虎尾裕美はあなたがスキ? 11

「全裸…………ですか?」

「ああ全の裸と書いて全裸だ、後は分かるな?」

「はい……! よく分かりましたお兄様!」


 ふふ……中々聞き分けの良い妹じゃないか、緋浮美のそういう所、お兄ちゃん大好きだぞ。


「つまりいつでも診察可能ということですね! 早くここを開けて下さい!」


 あれえ? お兄ちゃん難しいこと言ったつもりないんだけどなー?

 至極シンプルにお兄ちゃん今入浴途中だから、すぐには入れられないんだよ、だから後で会おうねって意味だったんだけどなー?

 今更ではあるがどうやら妹には常識という二文字は通用しないようである。

 つうかドアノブをガチャガチャするの止めてくれないですかね、こええよ。


「落ち着け我が妹よ、お兄ちゃんは至って健康だ、何なら今から両手でお尻を弾いて理想郷ごっことかしちゃうぐらい精神的余裕がある」

「意味が分かりません! 兎に角早くお兄様の顔を見せて下さい!」


 やべえよ……このままだと宿泊客に迷惑どころかドアノブまで破壊されちまうよ……最早一刻の猶予もない、次の段階に移らなければ……。

 とりあえず扉から離れた僕は、小さな声で虎尾に呼びかける。


「おい、虎尾、まだそこにいるな?」

「当然いますけども……一体何が起こっているのでありますか? 何やら騒々しい声が聞こえますので、芳しくない状況なのは分かりますが……」

「ああ、どうやら質の悪い酔っ払いが暴れているみたいでな、部屋を間違えて怒鳴り込んでいるんだ、人違いだと言っているんだが聞いてくれなくてな……」

「それは大変でありますな……フロントに電話した方がいいのでは?」

「尤もではあるが最善とはいえないな」

「そうでありますか……え? 最善でしかないのは気のせいでしょうか」

「いや、それだと相手を不幸にさせてしまう可能性がある、折角のコミクラに来たのに楽しく終わらないと可哀想だろう?」

「既に気分は害していると思いますが……して、どう対処するのですか?」

「そうなんだがそれを説明する時間はなくてな……虎尾にまで危害が及ぶ前に行動に移りたいんだ、因みにもう着替えは済んだのか?」

「ええ……衣装も鞄の中に仕舞ってありますが」

「そうか、ならば善は急げ、早速取り掛かるとしよう」

「はあ……」

「まずはゆっくりとそこから出てきて耳栓をして貰えるか」

「全然意味が分からないのですが」

「お前を救い出すためにはこれが不可欠なんだ、頼む」

「わ、分かりましたよ……これでいいですか?」

「完璧だ、そうしたら次はこれを使う」

「それは……私の戦利品でありますが、今この状態において必要性を全く感じないのですが、一体どうするのですか……?」

「これはな……こうするんだよ!!」


 そう言うと僕は勢い良くその薄い本(女性向け)を、アンダースローで思いっきり扉に向かってぶん投げる。


「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!?????????????」

「おい! 静かにしないと気づかれちまうだろ!」

「アホなんですか!? 本気でアホなのですか!? 血の滲むような思いで手にした戦利品をあろうことかサブマリン張りのアンダースローで扉の下隙間を通過させるって正気なのですか!? スタイリッシュ過ぎる性癖暴露にも程がありますよ!」

「慌てるな! お前の手にした戦利品は必ず取り戻してみせる! だからこそまずは相手の出方を伺うことが先決だ! ちょっと待ってろ!」

「雅継殿が何をしたいのか最早私の範疇を大きく超えておりますよ……」


 そんな動揺を隠しきれていない虎尾を他所に僕はすぐさま扉へと駆け寄ると覗き窓から廊下の様子をチェックする。

 すると予想通り、そこには薄い本に喰い付く緋浮美の姿があるのではないか。


「クックックッ……案外チョロいもんだな、お前がお友達とやらにその世界へと導かれつつあるのは分かっているのだ……そして一度気になになると周りが見えなくなる性格も把握済み……ふひひ……お兄ちゃんを舐めるなよ……」

「雅継殿が気持ち悪過ぎるんですが……」

「おい、虎尾チャンスだ、今の内に一度も振り向かず部屋に戻れ」

「まるで振り向いたら元の世界に戻れないみたいな言い方なのですが」

「ある意味戻れんかもな、なあに心配するな、必ず薄い本は取り戻す」

「分かりましたよ……もう何が何だか……」


 そうして物音立てず、ドアをゆっくり開けると、緋浮美から死角になるようにして、僕は細心の注意を払いながら虎尾を自室へと戻す。

 虎尾が自室の扉を閉めるのを見送った所で、僕はようやく一息つくのだった。


「はあ……次から次へと何なんだ全く……流石に身体が保たんぞ……」


「ああお兄様……ようやく会えました……」


 突然背後から、背筋が凍るようで、蕩けるような声が聞こえる。


 しまった……虎尾を逃がすのに精一杯で扉を締めるのを忘れてた……。

 とは言ってもまた部屋に篭った所で同じ問答を繰り返すだけなので今だろうが後だろうが大差はないのだが……少しは休息をさせてくれよ…。


「本当に調子は悪くないのですか……? ちゃんとしたものを食べていないせいで何処か野垂れ死んでいないか私心配で夜も眠れませんでした……」

「緋浮美よ、人間二日飯食わなかったとしてもそう簡単に野垂れ死なないからな? ちょっとお兄ちゃんのこと見くびりすぎだぞ?」

「ところで……お兄様の部屋から突然こんな本が出てきたのですが……お兄様が裸になっていた理由ってその……」

「おやおや、これはやってしまいましたなあ」

「い、いえ、いいのです! たとえお兄様にこういうご趣味があったのだとしても私はお兄様を愛していますから! 寧ろ歓迎しているぐらいですから!」

「素晴らしいまでにフォローになっていないぞ……これはなえーと……あれだ、例の友人に頼まれて買ったものでな、決してお兄ちゃんの癖ではない」

「友人……そういえばこの部屋からお兄様とは違う輩の匂いがしますね……もしかしてその女、今おられるのですか」

「ははは、お言葉がお汚くなっているぞ、確かに一緒に行動はしていたのは事実だがある種のプライベートルームとも言える場所に女の子を入れる訳がないじゃないか、入れちゃったらもうそれはそういう意味になっちゃうだろ」

「あ、ごめんなさいお兄様……そ、そうですよね! ただのご友人である方とそんな合体なんてする筈がありませんよね、私ったら早とちりを……」


 僕から言わせればそんな猥褻な言葉を続々と緋浮美に注入させているご友人との関係性の方が不安でならんがな、お嬢様学校の治安が僕心配。


「お兄様、私が来たからにはもう大丈夫です、お兄様に群がる下劣な者共は全て排除致しますから、安心してコミクラをお楽しみ下さいませ」

「…………ん? お前もしかしてコミクラに参加しようとしてるのか?」

「勿論そうですが、何か問題でもございましたでしょうか?」

「あるも何も問題は積載しているような気がするが……第一母さんはどうするんだよ、何も言わずに勝手に出歩くのはまずいだろ」

「お母様は東京を練り歩いていますし、逢花は大会で知り合ったお友達に会いに行くみたいで、お父様と会うのも明後日ですから――それにお母様は明日はお兄様と一緒にいたいと言いましたら二つ返事で了承を頂きましたよ?」

「二つ返事というか生返事な気もするがな……」


 母さんは変な所で放任というか、息子娘に一任する節があるし……。


「本当は今日もずっとお兄様といたかったのですがそれは駄目だと言われてしまいましたので名残惜しいのですが……明日はお兄様ずっと一緒です!」


 そう言って満面の笑顔を見せる緋浮美。

 おお……なんと眩い笑顔だ、とてもこれから魔窟へと向かう者の顔とは思えん。

 ……まあ、この同人誌に興味持っているのだからコミクラの光景を見たぐらいで赤面するなどという純朴さを見せないだろうけども……。

 こうなってしまうと緋浮美をコミクラに行かせない訳にも……というか行かせないと多分卑劣な兄のレッテルを貼られて親の鉄槌が下る。


 ただな緋浮美……お兄ちゃんが不安なのはコミクラに行くことじゃないんだ……。


       ◯


「まーくんこの女は誰かしら」

「お兄様この女は誰ですか」


 二人は邂逅した瞬間、開口一番にそう言うのだった。


 おなかいたい。

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