第一章 二話

「おう光樹――ってあれ、秋泉は? お前一人か?」

 中心街の大通りを右にそれてすぐ。通い慣れた中学校に着くと、グラウンドで少し背の高い人影が待っていた。薄明りでもわかるその大きなシルエットは夜渡やと真司しんじだ。中学生の癖に、男の先生たちと肩を並べるぐらいの身長がある。

 やはりこいつも長袖のパーカーを羽織っており、肌の露出は押さえている。こいつもそんなに虫が怖いのか。それとも男のくせに寒がりなのか。

「よ、夜渡。秋泉ならちょっと後ろだ」

「女の子を置いてきたのかよ。ひどいな」

「大丈夫だろ。こんな田舎街で事件なんか起きないって」

「昔は神隠しみたいな事件があったらしいけどな。まあでも秋泉だし、大丈夫だろ」

 心配をするような素振りをみせて、結局、切れ長のその目を細めて夜渡は笑った。

 今日の天体観測は彼ともう一人の天文部――部員はたった二人だ――の部活動なのだが、せっかくなので他の人も誘おうということで、俺と秋泉が誘われたのだ。だが、その肝心の天文部の片割れの姿が見えない。

「ああ、莉子なら先生と一緒に、ショッピングセンターに買い出しに行ってる」

「買い出し? お菓子か?」

「お菓子って、おいおい。子供の遠足じゃないんだぞ?」

 夜渡は呆れて苦笑する。無駄に大人びたそのつらと、すっかり声変わりした低い声で言われると、本当に大人に諭されているようで腹が立つ。その彼は指折り数えながら品目を列挙した。

「虫よけスプレーとブルーシートと、予備の懐中電灯とその他もろもろ」

「ずいぶんな荷物だな。学校で天体観測するのに、そんなに準備いるのか?」

 そう訊くと、不思議そうな顔で聞き返された。

「あれ、聞いてないのか? 今日は山を登って天体観測だぞ」

「は!? 山登り? こんな夜に?」

「ま、山って言ってもすぐ近くの小さい山だけどさ。頂上に公園と展望台があって、天体観測にはちょうどいいのさ」

 聞いてない。全くの寝耳に水だ。誘ってくれた秋泉からは何も聞いてなかった。はずだ。

「光樹! よくも私を置いて行ったな!」

 悲鳴のようなブレーキで砂埃が舞い上がり、夜灯が曇る。その誘ってくれた主が声を荒らげながら業腹の表情で現れた。大きな瞳の彼女は、怒るとそれだけで怖い顔になる。

「遅かったな秋泉。それより光樹に話してなかったのかよ。今日は山の上だって」

「え、ウソ。話したよ。栄鳴寺山えいめいじやまの上にある公園の展望台でやるって。先生の車で連れてってもらうって」

 夜渡の問いかけに、さも当然であるかのように彼女は答える。栄鳴寺山か。確かにあの山なら学校のすぐ近くだし、車なら簡単に頂上に登れるほど小さい。だけど聞いた覚えはない。

「いやいや、聞いてねえし」

「……光樹が忘れたんだな」

「……光樹が忘れたんでしょ」

「な――! 二人して、俺が忘れたと思ってんのかよ!」

 思えば天体観測の話をされたときに、携帯電話のゲームに夢中で生返事で返していた気もする。本当は、秋泉が言っていたのを聞き漏らしただけだったのかもしれない。

「ていうか、話をそらしたつもり? よくも女の子を暗い夜道に置いてってくれたね?」

「別に、秋泉もガンガン漕げば良かっただろ? 下り坂で簡単に速くなるじゃん」

「暗くて危ないでしょ。それに――」

 そっぽを向き、苛立った顔をして言葉をつぐむ。その先を促すように聞いてみた。

「それに、なんだよ?」

「――汗、かきたくなかったから」

「はあ? 汗なんてすぐ乾くだろ。こんな涼しいんだから」

 バカにするように言うと、キッと睨み返された。眉がつりあがっている。

「おお怖い怖い。これじゃ天体観測じゃなくて、肝試しだな」

「みーつーきー!」

 こぶしを握り締めながらこちらへ歩いてくる彼女から逃げるように走り出すと、夜渡が腹を抱えるようにして笑っている。

「ははは。全く、知己ちきの心、唐変木とうへんぼく知らずだな」

「あ? なんだそれ」

 知己はともかく、トウヘンボク? 知らない言葉だ。俺も国語は割かし得意な方だったが、こいつには勝てない。彼は学校でも成績がずば抜けて優秀で、今のように難しい言葉遊びで人をからかってくるからが悪い。

「一応と唐変木を掛けたみたんだけど、難しかったか? これは磯の鮑の百年にも、秋風が立つのは時間の問題だな」

いそあわび? この県に海はないだろ」

「――ねえ夜渡。それって、も掛けてるつもり?」

「おっと、こっちには通じてるみたいだ。光樹と違ってがくのある秋泉はさすがだな」

「なに? からかってんの? ていうか、結局ちょっと汗かいちゃったんだけど」

 俺の突っ込みは無視され、そしてどういうわけか秋泉の怒りの矛先が夜渡の方に移りかけたその時、グラウンド一面が光に照らされた。同時にエンジンのうなる音も聞こえてくる。

「お、莉子と先生が帰ってきたぞ」

 眩いライトとけたたましいエンジンの音は消え、中から人影が二つ降りてくる。助手席から降りてきた方の影が、手に持ったビニール袋をさらさらと鳴らしながらこちらに向かってきた。

「こんばんは、みっくん! あーちゃん!」

「こんばんは、りっちゃん」

 天文部二人組の一人、滝花たきはな莉子りこだ。小さな背丈、そして短くて癖っ気のある髪をぴょこぴょこと揺らしながら、元気良さげに挨拶をしてくる。普段と変わらないやり取りも、夜のグラウンドと私服姿という不釣り合いな光景の中では、妙に思えた。

 夜渡と莉子の二人とは小学生の高学年の頃から遊ぶようになり、その関係は中学二年生となった今でも続いている。気づいたらよく一緒にいる、そんな、自然と出来上がった四人組だ。

「ほら、りっちゃんも長袖だ。半袖で来ようとしたのは光樹だけだよ? 美咲さんにパーカー借りて良かったね」

「……半袖って。みっくん本当に元気だね」

「……子供は風の子だな」

 子供扱いされるのは今日何度目だろうか。二人も憐みの目でこちらを見る。何も口に出さなくてもいいだろと、秋泉をにらんだ。

「おい秋泉、余計な事言うなよ!」

「おお怖い怖い。これじゃ天体観測じゃなくて、肝試しだね」

「なんだと?」

 先ほどの意趣返しをされ、今度は逆に俺が追いかけることになる。が、吹奏楽部に入っていて体力作りのために走り込みをしている秋泉は、女子にしてはかなり足が速い。俺も形式上はサッカー部なので走りには自信があるのだが、まるで追いつけず途中で諦めてしまう。

「おいおい。だらしないぞ、光樹。女子に負けんなよ」

「はあ、はあ……仕方、ないだろ? 足、骨折してたんだから、さ。くそ……だめ、だ……」

 過渡な運動で足を疲労骨折し、その治療のため運動禁止となり体力が激減した俺にとっては、激しい運動はまだ無理のようだった。すぐに息が切れ、膝に手を付き、顔を伏せて肩で呼吸せざるを得なかった。それでも残った体力を振り絞ろうとすると、

「み……冷た!」

 首筋に冷たい何かが当たり、思わず叫ぶ。反動で顔を上げると、目の前に莉子の顔があり、更に驚き後ろに飛び上がってしまった。

「はい、アクエリアス」

「ふ、ふつーに渡せよ!」

「ごめんごめん」

 俺の挙動がツボにはまっているのか、後ろから二人の笑い声が耳に入ってくる。

「まだまだ元気だな、光樹」

「なに? 今の今の猿みたいな動き!」

「うるせーぞ夜渡、秋泉! あんなことされたら誰だって驚くって! だいたいな――」

 笑い声へ苛立ちの思いを続けて投げようとしたとき、別の笑い声が車の方からも聞こえてきた。車のライトほどではないにしても、暗闇では眩しい灯りを急に向けられ、目がくらむ。

「君達、本当に仲がいいな。僕が子供の頃は、女子と遊んでいると変な噂されるのがいやで、みんな遠ざけていたな」

 強力な懐中電灯を持っていたのは、天文部顧問の天間てんま先生だった。本来、中学生がこんな夜に部活動などできるはずもないのだが、教師の監督ありということで成り立っている。

「いや、別に仲良くなんかないっすよ、天間先生」

「そうです。仲がいいのはそこの猿とその飼い主の幼なじみだけですよ」

「誰が猿……じゃなくて。今日山登るって本当ですか?」

 夜渡がまだからかってくるが、切りがないので無視することにした。天間先生はなんだ、聞いてなかったのかい? と呆れながら続けて笑っている。

「山の方が星がよく見えるからね。ここも田舎とは言え、それなりに明るい。そういうわけで、夜のピクニックの気分で、山の上へ行こうじゃないか」

 そう言って、それこそ遠足を心待ちにしていた子供のように、スーパーで買ったのであろうお菓子の袋を掲げた。先生の好物なのか、大量多種のうまい棒も見える。駄菓子の大人買いだ。大人げない。

「……夜渡は食べないよな? の遠足じゃないんだから」

「食べるさ。子供だもの」

「おい、さっきと言ってることが違うぞ」

「よく覚えてたな。少しは記憶力も良くなったか?」

 それは喧嘩を売っているのか、と夜渡に突っかかっていると、置いてくよーと、先に車に乗った女子二人に大きな声で促された。

「じゃあ先に車に着いたほうが最初に食いたいお菓子を選ぶ、でいいよな?」

「は?」

 頓狂とんきょうな声を漏らす俺を置いて、夜渡はもうすでに一歩を踏み出していた。

「あ、こら、待てよ!」

 俺も遅れを取りながら走り出す。けたたましく土埃つちぼこりを上げながら、息を上げながら。

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