遠距離からの支援攻撃を期待していたんだ。

 でも、彼女は僕を過信していた。父親とロクにキャッチボールもした事の無い人間が、能力の加速を上乗せする事によって極端に制球困難になった一球を、しかも遥か百メートルも離れた敵に命中させるなんて……千、いや、万に一つも難しいって事に、彼女は気づいていなかった。あるいは気づいていたのかもしれないけど……そこでさっきの“確信”の話になるんだ。とにかく大丈夫。絶対大丈夫! って言う、根拠の無い自信と言うか、自己啓発と言うか、いっそ信仰心にすら近い何か……極限の精神状態ってやつなのかもな。バッハがどうとかワケ分かんない事言ってたし……まあ、それはいいや。とにかく、彼女は自分の“運命”を、心の底から信じていたんだ。目に見えない何かに守られているような、夢見る乙女みたいな気分になっていた」

「言ってやんなって。俺もギャンブルで負けが込む直前は、よくそんな精神状態になる。で、運命が味方したのか? お前のレーザービームがリビジョンの奴に命中したのか?」

 僕は深く椅子に腰掛けると、思わず気の抜けた笑みを漏らしてしまった。

「当たるわけないでしょ」

 オヤジと渚は、きょとん、とした表情。

「じゃあ、左右さんはどうして助かったんですか?」

 渚はボロボロの襖をちらっと見ながら、そう言った。彼女はあの襖の奥でぐっすり眠っていた。

「それは……なんて言うか……聞いても嘘つき呼ばわりはやめてくれる?」

「いいから言え」

 オヤジは焦れったそうに僕を急かした。

「……僕の投擲攻撃は当たらなかった。でも、驚いたリビジョンはその場で転んで頭をぶつけて失神した。自分の失禁で作った水たまりで足を滑らせたんだ。その隙に乗じ、左右は消しゴムツールをあっという間に無力化させ、殺し合いの場から逃げ出す事に成功した」

「嘘つけ!」

「嘘じゃないですって!」

「じゃあ、やっぱり運命は左右さんを味方していたのかも……!」

 渚のような正直者には全ての人間が正直者に見えるのだろうか? 彼は純真無垢な瞳でそう言うが、オヤジは馬鹿馬鹿しい気持ちを交えながら口の端を歪めた。もちろん僕は嘘なんてついてないし、つくならもう少しマシな嘘をつく。まして、もはや全てを受け入れるしかないもっと馬鹿馬鹿しい偶然がオヤジ自身に降り掛かっているのだから……僕から言わせてみればあんたの方が嘘つきじゃないのか、ってなもんだった。

「で、お前が酒屋物語に戻ってみると、俺とミイラの奴以外に誰も居なかった、と」

「そうさ。あんたが酔っ払って眠ってたせいで、聖子は……あんたの“義娘”は誰かに攫われたんだ」

 僕がそう補足すると、苦虫を噛み潰したような表情でオヤジはこっちを睨む。

「“元”義娘だよ、畜生! 聖子と俺が義理の親子だったのは、ほんの半年の間だけだ。ただ……まさか次の親父が目の前に居たなんてな。ミイラ男の奴がそうだったなんてな! だがあのミイラ男も既に佐渡とは別れているそうじゃないか! どうなってんだ、あのビッチ!?」

 奇妙な偶然か、誰かの仕組んだ悪質なイタズラか、はたまた左右の言う“運命”か。

 ――オヤジとミイラ男の二人は、聖子の義父だった。

 グランドクロスでグランドクロスを作る様な奇跡。もしそれが奇跡じゃないなら、聖子の母親は一体何回結婚したんだ? 淡風ですれ違う男は、全員“佐渡さん”の元旦那だってのか?

「……左右じゃないけど、僕も何かを信じたくなってきます。奇妙な偶然の連鎖が、誰かの作為的な何かに押し込められているんじゃないかなんて……絶対に何かある。でも、それが神様の仕業だなんて僕は思わない。誰かが用意した緻密な歯車に、僕たちはまんまと踊らされてるんだ。でも、一体何を目的に? 僕らをからかって遊んでやがんのか? こうやって僕たちがオヤジさんの実家を隠れ家にしているのも、誰かが用意したシナリオの一環なら、決してここが安全ってワケじゃないわけだし……ああ、クソッ。こういう時に全てを解決に導くのは、まさに聖子の能力なのに!」

「早く聖子先生を助けないと……!」

 渚が声を荒げる。

「……でも、どこに居るか分からない。情報なんて何も無いんだ。おまけに、左右もこんな状況じゃ……」

 言葉が途切れると、微かに聞こえてくる左右の寝息。

 彼女の一日二十時間を超える深い眠りは、誰にも妨げる事は出来なかった。


 あのゾンビ事件から三日間。前述の通り、僕たちはオヤジの実家に隠遁していた。

 オヤジの実家は淡風の町堺の山肌に隠れるように建っている古民家で、彼の両親が亡くなってからは誰も住んでおらず、最低限の修繕を繰り返して買い手を探していたらしい。ゾンビ事件によっていよいよ有名人となった僕達を匿うのに、この上なく都合の良い場所だった。オヤジは面倒を嫌がっていたが、あんたの可愛い聖子を助けるには僕達のような対抗手段が必要だと説き伏せると、しぶしぶながら了承した。半ば子供の戯言と思いつつも、異能者の力を目の当たりにした彼は、聖子を救う可能性の一つを自ら潰したく無かったのだろう。ちなみに彼は小学生の頃の聖子しか知らないらしく、“何としても助けるべきか弱き存在”を想像しているのなら、思い出は美しいままにしておくのが一番ですよ、と忠告したい。

 異能者による大規模災害により、いよいよ世論は激化した。ニュースではゾンビ事件について連日のように報道され、『死者五十人超』という数字は彼らの潜在的恐怖を爆発させるのに十分なインパクトだった――一部のB級ホラーマニアは狂喜していたらしいけど。

 彼らは口々に言った。『ゾンビ事件はほんのきっかけに過ぎない』『社会に隠匿する異能者たちが自分たちを敵視し、更なる大規模なテロ活動を起こすつもりに違いない』『子供の姿をした悪魔達だ』『もはや人権や倫理観で首を括る事は出来ない』……マスコミの大げさな煽り文句も相まって、一般人と異能者の亀裂はもはや取り返しのつかないものとなっていた。

 もちろん、その中心にいるのは“大淀スバラシ会”だ。

 あの悪ふざけとしか思えない建国宣言も、今となっては立派な犯罪予告として受け止められつつある。連中の出現とゾンビ事件の関連性という点において、偶然と呼ぶには場所もタイミングも余りにピンポイント過ぎるため、売名目的の自作自演マッチポンプでは無いか? というのが大方の見解だ。マスコミや警察は大淀スバラシ会を追いかけ、特に会の名を冠する“大淀きらら”という少女に対しては、世間の並々ならぬ関心が寄せられているのだった。

 大淀きららの地下アイドル時代の映像が動画サイト上で発掘され、あっと言う間にきららの姿は地上波で拡散された。今となっては国民のほとんどが彼女の容姿を知っているし、僕も幾度となくテレビで目の当たりにしている。素朴なメイクと学生服のような衣装、さほど上手くない歌とダンス。そして……カリスマと呼ぶにはあまりに地味で貧相な顔立ち。クラスメートの内の一人か二人が『意外と可愛んじゃない?』なんて噂する瞬間がピークの、言わば“中の下”程度の存在感。この味気ない少女が、連中が“プリンセス”と呼んで敬う少女だとは俄かには信じられなかったが……つまるところ、全ては異能能力のもたらす影響なのだろう。

 これが僕達の現状、世の中の現状。

 続いて、左右だ。

 左右あてなは“運命”を味方につけ、例の戦いから命からがら逃れた。が、あまりに苛烈な死闘と能力の酷使は、彼女の体力を著しく奪っていた。彼女はあの日以来、一日を恐ろしく長い時間眠ったきりで過ごし、呼びかけようが体を揺すろうが、絶対に目を醒ます事は無かった。

 特に初日は大変だった。朝から晩まで頑なに眠りから醒めない彼女を見て、僕はてっきり彼女が変な病気にかかってしまったのだと思い込んだ。病気なら病院に行くべきだけど、迂闊に人前には出られない。おまけに聖子は居ない。不安、孤独、無力感、絶望。グースカ眠る左右とは逆に、僕の方はちっとも眠れやしなかった。死ぬほど疲れているにもかかわらず、目を閉じては開け、体を起こしては布団に潜り、携帯で世間の動向を追ったり、誰と戦えばいいのかを必死に考えたりした。半覚醒の弱々しい精神状態は数々の被害妄想を産み、なのに眠りにはひたすら拒絶され、出来ることと言えばカビ臭い布団にくるまってしくしく泣く事だけだった。

 やがて夜ばかりが更けていき、ついに太陽が顔を覗かせようとしたその時……左右はようやく、ほんの一時の覚醒を迎えたのだった。

「……乖田くん、乖田くん」

 弱々しく体を揺すられ、僕は布団から飛び起きた。しばらく彼女の顔をじっと見ていたが、僕はよっぽど酷い顔をしていたに違いない。こちらの不安を包み込むように彼女が微笑むと、思わず僕は左右に抱きついた。彼女は突然の事に驚きつつも、しっかりと僕の背中に手を回し、再会の喜びを噛み締める。友情。そう、これは友情だ。冷静さを取り戻すにつれ、僕は自分の行為に赤らめたり青ざめたりする。しかし、何も不穏なところは無い。

 役得? どさくさ紛れ? 大いに結構! 不眠と絶望の末の心神喪失状態から生じた過ちで、僕に一切の罪は無い。言い訳をするのは後ろめたいからじゃないし、左右との純粋な友情を否定するものでもない。こんな言葉を呪文の様に唱え続け、必死に羞恥心振り払おうとしているのは、それが普遍的なティーンエイジャーの有り様であって、僕の狭量さ、セコさが笑われるべきものではない……! そして肝心なのは……この事を彼女がどう思ってるか、もちろん僕は知らない。

 しばらくのぎこちない抱擁の後、僕は彼女にゆっくりと現実を伝えた。疲弊しきって酒屋物語にすら辿り着けず、全ての顛末を知り得なかった左右にまず何よりも伝えるべきなのは、世間で大騒ぎになっている事でも、僕達が逃げ隠れしている事でもない。忽然と姿を消した、もう一人の仲間の事だ。

「聖子ちゃんが居なくなった……!?」

 半覚醒の意識に告げられる危機的状況。どうして? なんて考えが過るよりも早く、彼女は立ち上がろうとする。僕は慌てて彼女の手を引き、反射的な行動を阻止するのだった。

「左右、落ち着けって!」

「居なくなったって……どうして!?」

「分からない。僕が酒屋物語から出て行った瞬間に攫われたんだと思う。ノノと鷹取も居なくなっていた」

「ノノちゃんも……鷹取さんも!」

「もし攫われたんだとしたら、犯人は……ノノかもな。あいつは聖子に拷問の恨みがあるし。僕達に鞍替えしたと見せて、えっと……なんだっけ……そう、ザナドゥ。大淀ザナドゥとかって組織に手土産を持って返ったのかも」

「……じゃあ、やっぱり助けなきゃ! 聖子ちゃん、酷い目に遭わされてるんじゃ……!」

 と、また慌てて立ち上がろうとする左右だが、踏ん張りが利かず、崩れ落ちるように膝をついた。僕は慌てて彼女の体を支えるが、彼女は震える足に力を入れて、何としても立ち上がろうとするのだった。

「か、乖田くん……助けなきゃ……手伝って……!」

「手伝うさ。当たり前だろ! でも、今は何も分かってないし、左右も休まなきゃ! 聖子には僕達の助けが必要だ。今のあいつは能力を失って、ネズミみたいに逃げ回ることしか出来ない。もしあいつがずっとあのままだったら……」

 と、左右は突然力なく崩れると、僕の肩にがっくりと頭を落とし、そのまま寝息を立て始めた。僕は思わずほっとして、彼女をそっと布団へと運び、深い溜め息をつく。

 最初の一日目、彼女が覚醒したのはわずかこれっぽっちの時間だった。

 二日目はもう少し長く、小一時間ほど目を覚ましていた。僕は世間で起こっている騒動を始めとして、大淀きららの地下アイドル時代の動画が流出している事を伝えた。問題なのは、その動画には佐渡聖子が一緒に写っている事だ。動画に異能者がもう一人映っているという噂がどこからともなく流れると、当然のように聖子の存在も大淀同様に掘り下げられた。更には彼女が淡風に滞在している事実まで周知となり、スバラシ会との関係性を疑われている。ネット社会と世間の好奇心を前に、隠し事なんて不可能だ。

 おまけに忘れちゃいけないのが、例のフクジュをぶっ飛ばした僕の動画だ。あの動画が淡風での出来事だと判明すると、元々有名人の左右が写っている事も噂となり、色んな憶測がネット上で飛び交っていた。つまるところ、僕と左右もこの事件の参考人として警察に追われているのだった。連中に身柄を確保された暁には、僕たちの行動に一体どれだけの制限がかけられるだろうか? 一日も早く聖子を助けるために、僕達は世間から身を隠さなければならない。

 ……もっとも、公的機関に全てを委ねるという選択も無くはない。でもこの状況が“人質を捕られている”とすれば? ノノと鷹取がザナドゥの元へ帰っているなら、連中はまたあのゾンビ事件を起こす事が出来るワケだ。連中が警察や世間に追い詰められた時、どういった行動を起こして煙に巻こうとするかなんて、考えるまでもない。人質は聖子だけじゃなく、この島の人間全員だ。僕達は正義の味方じゃないが、大量虐殺のスイッチを押すなんてのはごめんだ。

 僕の話を一通り聞いた左右は、頭を抱えてふらふら立ち上がると、二日ぶりのお風呂に入った。体だけでもすっきりさせて、パンを一切れ齧ると、また童話のお姫様のように眠ってしまった。それが昨日の話。

 今日は二時間ほど覚醒していたが、彼女は僕に例のビルの屋上での一連の攻防を語ると、再び眠りにつくまでずっとスマホを弄っていた。ネット上の動向の調査に加え、イノー内のごく一部の人間と情報交換をしていたようだが、大した進展は無かったらしい。おまけにイノーのSNSは悪意を持った人間にネット攻撃を受け、ずっとサーバーダウンしている。

 文字通り、孤立無援の現状。無人島に放り出されて、誰の助けも得られない漂流者。ロクに家からも出られずに、どんな形であれ聖子を助けるための情報が欲しいと、僕たちは心の底から願っているのだった。


 そして更にその次の日。

 買い出しに出ていた渚がある珍客を連れて帰ってきた。

 珍客は僕達を前に少しも動じる事無く、悠々と居間の内観を眺めると、飾り気のない黒縁眼鏡をクイッと上げる。僕たちの敵意の籠った視線なんて気にも止めず、ほとんど義務的に口角を上げ、笑顔の真似事を形にする。

「……恐ろしく埃臭い家でありますね。ちり紙を頂けません?」

 口を開けば、出てきたのは不遜なそしり。

 大淀スバラシ会広報担当・貝川歩だ。

 渚がティッシュボックスを貝川の前に置くと、彼女はテキパキとした動きで三枚抜き取り、ぶぶーーーっ、と鼻をかんだ。鼻腔内に残った鼻水をすすり、ティッシュを丸め、ぽいっ、と放り投げる。ティッシュが綺麗な弧を描いてゴミ箱のど真ん中を捉えると、全てにおいて無駄の無い一連の所作に満足し、貝川は微笑を湛えてこちらを振り返った。

「ハウスダストです。生理現象なので、ご容赦下さいますよう」

 貝川が言うと、オヤジは露骨に不快そうな顔をした。

「……お嬢さん。喧嘩売りに来たのかい?」

「滅相もありません。お気分を害されたなら謝ります。人間緊張すると、思いもよらない事を言ってしまうものですよ」

「緊張してんならもう少し可愛げってもんがあるだろうがな! ……おい、渚! なんでこんなの連れて来たんだ!?」

 と、オヤジの怒りは渚に飛び火する。渚は、でも……と口ごもり、貝川の方を見た。

「“ミニマートやまと”で偶然彼を見かけたので、私の方から声を掛けさせて頂いたんです。ちょうどお話したい事があったので」

 “ミニマートやまと”とは、この周辺の住民のライフラインを担っている地方コンビニの名前だ。この辺りに住んでいる人間で“やまと”を利用しない人間はいない。僕たちがここに避難している事を知っていた貝川が、渚の事を“やまと”で待ち伏せしていた、なんて憶測ももはや考えすぎとは思わなかった。

「偶然見かけた……か。以前ノノの奴に襲われたのは、僕らが根城にしていた民宿のすぐ近くだった。今回も今回で、良く出来た偶然だよな? 貝川さん」

「そうですね。ご縁があります」

 至って悪びれる事も無く貝川がそう言うと、僕は自分の心が火にかけられ、ふつふつと煮立ち始めているのを感じた。僕も左右も殺されかけた。渚だってそうだ。聖子が居なくなったのも、こいつらのせいじゃないのか? 一体どの面を下げて『お話したい』なんて抜かしてるんだ?

 しかし……今の僕達にはお話が必要だった。聖子を救い出すための千載一遇のチャンスが台無しにならないために、僕は大きく深く呼吸を整える必要があった。

「……結局のところ、お前たちは僕達の事をどれだけ知ってるんだ? 僕達をどうするつもりなんだ? 今日渚と出会ったのも、偶然じゃないんだろ?」

 貝川は微笑を湛えたまま、静かに『そうですね』と呟いた。

 ぞぞぞ、と怒りがぶり返す。衝動的にテーブルをひっくり返して、罵詈雑言を浴びせてやりたい。何の解決にも至らない行動に身を委ね、ただただ自身の憎悪から解放されたい。

 ちらり、と左右の方を見ると、彼女は憎しみよりもむしろ不安の感情が勝っているように見えた。極限状態での勇気は影も形も無く、今は常識と防衛本能が彼女を掻き立てているのだろう。そして、それは至ってマトモな反応だ。

 でも、僕はそうじゃなかった。連日のイザコザで感情が麻痺しているのか、あるいは左右ほど危機意識に恵まれていないのか。怒り……いや、焦燥感かもしれない。聖子を助けたい一心で、逸る感情を抑えられないでいるのだろう。高圧電線のようになった僕の神経を、こいつは無神経に刺激してくる。あるいは彼女が何を言っても、僕はムカつくのかもしれない。

「よく一人で来ようと思ったな」

 僕は貝川にそう言った。

「……僕も左右も、お前たちに殺されかけたんだ。『冗談でした』とか『忘れました』なんてのは通用しないぞ? 『そうですね』もやめてくれ。ムカつくんだ! はっきり言って僕は、今すぐこの瞬間にでもお前の胸ぐらを掴んで、その澄ましたツラに一発ぶち込んでやりたいと思ってる」

「どうぞお好きに」

「……は?」

 僕は自分の耳を疑った。

「どうぞお好きに。ただ、失礼ながら……出来もしない事は言わない方が宜しいかと」

 いつもの義務的な笑顔に、初めて彼女が色を落とした。

 ……嘲笑だ。

「乖田さん。あなたは傍観者なのですよ。他人の行いに納得出来ない、でも自分は何をすればいいのか分からない。もちろん、何も出来ない。そのくせ自尊心が高く、強がりや屁理屈ばかり達者な卑怯者……」

 瞬間、僕は勢い良く立ち上がり、貝川の胸ぐらを引っ掴んだ。突き動かされるように右手を振り上げると、躊躇無く、これっぽっちの思考の余地も残さず、彼女の白い頬に全力で拳をめり込ませた。柔らかい脂肪と、その奥にある骨の感触。顔の肉を歪ませ、鼻血を撒き散らし、トレードマークの眼鏡を吹き飛ばしながら、彼女は椅子ごと後ろに転がっていった。オヤジと左右は唖然としていた。渚は思わず立ち上がり、貝川の方へ駆け寄る。

「か、乖田さん! 本当に殴っちゃうなんて……」

「構うな渚。立て、貝川! 立って椅子を戻して座れ!」

 貝川はうめき声一つ上げずにしばらく倒れていた。やがて震える手を地面につき、のっそり体を起こすと、畳に転がっている眼鏡を拾って装着する。よろよろと椅子を拾い上げ、言われた通りに着席すると、またティッシュを三枚ほど抜き取り、口元から胸元にかけて流れる鼻血を拭き取った。フレームの歪んだ眼鏡はどことなくバランスが悪く、レンズにもヒビが入っていた。止めどなく流れる鼻血を何度も拭いながら、ところどころ赤く染まった学生服やスカートを眺めて、服装の乱れが無いかを確認する。止まらない鼻血を丸めたティッシュで堰き止め、ふう、とひと呼吸置くと、彼女はまっすぐこちらに微笑みを浮かべた。頬は腫れており、鼻に詰めものをしながらも、貝川の目に動揺は無く、完全に例のすまし顔に戻っているのだった。

「……能力を使わないで殴るなんて、お優しいんですね」

 彼女はそう言った。

「次は鼻血じゃ済まないぞ」

「“殴られる側”から“殴る側”へ回った気分はどうでありますか?」

「どうでもいい! お前らは……お前の目的は何だ!?」

 どん、とテーブルを叩くと、貝川は僕の拳を盗み見て意味ありげな笑みを浮かべた。情けない話が、僕は自分の震えを隠せないでいた。無抵抗な相手を殴るなんて、初めての事だった。ましてや相手は女の子だ。先程までの怒りがウソのように身を潜め、僕は自分の罪悪感を否定するのに必死だった。ただただ焦燥感が空回り、相手の挑発にまんまと乗せられてしまった。自分のプライドを守る為に相手を殴り、聖子を助けるどころか、みんなを不安にさせているだけだ。僕はなんて愚かな奴なんだろう。

「……大丈夫ですよ。間違って無い。乖田さん、あなたは間違っていません。私は殴られようと、わざとあなたを挑発したんです。こうでもしてようやく、私達は対等にお話出来るんですから。信念の下での行動の結果を私は謝りませんが、全ての酬いは甘んじて受けましょう」

 こちらの動揺を見透かしたような彼女の言葉に、僕は思わずぎくりとした。殴った相手に慰められるなんて、いよいよ情けない。情けないが……実際に安心感を感じているのだから、もはやどうしようも無かった。全ては貝川のペースだ。

 貝川の落ち着きが場の空気を徐々に沈静化させていく。左右は僕と貝川を交互に観察し、何か一言言いたげだったが、結局口を開かなかった。オヤジはニヤニヤと笑っていた。お高く止まった貝川の鼻っ柱が、文字通りへし折れた事に対する満足感だろう。渚は血のついた床を黙々と拭いていた。彼の世話焼きは、もはや職業病のようなものだった。

「……ええと。質問はなんでしたっけ」

 貝川が口を開く。お前らの目的だよ、と僕は微かに痛む拳を擦りながら言った。

「目的? 目的はもちろん、建国です。とは言え、私達の建国にあなた方が加担するなんて事が有り得ないのは、こちらも百も承知であります。というより、今の私達は建国どころではありません。プリンセスの居ないお城を築いたところで、何の価値もありませんから」

「プリンセスが居ない?」

「大淀ザナドゥに、大淀きららが攫われました」

 貝川は静かに、重々しい口調でそう言った。

「……それが殴られてまで話し合いが必要な理由か」

 ゆっくりと頷く貝川。

「連中は先日、紫電ノノをそそのかして鷹取ココロの奪還とゾンビ作戦を成功させましたが、そんな事はどちらでも良かったんです。混乱に乗じてきららを攫う。恐らくそれが連中の本懐で……不意を突かれたとは言え、不覚にも連中の策にハマってしまいました。

 ザナドゥの存在はもちろん知っていましたが、ごく一部の狂人どもの戯言と思い込んでいました。大淀きららへの純愛と結束を信じ切っていた私達のミスであります。連中の愛は醜いエゴに塗れています。プリンセスが汚される事を恐れ、彼女が自ら堕落する事も恐れ、彼女自身の主体性すら拒否する事を決断したのです。傷一つ付けず陽の光も当てず、彼女を厳重に“管理”する……きららのためだけの世界が訪れるその日まで。

 私がこうして乖田さんに殴られたのは、こちらに抵抗の意思が無いことを証明するためでありますが……あるいは、プリンセスを不幸にしてしまった私に自戒の気持ちがあったからかも知れません。心の痛みを体の痛みで慰めて欲しかったのです。

 ……しかし、思いのほか体の痛みも馬鹿に出来ませんね。顔が熱いです。脈打つ度にじんじん痛みます。口の中がぱっくり裂けて、喋りにくいったらありゃしません。済みませんが、飲み物を頂けませんか? 血生臭い食道を一度洗い流したいのですが……若干、気分が悪くなってまいりました」

 こういう時は、やはり渚だ。彼は嫌な顔一つせずそそくさと立ち上がり、居間の奥にある冷蔵庫へと向かった。

「ところで、お前らは佐渡聖子の行方を知ってん……」

 貝川は右手の掌を突き出し、オヤジの言葉を止めた。

「少々、少々お待ち下さい。喋ったら……うぷっ……吐いてしまいそう……なので」

 貝川の制止に、僕たちは従わざるを得なかった。

 渚が持ってきた麦茶を手に取り、「ありがとうございます」と呟く貝川。彼女は反り返るようにしながら勢い良く喉を上下させ、一息でグラスを空にしてしまった。

「……ふーっ……ご馳走様です。せっかく彼が綺麗にしてくれた床を、危うく血反吐塗れにしてしまうところでした」

 貝川は渚に微笑を送る。

「そりゃ良かったな。で、お嬢ちゃんよ。聖子は……俺の娘はどこに行ったんだ?」

 オヤジが尋ねる。

「普通に考えればザナドゥの連中でしょう。だって、大淀スバラシ会がそんな事をして、何の得があるというのです? 人を攫うなんて大変な仕事です。監視も食事も必要ですし、私達はそれどころじゃありませんから。それは誓って言えます」

「胡散臭いんだよ、お前らは。説明すればする程な」

「建国したいと思えば言う。部屋が埃臭いと思えば言う。ザナドゥが誘拐したと思えばそう言う。私はいつでも正直です」

「じゃ、スリーサイズを言えよ」

「上から77、55、83」

 オヤジのセクハラ質問に、嫌な顔ひとつせず答える貝川。同じ女性という立場から、避難めいた視線を左右が向けたのは仕方のない事だった。

「処女か? 彼氏は?」

「処女です。男性とお付き合いした事はありません。潔癖な性格なので」

「どうして僕達を殺そうとしたんだ?」

 オヤジのオモチャにされる前に、僕は話を強引に本筋に戻した。

「殺そうとはしていません。素質の見極めと、少々強引な勧誘です」

「勧誘……? 確かにフクジュの奴は僕達を殺そうとしたぞ!? ノノだって!」

「今だから本当の事を言いますが、彼の“呪詛”は決して他人の命を奪う事は出来ません。死んだほうがマシなほどの不幸には巻き込まれますが、例えば頭に岩が落ちてきたり、居眠り運転のトラックに轢き殺されたりなんて事はないのです。

 紫電ノノは彼女の新しい人形の実地テストも兼ねていました。思いの外あっさり自分の人形を破壊されて怒ってはいたようでしたが……それでもちゃんと自制心は残していました。多分。

 死ぬほどの恐怖と、プリンセスと対面した安心感。それがこの組織の勧誘システムです」

「そりゃ洗脳だろ!」

「そうかもしれません。でも成果は出ています」

「オナニーした事はあるか?」

「黙ってろよ、エロオヤジ!」

 隙間を縫って下らない質問をぶっこんでくるオヤジに、僕は思わず怒鳴り散らした。オヤジは『面目ねえ』と、恥ずかしそうに頭を搔く。義理とは言え、自分の娘の窮地にこんな事をやっているから嫁さんに逃げられるんだ。

「……出来れば私のプライベート以外の質問でお願いしたいのですが」

 貝川は無表情にそう言った。

「このおっさん以外はそのつもりだよ!」

「あなたの能力は何ですか?」

 と、今まで黙っていた左右が初めて口を開く。

 同時に、貝川の表情に僅かながら初めて緊張のようなものが見えた。左右の質問の内容というより、貝川が彼女に対して一目置いているのだろうか。僕やオヤジとは違って、油断出来ない相手という訳だ。

「……私の能力は……“ライブラリー”。肉眼で見た異能者の能力の本質を暴く力を持っています」

「じゃあ、私と乖田くん、そして聖子ちゃんの能力の本質を答えて」

 もちろん、僕達の能力は僕達自身が一番良く知る所だった。でも、左右が自分の能力を履き違えていたように、実は僕達自身まだ良く分かっていない様な事があるのかもしれない。そして貝川の能力“ライブラリー”の真価を見極める。言わば、左右なりの彼女に対する信用調査なのかもしれない。異能者が本当に“腹を見せる”行為とは、自身の能力を語ることに他ならないのだから。

「……それは……」

 貝川は初めて質問の答えに行き詰まり、僕と左右を交互に見ながら、何かを喋ろうとして、口ごもる。

「答えて」

 左右は真剣な表情で、重ねて問い詰めた。

「……もちろんであります。左右さん、あなたの能力はご自身でお気づきの通り、物質の変質。でもそれは夢の世界から間借りしたもので、夢が覚めれば元に戻る。その絶対の可逆性すら、左右さんは上手く使いこなしていたみたいですけど。

 逆に乖田さんは、まだ自分の能力を使いこなしていない。あなたの能力は、もちろん自身の加速です。弾丸の如き瞬発力、常人を遥かに凌駕する自然治癒能力。速さこそがあなたの全てです。あなたが自分の瞬発力についていけていないのは、自分の能力を本当の意味で正しく理解出来ていないから。例えば、自分の脳神経や反射神経も加速出来るはずなのに」

「脳神経の加速?」

「……ええ。あなたが自分の脳神経を加速した時、あなたはきっとあなただけの時間を獲得するでしょう。全てがスローモーションに見えて……のろまを相手に、あなただけが一方的な狩人になれるわけです。だから私たちはあなたが一番欲しかった。勧誘した後で、自分の能力の本質に気づいて、私達に協力して欲しかった。こうやって敵対なんてしたままなんかじゃなくて。左右さんの質問は、どの質問よりも私にとってクリティカルです」

 僕は驚いた。自分の能力のデメリットの対応策と、彼女がそれをいとも簡単に言ってしまう事に。実現可能かどうかは試して見ない事には分からない。が、聞いてしまえば何と単純な事だろう。

「どうすればそれが出来るんだ?」

「肝心なのは条件作りです。例えばフクジュの“呪詛アイテム”や、マコリンの“グッと指を握る”なんかがそうです。私の場合は、眼鏡をクイッと上げる所作がそうであります。常套手段としては、自分への“合言葉”なんて方法も手っ取り早いでありますが。決まった自己暗示で、強く思い込む事が重要なのです。そうする事で、異能者は自身の能力を飛躍的に強化出来ると同時に、能力の必要無い日常生活での浪費や暴発を防ぐことが出来るのです」

 なるほど、と思った。

「……で、聖子ちゃんは?」

「佐渡さんはご存知の通り、“観測者”です。ラプラスの悪魔に最も近い存在です」

「ラプラスの悪魔って何」

 聞いた事があるような無いような単語。僕は貝川に尋ねた。

「この世の不確定を観測出来る存在です。彼女に確率という概念は存在せず、彼女が本気を出せば過去も未来も一枚の絵と変わらない。興味深い存在ですが……彼女の世界は私達の理解の範疇を超えています。彼女が大淀きららを追ってくる以上、私達と対峙する事になると言うなら……正直なところ、本当に殺害という可能性を考えたのは彼女に対してだけです。それすら至難の業で、私にはどんな手段も思いつきはしませんが。あの人はそれほどまでに全てを超越している」

「でも、現にあいつは捕まってるんだよ。どんな異能者も人間だ」

「乖田さんと同じです。扱いきれてないんです」

 確かに、自分の限界が“観測”出来なかったのは、あいつ自身のミスなのかもしれない。あの無茶な性格が無ければ、あいつはきっと貝川の言う通り全てに対して無敵なんだろう。そう考えると、あいつが敵じゃなくて心底良かったと思える。

 ……思いのほか貝川の話は興味深く、僕はほんの一瞬、彼女が敵であるという事を忘れてしまった。心を許すわけじゃないが、こいつが全てを正直に喋ろうとしている意気込みは感じる。本当に大淀きららを助けたい一心なら、そしてザナドゥの元に聖子が居るのなら……敵の敵は味方、ということも有り得るのだろうか?

 ……しかし、左右はそうは思っていなかった。

「それが聖子ちゃんの能力の全て?」

 と、左右は貝川に尋ねる。

 貝川は言葉を発さずににっこり笑って、左右に答える。

「……全てなの?」

 重ねて尋ねる左右。

「どうしてそんな事を……」

「答えられないよね。答えちゃうと、嘘になる。あなたは『正直者』だもんね」

「強要する気?」

「じゃ、言えばいいじゃない。『知らない』って」

「……」

 事務的な笑顔は徐々に曇り、ついに無表情に変わる。左右の言葉によって貝川の胸中で渦巻く警戒心が、表情筋を硬く強張らせているのだ。いや、そもそもこいつの笑顔が最初から作り物だったのなら……ここに来たときから、心はずっと無表情だったんじゃないか?

 そうだ。正直者は“作り笑い”なんてしない。隠し事が無ければ愛想なんて要らない。

 僕は馬鹿だ。作り笑いを浮かべていると分かっていたのに、どうして騙されたんだろう? こいつが全てを正直に喋ろうとしているなんて、どうしてそんな風に思い込もうとしていたのだろう?

 詰まるところ僕は、相手を殴りつけた征服感に安心していた。加えて、自分の罪悪感に抗えていなかった。いや、貝川の心理戦に負けていた、と言うべきかもしれない。彼女は自分自身を殴らせる事によって、自分の言葉に魔法をかけていたのだ……自らを弱者に見せて!

 でも、左右は違った。彼女はまるで貝川がひっそり隠し通そうとしている秘密を、ピンポイントで見抜いているかのようだった。そこに確信があったかどうかはさておき、見る見る内に表情が険しくなっていく貝川を見ていると、彼女の質問が核心を捉えていた事は間違いなかった。

「やはり、クリティカルな質問だったわ……」

 貝川はそう言うと、椅子が軋むほど大げさにもたれ、足を組み、ふてぶてしい態度を見せた。

「『もしかして』ぐらいに考えている可能性はあったけれど、まさか左右あてながここまで信じていたなんて……あるいは長い付き合いで、そう思う節があったのかしら。だから芸術家は苦手です。現実があり得なければあり得ない程、ヨダレを垂らして食らいつく。偶然を誰かが起こした奇跡だなんて、本気で信じようとする」

「だったら、嘘をつけば良いでしょ。それともプライドが許さない? 自分の顔に泥が付くのがそんなに嫌? ……貝川さんは“潔癖”だもんね」

「ええ潔癖ですとも。出来ればあなた達の返り血なんて浴びたくなかった。あなたがここまで性悪だったとは、完全に私の計算違いでした」

「聖子ちゃんを返して!」

 貝川はおもむろにスマホを取り出し、どこかに電話をし始める。

「猿芝居は終わり。キルであります」

 用件だけを伝え、さっさとスマホをしまう貝川。

 ぽーーーん、というあの悪夢のようなソナー音が響き渡り、続いて玄関の方で爆発音が聞こえた。どかどかと家の中に侵入してくる数名の足音。侵入者達が誰なのかは、想像するまでも無いだろう。

「貧乳ギツネ! やっぱりそういう腹かよ!」

 怒鳴り散らすオヤジ。思わず立ち上がって身構える僕達。

 ……が、渚だけは少し反応が違っていた。

「……姉さん、こっちに。戦いに巻き込まれるから」

 渚は貝川の手を引き、奥の居間へと誘導する。

「姉さん……って渚、お前……渚!?」

「すみません、乖田さん。プリンセスのためにはこうするしか無いんです」

 渚の人好きのする朗らかな表情は、一変して無表情に変わっていた。

「……タヌキも居たのか!?」

 オヤジは叫んだ。

 ……民宿、オヤジの別荘。どうりで僕達の居場所がバレる訳だ。

 愛想笑いが一つ減り、僕達の敵が一人増えた。

 真実のコントラストがくっきりと色分けされていくにつれ、僕は自分の置かれた立場に震えるばかりだった。

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