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「着替えは必要か?」
治療を終え、後のことをバージの母へと託し急ぎ家の外へ出ると、そこには無表情のダリルがいた。怒っているのかも不機嫌なのかも解らない声にアンナは短く「いいえ」とだけ答えた。
「なら急ぐぞ」
壁に寄りかかっていた体を起こし腕組みをほどくと、ダリルは足早に大通りへと歩き出した。どんどんと先へ進むダリルをアンナは小走りで追いかける。
「荷物が無い……」
門の近くへとつながれた馬の姿にアンナは思わず声を発した。
「お前の荷物ならさっき渡しただろ」
怪訝な顔で振り返るダリルに、アンナは首を横に振った。
「今朝積み込んでいた、水や非常食はどうされたのですか?」
「……速度を優先するために、全部お前の家へ置いてきた」
つないでいた手綱をほどきながらダリルは言葉を続ける。
「あれは途中で何かあった時のための備えだ、無くても問題はない……が、確実に次の町へたどり着かなければならない理由は増えた」
「私のせいだと、言いたいのですか」
棘のある言い方にアンナが棘で返すと、あからさまなため息とともにダリルの視線がこちらへと向けられる。
「違う、これから起こることを覚悟しろと言っている」
手綱を引き、馬を通りへと導くとダリルはアンナを手招いた。
「俺の足を踏み台にして先に乗れ」
有無を言わさない強い口調と、差し出された膝の上に組まれた左右の手。アンナは反論しないという覚悟を決め素直に指示に従った。
アンナの前へ騎乗したダリルは後ろを振り返ることもなく淡々と指示を伝える。
「肩から下げた荷物は前で抱えてくれ、それからできる限り俺との距離を詰めてしがみついてろ、あとは……そうだな喋るな。舌かむぞ」
言われた通りごそごそと身支度を整え、アンナは恐る恐るダリルの腰へと腕を回す。
「そんな力じゃすぐに振り落とされるぞ」
ため息交じりのダリルの声にもアンナは反論せず、自分の左手首を右手で力いっぱい掴んだ。
「すまないヴェール、頼むぞ」
馬の肩を軽く叩きながら、ダリルが呟いた声だけがひどく優しく響いた。
ガクッと落ちる浮遊感とその瞬間突き上げる衝撃に何度も声を上げそうになる。ダリルの腰に回した両手は指先の感覚が既に無く、掴んだ手が外れるのも時間の問題だった。アンナはぎゅっと瞳を閉じ早く目的地に着いて、早くこの時間が終わって、と何度も祈るしかなかった。
衝撃が緩まり、風の流れが穏やかになった気がしてアンナが瞳を開くと、そこはすでに建物が立ち並ぶ町中だった。夕闇の中、石畳に蹄の音が響く。
「着いたぞ、今日の宿だ」
ダリルの言葉を合図に腰に回していた腕をほどく。一度緩んだ緊張は元に戻ることなく、ガタガタと小刻みに震える両手をアンナはただじっと見つめていた。
「降りられるか?」
いつの間にか馬から降りたダリルが、下から手を差し伸べていた。その手を頼りにアンナは滑り落ちるように馬から降りる。途中でアンナの手に力が入っていない事に気づいたダリルは、抱きかかえるようにアンナを受け止めた。そのままゆっくりと石畳へ降ろすと、ガクッとアンナの体から力が抜けるのが解った。
「おいっ、大丈夫か」
ダリルの腕を掴んだアンナの手が小刻みに震えている。返事のないアンナへもう一度声をかけると、かすれた声が音を発した。
「足に……力が入らない」
「は?」
「わっー待って、待って」
今にも崩れ落ちそうなアンナの体勢と焦った声に、ダリルの戸惑いが重なった。
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