龍田ひかりはあなたがスキ? 03

「逢花よ」

「なあに兄ちゃん」

「僕は今三つのことで悩んでいる」

「え、面倒くさ……」

「お兄ちゃんがこんなに悩んでいるのになんてこと言うの!」


 その日の夜、自宅にて。

 母親の帰りが遅いのいつも通りとして、今日も今日とて緋浮美は部活の都合で帰りが遅いということだったので、僕は逢花と二人で晩ご飯を食べていた。

 食卓に並ぶのは挽肉の入ったカレーにサラダと味噌汁。

 逢花はそれだけでは物足りないのか大盛りのカレーの上に唐揚げと温玉を乗せて笑顔で食べていた、この笑顔だけで作った甲斐があるというものである。


「えー……そりゃ兄ちゃんが魂抜かれてたら相談に乗ってあげるけどさ、そこまで困ってるようには見えないんだもん」

「その言い方だとお兄ちゃん死んでるから相談出来ないんだけど」

「まあ、愛すべき兄ちゃんの為なら話を聞くのが妹の役目だから別にいいけどさ」

「流石我が愛すべき妹だ、今度勝負下着買ってやろう」

「狂ってんのか」

「とはいえ、逢花の言う通り無茶苦茶悩んでいるかって言ったら嘘になる、ただどうしてあげるのが一番ベストなのかなと思ってな……」

「ふーん、どうせ前条さんと虎尾さんと龍田さんのことでしょ?」

「……うん? ちょっと待て逢花よ、何故その名前を知っている」

「え? だって最近緋浮美が譫言みたいに三人の名前を繰り返し呟いてるし」

「ヤバすぎでしょ」


 前条は百歩譲って緋浮美は面識があるからいいとして……虎尾に関しても緋浮美の追跡能力を考えればまだ分からない話ではない。

 ただ龍田はおかしいだろ……彼女と顔を合わせたのは今日でまだ二回目なのに何でもう緋浮美のブラックリストに入ってんだよ……お兄ちゃん絶対盗聴器身体に埋め込まれてるよ……。


「……つっても、否定してもしょうがないしな、その三人で正解だよ」

「因みにその内の一人は例の仲直りしようとしている人?」

「それも正解、でもそれに関しては自分で何とかしようと思ってるからな――と意気込んでおきながらもう一ヶ月以上経ってるんだが……」

「あんまり長引かせない方がいいよ――って言いたいけどそれは兄ちゃんが一番分かってるだろうし、やっぱり怖いもんね」


 焦らず落ち着いて行こ? そしたらきっと仲直り出来るチャンスはあるから、と逢花は優しく笑ってそう言う。

 相変わらず逢花は天使としか言いようがない妹だな……、兄の交友関係なんて妹からすればどうでもいいと言われてもおかしくないないのに、いつもこうして気にかけてくれている。

 だからこそこんなエンジェルに汚らわしい虫が付いていないかいつも心配でならないのだが……もし男とかいたらお兄ちゃん胃潰瘍で死にそう。


「まあまあ、今は暗くなるような話をするつもりはないんだ、それも大事ではあるんだが、直近で抱えている問題は別にあるんだよ」

「ふうん? 一体どういう色ボケなのか聞かせて貰いましょうじゃないのさ」

「え……えっとな、兄ちゃんちょっとバイトしようかなって思ってる」

「兄ちゃん止めてよ! そんなことしたら死んじゃうよ!」

「地下労働でもさせられるんか僕は」

「それは冗談として。でも兄ちゃんがバイトなんてどういう風の吹き回しなの? 暇さえあれば部屋に籠もって如何わしいことしかしてないのに」

「なんてこというの……いや、やるにしたって短期だけどな、冬休みを利用してというか、そういう感じだ」

「ふうん? それがその人達とどういう関係があるの?」

「うーん……それを言われると難しいんだが……その人の為にも、多分そうした方がいいんじゃないかって気がしてな……」

「あー……成る程、そういうことね」


 逢花はそう言うと何とも気怠そう溜息を吐いて立ち上がり、炊飯器からご飯をよそって一杯目と同じぐらいのカレールーをまたご飯にかける。


「え? 何か僕変なこと言ったか……?」

「いやー? 言ってないよ? 要するに兄ちゃんのお節介魂がまた燃えちゃったってだけの話でしょ? いつもの話かって、そう思っただけ」

「いつものって……そんなに僕ってお節介か?」

「お節介というか、困っている人を見ると見過ごせないタイプ? でもそれが兄ちゃんだからさ、今更それを止めるっていうのも変な話だし、寧ろ応援したいぐらいだけど……ちょっと残念かなーって」

「残念って……、残念にならないような事が他にあるのかよ」

「逆にこれ以外で短期バイトをする意味があるのかって話だけどね」


 逢花は氷の入ったコップに麦茶を波々に注ぎ、それを一気に飲み干すと、椅子から立ち上がりカレンダーの方へ近づく。

 するとある数字をポンポンと人差し指で叩き、不気味な笑みを見せるのだった。


「二十四日……イエス・キリストの誕生を祝う日だな」

「クリスマスイブって言え」

「クリスマスは家族と一緒に過ごすものだっていつも言ってるでしょ! いつも麦茶の所をシャンメリーを飲んで、チキンディナーを食べながらデザートにケーキを頬張る、それ以外をクリスマスとはお兄ちゃん認めないからね!」

「兄ちゃん……私はそう言ってくれるのは凄く嬉しいよ? でもさ、兄ちゃんが幸せになってくれたら私はもっと嬉しいんだよね」

「な、何を言っているんだ……僕はお前達とクリスマスを過ごすことが一番の幸せに決っているじゃないか……ははは超ウケる」

「はぁ……全くしょうがないな兄ちゃんは……」


 法が許すというのであれば逢花と結婚したいとさえ思っているのに、全く僕の純情な心を弄ぶなんて……ぷんぷん! だぞ!

 そんな憤りを覚えていると、いつの間にか二杯目も食べ終えてしまった逢花がよいしょと声出して立ち上がり、突然僕にも立ち上がるよう指示してくる。

 何だろう……? 僕の想いが伝わったからキスでもしてくれるのだろうかと思いながら口についたカレーを拭き取ってから立ち上がる。

 すると。


 バフッと、優しい音を立てて逢花が正面から飛び込んで来たのであった。


「な――に――!?」

「こんなに自慢出来る兄ちゃんのことをもし誰も貰ってくれなかったら、その時は私が貰ったげるから、今は自分と目の前にいる子を大切にしてあげてね?」

「ぐふっ」


 まるで逢花が矢にでもなったのかの如く、胸へと深く刺さりこむ。

 そして見せる屈託のない笑顔……聖母マリアはここにいらしたのか。

 つうか虎尾の時にも前にも思ったが、子供っぽいあどけなさを残しておきながら言うことが一々先輩女性っぽいんだよな……。

 もし僕が逢花の後輩だったら卒業式の日に第二ボタンを食い千切っている所だ。


「あ、そうだ」


 もっとこの余韻に浸って、何なら抱きしめようとさえ思っていたが、何か思い出したのか、意外にもあっさりと離れられてしまい深い悲しみに浸らされてしまっていると、逢花がポケットから一枚の折り畳まれた紙を僕に渡す。


「はいこれ」

「何だこの紙? えっと……? 住所みたいなのが書いてあるが」

「多分兄ちゃんが悩んでる最後の一人って、多分ここに住んでいる人のことなんじゃないかなって思って、何処に住んでるとかどうせ知らないでしょ?」

「……え、えっと、確かに知らないのは事実だけども……逆に聞くけど何で逢花が知っているのかが気になるってレベルじゃないんだが」

「えっと……私って言うより、緋浮美が知ってたというか」

「やっぱりあの子ヤバすぎでしょ」


       ◯


 土曜日。

 阪急宝塚線を使い石橋駅で箕面線へと乗換え桜井駅で降りる。

 更にそこからバスに乗って移動したその先に、その家はあった。


「いや……豪邸じゃねーか……」


『前条』と書かれた大きな表札、そう、ここは前条朱雀の住む家であった。

 バスから望む景色を見ていた時から嫌な予感はしていたが、兎に角立ち並ぶ家々が富裕層の匂いをプンプンにさせており、前条の家もまたその例外ではなかった。

 頑丈そうな門の奥には綺麗に整備された庭があり、洋風な三階建ての家は横に広く、まさにザ・金持ちな雰囲気を醸し出していた。

 これが医者で成功した人間の財力なのか……正直めっちゃ帰りたい。

 しかしお見舞いをしない訳にはいかないし、何より行かなければ緋浮美をこの家にけしかけると逢花に脅された以上引き返す訳にも行かない……。

 というか全く連絡もせずにけしかけるような真似をして良かったのだろうか……でも前条のことだから行くと言ったら変に気を使わせそうだし……。

 まあ、追い返された時はその時だ、僕は何台も設置されている監視カメラに怯えながらも意を決すると、早まる心臓の鼓動に押されるようにして呼び鈴を押した。

 返事があるまでの時間が永久に感じられてどうにかなりそうだったが……、ややあって前条以上に起伏のない、低めの声をした女性の声が返ってくる。


『はい、どちら様でしょうか』

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