聖女となる日。
篠宮 ゆたか
第一話 信じる者は救われますか?
1
選ばれし乙女 数多の希望となり ラキレスの地に光降りそそがん
古くから伝わる伝承は抽象的で今すぐに空腹を満たしてくれることも恵みの雨をもたらしてくれることもない。
王都から離れた辺境の村では伝承はただの昔話として親から子へと語り継がれている。選ばれた女性が数々の偉業を成し遂げ、後に聖女と呼ばれた。だから清く正しく生きなさい。善い行いを積み重ねなさい。ラキレス地方に生まれた女性は皆、幼い時からこう言い聞かせられてきた。
「雨、降らないかな……」
夜明け間近の薄暗い空に目を向け、アンナは足元に広がる畑の現状を憂いた。土は渇き、伸びた葉がしな垂れ地面に近づこうとしている。
ふと目についた雑草を引き抜こうと畑へと足を踏み入れると、遠くから
「そこの娘、この村にアンナと言う人物はいるか」
馬の鳴き声、その場へ止まろうとする蹄の音、声の主へと馬上に視線を向けると
「アンナですか……」
思案するふりをしながら男を観察すると、甲冑に紋章らしき模様が見えた。どこかの身分ある人物らしい。探し人の顔も知らずアンナ本人に居場所を尋ねる間抜けではあるが。
「あの、まずは馬を休ませてはいかがですか?」
一体どのぐらいの距離を走ってきたのか解らないが、馬は泡を吹き気が立っているのが見て取れた。
「すまない、その言葉に甘えさせてもらう」
男は馬の肩を軽く叩き、さっと身軽な動きで馬から降りた。
家畜たちが使う水飲み場へと、男を案内する頃には辺りは柔らかい朝日で包まれていた。
「お前、名は何という? 大方アンナの知り合いだろう」
「どうして、そう思われるのですか?」
最初に感じたほど間抜けではないらしい男に、アンナはにっこりと微笑み返す。
「どうも見定められている感じを受ける」
馬から降りた男は、アンナより20cmほど背が高くダークレッドの髪がサラサラと風に揺れていた。
アンナの崩れない微笑みに、男は息を吐き近くの柱にもたれながら腕を組んだ。
「詳しいことは話せないが、俺は王都からの使いだ」
「は?」
思わず発した言葉を隠すようにアンナはさっと口元を覆う。先ほどはよく見えなかった甲冑の飾りが視界に入る。
「王都、騎士団の紋章……」
「理解が早くて助かる、騎士団所属のダリルと言う。アンナの元へ案内してもらえるか」
アンナは思考を巡らせるが、王都からの使者など身に覚えが無さすぎる。だがこのあたりの村でアンナという名は自分一人のはずだ。んーと考え込んでいるとダリルが小さく息をついた。
「もういい、他を当たる」
世話になった、と歩き出すダリルをアンナはとっさに引き留めてしまう。他の村人に尋ねられたら、隠し通せない。
「あの……アンナは私です」
「やはりそうか!」
ダリルの思いがけない反応にアンナは不信感をあらわにする。
「やはり、とはどういう意味ですか?」
「少し聞いていた話と違ったので、確信が持てなかった」
アンナへと向き直り、ダリルは品定めをするように下から上へとじっくりと視線を動かしていく。
「素直で器量の良い娘だと聞いていたのだか……」
ダリルとアンナの視線が交わる頃には、ハッとするような美しい微笑みがあった。
「王都の騎士様とお話しするようなことはありません。どうかお引き取り下さい」
初めからこうすればよかった、とアンナは微笑みを崩すことなく、さっとダリルの横を通り抜ける。
「まっ、待ってくれ、今のは俺が悪かった」
気まずそうにダリルがやんわりとアンナの腕をつかむ。
「出来ればご家族とも一緒に話がしたい。会わせてもらえないか」
「……あの本当に身に覚えが無いのですが、人違いではありませんか?」
ぐっと近づいた二人の距離に、交わる視線に、ダリルが発した言葉にまで熱を感じる。
「いや、君だアンナ。君は選ばれたんだ……聖女候補に」
ただの昔話が、日常を壊していく音がした。
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