3

「はぁ――、何なのだ……あの女は」


深いため息とともにダリルが馬上で項垂れた。視界に入る影は色濃く縮まり、急ぎ見上げた空には真上に近づこうとする太陽があった。

短く強くフッと一呼吸つくと、ダリルは何かを決意したかのようにさっと馬から降りた。




バタバタと重なり合う2つの足音が乾いた土煙を舞い上がらせる。


「アンナっ! こっちだ!」


見慣れているはずの村人の顔が別人のように狼狽し、焦りがにじみ叫びにも近い声が足を止めることを許さない。角を曲がり、呼吸を整える間もなくたどり着いた場所は見知った幼馴染の家だった。


「おばさんっ! アンナ連れてきたよ!」


荒い呼吸を落ち着かせるために、はーっと長く息を吐きアンナは家の中を見渡す。むせ返るほど濃い血の匂いの中心に幼馴染の姿があった。


「バージ!」


彼に駆け寄りボタボタと流れる血の出所を確かめる。右肩の少し下、二の腕辺りを押さえる左手の指のすき間から、止まることなく赤黒い液体が流れ出ていた。


「バージ、そのまま傷口をぎゅっと押さえてて」

「悪いなアンナ……このぐらい舐めときゃ治るって言ったんだが」

「真っ青な顔して、そんな強がり言わないの」


すぐ近くで心配そうに様子を見ていたバージのお母さんが、大きな白い布をアンナへ差し出した。


「これ使えそうかい?」

「ありがとうっおばさん、あとたくさんお湯を沸かしてもらえる?」


バージのお母さんは少しぎこちなく微笑むと小さくうなずいた。


「今やってるよ、布も好きに使って」


アンナは渡された大きな布を半分に裂き30cm程の幅に折りたたむとグルグルと丸く筒状にした。それをバージの右わきへと挟み込み、残った布を10cm幅に裂き始める。アンナをここまで連れてきた村人も手伝いを申し出で、作業を引き継いでいく。


アンナは細長い布をバージが押さえている傷口よりも上へぐるっと巻くと、そこへ台所から借りたスプーンを差し込んだ。スプーンと一緒に布をねじると先ほどよりもきつく腕に布が巻き付いていく。


「バージ、そっと傷口から手を離して」


アンナの言葉に、恐る恐るバージが左手を退けるとぱっくりと割れた傷口が現れた。だがドクドクと流れ出る赤い液体は勢いをなくし、ナイフで切ったようにきれいな傷口は今にも元通りにくっつきそうだった。


「だ……大丈夫そう? な、アンナどうなんだよ」


バージの不安が溢れる声に、にっこりと微笑むとアンナはもう一度左手を傷口へ重ねさせた。そのままぐるっと方向を変え、村人が裂いてくれた布を持ち台所へと急いだ。


台所ではグツグツと煮立ったお湯を、ぼーっと見つめるバージの母の姿があった。


「おばさんっこれから包帯を作るから、この布どんどん沸騰消毒しちゃって」


いつもより元気を上乗せして声をかける。


「あぁ、ごめんなさい……ぼんやりしてたわ」


ダメね、とぎこちなく笑うバージの母の背にアンナはそっと手を添えた。


「骨も、神経も、血管も傷ついてなかったわ、傷口が塞がれば腕も元通り動くから」


ただまっすぐに彼女の瞳を見つめ、ゆっくりと瞬きをする。つぼみが花開くように微笑みながらアンナは言葉を続けた。


「だから、大丈夫よ。おばさん」


「あぁアンナ……」


ありがとう、声にならなかった言葉がしわくちゃに崩れた表情から聞こえた気がした。




「バージ、解ってると思うけど……これから傷口を縫います」

「やっぱりかっーーーー!」


あ゛―と天を仰ぐバージの姿を横目で見ながらアンナは縫合の準備を進める。


「だからアンナを呼びたくなかったんだよ」

「何言ってるの、私じゃなかったら危なかったわよ。それに私の刺繍の腕は知ってるでしょ?」

「余計に怖いわ!」


当たり前のような掛け合いに思わず笑みがこぼれた。


「それだけ元気なら大丈夫そうね、あまりおばさんに心配かけないのよ」


「ああ、今日はすまなかったな……せっかくの門出なのに」


アンナは静かに首を振った。


「必要なことは全部おばさんに伝えたから、出されたものはご飯も薬も全部、完食すること。いいわね」


「勉強がんばってこいよ」


「熱が出たら我慢せずに薬草煎じて飲みなさいよね」


「辛いことがあったら我慢せずに弱音吐けよ」


「時々でいいから、ナユトのこと助けてあげてね」


かみ合わないようで、かみ合っている幼馴染の距離感が、灰色だったアンナの心に温かいものを灯してくれた気がした。



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