龍田ひかりはあなたがスキ? 07
「取り敢えずそこに適当に積んである制服があるだろ? 今日はそれに着替えて適当に仕事の流れだけでも覚えて帰ってくれ」
店長は面倒臭そうな、ぶっきらぼうな声でそう言うと、ロッカーの隅に適当に積まれた制服の山を指差す。
「OJTはそうだな……いつもなら簗瀬(やなせ)にやらせている所なんだが……あいつふざけたことにインフルエンザだしな……」
「あ、簗瀬さんはここの副店長さんのことね」
龍田が僕の耳元まで寄ってくると小声で教えてくれる。
それが妙にこそばゆくて思わず身震いをしてしまったが、気持ち悪がられてはアレなので、平静なフリを装うと小さな声でありがとうと告げる。
「まーそうだな……仕方ないからここはひかりに任せるとしようか」
「あっ、はい、分かりました――――って、ええっ!? わ、私ですか!?」
こそばゆくなっていた耳を打ち崩すように、今度は無数の針でも刺されたのかと言わんばかりの大声が僕の鼓膜劈いて来る。
本当に忙しないというか、明るいのは良いんだけど、基本的に感情を全面に押し出してくる子なんだな、龍田って奴は……。
自分が今まで知り合って来た中では最上級にリアルが充実していそうな香りがする、さぞかし友達も多いのだろう。
とはいえ突然の教育係任命は想定外だったのか、龍田は困惑した様子だった。
「て、店長……私まだ二ヶ月ぐらいですよ……? む、無理ですって……」
「んなこと言ってもな、ひかりはこいつと仲が良いんだろ? それなら最適じゃないか、接客業なのに人見知りとか生意気なこと言ってるから、ひかりみたいな性格なら適任だと思うしな」
「う、うーん仲が良い……のかな? 私達」
さらりと超絶に悲しい同意を求められたような気がするが、恐らく悪気はないのだろう……た、多分。
つうか、言われてみれば人見知りなのに接客業を志望するというのは明らかにおかしな話ではある。
「で、でも流石にまだ……」
「なあに、何かあればいつでも私に言えばいい、もし接触行為があればその時点でフライヤーに顔面からダイブさせてやるから」
「ほぼ死刑じゃねえか」
「何にしてもひかりはよくやっているし、どうせこいつは短期だから全部は教えられないしな、ま、いっちょ先輩って所を見せてやれ」
「え? 私が――雅継くんの先輩……?」
んじゃ私は煙草吸ってくるから、と明らかに自分の仕事を龍田に押し付けた店長はそのまま奥の非常口に消えていってしまう。
「…………」
ううむ……下向いて考え込んでしまう龍田を見ていると申し訳ない気持ちが湧き上がってくる――第一龍田だってまだ仕事を覚えている途中だろうし、ここは変に気負わせるようなことはさせない方がいいだろう。
「……悪いな、迷惑かける訳にもいかないし、無理なら正直に言ってくれればいいぞ? 何なら僕から言っておくよ、龍田からじゃ言い辛いだろうし――」
「ま、雅継後輩くん!」
「はっ? は、はい」
てっきり自信がなく、不安になっているのかと思っていたが、龍田は急に明るい表情を僕に見せるとそんなことを言ってくる。
そして何故か、続けざまにビシッと敬礼をしてみせた。
「今日から雅継後輩の教育係となりました龍田ひかりです! 宜しく!」
「知ってるけども――あ、いや、宜しくお願い……します、龍田先輩……?」
「――えへへ、なんちゃって、私に務まるかちょっと不安だけど、でも任されたからには一生懸命頑張るから! ちゃんと見守っててね?」
そう言って彼女は少し頬を赤く染めると、敬礼のポーズのままニヘっと笑う。
……まあ、彼女なりに自分を奮い立たせているのだろう。
どっちが教えられる立場なのかという気がしなくもないが、その気持ちを否定したくはないし、彼女を不安にさせないよう気をつけるようにしよう。
○
「雅継くんは二年何組なの?」
最初の練習として、利用後の部屋の掃除をすることになった僕は、受付の右手の廊下を真っ直ぐ行って突き当りにある25号室に龍田と二人でいた。
「三組だよ、二年三組」
「へ~そうだったんだ、私は五組だから階が違うね、通りで見当たらないなって思ってたよー」
今更だが藤ヶ丘高校の二年生エリアはちょっと特殊な割り当てをしており、二階が一組~四組、三階が五組~八組なのである。
階が違うだけだろ、と思われるかもしれないが、意外にそれだけで他クラスとの交流というのは少なくなってしまうものなのだ。
なので彼女の言いたいことは分からないでもない、まあ基本現代歴史文学研究会にしかいることのない僕からすれば他クラスとの交流なんて校外学習の時みたいなことがないまるで皆無なんだが……。
「そうだ! 三組とはいえば前条さんだよね! やっぱりクラスでも人気者っていうか、配下を連れて歩いていたりするの?」
「配下て」
「いやーホント凄い美人だよねー……頭もいいしスポーツも出来るし、オーラが凄いというか、圧倒的過ぎて全てが肯定されちゃうみたいな? 多分女の子なら一度は彼女には憧れるんじゃないかなー」
「へえ、やっぱりそういうイメージなんだな」
実際はそんなもんじゃない、前条だって色々悩んで、努力して、それで今の場所にいる、あくまでそれを誰にも見せていないだけの話。
ただ、そんなことを彼女に言った所で何の意味もないし、話がややこしくなるだけなので、僕は適当な返事をしてその場をやり過ごす。
「あ、でも、それを言ったら雅継くんも結構有名人だよねー?」
カラオケの二本のマイクを消毒していた龍田が、いたずらっぽく笑って僕にそんなことを言ってくる。
「え? 僕がか? いや……それはないだろ……」
「またまた~、体育大会のあの大逆転劇を忘れたとは言わせないよ? まさに能ある鷹は爪隠す、流石にあれは私も痺れちゃったな」
「ああそのことか……」
櫻井の時もそうだが、どうやら僕が思っている以上にあの出来事は色んな人の記憶に残ってしまっているらしい。
僕からすればいい加減忘れて欲しいし、何ならあれはただの出来レースでしかないのだから凄いと言われても何も嬉しくないので余計にタチが悪い。
……まあそのお陰で龍田の好感度が高いというなら、良しとしたいが。
「あれは単純にノーマークだったから上手くいっただけの話だよ、それに偶然ポイントが拮抗していただけで、狙っていたことではないからな」
「いやいや、それで優勝しちゃうから凄いんじゃん! そこはもっと誇っていい所だよー、私なんてどれだけ頑張ってもあんな奇跡は無理だもん」
「……? 龍田はなんか部活でもしているのか?」
「そうだよ? バレー部なんだけど、あんまり結果が残せてなくってさ……、いつも市大会止まりでキャプテンとして情けなくって……」
「そりゃ大変だな……」
バレー部に所属していてキャプテンなのか……。
……それなのに、バイトもしているのか?
いや、龍田の表情を見る限り嘘をついているようには見えないというか、そんなことで一々嘘を付く必要もないと思うのだが……。
それに、今日は日曜日だから部活はない筈だし、バイトをするのはおかしな話しではない――でも前に会った時は思いっきり平日の日だった。
部活の後に急いで来たのだとしてもかなりタイトなスケジュールだ、部活をしながら平日もバイトもするなんて、大丈夫なんだろうか……?
「…………」
「……? どうしたの雅継くん?」
「あ、いや何でもないよ、コップとゴミはお盆に全部乗せとけばいいか?」
「うん! それでオッケーだよ――」
「おーいひかりー、いつまで掃除してやがんだー!」
「あ、店長すいませーん! すぐ戻りますー!」
遠めに様子を見ていた店長がそう注意するので、少し慌てた龍田はテキパキとマイクやリモコンを定位置に戻すと、僕に困ったような笑顔を見せる。
「えへ……、怒られちゃったね、じゃあ受付に戻って、今度はフードメニューの作り方とか覚えてみよっか」
「ああ、分かった、ありがとな龍田」
「ううん、どういたしまして」
◯
お盆を持って最後のチェックを終えると扉を締めて受付へと戻る、そして裏のキッチンスペースに入った所で店長が待っていた。
「ひかり、フロントが忙しくなりそうだから暫くの間対応してくれるか? お前はそうだな……洗い物でもしておいてくれ」
「分かりました、雅継くんごめんね、落ち着いたらすぐに手伝うから」
「コップとお皿を洗うだけだから大丈夫だと思うけど……分かったよ、ありがとう」
そうすると龍田は両手を合わせて謝罪のポーズを取るとそのまま受付へと消えていき、店長はよく分からないがこの場から立ち去ってしまった。
休日だから流石に忙しいんだなと思いつつ、僕は言われた通り洗い物をしようと流し台にコップとお皿を乗せる。
――と、そこで、ふと壁に何かが張ってあることに気づき目をやる。
「シフト表って奴か、あー……やっぱり人数がいる訳じゃないんだな、何なら学生が多いことを考えると少ないぐらい……って――」
そこで、ようやく僕の中にあった龍田への違和感が確信に変わる。
やっぱり……おかしいじゃないか、学校に行きながら、部活もサボらず、勉強もして、バイトもする、本来ならその割合はバイトが一番少なくて然るべきだ。
苦学生であっても、全てを両立せず部活動は切り捨てているだろう。
なのに。
「週6のペースで、シフトを入れてるって……何でだよ」
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