2

テーブルに置かれた革袋から、金属が重なり合う音がした。母へと説明を続けるダリルの声よりも鮮明にアンナへ届いたそれは、心をより一層冷たくさせた。


「お姉ちゃん……」


小さな手がアンナのスカートをぎゅっと握る。まだ母へと説明を続けるダリルに一礼をし、そっと席をたった。小さな手を取りそのまま部屋を出る。

当たり前に過ぎていくいつもの朝と同じように、すっと冷たい外の空気がそこにはあった。それでも変わりゆく現実に心が追い付かない。


「お姉ちゃんどこかに行っちゃうの?」


ゆらゆら揺れる大きな瞳がアンナを不安そうに見上げている。まだ幼い弟のナユトは、突然姉がどこかへ連れて行かれるということだけを理解したようだった。アンナはぎこちなく微笑むとナユトの目線に合わせるように膝をついた。


「大丈夫よ、半年間……王都に行くだけだから」


断るという選択肢は初めからどこにもないようだった。


「秋には帰ってくるわ、二度と会えなくなるわけじゃないのよ」


アンナは優しく弟の髪をなでる。


「アンナ……」


悲しみを含んだ母の声が聞こえ、振り向くと部屋で話していたはずの二人がすぐ近くに立っていた。


「ナユト、お母さんを守ってね、畑の世話もお願いね」


アンナがさっと立ち上がると、追いかけるようにナユトが腕をつかむ。今にも泣き出しそうなナユトの瞳が、解らないものへの不安を全て代弁してくれているようで、アンナは再びナユトへ向き直ると、そっと引き寄せ優しく抱きしめた。


「大丈夫よ」


まるで自分に言い聞かせるように、アンナはナユトへ言葉を届ける。


「必ず帰るから」





何十年かに一度才能がある女性を選抜し、宮廷で学べる機会を与える。剣術に秀でた者、知識に秀でた者、選抜理由は様々で彼女たちは聖女候補と位置付けられる。

男性だけでなく秀でた女性も等しく国の宝であり、昔“聖女”と呼ばれた女性にならい作られた制度だとダリルが教えてくれた。そして、半年間専門的に学び最終試験に合格すれば国の後ろ盾を得られると。


だが、それは王都や街では当たり前の制度であっても小さな村には詳細など伝わってこない。

候補に選ばれることは、とても名誉なのかもしれない。でも、まさか家族にお金が渡されるとは思いもしなかった。


「これでは、まるで……」


売られていくようだと、アンナは唇をかみしめた。


「ここから王都まで早馬でも二日はかかる」


水や食料、必要最低限の物資を馬へと積み込みながら、ダリルはこれからの予定をアンナに説明していく。


「二人乗りでスピードも出せない、野宿はさせられないから途中で町による」


「はい」


「あまり荷物は持っていけない。これ以上馬に負担はかけられないからな」


準備が整った馬へと、ダリルが颯爽さっそうと跨る。


「必要なものは王都でそろえてくれ」


馬上から声と共に手を差し出される。アンナはその手とダリルを交互に見つめ、ため息に似た小さな呼吸をした。

差し出された手に自らの手を重ねようとした時、微かにアンナを呼ぶ声が聞こえた。アンナは声の主を探そうと辺りを見回す。


「アンナーっ――」


通りの向こうから大慌てで駆けてくる人影が見え、アンナは様子を伺うようにそちらへ数歩あゆみよる。何かを伝えようとする声は、言葉として聞き取れず風にかき消されていく。


大変、怪我、血が、なんとか聞き取れた言葉はアンナの行動を決定づけるには十分で、素早く外套がいとうを脱ぐと肩から下げていた荷物と一緒にダリルへと差し出した。


「これ預かっていてください、必ず戻りますから」


アンナの言葉にダリルの表情が険しくなる。


「急ぐと、先ほど説明したはずだ、ここで足止めされると夕暮れまでに次の町へたどり着けない」


「すみません、行かせてください」


ダリルの言葉を待たずに外套と荷物を馬の背へ乗せるように投げ、通りへと走り出す。アンナの行動にダリルの声がきつく辺りに響く。


「お前が行かなくても、どうにかなるだろう!」


その言葉に立ち止まりアンナはダリルを見上げる。


「この村に医者はいません、どうにかなる状況じゃないから呼びに来たのが解らないのですか!?」


「おい、アンナ」


それでも引き留めようとするダリルを、アンナはギッっとにらみつける。


「誰かの都合で判断するのではなく、私は自分が正しいと思うことします。あなた方が求める聖女とはそういう存在ではないのですか」


ダリルの返答を待たず、アンナは走り出していた。



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