5 ハッピーライフ
機関車のようなもりおじのタックルを躱すと、時間差でタマぞうのパンチが飛んでくる。着ぐるみの動きとはとても思えない、カミソリのように鋭い一撃。
僕は“瞬発力”を発揮し、薄皮一枚でそれを避けるが……
「ぶぐはっ!」
当然、続くもりおじの攻撃に対処できなかった。短い足から繰り出されるドロップキックに、僕は大きく体勢を崩してしまった。
アクションゲームなら猶予の一つもあるだろうが、そこは非常な現実。無敵時間なんて貰えやしない僕に降り注ぐ、タマぞうの全体重を乗せたストンピング。僕の顔面をぐちゃぐちゃにする事なんて、連中は屁とも思っていないようだ。
「……くそっ!」
また“瞬発力”。能力のデメリットとやらが虚脱感となり、僕の体を浸蝕していく。頭はぼおっとし、視界はかすみ、足が震えて来る。暑さで奪われた体力なんて比にならないぐらい、圧倒的な消耗だ。
それにしても……このクソ暑い中、着ぐるみを着てこんなに動き回れるなんて! スーツアクターか何かか? でかい図体の中に、クーラーでも入っているのか? そもそも、最初の一撃は着ぐるみの上からとは言え、“瞬発力”を乗せたパンチが完全に入ったのに……なんで奴はピンピンしてるんだ?
僕は考えた。
(……い、異能能力という割には、単純な暴力が目立つぞ。見るからに異様なのはあの“着ぐるみ”だけだ。思うに……あの着ぐるみはきっと……パワードスーツ的なものだ。それが紫電ノノの能力じゃないか? だとすれば、あの着ぐるみを破壊する方法を考えないと!)
今度はもりおじのストンピング。
僕は慌てて転がり、体制を立て直そうとするものの、足に力が入らずその場で転んでしまった。
「なっはっはっは! ふらふらじゃん! 消費カロリー高そーな能力! 後先考えずに使っちゃう? フツー」
気持ちよさそうに笑い飛ばすノノ。着ぐるみ二匹はこちらに一息もつかせまいと、攻撃の手を緩めない。
とにかくリンチに巻き込まれるのだけは避けないと!
僕はごろごろと鉄板のように熱いアスファルトを転がって、二匹のゆるキャラの猛攻から脱出した。
“消耗”はちょっと気を許せば、そのまま僕の意識を失ってしまいそうなほど深刻なものとなっていた。徹夜明けのピークと、長距離走を走り終えた直後の状態が同時に来たような、今まで味わった事の無い極限状態。全身に力が入らないのに、心臓だけが酷く脈打つ。
僕は頭を振り、必死に自分を鼓舞する。
(……こんなに連発して“瞬発力”を使った事なんてなかった……一体、あと何回使えるだろう……二回? 二回もいけるのか? ……くそっ!)
視界に映る、渚の乗って来た自転車。僕は地面に膝をつき、なんとか立ち上がると、這々の体で自転車の方へと走る。疲労に足が捕らわれ、一歩一歩が地面に沈んでいくようだ。
「チャリンコで逃げる気だわ。逃がすな、タマぞう! もりおじ!」
おーっ! と右手を挙げ、二匹は巨体をものともせずこちらに走って来た。
(自転車を悠長に漕ぎ始めたら、あいつらの追撃を食らってしまう。“瞬発力”で地面を蹴って加速する? ……そもそも、渚のやつをほったらかして? それとも逃げると見せかけて、自転車をぶつける? ダメージは十分に通るのか? それに無闇に能力を使って倒れてしまえば……煮るなり焼くなりってやつだ……! どうする……どうすれば……はっ!)
僕は自転車を通り過ぎ、前転して“あるもの”を手にとった。
渚の食べていた、アイスの棒。
この棒きれに、一か八かの打開策を託すしかない!
あっと言う間に、すぐそこまで迫っているもりおじ。
僕は自分の中の残りカスのような気力をかき集め、もりおじの渾身の体当たりにタイミングに合わせて……
“瞬発力”を用いて、アイスの棒をマッチのように着ぐるみの脇腹に擦りつけた。
遠くからでも見える、ノノのぎょっとした表情。
木の棒と着ぐるみの摩擦熱は、もりおじの脇腹に数十センチの痕跡を残し……
激しい発火を引き起こした。
着ぐるみは石油を使った化学繊維等で作られている。
“火気厳禁”だ!
「も、も、も、もりーーーーっ!」
初めて聞くもりおじ(の中の人)の肉声。
炎は思いの外激しく燃え上がり、もりおじは焦ってぐるぐる回り始めた。僕は思わずガッツポーズをとった。
「おらっ! 馬鹿が! さっさと脱がないと、火だるまになって死ぬぞ!」
「もりおじ! もりおじーーー! タマぞう、なんとかしてーっ!」
ノノの絶叫。タマぞうはもりおじを助けようとしたが、自分に引火する恐れに勝てず、なかなか近づけない。そうこうしている内に、炎はますます勢いを増す。
限界に近い疲労感の中、ふらふらとガードレールに体をもたれさせ、僕はつかの間の優越感に浸った。
「はぁ……はぁ……ざまあ見ろ……おい、その着ぐるみがなんなのか知らないけどよ。もりおじの中のやつ、焼け死ぬぞ! タマぞう、さっさと着ぐるみ脱いで助けてやれよ! 僕には助ける力なんて……残ってないぞ……! はっはっは……」
しかし、僕のにやけ面もそれほど長くは保たなかった。
もりおじはぐるぐると回っていたが、ついにその場に倒れ込み、苦痛に全身を痙攣させ始めた。炎は脇腹の繊維を溶かし、もりおじの“中身”を露出させていく。
化学繊維とは違う、生き物の燃える凄まじい臭い。
思わず絶句した。
もりおじの焼けた表皮から、どろどろと“臓物”があふれ出したのだ。
ぬらぬらとしたピンク色の腸が環形動物のように這い出し、アスファルトに垂れ流される。
それは人間のものでは無い。
このハラワタは、“もりおじ自身のもの”だ。
……そもそも、こいつの中に“人間”なんて入っていなかったのだ。
「……う……? う、うおえっ……!」
俄に信じがたいおぞましい光景に、僕は寸前のところで、またゲロを吐くところだった。
「もり……もりーー……」
臓物を垂れ流しながら、徐々に生気を失い、やがてもりおじは動かなくなった。
着ぐるみとも大型動物ともつかない真っ黒焦げの死骸。閑散とした田舎の路地に、とてつもない異物が転がっているのだった。
「……こいつ……何だ……? 生き物なのか……?」
「よくも……よくも殺したわね……!」
怒りに震える紫電ノノ。熱気による陽炎を怒気のように纏い、彼女はゆっくりこっちに近づいて来た。小さい身長から漂う殺気は、この着ぐるみ同様、明らかに普通じゃ無い。
僕は背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「……あたしの能力は“受肉”。人形や着ぐるみに生命を与える事が出来るスーパー能力……よくも“もりおじ”を殺したわね……この、腐れ外道ッ!」
人形を受肉させる……?
パワードスーツという浅はかな発想からかけ離れた、あまりに病的な紫電ノノの能力に、僕は言葉を失った。
「外道はどっちだ……なんて禍々しい能力だ……!」
まるで悪趣味な前衛芸術だ。こんな奴、絶対にサブカル雑誌から出て来ちゃいけないし、ましてや現実で人を襲っちゃいけない。
紫電ノノは恨み深い眼差しで、片手を腰に当て、こちらに真っ直ぐ指をさした。
「タマぞう。もりおじのカタキを取るわよ。あいつを殴り殺して、あいつの死体に“受肉”させて、自分のハラワタでもっかい“どじょうすくい”させてやる……! あたしを馬鹿にする奴は、地獄にだって行かせてやんないわ!」
能力に勝るとも劣らない、ノノの発想。目の前の光景や能力の異常さも手伝って、僕はすっかり気圧されてしまう。
「……や……」
僕は、ごくり、と生唾を飲んだ。
一匹は倒したんだ。必要なのは、闘志だ。気持ちで負けちゃあ、勝てるものも勝てない。
ぶっ倒れようがなんだろうが、あと一回“瞬発力”を使ってタマぞうを倒す。
僕は深呼吸をし、自分を奮い立たせる。
「……やってみろよ。チビくそ! そこの緑色同様、タマネギの奴もバーベキューにして……うおっ!?」
有無を言わさぬタマぞうの攻撃。
僕は慌てて避けようとしたが……疲労が邪魔をして、咄嗟の踏ん張りが効かない。
「ぐはっ!」
タマぞうの蹴りが土手っ腹にめり込む。
アイスの棒が手から離れてどこかに行ってしまったが、エグられるような苦痛にそれどころじゃ無かった。
うずくまった僕の顔面に、タマぞうの膝蹴りがめり込む。
化学繊維の体表の中にありありと感じる、生き物の“肉と骨”。
疲労と、ダメージと、何もかもが限界を突き破り……吸い込まれるように、僕は地面に倒れてしまった。闘志なんて、関係なかった。
つかつかと近づいて来る、小さな足音。
紫電ノノは僕の髪を掴み、ぐいっと頭を持ち上げる。
「……誰がチビくそだコラ。おい! もしもーし、聞いてんのー!? あたしの勝ちよ! 一発屋もいいとこね、お前の能力! もりおじを殺されたのはめちゃ効いたけど。新しい着ぐるみもいるし、また牛の臓物をしこたま盗んで来なきゃいけないし……」
牛の臓物……? 一体、ノノはどうやってこいつらを製造するのだろう。僕はあまり考えたく無かったし、そもそもそんな余裕は無かった。
「……なんで……こんな能力に……目覚めたんだ、お前……」
息も絶え絶えな掠れ声。ノノは鼻で笑った。
「何? 理由がいるの? 楽しいからに決まってるじゃない!」
「……楽しいもんか……僕は自分の能力なんて……楽しくない……」
「なーっはっはっはっは!」
ノノは高らかに笑い飛ばした。
「それはお前が“弱者”だからよ。“敗者”だからよ。“つまんない奴”だからよ! 能力者の人生がつまんないんじゃなくて、お前自身がつまんないって事に、もっと早くに気がつくべきだったわね。
能力に目覚める前のあたしは……そうだったわ! 運動も勉強も出来ない、性格も悪くて友達なんて一人もいない、やる事なくて家に居たら、両親はあたしを腫れ物扱い……憐れで孤独なチビくそよ! 手に入れた能力で遊んで何が悪いの? みんなに否定されても、あたしは自分と自分の人生を肯定するために、もっともっと遊ぶわ! 遊んで、遊んで、遊び倒して……あたしを馬鹿にした連中を、馬鹿に仕返してやる! 連中の社会通念ってやつを、メチャクチャにしてやる! それがあたしのハッピーライフなの! じゃないと、誰があたしを救ってくれるって言うの!? 自分を救えるのは自分だけよ!」
「……ぼ、僕を殺したって救われない……」
ノノのニチャッとしたエゲツ無い笑顔に、思わず背筋が凍る。
「あたしが救ってやんのよ。そのクソつまんない人生を終わらせて、新しい人生を受肉させてやるわ!」
ノノが僕の頭を引き上げ、思い切り地面に叩き付けようとした瞬間……
意地の悪そうな、捻くれた、人の神経を逆撫でするのに最適な、聞き覚えのある罵声が辺りに響いた。この声こそが僕に幸運をもたらす“天使のラッパ”だなんてなんとも皮肉な話だが……いや、天使のラッパはこの世の終わりに鳴るんだっけ?
とにかく、僕が新たなハッピーライフを始めるまで、少々の暇が出来たのだった。
「あーあ。ったく……くっさいホルモンこんなとこに捨ててんじゃないわよ。近所迷惑ね……」
ぼやけた視界に映る、栗毛の癖っ毛に眼鏡、胸元にでかでかと張り付いた“英会話で個人レッスン”というポップなフォント。聖子は恐れ知らずに、もりおじの死骸をげしげしと蹴り飛ばしていた。
「おま……蹴るんじゃないわよ!」
ノノはムキーッっと立ち上がり、猛り狂う。
聖子はわざとらしく、おっかなそうに両手のひらを前に翳した。
「うわぁ、おっかない」
「うるさい! どっか行け!」
聖子はにやにやと笑いながら、血まみれの僕を一瞥する。
「……夕ちゃ~ん。助けて欲しい?」
聖子は粘着質な口調で僕に尋ねた。
「……助けて……欲しいけど……やめた方が……でも、助けて……」
プライドと危機的状況との狭間で、僕はそう答える。
聖子は腕を組み、難しそうな顔をした。敵を前にして随分と余裕こいてるようだが、これが彼女なりの戦略性なのか、あるいはただの格好つけなのか。
「……人形を“受肉”させるなんて、大変な労力が必要な能力でしょうね。でも、労力は報われるのが異能者の常。夕くんには少々荷が重かったかしら」
「……フン! お前も異能者ってわけ?」
ノノの質問に、聖子は『さあね~?』というふざけたジェスチャー。まだまだ余裕をこき足りない彼女は、ゆっくりその場に屈むと、黒焦げになったもりおじの遺体を間近で眺め始めた。はみ出た焦げ気味の臓物を至近距離で眺めても、顔色一つ変えないでいるのは大したものだ。
「……人形っていうと、アタシは自分の叔母さんを思い出すの」
聖子は誰に向けるともなくそう言った。
「アタシの叔母さんは、二歳になる自分の息子を病気で亡くして……気が変になっちゃったの。赤ん坊の人形を自分の子供の代わりにおんぶして、町中を徘徊するようになったわ。近所の人たちからは気味悪がられるし、友達もみんな居なくなった。憐れでしょ? ……代替行為ってやつね。人は自分の中の何かを埋めるためにそういう事をするの。大なり小なり、人形に夢中になるって、そういう事なんだわ、きっと」
聖子はノノに視線を移す。その目線は、どこか憐れみを感じさせるものだった。
「アンタもきっと、自分自身に足りないものがある。だから人形なんかに夢中になるのよ。当ててあげようか?」
ノノは無言で、じっと聖子を見た。
にやり、と笑う聖子。
「……“身長”じゃない? くくくくく……!」
「タマぞう、そいつ殺して」
カチリ、とスイッチが入ったように、目にも止まらぬ早さで聖子に襲いかかるタマぞう。
自慢じゃ無いが、僕は……もとい、僕の能力は肉弾戦には自信があった。“瞬発力”で殴って倒せない人間はいないし、僕より早く殴れる人間もいない。少々やられたところで、回復力がなんとかしてくれる。それなのに……多勢に無勢とは言え、このブサイク人形たちには良いようにやられた。その事実を分かっていないなら……聖子は馬鹿だ!
「や、やっぱ……ダメだ! 逃げろ聖子! 勝てないぞ!」
タマぞうの尋常ならざる右フック。
拳が彼女の顔面に突き刺さり、ふっとばされる未来が容易に見えた。
前歯は折れ、鼻はへし曲がり、顔の形は歪み、かけていた眼鏡よりもグシャグシャになった面構えで、聖子は二度と人前になんて出られなくなるだろう。彼女の叔母さんと一緒で、みんなに気味悪がられ、誰一人にも愛されること無く、惨めな人生を過ごす事になる……もっとも、全ては生きていればの話だが。
が、しかし。
現実は僕の予想通りにはならなかった。
「あ、ひょいっと」
ひょいっ、と屈伸し、聖子はタマぞうの攻撃を躱す。
反射神経というより、まるで“分かっていた”ような余裕のある回避行動。
聖子は背中に隠していた野球バットを取り出すと……がら空きになったタマぞうの脇腹めがけて、勢いよく叩き込んだ。
「タッま!?」
タマぞうの悲鳴。ばきばきと骨の折れる音が響く。
しかし、タマぞうは怯まない。もう一度聖子の顔面目がけて、先ほどとほとんど変わらぬ勢いでパンチを繰り出す。
今度こそ彼女の顔面はお岩さんよろしく醜く変形し、誰彼構わず祟りちらすだけの悲惨な人生が待っているだろう。
が、僕の未来予想なんてお構いなしに、またも聖子は体を横に傾け、難なく回避。
続いて襲いかかる鋭いジャブをバットでいなし、もう一発、今度は顔面にホームランを叩き込んだ。タマぞうの顎が歪み、どばっと血が出た。
「バッ!? た、タま……」
ぐらぐらと揺れるタマぞう。が、そこは奴も一端のクリーチャー。倒れると見せかけて、起死回生の一撃を放ち、聖子の細い足を狙う。
「ほっ!」
聖子は思い切り体を前に屈めると、美しいフォームでバク宙(芸達者なやつ!)を披露し、ゆるキャラの猛攻を回避するのだった。おへそをちらつかせながら見事に着地し、クイっと眼鏡を整える。スポーツ少女には見えないが……彼女の四肢はまるで陸上部のようにしっかりと引き締まっていた。やはり“人は見かけによらない”だ。
隙だらけのタマぞうを見下ろす聖子。“サディスティック”という言葉を擬人化したような佇まい。
死線がピンと空気を緊張させる。
振りかざされたバットの先端が太陽光にギラつき……
ぐちゃっ、とタマぞうの脳天にめり込んだ。
タマぞうはガクガクと体を痙攣させ、プラスチック製の目の隙間から血涙を吐き出す。二、三度宙を力なく掻くと、ばたん、とその場に昏倒した。彼はしばらく虫けらのように全身を震わせていたが、やがて巨大な死骸へと姿を変え、借り物の命を天に返したのだった。
……佐渡聖子が何をしたのかは分からなかった。分からなかったが、多少運動神経が良くても、この着ぐるみのバケモンに一介の女子高生が勝利するはずがない。
能力だ。彼女は今の立ち回りのどこかで、何らかの能力を使ったのだ。
「はい、一丁あがり~。まだやる?」
紫電ノノは、ぽかん、と口を開けたまま、聖子を見つめていた。
「……タマぞうが……な、なんで……?」
「まだやんの? おチビちゃん」
「なんで……タマぞう……もりおじ……こんな奴らに……」
「まだやんのかって訊いてんでしょ!?」
びくっ、とノノは体を震わせ、首を横に振った。
「や、やらない! やだっ! 帰る!」
「……“遊びたい”んでしょ? 遊んで遊んで、遊び倒すんでしょ? 遠慮しなくていいよ? 付き合ったげるわ……!」
からからとバットを地面に引きずりながら、聖子はゆっくりとこちらに近づいて来る。ノノは何度か地面を擦るように足を空振りさせた後、おしっこをちびりそうな勢いで、何度も転びながらどこかへ走って行った。
聖子はバットをぽんぽんと手元で遊ばせながら、ノノの後ろ姿をじっと見つめていた。完全勝利の余韻に一息つき、満更でも無いしたり顔。が、ふと二体の死骸を交互に眺めると、慌てて口元を押さえてしかめっ面になる。
「……おえっ! くさっ! ……能力の支配から解き放たれて、腐敗が進んでるんだわ……おえーっ! ……ちょっと、渚! いつまで寝てんのよ! 手伝いなさいよ! こいつら海に捨ててやるわ! このぶっさいくなフランケンシュタインの死骸を衆目に晒しちゃ、この辺に住んでるジジババの心臓を止めかねないし、あっという間に蛆虫どもがハッピーライフ始めちゃうじゃない。出来損ないの命の残骸を、プランクトンに裁いてもらうのよ。微生物の養分からやり直して、エネルギー代謝のサイクルに則った上で、改めて地獄に行けって感じ。ほら早く! 起きなさいよ、渚ー!」
渚は頭を軽く横に振りながら、“聖子先生”の方を眺める。まだ意識がはっきりしないのか、タダでさえぼんやりとした眼はうつろなままだった。彼が意識を覚醒させたのは、でかい黒焦げの肉塊と、頭を叩き割られたゆるキャラの死体を見たときだ。
おろおろしている渚を余所に、僕はある疑問に夢中になっていた。聖子と、彼女に纏わる偶然の数々だ。
どうして彼女は、タマぞうの攻撃を全て躱せた?
偶然じゃない。全て“完璧に”避けきった。
どうして彼女は、僕の行動が分かった?
民宿で携帯を使う事を、彼女の手を振り払おうとしたタイミングを。それも、コンマ一秒の狂いもなく。
どうして彼女は大淀スバラシ会の襲撃が分かった?
フェリー発着場で、あるいはここで、完璧なタイミングで。
どうして彼女は、あの動画が“お金になる”って分かった?
どうして?
……答えはやはり、たった一つ。
彼女は全て“知っていた”のだ。偶然の未来を、運命を、神のみぞ知る全てを。信じがたい話だが、そうじゃないとつじつまが合わない。
「……おい、佐渡聖子。お前、本当に……聞こえるのか?」
「あん?」
聖子は不思議そうな顔でこちらに振り返る。
「本当に“神様の声”ってやつが……メルヘンでも、宗教キチガイでも無く……お前には聞こえているのか?」
僕の言葉なんてどうせはぐらかすんだろう。ダメで元々の質問だったが……
「……それ、誰に聞いたの?」
彼女は今まで見たことが無いほど、真剣な顔付きでそう訊ね返す。
「……いや、分かりきった事だわ。それを知ってるのは……一人しかいない。あてなね。左右あてながそう言ったのね……?」
「え? うん、まあ……」
聖子の手から、からん、とバットが落ちた。一瞬の沈黙があった後、彼女の中で何かが爆発し、突き動かされるように民宿の方へ走っていく。僕と渚はびっくりして、その後ろ姿をぼんやりと眺める事しかできなかった。
その後、残された僕と渚で“汚物処理”をする羽目になったのだが、僕が淡風に来て三度目の嘔吐をした事と、渚との友情を深めた事だけを記し、詳しい描写は割愛する。
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