月明りの夜に

七式

月明りの夜に

 小学校の四年生の男子生徒、九歳の少年にとって女性を性の対象と見ることはほぼ無いだろう。同様に大人の女性にとっても九歳の少年は性の対象でなく、羞恥心を感じる対象でも無い。それでも、九歳の少年に女性の乳房は心臓の鼓動を加速させるモノであるだろう。

 少年は体育の授業で骨折をしてしまい小学校から一番近い整形外科に運ばれた。その整形外科は病院と呼ぶには規模が小さいが、それでも建物の二階には入院患者を収容する病室が男女に一部屋あった。整形外科にとって九歳の少年は都合のいい存在だった。男性用病室が定員を超えると女性用の病室に移され、男性用の病室から患者が退院すると、また男性用の病室に戻された。

 女性用の病室は定員の八人に対し少年を含めても入院患者は四人だった。ひとりは自宅で転倒したらしく脚を骨折した老婆だった。耳が遠く、九歳の少年との会話は噛み合わず、それが他の入院患者の笑いを誘った。後の二人は老婆に較べると比較的若く、ひとりは老婆と同様に脚を骨折して、もうひとりはタクシーに乗っていて追突され、むち打ち症での入院だった。八人の定員を行ったり来たりする男性用病室は年齢も入院理由もまちまちで、骨折、むち打ち症、椎間板ヘルニアと様々だった。男性用の病室にいるときの少年は、バイクを転倒させ脚を骨折した男が貸してくれる少年漫画が楽しみであった。

 少年にとって老婆以外のふたりの女性の年齢は見当もつかず、ふたりとも母親より少し若いという程度の推察でしかない。骨折した女は、少年より幼い子供が父親と見舞いに来たことがあったショートカットで朗らかな笑顔を絶やさない話好きで、耳の遠い老婆や九歳の少年を相手に噛み合わない会話すら楽しんでいる。一方で、首にコルセットを巻いた女には見舞いが訪れた事がなかった。長く艶やかな黒髪と、パジャマではなく浴衣姿でいることから妖艶な雰囲気を持っていた。口数も少なく、笑顔を見せることもほとんどないため少年にとっては印象深くも近寄り難い印象だった。

 九歳の少年にとって、ふたりの女の着替えやナースによる身体拭きは目のやり場に困るものだった。ふたりの女性にとってカーテンを引く煩わしさは少年に見られることに勝っていて、見られて恥ずかしい対象ではなかった。当初は目を反らしたり寝たふりをしていた少年も背徳感を持ちながらも女性達の肌を見ることが楽しみになっていた。

 子供がいる脚を骨折した女性の乳房はさほど大きくはないが、正面に付き出し張りがあるように見えた。そして、長い黒髪から見え隠れするむち打ち症の女の乳房は大きく重力に耐えられないのか少し垂れ、身体の動きに反応し揺れるため柔らかそうに見えた。

 ある日のこと、看護士に背中を拭いて貰うためにむち打ち症の女は髪の毛を後ろに束ね、浴衣を上半身はだけていた。少年にとって初めて見た髪の毛に隠されない乳房。そして、この時初めて腰にもコルセットを巻いていることに気付いた。コルセットによって締め付けられた細い腰と相まって、乳房が更に大きく見えた。ガーゼを新品に変えた看護士はコルセットの紐を強く引いていた。その度に、むち打ち症の女性の身体は強く揺さぶられ、結果的に乳房も激しく揺れた。揺れる乳房に釘付けになった視線が、むち打ち症の女性の視線と重なり合った。一瞬、微笑みの表情を捉えた少年は、見ていた事を気付かれてしまった恥ずかしさから布団に深く潜り込んだ。

 比較的症状の軽い患者は週末になると外出許可が出され、自宅に戻る事ができた。少年が入院した5日目、そして女性用の病室に移された2日目の土曜日は昼過ぎに脚を骨折した女性が一時帰宅した。女性用の病室は耳の遠い老婆、むち打ち症の女性と九歳の少年の三人になった。その夜、少年は真っ暗な病室で目覚めた。骨折した左腕の痛みがあった事も理由であったが、すすり泣くような声が聞こえたからだった。泣く声の主は、むち打ち症の女性だった。九歳の少年は腕の痛みから自分でも泣いた事があった。自ずと、むち打ち症の女性も首の痛みから泣いていると思っていた。少年はむち打ち症の女性の様子が気になり、再び眠りに戻る事ができないでいた。脚を骨折した女性だったら様子を見に行った事だろう。しかし、むち打ち症の女性は近寄り難い印象だった事と、乳房を見ていた事に気付かれた恥ずかしさから何も出来ずにいた。老婆を起こして、様子を見てもらう事も考えたが、耳が遠く起こしても起きないだろう。その間も、むち打ち症の女性のすすり泣く声は聞こえていた。いやむしろ、より痛みが増しているかのように咽び泣くような声に変わっているようにも感じた。九歳の少年は月明かりが射し込むだけの暗い病室のベッドを抜け出し、むち打ち症の女性のベッドに近付いた。何故か理由は解らないものの足音を立てないように、静かにゆっくりと歩いた。

 月明かりに照らし出されたむち打ち症の女性は横たわるベッドの上で、浴衣の上半身をはだけさせていた。起きている時には少し下に垂れて見えた乳房は、平たく横にこぼれ落ちているように見えた。むち打ち症の女性の左手は右の乳房に覆い被さり、右手は布団の中に隠れていた。九歳の少年は、むち打ち症の女の咽び泣くような声には一定のリズムがあるように感じた。リズムに合わせ時折身体が震え、その震えに呼応して乳房も揺れていた。

「痛いの。先生を呼んで来る」

 泣くほど痛い女の苦しみを取り除いてあげたいと思った少年は、勇気を振り絞り女に声を掛けた。一瞬驚いたように声のする方を見たむち打ち症の女性は少しかすれたような声で答えた。

「あら。目が覚めてしまったの」

 むち打ち症の女は少年の声が届かなかったのか、少し的外れな質問を少年に返した。

「泣いてる声が聞こえたから」

「ごめんなさいね、起こしちゃったのね」

 むち打ち症の女性は、初めて状況を理解した。はだけた浴衣の胸元を整え上半身を起こすと少年に笑顔を見せた。

「もう痛くないわ。心配してくれてありがとう」

「よかった」

「じゃあ、また眠るまで一緒にいてあげるからベッドに戻りましょう」

 ベッドから降りると、むち打ち症の女性は少年の背中に優しく手を添えると少年をベッドに寝かせた。しばらくの間、ベッドに腰を掛け少年の頭を優しく撫でた。

「小さいのにひとりで入院して偉いわね。寂しくないの」

 少年は、褒められて嬉しく感じると共に、一気に家が恋しくなり泣きたくなるのを精一杯堪えた。むち打ち症の女性の近寄り難い雰囲気は一切なく、優しさを感じた。

「一緒に寝てあげようか」

 優しい微笑みを見せると、むち打ち症の女性は少年のベッドに横になり、少年の頭を抱き寄せた。

「おやすみなさい。寂しかったらお母さんだと思っておっぱい吸っていいのよ」

 むち打ち症の女は浴衣の胸元を開くと乳房を少年の胸元に突き出した。九歳の少年は、恐る恐る乳首を口に含むと空腹の赤ちゃんが母親のミルクを飲むかのように力一杯吸っていた。骨折していない右手を柔らかい乳房に添えながら。九歳の少年は、入院期間に何度かむち打ち症の女の咽ぶような泣き声を聞き、何度が乳首を吸いながら寝かしつけてもらった。

 やがて、九歳の少年が小学校の高学年になり性に目覚めた頃、むち打ち症の女性の咽び泣くような泣き声は、女の自慰行為によるものだったと理解した。そして、自らが自慰行為に及んだ時思い描くのは、月明かりに照らし出されたむち打ち症の女性のはだけた浴衣の胸元であり、乳首を吸いながら添い寝してもらった優しい感触を思い出しながらであった。

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月明りの夜に 七式 @nanasiki

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