最終話 庭にテント張ってキャンプ気分 真夜中にあの獣襲来?

午後七時半頃、小笠宅。今夜は応接間にて囲炉裏を囲んでの夕食の団欒が始める。

 鹿、猪、雉肉入りのすき焼き。アユとイワナとアメゴの串焼き。

里芋・豆腐・こんにゃくなどを串に刺し、ゆず味噌だれを付けた祖谷の郷土料理“でこまわし”だ。

「こういう体験までさせてもらえて、とてもありがたいです」

「美味しい♪ これぞ日本の味って感じがするよ」

修平と智景は幸せそうにでこまわしを頬張っていく。

「東京者のお二人さん滞在最後の夜だし、今夜はテントで泊まらせてあげるじょ」

 柚歩は雉肉を頬張りながら計らってくれた。

     ☆

夕食後、修平と智景と三姉妹はお庭へ。

庭園灯をともしてテントを張る作業を進めていく。

「テント立てるの上手いな」

「さすが田舎の子だね」

「うちら、夏は月に二回くらいは庭にテント張って寝るんじょ」

「智景ちゃん、念のためムカデ用殺虫スプレーも備えておくね」

「ありがとう継実ちゃん、出て来ないことを切に願うよ」

「智景お姉ちゃん、たぶん出て来ないと思うよ」

 三姉妹で協力してあっという間にドーム型テントを完成させた。

中は、六畳ほどの広さがあった。

「五右衛門風呂、用意して来たよ」

 澄香さんはテントから五メートルほど離れた場所に運んでくる。

「五右衛門風呂、私初体験なのでとっても楽しみです」

「わたし達、月に二、三回はこれで入ってるの。冬に雪の中で入ると特に気持ちいいよ」

「ぎりぎり四人入れるね。智景お姉ちゃんもいっしょに入れるよ」

「修平お兄さんすまんねぇ。いっしょに入れんで」

「仮に入れても入るわけないから」

 修平はちょっぴり呆れ顔。

「ママ、あたしがお水入れるぅ」

 梅乃は主に水遣りに使う、庭にあるホースが突っ込まれた水道を利用して風呂釜に水に浸していく。 

「東京者のお二人さんは、薪割りやったことある?」

 柚歩は丸太と切り株と鉈を台車に乗せて物置から運んで来た。

「一応。中学の時、野外活動で一回だけ」

「俺も同じだけど。未経験と変わらんな」

「やっぱその程度かぁ。二人ともやってみぃ。こんな風に」

 柚歩は得意げに切り株の上に丸太を置き、鉈を振り下ろして真っ二つに切り分けた。

「無理無理。危ないよ」

「俺もやめとくよ」

「予想通りの反応じゃ♪」

「柚歩お姉ちゃんは薪割り名人なの。おじいちゃん並に上手いよ」

 梅乃は楽しそうに伝える。

「元々切り分けられてるのがあるから、割らなくても大丈夫よ」

 継実は物置から袋詰めされた薪を持って来て、風呂釜の下に並べていく。

「修平ちゃんと智景ちゃんは、マッチは使ったことあるかな?」

 澄香さんからマッチ箱をかざされ問いかけられ、

「一度もないです」

 智景は決まり悪そうに答えた。

「俺は何度かありますよ。小学校の頃は理科部だったから」

 修平は自信を持って答える。

「それじゃ、未経験の智景ちゃん、ぜひやってみて。いい経験になるわよ」

「はい」

 澄香さんからマッチ箱を手渡された智景は、右手にマッチ棒を持ち、恐る恐る擦ってみた。

「あれ? つかない」

「もう少し強く擦ってみて」

「はい。きゃっ、今度は上手くいった」

 ボォッと火がともり、智景は少し嬉しく思った。

「それをこの新聞紙に付けたら、すぐに薪へ投げ入れてね」

「分かりました。なんか怖いな」

「智景ちゃん、やけどに気を付けて」

 修平はすぐ側で温かく見守った。

「ふぅ、上手く火が移ったよ」

 恐々としつつも成功させ、智景はホッと一息つく。

「次はこれを使って火加減を調整していくの。これは、修平ちゃんにやらせようかしら」

 澄香さんは長さ五〇センチほどの火吹き竹と呼ばれる竹筒を修平に手渡してくる。

「難しそうだな」

 修平は中腰になり、火吹き竹を口に近づけ、薪に向かってフゥフゥ息を吹き込んでいく。 

「うわっ、煙が。ケホッ」

「大丈夫? 修平くん、代わろうか?」

「いや、いい。何とか出来そう」

 こうして風呂桶の水を程よい温度まで温めていった。

 そのあと、すだちの香りの入浴剤を入れた。

      ☆

「お風呂に入りながら満天の星空を眺めるの、最高♪」

「智景ちゃんに気に入ってもらえて嬉しいな」

「あたしも五右衛門風呂大好き♪」

「都会じゃこんな体験出来へんじゃろ?」

「うん、虫以外は最高の環境だよ」

 三姉妹と智景が庭に敷いたゴザの上に置かれた籠の中に服を脱ぎ捨て、すっぽんぽんで楽しそうに入浴中、

庭に風呂置いて裸で入るって、東京の普通の住宅街じゃ絶対無理だろうな。

修平は茶の間で古文の予習をしながら待機していた。

二十五分ほどして、

「修平お兄さん、上がったじょ。冷めちゃう前に入って」

「五右衛門風呂も気持ちよかったよ」

「修平君、梅乃が待ってるよ」

 柚歩と智景と継実が上がってくる。

「やっぱ梅乃ちゃん、俺と入りたがってるのか」

 修平は着替えとタオルを持って玄関から外へ。

 靴を脱いでゴザに上がり、服を脱いでいく。

「修平お兄ちゃん、そこの笹の葉っぱ何枚かとって」

「これか」

 修平は手ぬぐいで前をしっかり隠してから、庭に生えていた笹の葉っぱをとってあげると、すっぽんぽんの梅乃がいる五右衛門風呂へ。

「修平お兄ちゃんは笹舟作ったことある?」

「幼稚園の頃にあるけど、もう忘れちゃったな」

「こうやって折っていって切って作るの」

 梅乃はあっという間に完成させて、湯船に浮かべた。

「上手いな梅乃ちゃん」

「簡単に出来るよ。修平お兄ちゃんもやってみて」

「これでいいのかな? けっこう難しい」

 修平は苦い表情を浮かべて作っていく。

「修平お兄ちゃんもなかなか上手だよ。じゃああたし、もう上がるね。あつい、あつい」

 火照っていた梅乃は桶から上がって体を拭き、パジャマに着替えていく。

 その最中に、

「修平お兄さん、湯加減どう?」

「修平くん、気持ちいい?」

「修平君、まだぬるくなってない? ぬるかったら薪燃やすよ」

 柚歩と智景と継実も外へ出て来て修平の前を通りかかった。

「大丈夫。ちょうどいい湯加減だ」

 その三人からじーっと見られ、修平は少し気まずそうに伝える。

「修平お兄ちゃんも、上がったらテントの中来てね」

 三姉妹と智景はテントの中へ。

 満天の星空に、虫の音が聞こえて来て、最高の気分だ♪ もし俺が期待してたマンモス女子校だったら、こんな大自然に囲まれての癒しの体験は出来なかっただろうな。

 引き続き修平が湯船でゆったりくつろいでいると、

「やっほー、修平ちゃん。ウチも入りに来たよ」

 森子もやって来た。

「おいおいやめてくれよ」

 修平は当然のように迷惑がる。

「べつにいいじゃん。タオル巻いてあげるから」

「いや、それでも」

「修平ちゃん、そんなこと言って本当は嬉しんやろ?」

森子は躊躇なく服を脱ぎ始める。

「本当に入る気かよ」

薄紫のブラが目に入った修平は、慌てて森子から目を背けた。

「当然でしょ♪」

 森子はきっぱりとそう言ってスカートも脱ぎ始めた。

「うちがさっき連絡したんじょ。五右衛門風呂用意したけん入りにきぃって」

 柚歩がテントからひょこっと顔を出して伝える。

「こんばんは、森子ちゃん」

 智景もテントから顔を出す。

「やっほー智景ちゃん」

この時、森子は薄紫ブラと水玉ショーツの下着姿になっていた。

「タオル巻くにしても一旦全裸にならなきゃね。修平ちゃん、今は見ちゃダメよ」

「見たくないし」

 いや、本当は見たいけど。

「もう、修平ちゃんったら天邪鬼」

修平の心のうちをたやすく察した森子はすっぽんぽんになってから、バスタオルを肩から膝上にかけて巻いてあげた。

「お邪魔するね」

そして堂々と五右衛門風呂に入り込んでくる。

「……じゃあ俺もう出るね」

 入れ替わるように修平は森子に背を向けたまま素早く湯船から上がった。

「修平ちゃん、もうちょっと浸かりなよ」

「いいって!」

「ちゃんと大人扱いしてあげてるでしょ。もし修平ちゃんが小六以下だったらウチ、すっぽんぽんで入ってたよ。おっぱいも触らせてあげてたよ」

「……」

無視して急いで体を拭いている最中に、

「修平ちゃん、そのバスタオル借りるね。ウチの、巻いて入ってあげたおかげでびちょびちょだから」

 森子も上がって来た。

「森子ちゃん、まだ上がってくるなよ。俺まだ服着てないのに」

「べつにいいじゃん、これが修平ちゃんのトランクスかぁ。ださいね」

 森子は掴んでそう言って掴み取るや、

「あっちへ投げちゃえ」

 遠く投げ捨てた。

「おい、森子ちゃん、何するんだよ。土で汚れるだろ」

 修平は森子に向かって不機嫌そうに言う。

「やっとウチの方見てくれたね」

「いや、見てない」

「森子ちゃん、イタズラはダメだよ」

 智景はテントから出て来て、親切にも修平のトランクスを拾いに行ってあげた。

「あっ、どうも」

 大事な部分を手ぬぐいで巻いて隠しているだけのほぼ全裸な修平は、穴があったら入りたい気分で受け取り、すぐに穿いた。

「修平ちゃん、今後ろ見ちゃダメよ」

 すでに森子はタオルを外し、すっぽんぽんになって修平持参のタオルで体を拭いていた。

「もう少し待ってからにしてくれよ」

 修平のTシャツとパジャマ上下は今、森子のすぐ足元にあった。そのため取ろうにも取れず。

「修平ちゃん、仕返しにウチが脱いだパンツ放り投げてくれていいよ」

「そんな汚いの触れるわけないだろ」

「もう、修平ちゃん失礼よ。おウチで三〇分くらい前に入った時に換えたばっかりのなのに。修平ちゃん、すぐに着替え終えるからね」

「とか言ってなかなか服着ないつもりだろ」

「修平くん、森子ちゃんもうショーツ穿き始めたよ」

 智景は実況解説してくれる。

「そうか?」

 修平は思わずその光景を想像してしまう。

「もう一回脱ごうっと」

 森子はにやりと笑い、ショーツをまた膝下まで脱ぎ下ろした。

「……早く服全部着て」

 修平は居た堪れない気分だ。

「森子ちゃん、からかっちゃダメだよ。あっ、よく考えれば私が拾って修平くんに手渡せばいいんだ。森子ちゃん、失礼するね」

 智景は森子の足元にある修平のTシャツとパジャマ上下を拾ってあげ、

「はいどうぞ」

 修平に手渡してあげた。

「ありがとう」

 気まずそうに受け取った修平はすぐに着始めた。

 二人はほぼ同時に着替え完了。

「修平ちゃん、智景ちゃん、ウチ、明日は一限から講義があって朝早いから、ここでお別れだと思うから、握手しよう」

「はいっ! 森子ちゃん、また絶対会いに来ますね」

 森子と智景、がっちり別れの握手を交わす。

「修平ちゃんも握手しよっ♪」

 森子はウィンクして、修平の手を強引に握り締めた。

「……じゃあ、また」

 マシュマロのようにふわふわ柔らかい感触が、手のひらにじかに伝わって来て、修平は当然のように照れくさい気持ちになった。

「修平ちゃん、智景ちゃん、また近いうちに来てね」

 これにて森子は小笠宅をあとにする。

「森子ちゃん、私のお姉さんに欲しいよ」

「俺は実際姉にいたらウザいと思うよ」

智景と修平はテントの中へ。

「修平お兄ちゃんも智景お姉ちゃんも、これからカードゲームで遊ぼう!」

「カードゲームか。ヴァ○ガード? M○G? ヴァ○スシュバルツ? 俺のクラスでも一部で流行ってるけど、俺はルールよく知らないしな」

「私もカードゲームで遊んだことないよ」

「そういうのじゃないよ。徳島のふるさとカルタだよ。これ」

 梅乃は手提げ鞄から取り出して二人にかざす。

「うちらはこれとか百人一首のこと、カードゲームって呼んでるんじょ」

「そうか。確かにそれも分類上はカードゲームだな」

「それなら私も遊べるよ。楽しそう」

「最初はわたしが札読むね」

 みんなでこのかるたやレトロな携帯ゲーム、ボードゲームなどで遊んで午後十一時ちょっと過ぎ、みんなは寝袋に包まり就寝準備完了。

俺のすぐ横に、智景ちゃんと継実ちゃんが……。

今夜も修平が一番遅くまで寝付けなかった。

       ☆

草木も眠る丑三つ時。

「修平君、起きて下さい」

 目を覚ました継実は、修平を起こそうとした。

「どうしたの? 継実ちゃん」

 修平は眠たそうに尋ねる。

「あの、一人じゃ怖いので、おトイレ、ついて来て下さい」

 継実は照れくさそうに打ち明けた。

「真っ暗だし、確かに怖いよね。でも慣れてるんじゃないのか?」

「じつは、真夜中に、一人で行くのは、今でも怖いの」

「そっか。気持ちは非常に良く分かる。付いてってあげるよ」

 修平は快く引き受けてあげる。

 二人はいっしょにテントの外へ。

「柚歩を起こそうと思ったんだけど、笑われるのが嫌だから、修平君を起こすことにしたの」

「そっか。いい判断だな」

「あのう、手を繋いで下さい」

「わっ、分かった」

「ありがとうございます」

 二人は玄関から家に入り、修平が玄関先すぐ側のスイッチを押して廊下の電気をつけた。

「継実ちゃん、俺はここで待っとくね」

「あのう、出来れば、トイレの前まで来て下さい」

「……まあ、いいけど」

 継実にもじもじしながらお願いされ、修平は断り切れずトイレ扉のすぐ前で待機。

「お待たせしました」 

 継実がトイレを済ましたあと、修平もいっしょに洗面所へ向かい、手洗いも付き添ってあげた。

「あの、修平君、ご迷惑掛けて申し訳ございませんでした」

「いっ、いや、俺は別に気にしてないから。むしろ頼られて嬉しかったよ」

 上目遣いで謝られ、修平はちょっぴり照れた。

外に出た矢先、

 クゥオン、クゥオン。

遠くの方から野生動物のうなり声が聞こえてくる。

「修平君、怖いね」

「何の鳴き声だろ? 俺もちょっと怖い。気にせずに早くテントに戻ろう」

「はい」

また手を繋いで元来た道を進み、無事テントに辿り着いた修平と継実は、すぐに眠りに付こうとした。

クゥウウウオオオン、クゥゥゥオオオン。

しかし野生動物のうなり声は、ますます大きくなってくる。

「柚歩、梅乃、智景ちゃん、起きて、起きてっ!」

恐怖心を強く感じた継実は順番に揺さぶった。

「継実お姉さん、どないしたん?」

「なぁに? 継実お姉ちゃん」

「継実ちゃん、一体どうしたのぉ?」

三人ともすぐに目を覚まし、眠たそうにしながら尋ねる。

「なんかすぐそこに、野生動物がいるみたいなの。クマさんだったらどうしよう。ぬいぐるみはとってもかわいいけど、本物は怖いよ」

継実の顔はやや青ざめていた。

「ひょっとしたら、大入道かも」

 智景は顔をこわばらせた。

「それは絶対ないって。確かに妖怪の出そうな雰囲気はあるけど」

 修平は思わず笑ってしまう。

「智景お姉ちゃん、この近辺で伝わる妖怪さんは、高入道や児啼爺や嘗女や幽霊狸だよ」

 梅乃は楽しそうに伝える。

「ますます怖くなって来たよ」

 姿を想像してしまった智景はカタカタ震え出した。

「智景お姉さん、そのしぐさめっちゃかわいいじょ。まあ何かの動物の鳴き声がしとんは事実やけん、修平お兄さん、ちょっと確かめてあげて」

「分かった。俺は、キツネかなんかだと思うけど」

 修平は懐中電灯を手に持ち、テントの入口を少し開けて、うなり声のする方を照らしてみた。

「うわぁーっ!」

 姿が分かった途端に思わず悲鳴を上げ、懐中電灯を落っことす。

そこにはなんと、あの獣がいたのだ。

「何がいたの? 修平くん」

 智景は彼に顔を近づけて尋ねてみる。

「ツッ、ツッ、ツキノ、ワグマだ。シャレになってねえぞ」

 修平の声は震えていた。

「本当にぃ!?」

「ほっ、本当だ智景ちゃん、リアルなツキノワグマだ」

「嘘、だよね?」

 智景は修平の落とした懐中電灯を拾い上げ、恐る恐るもう一度照らしてみた。

「…………うっ、嘘でしょ。クマさんが、出るなんて」

 次の瞬間、智景は口をあんぐり開けた。

「……可能性がないこともないんじゃけど、この辺りにまで出るとは思わんかったじょ」

「はわわわわわ。どうしよう? わたし達だけしかいないのに」

「どっ、どうするのぉ?」

 三姉妹の目にもしっかりとその姿が映った。

「ゆっ、柚歩ちゃぁん、お相撲でやっつけてよ、熊に跨り相撲の稽古って桃太郎のお話にもあったでしょ」

 智景は焦りの表情を浮かべ、柚歩に無茶なお願いをする。

「智景お姉さん、それは金太郎じゃって。はっ、早く、防御せんと」

 柚歩はカタカタ震えながら突っ込み、急いで出入口のファスナーを閉めた。

 しかし智景の照らした明かりによって折悪しく、ツキノワグマにテントの位置を見つけられてしまった。

クウウウウウウウァ。

 ツキノワグマは低いうなり声を上げながらテントにどんどん近づいてくる。

 そして、

 鋭い爪が布にめり込んだ。

バシュッと破けてもおかしくないような音がする。

「きゃあああああああーっ!」

 継実は大きな悲鳴を上げた。

「修平くぅん、助けてぇぇぇーっ」

 智景は泣きそうになりながらすぐ隣にいた修平に抱きつく。

「智景ちゃん、きっとテントが守ってくれるから安心して」

 修平の心拍数は恐怖心と照れくさい気持ちでかなり上がっていた。

「こら、クマ、どっか行きっ!」

 柚歩は立ち上がり、テントの布に蹴りを一発入れた。

「あっ、当たった?」

 布越しに、ツキノワグマの胴体部分に触れた感覚がした。同時に、ツキノワグマの動きがぴたりと止んだ。

足音もだんだん遠ざかっていく。

「行ってくれたみたいだね」

 智景は座り込み、ホッと一息ついた。

 しかし、

 クゥゥォン。

 ほどなくまた熊の声が近づいて来た。

 足音と鳴き声から察して、テントの周りを回っているようだった。

「どうすりゃいいんだ」

 修平は苦悩する。

「しゅっ、修平お兄さん、これぶっかけて、追っ払って来て」

柚歩は手を震わせながら、テント隅に備えてあったムカデ用殺虫スプレーを修平に手渡した。

「いや、これじゃ無理だろ。相手は熊だぞ」

「修平くぅん、頼むよぅ」

「修平君、お願いです」

「修平兄ちゃん、追っ払ってぇぇぇ」

「修平お兄さん、男の子は、修平お兄さんしかおらんのじょ。うちらもこんなすぐ間近に熊に迫られた経験、生まれて初めてなんよぅ」

 智景と三姉妹は泣きそうな目で、戸惑う修平に頼み込む。

「……わっ、分かった」

修平は勇気を振り絞ってムカデ用殺虫スプレーと懐中電灯を右腕に抱え、左手でテントの出入口ファスナーをそーっと開ける。

「どこ行った?」

恐る恐る外へ出ると、ファスナーをしっかり閉じてあげ、懐中電灯を照らして慎重に周囲を見渡す。

「あっ、あそこに――」

 修平はすぐに気付いた。

ツキノワグマは、彼の今いる場所から十メートルほど先にいた。

クゥァ。

ツキノワグマは彼の姿にすぐ気づいたようだ。

こっ、こっ、こえええええ。立ち上がったら、俺よりも絶対でかいぞこいつ。にっ、逃げてくれ、逃げてくれっ!

 修平は心の中で唱える。彼の足は恐怖心からガタガタ震えていた。

クッ、クルゥアアアアアアアァ!

 彼の願いも空しく、ツキノワグマは修平の方目掛けて走って来た。

「当たってくれっ!」

 修平は渾身の力を込めて、ツキノワグマの顔面目掛けてスプレーを噴射する。

 ブシャァァァーッ!

 白い霧が熊に直撃した。

クッ、クウウウウウウウウァ!

 ツキノワグマは咆哮する。

「あっ、当たったか。よぉし」

 彼はさらにもう一度顔面目掛けて噴射する。

 また上手く直撃はしたのだが、

クウウウウウウウウアアアアアアアァ!

ツキノワグマは大きく口を開け、修平をキッと睨み付けた。

 ますます怒らせてしまったようだった。

「やっ、やばいっ。やっぱあまり効いてないっぽい」

 修平は顔を真っ青にさせ、殺虫スプレーと懐中電灯を投げ捨てて四人の待つテントへ逃げようとした。

クウウウァ、クゥア、クゥア。

 しかし、当然のようにツキノワグマの方がスピードは速かった。

 一瞬のうちに距離を詰められる。

もっ、もう、ダメだ……。

 ツキノワグマの鋭い爪が修平のうなじ、すぐ先まで迫った。修平はその時、死を覚悟した。

「修平お兄さぁぁぁん」

「修平くーん、はやくぅぅぅぅぅぅぅーっ」

「修平君、いやあああああああっ!」

「修平お兄ちゃぁぁぁん」

 智景と三姉妹は修平を早く逃げ込ませようと自分達の身の危険も顧みず、ファスナーを全開にし、必死の思いで叫ぶ。

 その時――。

ワン、ワン、ワン、ワワン。

キッキッキー、キキキッキー。

 ケェーン、ケェーン。

 どこからともなく三種類の、動物の鳴き声がこだました。

その鳴き声に反応したのかツキノワグマはぴたっと動きを止める。そしてゆっくりと、その鳴き声のした方へ目を向けた。

そこに現れたのは、桃太郎のお話でお馴染み、犬、猿、雉であった。

「あれは――」

修平は目を見開き、動物達を見つめる。

ワン、ワワン、ワン、ワン、ワン!

 柴犬と思わしき犬は必死に吠えて応戦しようとする。

キッ、キキキキキ、キッキキーッ!

 猿は、ツキノワグマの顔面に飛び付いて引っ掻く。

クゥォオオオオオオオオン!

ツキノワグマは両手で顔を押さえた。けっこう効いたようだ。

ケェーッ、ケェーッ、ケェーッ!

雉は一生懸命羽を広げて空に舞う。そして、五メートルくらい上空からツキノワグマの脳天目掛けて二〇センチ大ほどの石を落っことした。

それも見事命中した。

クゥオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!

ツキノワグマは激しく咆哮しながら、ゆっくりとした足取りで山の方へ去っていった。

犬、猿、雉も、ほどなくどこかへと姿を消した。

「なっ、なんとか、助かった」

 一部始終を目撃した修平は腰が抜けて、その場に座り込む。カタカタ震えていた。

「しゅっ、修平くん、大丈夫? 怪我はない?」

「修平君、無事ですよね?」

「修平お兄さん、血は出てへんか?」

「修平お兄ちゃん、大丈夫だよね?」

 四人はテントから出て急いで駆け寄り、彼のことをとても心配する。

「俺は、なんともないよ」

 修平はゆっくりとした口調で答える。

「よっ、よかったあああああっ!」

「修平君、無事で、何よりです」

「修平お兄さんっ。よく頑張った!」

「修平お兄ちゃん、助かってよかったよ」

 智景も三姉妹も堪らず嬉し涙がこぼれ出た。

みんなはテントに戻り、一息つく。

「修平くん、本当にありがとう。見直したよ」

「修平君は命の恩人です」

「いやいや、俺は何も。これは、あの動物達のおかげだよ」

 修平は謙遜の態度を示す。

「そんなことないで。修平お兄さんも大健闘してたよ。体を張ってうちらを守り抜こうとして。とっても男らしかったよ」

柚歩はそう褒め、修平の頬っぺたにチュッとキスをした。

「えっ!」

 修平はびくっと反応する。頬がだんだん赤くなっていった。

「柚歩お姉ちゃん、修平お兄ちゃんにキスしたぁ」

 梅乃は楽しそうに笑う。

「柚歩ちゃん、大胆だね」

 智景は頬を少し赤らめた。

「あの、智景お姉さん、ひょっとして、修平お兄さんと初キスまだ?」

「そっ、それは……いっ、一回だけ。幼稚園の頃に」

 智景はもじもじしながら打ち明けた。

「俺は全く記憶にないな」

 修平は素の表情できっぱりと言い張った。

「あーん、ひどいよ修平くん」

「ほな今ここで改めてしてみる?」

 柚歩はにやりと笑う。

「ゆっ、柚歩ちゃん、それは無理だよ」

 智景のお顔はますます赤くなる。

「もういいから寝るぞっ」

 修平はそう呼びかけ、素早い動作で寝袋に潜り込んだ。

「安全は確保出来たので、さっさと寝ましょう」

「寝よう、寝よう」

 継実と梅乃は楽しげな気分で誘う。

 こうしてその後は、何事もなかったように平和に夜が更けていった。

 

        ☆ 

 

午前六時半頃、テント内に目覚まし時計の音が鳴り響く。

「おはようみんな、私、あのあともあまり眠れなかったよ」

「うちも同じや。また襲って来たらどないしようかと思って」

「あたしはぐっすり眠れたよ」

「俺もまあまあ眠れたけど、真夜中の出来事、警察や、地元の猟友会にも報告した方がいいよな」

「そうした方がええで。今回は幸い被害なかったけど、近所の人が被害に遭うかもしれんし。継実お姉さんは、今日はまだお休み中か」

 柚歩は継実の方へ目を向ける。

「継実お姉ちゃん、起きてー。朝だよーっ」

 梅乃はおでこをペチペチ軽く叩いて起こしてあげる。

「おはよう、みんな。爽やかな朝だねー」

 継実は寝惚け眼をこすりながら寝袋から出て立ち上がり、背伸びした。

「継実お姉さんは、クマがまた襲って来んか心配やなかった?」

「うん。修平君やおサルさん達がやっつけてくれたんだし、もう絶対大丈夫だと確信してたよ」

 継実は笑顔で答えた。

「そうか。楽天的な継実お姉さんらしいね」

「今朝は朝から天気すごく良さそうだな。すでに暑いし」

修平はテントのファスナーを少し開け、外を見た。

その矢先、

「うをぁっ!」

 びっくり仰天して仰け反る。

「修平くん、虫に襲われたの?」

 智景は心配そうに尋ねた。

「ちっ、違うんだ。あの、その、熊が、また現れたんだ」

「えええっ! うっ、嘘……」

「嘘じゃない。隙間から覗いてみて」

「……」

 智景はびくびく震えながら、恐る恐る覗き込む。

「ぎゃっ、ぎゃあああああああっ!」

 姿を確認するや、大きな悲鳴を上げ慌ててファスナーを閉じた。

 テントから十メートルも離れてない場所に本当に熊がいたのだ。

「ちっ、智景お姉さん、そんな大声出したらあかんって」

「智景ちゃん、ダメだよ。熊さんに気付かれちゃうよ」

「智景お姉ちゃん、しーっだよ」

 三姉妹は即座に小声で警告するも、

 熊は、

 クゥゥオン。

 と唸り声を上げながら、みんなのいるテントの方へ近寄って来てしまった。

「ぎゃあああああっ、殺されるぅぅぅぅぅぅぅ」

 とっさに修平にぎゅーっと抱き付いた智景、

「だっ、大丈夫だって。智景ちゃん、中にいれば、攻撃は防げるはず」

 修平は落ち着かせようとした。

 しかし、

 熊がなんと、テントのファスナーを開けてしまったのだ。

「熊、こんなことも出来るのかよ」

 唖然とする修平。

「あわわわ、あわわわ」

 智景の表情は凍り付く。

 熊がテントの中に入り込み、クワッと牙をむいた。

次の瞬間、予期せぬ出来事が。

「ぃよう、皆の衆」

 なんと、三姉妹の祖父が、

「えっ、あっ、あれ?」

 熊の背中から現れたのだ。智景はぽかんとなる。

「着ぐるみだったのか!! リアリティあり過ぎるぞ」

 修平も目を丸くした。

「わしの手作りの着ぐるみでのう、本物の熊の毛皮を使って、鳴き声も本物のを録音して内蔵したのじゃ」

 祖父はにこにこ顔で自慢げに伝える。

「東京者のお二人さん、これはドッキリやったんじょ」

「修平お兄ちゃんと智景お姉ちゃんがここに来るって分かった金曜の夜から計画してたの」

 柚歩と梅乃はくすくす笑いながら打ち明ける。

「大変申し訳ないです。とてつもなく怖い目に遭わせてしまって」

 継実はやや罪悪感に駆られているようであった。

「えぇっ!! 本当かよ!?」

「私、てっきり本物の熊さんだと思ったよ。でもみんな怖がってたよね?」

 修平と智景は当然のように面食らった。

「演技なんじょ」

「あたしも一生懸命演技したよ」

「私も修平君を起こした時から演技してましたけど、分かってても正直少しだけ怖かったです」

三姉妹はさらりと打ち明けた。

「上手くいったみたいね」

 澄香さんも家から出て来て、みんなの前に姿を現す。

「もうなんていうかねえ……」

「どっきり過ぎだよね」

 修平と智景は笑みがこぼれ、しばらく笑いが止まらなかった。

「わしもめちゃくちゃ楽しかったぞ。ちなみにあの動物はわしんちの庭に現れたのをわしが手懐けたんじゃ。では東京の子も、また会おう。お達者で」

 祖父は満足そうな表情で伝え、小笠宅をあとにした。

 着ぐるみは背負って。

「じつは学校の裏山にあった爪跡と糞と足跡も、ダミーだったんじょ。うちらが事前に付けといてん」

 柚歩はさらに打ち明ける。

「なぁんだ。ニセモノだったのかぁ。もう、みんなお茶目過ぎだよ」

 智景はかなりホッとした気分だ。

「それじゃ、昨日のも着ぐるみだったのか?」

 修平が問いかけると、

「いや、あれはリアルな熊ちゃんじょ。ほなけんリアルなんがこの辺に出ても、べつに不思議じゃないってことじゃ」

「あたしが小学二年生の頃に、一回ここのお庭に出たことがあるよ。美味しそうに柿食べてた」

 柚歩と梅乃はにこにこ顔で伝えた。

「やっぱリアルなのも実際出るわけか」

 修平は苦笑い。

「……やっぱりいるんだね、本物」

 智景の表情はやや青ざめた。

 このあとみんなは一昨日、昨日と同じように茶の間で朝食を取った。

今朝は和洋折衷。ヤギ乳ヨーグルト、和三盆ロール、ももいちご、鹿肉ハムサラダ、ひじき煮に加え、スッポン肉入りのお吸い物も用意されていた。

「このいちごは、そんなに酸っぱくなくて美味いな」

「修平お兄さんにも気に入ってもらえて嬉しいじょ。ももいちごは佐那河内村だけで作られとるんよ」

     ☆

 八時頃。

「久野木くん、松永さん、迎えに来たよーん」

 伊月先生が予定通りに小笠宅を訪れて来た。

「叔父さぁん、お小遣い頂戴」

「おじちゃん、あたしにもー」

 柚歩と梅乃は嬉しそうに彼のもとへ駆け寄る。

「こら柚歩、梅乃。お正月にお年玉貰ったばかりでしょ」

 澄香さんは優しく注意。

「やっぱあの子達の叔父さんって、伊月先生のことだったのか」

「その通りっさ久野木くん。きみ達がお世話になった小笠さんのお母さんは、おいらのリアル姉なのさ。あいつには子どもの頃、おいらの今でも大嫌いなカエルやヘビやトカゲやカマキリやザリガニを目の前にかざされたり、ゲームウォッチ壊されたりひどい扱いされたよん。今もされてるけどね」

 伊月先生は苦笑い。

「伊月先生、アキバのすぐ近くで生まれ育ったって嘘だったんですね」

 智景は爽やかな笑顔で突っ込んだ。

「いやいや、アキバからここまで直線距離では五百数十キロしか離れてないし、地球規模で考えればすぐ近くではないか。久野木くん、松永さん、体験授業は楽しかったかい?」

「はい、想像以上にかなり楽しめました。今となってはマンモス女子校行くよりも絶対良かったと感じてます」

「私もすごく、すごく楽しかったです。虫や野生動物さんや和式ぼっとん便所にはかなり脅かされ嫌な思いも数え切れないしましたけど、それ以上に複式学級での授業や満天の星空や広いお風呂、ホタル観察などが楽しめた喜びの方が大きかったです。夏休みにでも、またここを訪れたいです」

 二人とも生き生きとした表情で伝える。

「そうかい。それはよかったよん。あのう、姉さん、おいら、今、金欠でね」

「びた一文貸さへんよ鷹一(たかかず)。どうせアキバでエッチなゲームとかアニメのブルーレイとかフィギュア買いまくって無くなったんやろ?」

「ハッハッハ、その通りっさ。さすがだな姉さん。東京に住むといろいろ出費がかさむのだよん」

「アホかぁっ! あんたけっこういい給料貰ってるやろ。鷹一、いい加減向いとらん教師やめてこっち帰って農家継ぎやっ!」

「ぎゃふんっ! いてててっ」

 ゲンコツを食らわされてしまった。

「鷹一は幼稚園の頃から無駄遣いばっかりっ! あんたまさか、また戎田のお婆ちゃんとこにお小遣いねだりに行ってないじゃろうねぇ?」

「いっ、行ってないよん今回は。ねっ、姉さん、もうやめてくれたまえぇぇぇぇぇ。これだから三次元は」

「出た! ママの柔道技。おじちゃんも頑張れー」

「叔父さんも全然抵抗出来ないなんて情けないじょ」

「お母さん、そろそろやめてあげた方が……」

 楽しそうに眺める三姉妹。

「修平ちゃん、智景ちゃん、ごめんね、こんな甲斐性なしなのがあなた達の担任で」

「いやぁ、おばさん、弟の伊月先生はなかなか素晴らしい先生ですよ」

「授業も分かりやすくて面白いもんね。授業中の居眠りや携帯ゲームも自由にやらせてくれるし。私は尊敬しています。あの、おば様。弟さんの伊月先生が金欠になっちゃったのは、私と修平くんの旅費を全額負担してくれたからなんです。なので伊月先生は悪くないと思います」

 修平と智景は、姉に締め上げられている伊月先生を優しくフォローしてあげた。

「その分は、こいつが金曜の夜に戎田のお婆ちゃんに電話かけて仕送り願い出したんよ。また改めて散財したわけなんよ。別件なんよ」

「ハッハッハ、おいら、昨日アキバできみ達に出した旅費の倍くらい、アニメグッズ、同人誌衝動買いしちゃったからね。戎田のお婆ちゃんはおいらが子どもの頃からすでにお婆ちゃんで、『僕らに福呼ぶえべっさん』の愛称でたびたびお小遣いやお菓子ねだったりして、おいらは四〇年近くお世話になってるのだよん。大地主でお金持ちだからね」

 伊月先生はにこにこ顔で伝える。

「あららら、伊月先生ダメですよ」

「伊月先生、それは俺もフォロー出来ないな」

 呆れ果てる修平と智景。

「鷹一、あのトキノキに吊るそうか?」

「うげぇっ、姉さん、もう勘弁してくれたまえぇぇぇぇぇぇぇ」

 伊月先生はさらにきつく折檻される。

「伊月のおっちゃん、お久し振り。また無駄遣いして姉さんにお仕置きされてるんやね。久野木君、松永さん、徳島空港まで送っていくよ」

 阿佐先生も訪れて来た。

「あたしも徳島空港まで見送りに行きたぁーいっ!」

「阿佐先生、ええじゃろ?」

「阿佐先生、お願いします」

「もちろんオーケイよ」

八時半頃。修平、智景、三姉妹、澄香さんは阿佐先生の運転するワンボックスカーで徳島空港へ向かっていく。

伊月先生はレンタカーでその後ろを進んでいった。


 屋那沢と隣町との境近くで、

 東京っ子 またのお越しを心からお待ちしております。

今度はご家族や友人も連れてお越し下さい。

 と書かれた横断幕を掲げた、大勢の地元の方々が畑の畦道からお見送りをしてくれた。

「なんか嬉しいな。この地に何の縁もなかった俺らのためにここまでしてくれて」

「そうだね。私、屋那沢へまた絶対訪れたいよ」

 修平と智景は車の中から、見送ってくれた方々に手を振る。そのあと嬉し涙も出て来た。

       ※

 午前十一時二〇分頃、徳島阿波おどり空港出発ロビー。

ここでいよいよ最後の別れ。

修平と智景は澄香さんから金長まんじゅう、金露梅、阿波和三盆糖、阿波のかりんとう木頭ゆず、ぶどう饅頭などなど徳島名産お菓子もいただいていた。

「修平君、智景ちゃん、また会いましょう」

「東京者のお二人さん、叔父さん。また夏休みにでも来てや。カブト、クワガタ取り放題じょ。八月十一日に来たら屋那沢地区の阿波おどりも見れるじょ」

「修平お兄ちゃん、智景お姉ちゃん、また会おうね。おじちゃんも、今度はお小遣い持って来てね」

「久野木君、松永さん、ご両親や東京のお友達にも屋那沢のこと、いろいろ伝えてね」

「修平ちゃんも智景ちゃんも、近いうちにまたいらしてね。鷹一も農作業手伝い来いっ!」

「夏は無理だな。コミケあるし。他にもいろいろイベントあって忙しいのだよん」

「何だって? 鷹一。農作業とそれ、どっちが大事やと思ってんの?」

「ねっ、姉さん。放してくれたまえ。乗り遅れてしまうではないかぁ」

伊月先生は姉から逃げるように保安検査場へ。

「みんな、また絶対来るからね。すごく楽しかったよ」

「それじゃ、みんな。さようなら。また会おう」

 智景と修平は別れ惜しそうにゆっくりと歩き進んでいく。

「豊高と屋那沢の学校が提携してるのって、伊月先生と繋がりがあるからですね?」

「それもあるけど、廃校にならないように協力してあげたいと思ってね。他校とのふれあい会や、あのパソコンでの授業システムを提案したのも、おいらなのさ。いろんな学校の子達と交流させることでよその地域からあの学校へ通いたいと思ってくれる子が、一人でも多く現れてくれて、やがて昔みたいに児童生徒がたくさんいる本校に戻ってくれたらいいなと願うよん」

 智景に問いかけられ、伊月先生はちょっぴり照れくさそうに打ち明けた。

「伊月先生、本当に素晴らしい先生ですね。私、好感度がますます高まったよ」

「やはり故郷を愛してるんですね」

「いやぁ。そうでも……あるかな。きみ達、単位互換は今週いっぱい有効だから、明日も休んでも大丈夫だよん。疲れただろ?」

「いえ、俺、明日から来ますよ」

「私もおウチ帰ったらぐっすり休んで、明日から来ます。お友達にいっぱいお話ししたいことあるし」

修平と智景は指定席に隣り合って座り、

「そうか。ではきみ達、また羽田空港で」

伊月先生は二人に気遣ったのか、少し離れた指定席を取っていた。

     ※

 修平と智景が無事自宅に帰り着いて少し経った頃、

拓郎と秀文、どんな反応するか楽しみだな。

 修平が自室で旅行用鞄から土産物などを取り出していると、

「修平くぅぅぅぅぅん、たーすーけーてーっ!」

 智景が青ざめた表情でベランダから叫んで来た。彼のお部屋と智景のお部屋はほぼ同じ位置で向かい合っているのだ。

「旅行鞄開けたら、蝙蝠さんが、バァーッて飛び出て来たのぉーっ。今私のお部屋の中飛び回ってる」

「きっとあっちでいつの間にか紛れ込んだんだろうな。智景ちゃん、落ち着いて」

「あっ、お外へ出て行ってくれたぁ。よかったぁーっ。今度屋那沢行った時は帰る前に鞄の中念入りにチェックしようっと」

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