第3話

 派遣OLの恵利えりさんたちとの飲み会の日は、典型的な梅雨の天気だった。

 俺は、合コン会場の店の最寄り駅の新橋に午後六時に着き、もう一人の参加者の男性の博との待ち合わせ場所である喫茶店に入った。博はすでに来ていた。俺は博に合図すると、カウンターでアイスコーヒーを注文した。

「おつかれ。今日はよく来てくれたね」

 俺は席に着くと博に言った。他に呼べる当てがない中、合コンに来る理由もないのに参加してくれたことに、博に大いに恩に着ていた。

「彼女とは順調なの?」

「まあ、そうかな。というか、まだ付き合い始めたばかりでわからない」

 博には相談所で出会った交際中の彼女がいた。

「いや~、よかったね。おめでとう。でも、今日は内緒にしてね。まあ、実のところ、あまり期待できない合コンなんだけど」

「うん。わかってるよ。それよりもいい店取れたね。俺はそっちの方が楽しみかも」

 博は実際まったく合コン的なスタイルではなかった。Tシャツにカーゴパンツという近所のコンビニに行くようなファッションだった。俺は合コンの話はひとまず置いておいて、博に彼女のことを訊いた。博によると、三三歳で都内の会社で経理の仕事をしている人ということだった。

「どこにデートに出かけたの?」

「ベタに遊園地だよ」

「遊園地か。それもいいかもね。ジェットコースターでドキドキ感を高めて、観覧車で告白という感じかな?」

「まるで見てきたみたいだな」

 博は驚いた顔をした。

「この歳になれば、それくらいわかるよ。まあ、ともあれ、これで結婚に向けて大きく前進したわけだ。結婚式には呼んでね」

「そうだな~。そうなるのか。でも、まだ先だな」

 博は遠い目をして言った。


 俺たちは時間になると、小雨の中、コリドー街にあるイタリア料理店に向かった。

 恵利さんとその連れの奈央子なおこさんが時間ちょうどの六時半に到着した。奈央子さんは、恵利さんの高校の同級生で保母さんをしているということだった。奈央子さんも華やかさはなかった。眉が太く、どちらかというと男顔だった。乾杯した後、料理をオーダーし、その後、自己紹介に入った。

 博の霞ヶ関勤務の国家公務員という身分は、アピールするかもしれなかったが、博はただ「下っ端の公務員」と自己紹介したため、食付きが良くなかった。俺の場合は、収入面は期待できないと感じさせるものがあったが、やはり在宅勤務という勤務形態は興味をそそるようだった。「よくさぼらないで仕事できますね」と恵利さん。「ずっと家で一人でパソコンに向かってるなんてわたしにはできない」と奈央子さんは言った。俺が「自分は引きこもり気味なので、在宅勤務マンセーです」と言ったら、奈央子さんは、複雑な表情をした。

 続々と届いた料理を恵利さんが取り分けてくれた。カルパッチョ、チーズの盛り合わせ、サラダなど。色とりどりの料理はどれも美味しかった。人気店だけあるな、と思った。俺はワインにもイタリア料理にも疎く、うんちくを語れないのが歯痒いというか、残念であった。しかし、いくら店や料理が良くても、合コン的にはそれらは最低限の要素だ。それらが合コンの成功に寄与する割合は、面子に比べてはるかに低い。どれほど知り合い、どれほど和むかで合コンの成否は決まる。とはいえ、俺は二人の内のどちらかと親密になりたいという気になれそうになかった。もっともそれは織り込み済みだったが。

 俺は、保母さんの仕事に興味をそそられた。奈央子さんの話から重労働で、監視カメラがあり、精神的にもきつく、持ち帰りの仕事もあるという、ブラックな面が多い職業だということがわかった。

「子どもは好きですけどね」と奈央子さんはボソッと言った。俺は何か搾取的なものを感じた。若い女性は搾取されやすい。昔、校正の仕事で勤めていた職場は、俺以外は全員女性で皆時給八五〇円かそこらで働くパート労働者だった。俺は三カ月で運良くより高待遇の会社に転職できたが、そのとき一人の同僚は俺が辞めるとき、「もっと会社のことを考えてほしかった」とメールを送ってきた。どう考えても、結果は同じだ。一介のパート労働者が会社のことを考えて、より高待遇の職場を蹴るなどということは転倒している。とにかく女性のパート労働者は異常にガバナビリティが高い(それは要するに空気を読み、適応することである)。確かに美人でもなければ、能力もない女性が職に就くにはそうした適応力を身につけるしかないのかもしれないが、雇用者はそこにつけ込む。会社の都合の良いように使って、使い捨てる。雇用者は、女性は結婚があるから、と言う。しかし、誰もが結婚できるわけではない。結婚できない女性のことは何も考えてないのである。奈央子さんの職場は、まさにそういうところなのではないか、と思ったが、合コンの席で口にするようなことではないと感じた。

「休日は何をして過ごしてますか?」という恵利さんの質問から、趣味の話へと移った。ダイビングが趣味の博は、沖縄やその他いろいろな場所でのダイビング体験の話をした。奈央子さんもまたダイビング体験があり、二人はダイビングの話で盛り上がっていた。俺は映画鑑賞と飲み歩きという、趣味と言えそうな活動を答えた。

「どんな映画が好きなんですか?」

 恵利さんが質問してきた。

「そうですね。昔はフランス映画をよく見てましたけど……。今はどの国の映画でも見ます。でも、あまり大作物は見ないかな」

 恵利さんは今上映中のフランス映画のラブコメディを見た、と言った。俺はその映画については知らなかったが、そこに出ている俳優を知っていて、その俳優が出ている他の映画を挙げた。恵利はその映画は見ておらず、今度見てみます、と言った。そこでは他の二人はかやの外だった。趣味の反応で、ペアが決まった。

 表面的な会話の域を出なかったが、時間が過ぎ、ワインのボトルを二本ほど開け、パスタと肉料理を平らげた。普段あまり飲まないワインのせいか酔いが早まった。


 合コンは一次会で解散した。恵利は蒲田、奈央子は埼玉、博は西東京方面なので、俺と恵利は同じ方角だった。恵利は京浜東北線で、俺は東海道線だったが、俺は恵利が京浜東北線へのホームのエスカレーターの前まで来たとき、「これから、横浜で飲みませんか?」と誘った。

 その結果、二人で東海道線に乗ることになった。恵利は電車の中で、GW中に行ったという沖縄旅行の話をした。恵利の声のトーンが合コンのときよりも少し上がっていた。俺はと言えば、自分の思い通りになったことに半ば喜び、半ば後悔していた。まだ飲み足りなく、たまたま恵利が同じ方角だったから誘っただけだ、というのはこの状況では通じない。男女関係を意識しての行動と取られることは明らかだ。まじめに付き合う気がないのにヤルのは明らかに理沙とヤルよりも悪いことだ。理沙とは遊びという前提があるが、恵利は違う。もしこのままセックスまで行ったら、それで終わりというわけにはいかない。恵利がおしゃべりになればなるほど、俺はますます冷静になっていった。

 横浜に着いたとき、時間は一〇時近かった。電車を乗り継ぎ、吉田町にあるバーに向かった。カウンター中心の薄暗いバーだった。俺たちが店に入ったとき、八割くらいの混み具合だった。俺たちは先客が詰めて、空いたカウンター席に座った。

 恵利は女子が好みそうな見た目が派手なカクテル、俺はジントニックを注文した。

「この辺は初めて来ました。この辺詳しいんですか?」

 俺は恵利の妙な上目遣いが気になった。

「まあまあかな。この通りは、バーが乱立している有名な通りなんだ。この店もそうだけど、店内にはジャズが流れてて、冬になると、通りにもジャズが流れるという……珍しい通りだよ」

「へぇ~、おもしろいですね。ジャズですか。わたしはあまり聴かないな。ジャズ好きですか?」

「いや、正直あまり。嫌いではないけど、家では聴かないな。でも、バーには似合ってるかも。ジャズはあまり気にならないから。普通、こういうバーに来る客は、音楽聴きに来るわけじゃないでしょ」

「ですね。ジャズはバーの定番ですよね。たぶん。わたしはバーにあまり来ないので、よく知りませんが」

「この辺はいわゆるオーセンティックなバーが多いんだ。この店もそうだけど、バーテンが正装してるでしょ。オーセンティックなバーでは、だいだいジャズがかかっているような気がする」

「なるほど。確かにそんな感じですね。重厚というか」

 どこかスノッブな会話だった。俺はバーに対するうんちくを傾けて、いわゆる尊敬される男の役割へと自らはまっていることに酔いつつも、これで良いのか、と自問せずにはいられなかった。

 やがてお酒が来た。

「すごく美味しいです。飲みます?」と恵利。俺の注文したジントニックも居酒屋で出るようなものとはまったく別物で圧倒的に美味しかった。俺たちはお互いのドリンクを交換した。

 恵利のドリンクは、パイナップルがグラスに挟まっているゴージャスなものだったが、味は甘くて、俺の口には合わなかった。このドリンクだけで、恵利のこの時間への思い入れが伺えた。彼女の生活の中で、デートなどめったにないのだろう。恋愛に向いている子ではない。だからこそ、彼女はすでに行くところまで行くと決めたのかもしれない。しかし、俺はこれ以上は進まない。少なくとも今日は。

「そう言えば、猫、飼ってるんですよね。羨ましいなあ。わたし、今住んでるところはペット禁止なんですよ。飼えたら、飼いたいんですけど」

「猫を?」

「そうですね。飼うなら、猫ですね。わたし好きなんですよ。猫カフェにも行ったことあります」

「楽しかった?」

「はい。だけど、ああいうところの猫って、結構ストレスあるんじゃないかって思います。動物園の動物みたいなものですから。だから、どうも反応がいまいちな感じがしましたね。山本さんは前から猫が好きなんですか?」

「……いや、あるとき、急に可愛いと思うようになったんだ。家の近所の野良猫の子猫を見て。それまではなんとも思ってなかったんだけど。不思議だね」

「何かがヒットしたんでしょうね」

「そのときの精神状態のせいかもしれないな。ちょっと落ち込んでた時期だから」

「何があったんですか?」

「……まあ、ありふれたことなんだけどね。要するに失恋だよ」

 俺は京子のことを話した。

「そうだったんですね。わたしの場合、そういうのはもうだいぶ前ですね」

「最後に付き合ってたのはいつ?」

「もう二年以上前になるかな。相手は飲み会で知り合った人でした。中学の社会科の先生で、わたしよりも五つ上でした」

 恵利が言うには、その元彼との約半年の交際では、何か決定的なことがあったわけではないが、徐々に疎遠になっていった、ということだった。

「たぶんお互いに共通することが少なかったのが問題だったように思います。何か共通の趣味でもあれば違ったんでしょうけど」

「なるほど。共有できるものがないと、なかなか親しくなれないよね」

 俺は恵利と話していて、もしその気になれば、今日にでも恋人同士になれる気がした。心なしか話すとき、恵利の顔が近づいているようだ。最初のドリンクを飲み干し、追加オーダーしたら、終電を逃すというパターンになりそうだ。

 俺は恵利に欲望を感じなくはないし、性格的にも悪くないと判断していたが、付き合うことに何かが反発していた。交際しても喜びがないような気がした。それは性的魅力に乏しいせいなのか、と思ったが、性的魅力があれば付き合うのか、と考えるとそうとも言えなかった。とすると、結局のところ、精神的態度の問題ではないだろうか。たとえば、貧乳でも、それが魅力的に見えることもある。それは貧乳を隠さない場合だ。貧乳を服装などでカバーするや否や、貧乳は欠点以外の何物でもなくなる。ところが、一目で貧乳とわかる服装をすれば、そこに強い態度を感じられる。そういう強さが魅力に転ずるのだ。たぶん京子にはそういうところがあった。服装からして、ミニスカが基本で、およそOLらしからぬ服装だった。海外旅行経験も豊富、恋愛でも積極的という、現代っ子だった。そうした自由奔放さのために俺は振られたとも言えるが、それでもそういう子と付き合いたいと思う。

「それ飲んだら出ようか」

 俺は先にジントニックを飲み干していた。

「あっ、はい」


 電車の中で恵利からの今日のお礼のLINEのメッセージに応えた。この顛末に俺は自分を褒めたかった。俺も大人になったのだ、と初めて思った。

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