第27話 悪逆非道を討つために

 彼は森の中にいた。さわやかな空気と、あたたかな日の光、やさしい土の香りを浴びて、小鳥のさえずりを子守歌に、まどろみのゆりかごに身を任せていた。

 こんなに穏やかな空間は、ずいぶんと久しぶりのような気がする。生まれてこの方、初めてのような気さえする。同時に、こんな感じの森には、以前にも、来たことがあるような気がする……。

 己の内に生まれた矛盾に困惑していると、何者かが、草を踏んで、こちらにやってくる音がした。

 ああ、そうだ。自分は、この足音を、知っている……。

 やがて、茂みをかき分けて、足音の主が姿を現した。


「食え」


 それは、一尾のアジフライ。直立するアジフライは、彼に顔と思わしき部分を向けて、言葉をかけてきた。


「食え」


 彼は震えた。背骨をつたって蛇が登ってくるような、冷たい感覚に。喉が、唇が震える。


「い、いやだ」


 やっとのことで返した言葉を、


「食え」


 目の前のアジフライは一瞬で叩き落とす。


「食え」


「い、いやだ」


「食え」


「む、むりだ」


「食え」


「ほんとにむりなんだよ」


「食え」


「食欲がないんだ」


「食え」


「ほんとにむりなんだって!」


「食え」


「やめて……」


「食え、食え」


「やめてくれ……」


「食え、食え、食え」


「やめてくれよ……」


「食え、食え、食え、食え」


「や……」


「食え、食え、食え、食え、食――」


「やめろおっ!!」


 彼はアジフライを突き飛ばした。アジフライは、背中と思しき部分から地面に倒れ込んだ。


「食え……」


 しかしアジフライは、何事も無かったかのように立ち上がる。


「食え……!」


 それは、森に響き渡り、彼の頭の中にも響いてくるような、恐ろしい声音であった。

 やがて、アジフライの声に呼び寄せられたのか、二尾、三尾と、新たなアジフライが姿を見せる。


「食え」 「食え」


 四尾、五尾。


「食え」 「食え」 「食え」


 その数はどんどん増えていく。


「食え」 「食え」 「食え」 「食え」


 アジフライの増加は止まることを知らない。


「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」


 彼はついに、大量のアジフライに囲まれた。


「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」


「いやだ、むりだ、だめだ、許してくれ」


「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」


「やめ……やめて……やめて、く、れ……!」


「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」

「食え」 「食え」 「食え」 「食え」

  「食え」 「食え」 「食え」


「うるさいぃっ! 誰がなんと言おうと、俺は絶対食わないぞぉっ! アジフライなんかに、負けるものかあっ!」


 アジフライの大群に責め立てられ、彼が爆発した、そのとき。


「あ……」


 アジフライは、「食え」と言うのをやめた。


「ああ……」


 ただ、「あ」という声を漏らすのみになった。

 許してくれたのか。

 安心したのも、束の間。


食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え!!」


 それは叫びに変わった。


「ひぃっ!!」


食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え!!」


「あ、あ、あぅ、あ……!」


食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え食え!!!!!」


「ウワア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!!!!」


「――ギトちゃん! ギトちゃん!!」


「はっ!!」


 彼は、自分を呼ぶ声に、目を覚ました。

 「ギトちゃん」とは、彼のこと……元にゃん黒四天王、ギトニャンのことである。


「ギトちゃん、ああ、かわいそうに、またアジフライの夢を見たのね……」


 枕元で、祖母が、泣いていた。

 この人は、自分のために、涙を流してくれる。

 そうだ、自分は、このだいすきなおばあちゃんのために、おばあちゃんに楽な生活を、叶うならば贅沢な暮らしをさせてあげるために、にゃん黒軍団に就職したのだ。

 それがいつしか、にゃん黒軍団としての破壊活動自体が、目的にすり替わってしまって……。

 数々の悪事を、働いてしまったのだ。


「ギトちゃん、ギトちゃん。もう安心よ。ここにはアジフライはないのよ。衣のカスさえ入らせはしないわ。何があっても、おばあちゃんが絶対守ってあげるから。こわがらなくていいのよ……。」


 それなのに、こんなに汚くて、罪を背負った穢らわしい自分なのに、この人は、そんな自分を抱きしめて、涙を流してくれる……。

 祖母だけではない。実家にいる家族みんなが、自分のことを愛してくれている。

 ギトニャンは涙した。そして改めて、更生することと、何があっても祖母を、家族を守ることを決意した。


「すいませーん!」


 家の外から、声が響いてきた。その若い声に、ギトニャンの毛は逆立った。


「ギトニャン、くん? まあとにかく、ギトニャンいませんかー?」


 祖母が、窓から外を覗いた。


「あっ、アジフライ! 天ぷら……唐揚げ! ギトちゃんをいじめたやつら!」


 全ての元凶。アジフライの魔法剣士の一行だ。


「ギトちゃん、だいじょうぶだよ。ここにいるんだよ。あたしが追い払って――」


「いや、いい」


 ギトニャンは、立ち上がった。


「俺が、ケジメつけてくる」


 いつまでも、おばあちゃんに甘えているわけにはいかない。


「でも、アジフライだよ、血も涙もないカリカリのアジフライだよ」


「大丈夫だ。もう、怖くない」


 アジフライへの恐怖は、もう、ない。

 そんなことより今は、家族のことのほうが、よっぽど大事だ。

 むしろ、アジフライは、ある意味、にゃん黒軍団から足を洗うためのきっかけを作ってくれた、恩人とも言えるだろう。

 半年前、アジフライに負けたこと。今日、アジフライの夢を見て、現実にアジフライが現れたこと。これらは、自分の人生の、ターニングポイントなのだ。

 ここで……ケジメをつける。

 ギトニャンは、決意を胸に、玄関の引き戸を開け放った。


「よう、久しぶりだな、アジフライ」


 挨拶をすると、アジフライは、首をかしげた。


「あれ……? アジフライが怖いんじゃなかったのか……?」


「なんだ、世間にはそんな噂が流れてんのか? とんだデマだな」


 恐怖など、胸の奥に封じてやればいい。


「まあいいや。なあギトニャン、にゃん黒軍団のアジト、にゃんでもにうむ? への行き方、教えてくんない?」


「用件はそんなことか。俺様はな、もう悪さはしないと誓ったがよ、だからって、世話になってた組織を売るような不義理はしねェよ」


 絶対、アジフライなんかに負けたりしない――!


「あっそ、じゃ、『13日の鯵曜日ナイトメア・アジ・フライデー収束フォーカス』」


 負の感情を撒き散らす漆黒のアジフライが虚空に出現し、ギトニャンに取り憑いた。


「ぎゃああああ!! アジフライのバケモノオオオ!! うわあああ助けてえええおばあちゃああああん!!」


 アジフライには勝てなかった。

 白目をむいて気絶したギトニャンは、おばあちゃんが駆けつける前に、アッツ一行に拉致されていった。


「これじゃあどっちが悪の組織か分からないね」


「軍団を抜けてるぶん、四天王さんのほうが善良だよ……」


 案内役としてついてきていたサックとミスミは、ため息をついた。


「正義には犠牲がつきものなのよ」


 ダイヤは言い訳したが、棒読みである。


「いやあ上手くいった! ハハハ!」


 満足そうなのは、我らが主人公アッツ・アジフライ、ただひとりであった。

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