第22話 戦う理由

 カチヤ・リコリス研究所に大結界崩壊の緊急速報が入ったとき、真っ先に武装して飛び出したのは、意外にもサック・サバフライであった。


「現れたか!!」


 普段の彼の落ち着いた態度からは想像もつかない鬼気迫る表情で、サックは嵐のように走り去っていった。塀のないリコリス研究所には、彼の進撃を邪魔するものはなく、数秒後には姿が見えなくなった。


「うお、あれ、相当キレてるぞ――!」


 付き合いの長いアッツは、サックが突然激昂したことにとまどいつつも、それだけヤバい敵が現れたのか、と理解し、サックに続いて研究所を出ようとする。


「待ちなさいアジフライ君!!」


 ダイヤの静止に、振り向く。


「なんだよダイ――カチヤさん、緊急事態だぞ!」


「サバフライ君には事情があるから仕方ないけど、あなたにはあえて戦うという選択肢を選ぶ理由なんてないわ。あるとしたら根拠のない正義感だけよ。その体力を生かして避難誘導でもするほうがよっぽど賢い選択なのだわ」


「ああもう、嫌だ! 嫌、嫌、嫌、嫌だぜ!」


 アッツはダイヤの口調を真似、叫ぶ。


「戦う選択の理由はないけど、戦わない選択の理由もないんだよ! あるとしたらくだらねぇ、安全とかいう理由だけだ! そんなに戦いが嫌なら、あんたが避難誘導しとけよ! 見損なったぜ冷血ババア!!」


 アッツは走り出す。


「あっこら待てアッツ! ダイヤ姐さんをババア呼ばわりした罪は重いんだぜ! 一発殴らせろ!!」


 ジュウシも続く。


「ああ、もう、ほんとに、嫌なのだわ――!」


 ダイヤは、魔法で生み出した氷の道を滑り、走り去る筋肉たちを追う。




 大結界崩壊地点は、アッツたちが街に入ってきた門のすぐそばであった。研究所からも近い。

 サックが現場に着くと、いかなる動物にも形容しがたい、二足歩行の巨大な魔物モンスターが、結界の穴に手をかけて、押し広げようとしているところであった。

 移動中に詠唱を完成させ、発動を待つばかりとしていた魔法を、解き放つ。


「――『狂乱戦界サバ・バーサーカー』」


 世界を――


――置いて行く。


 術者の身体能力強化、範囲内の加熱、サバフライ属性魔法の強化。サバフライ属性版「熱狂油界オーバーフライ」とでも言うべき領域エリア魔法であった。


「『巡れサバの霊気』――『狂乱バーサーカー鯖〆斬サバシメギリ』」


 刀が、白銀にきらめくサバの幻影に包まれ、鋭さを増し、魔物モンスターの身を切り裂く。サックはまず、脚を狙う。


「ちっ」


 しかし、効かない。斬れるのだが、効果がない。サックの振るう「名刀・鯖捌サバサバキ」にかかれば、魔物モンスターの肉体を切り裂くことなど造作もない。しかし、大樹よりなお太い脚を持つこの魔物モンスターにとっては、サックの刀を根元まで刺されたところで、薄皮一枚ほどの傷にしかならないのだ。刀で脚を切り落とそうと思えば、木こりが木を切るよりもなお地道な作業が必要となる。


「ゲースゲスゲスゲス! 無理、無駄、無益! そんなちっぽけな刀で、この殺猫巨人ゴロニャンタイタンを倒そうなんて、揚げ物のくせに甘すぎるでゲスゥ!」


 殺猫巨人ゴロニャンタイタンという名前らしい魔物モンスターから声が聞こえてくるが、殺猫巨人ゴロニャンタイタン自身が声を発しているわけではない。


「スカル・ザ・ドラ! どこに隠れている!」


「どこって、目前、目の先、鼻の先! お前が愚かにも倒そうとしている、殺猫巨人ゴロニャンタイタンの中でゲスよ!」


「『狂乱バーサーカー・イラフバサ・拡散スプレッド』」


 強化されたサバフライ属性版イラフジアを、拡散スプレッドして放つ。

 拡散スプレッドされてなお高威力を誇る熱と油の爆発が、殺猫巨人ゴロニャンタイタンの全身を襲うが、表皮を炙るばかりで、手応えはない。


「ゲスゲスゲス! 間抜け、滑稽、頓珍漢とんちんかん! 中って言ってもそんなしょぼい魔法が貫通してくるような浅いところにいるわけないでゲショうが!」


「くそが――!」


 サックは刀を振るいつつ、様々なサバフライ属性魔法を乱射するが、殺猫巨人ゴロニャンタイタンは止まらない。大結界の穴は広がっていく。殺猫巨人ゴロニャンタイタンの巨体がチルドシティ内部に侵入するに足るだけの穴ができるのも、時間の問題だ。

 住人の間にも、恐怖と不安が広がる。


「あんなに凄い魔法も効かないなんて……!」


「無理だ……勝てっこない……!」


「もうだめだぁ……おしまいだぁ……!」


 チルドシティはもはや、パニック寸前である。


「みんな! 希望を捨てちゃダメだ――『花の鯵曜日ハッピー・アジ・フライデー拡散スプレッド』!」


 空高く、光り輝くアジフライが打ち上げられる。アジフライは宙に浮かび、その衣から、色とりどりの美しい光線を放つ。七色の光のシャワーは怯える住人たちに降り注ぎ、暖かく包み込んだ。


「ふっ……ふつくしいっ……!」


「まだ……この世には救いがあるんだ……!」


「あはぁ〜……いい気持ちだ〜……」


 先程まで弱音を吐いていた住人たちの顔には、笑顔。


「ふぅ……間に合ったか」


 たった今到着したアッツの魔法によって、若干アブナイ形ではあるが、パニックは免れた。


「おいサック! 無茶すんな! 俺も手伝う!」


「くっ、コイツは僕の獲物だけど、仕方ない。中に入ってる四天王ごと大技でぶち抜くから、でそいつの動きを止めてくれ!」


「よっしゃ! ちょっと待ってろ! 『熱は油をそそのかし』――」


「もう! 熱狂油界オーバーフライの詠唱なんか、先に済ませておいてくれよ!」


 文句を言いつつも、サックが殺猫巨人ゴロニャンタイタンに応戦すること、しばらく――


「――『熱狂油界オーバーフライ』」


 世界が――


――加速する。


 サックがすでに展開していた「狂乱戦界サバ・バーサーカー」と、「熱狂油界オーバーフライ」が混じりあう。属性が違うため、魔法的な相乗効果が起こったりはしないが、加熱効果を持つ魔法が2つ同時に働くことにより、物理的に気温が急上昇する。荒れ狂う熱に、じりじりと衣が焦げていく。


「さすがにきついな……! 早く終わらせてくれよ、サック! 『渦巻く油は力の象徴あかし』『虚空に散りゆく戦士は死なず』『ただ敵を斬り消え行くのみ』、『熱狂オーバー・コボネストーム』!」


 殺猫巨人ゴロニャンタイタンの巨体をも吞み込むほどの、強化された小骨の嵐が吹き荒れる。小骨は殺猫巨人ゴロニャンタイタンの表皮に軽く刺さって産毛のようになるだけだが、嵐の風圧は強く、大結界を襲っていた殺猫巨人ゴロニャンタイタンの動きを封じた。


「ゲスッ! なんて馬鹿力、いや馬鹿魔法! でゲスが、幾千、幾万の魔物モンスターを取り込んだ殺猫巨人ゴロニャンタイタン膂力りょりょくを、なめるな、みくびるな、甘く見るな――!」


 溶岩龍ラーヴァ・ドラゴンさえ縛り付けた嵐の縄を、殺猫巨人ゴロニャンタイタンは膂力だけで振り払おうともがく。嵐が乱れ、弱まっていくが、アッツは、収束フォーカスの要領で大量の魔力を注ぎ込むことによって、なんとか維持する。


「なんてこった……! 魔物モンスターが少なかったのは、にゃん黒軍団が大人しかったからじゃない。みんな、こいつのエサになっていたんだぜ……!」


 追いついたジュウシも、アッツを殴ることなど忘れて、戦慄する。


「ふうぅ。そんなことだろうと思っていたのよ。飼い主にゃん黒軍団が大人しくなったからって、生き物である魔物モンスターがそうそう減るはずもないのだわ」


 ダイヤも現場に到着し、ため息をつく。


「緊急事態に備えて大結界の出力を上げておきなさいって、大結界の管理機関にも警告はしておいたのだけれど、聞く耳持たず。今あそこには、ろくに結界魔法の理論も知らない無能しかいない。大事な大事な大結界にかける予算すらケチるような、汚職まみれのクズしか残っていないのよ」


「愚痴はいいから手伝えよ、カチヤさん、いや、ダイヤ!!」


 アッツが叫ぶ。


「嫌よ。そんな熱々の領域エリア魔法の中に入ったら、溶けてしまうのだわ」


「んなもんアンタの魔法でなんとでもなるだろ! さっさと来い!」


「なんでそんなことしてまで戦わなきゃいけないの。戦いなんて大嫌い。前言ったことを、忘れてしまったのかしら?」


「いいや、よーく覚えてるよ! アンタの嫌味ったらしい言葉の数々をな! アンタは戦いが嫌いなんだろ! でも、これはアンタにとって、戦いなんかじゃない――!」


 殺猫巨人ゴロニャンタイタンの挙動が力強くなり、嵐がかき乱される。今にもふりほどいて、大結界の破壊作業を再開しそうだ。

 ダイヤは、目を見開き、手に汗握る。


「戦いじゃないというのなら、なんだというの――!?」


 ダイヤは、何かに突き動かされるように、叫び、アッツの答えを求める。


「――『弱いものいじめ』だ!! アンタにとってあんなの、ザコだろ!? 溶岩龍ラーヴァ・ドラゴンを氷漬けにしたその力、見せてみやがれえええ!!」


 アッツの答えを聞いて、ダイヤは、弾けるように飛び出した。


「望むところだわ!!」


 熱の荒れ狂う領域に入るが、ダイヤの身体は氷属性魔法に守られ、溶けることはない。


「ああ、全く、なんであたくしがこんなことを――!」


 ダイヤは、自分でも分からなかった。なぜ、身体が勝手に動いて、戦いへと足を踏み入れているのか。殺猫巨人ゴロニャンタイタンは、決して、自分にとっても、雑魚とは言い切れないほどの、厄介な相手だというのに。


「アジフライ君! やるわよ! ぶっつけ本番だけれど、にゃん黒軍団を倒す英雄になろうというのなら、根性で成功させてごらんなさいな――!」


「よっしゃあ!!」


 アッツとダイヤは、並び立ち、同時に、詠唱する。


「『渦巻く油は力の象徴あかし』『虚空に散りゆく戦士は死なず』『ただ敵を斬り消え行くのみ』――」


「『凍てつく水は叡智の証左あかし』『吹雪に果てゆく賢者は死なず』『ただ敵を刺し消え行くのみ』――」


 言葉選びが違うだけの、うりふたつの響きを持った2つの詠唱は、やがてひとつの魔法に収束する。

 2人同時に、その魔法の名を、叫ぶ。


「――『アイスコボネストーム』!!」


 世界初の冷凍アジフライ属性魔法が、発動した。

 嵐の中で白くきらめく小骨が、太く、大きくなる。いや、小骨を核として、太く大きな氷が生まれてゆく。力尽き骨だけとなった英雄の屍が、再び肉を取り戻し、輝きを取り戻すように。それはやがて大岩と呼べる大きさがある鋭利なアジの氷像となり、殺猫巨人ゴロニャンタイタンの身を斬り、砕き、潰す。

 その様は、大海原で一団となって泳ぐアジの群れが、塊となって渦巻いているかのよう。違いは、渦の中で、凶暴なる巨人が、弄ばれているということであった。


「ゲスウウゥ!? 殺猫巨人ゴロニャンタイタンが押されるなんて……嘘! おかしい! ありえない!」


 なすすべもなく氷のアジの群れに袋叩きにされている殺猫巨人ゴロニャンタイタンから、四天王スカル・ザ・ドラのうろたえる声が聞こえてくる。


「よし、これなら――!」


 これを好機と見たサックは、立ち止まって集中し、大技の準備に入る。


「『狂い咲きて散る乱れ花』『乱れ咲き落つる狂い花』『狂い乱れる花の香は』『戦士の身を打ち胸を打ち』『やがては世界を討つだろう』――」


 それは、「狂乱戦界サバ・バーサーカー」の詠唱――


「――『狂乱バーサーカー狂乱戦界サバ・バーサーカー』!!」


 世界を――


――置き去りにする。


 


 サックは、その、単純かつ、無茶苦茶な発想を、形にしたのだ。


「ぐっ――ぎぎぎぎぃ――!」


 掟破りの多重領域エリア魔法に払った代償は大きい。身を焼く熱が大きくなるばかりでなく、重ねがけされた身体強化が、過剰なまでの筋力増強を引き起こす。強くなりすぎた筋力は、なにげない動作の中にも、異常な筋肉の蠕動ぜんどうを招き入れる。結果、動くだけで、全身の筋肉が断裂し、血と油を吹いていく。


「『巡れアジの霊気』っ――!」


 口を動かすだけで表情筋が裂けていく苦痛に耐え、サックは詠唱する。詠唱とともに、血と油を吹き流しながら、刀を振り上げる。


「――『大狂乱ベルセルクル鯖〆斬サバシメギリ』!!」


 そして、完成する。巨人殺しの刃が。

 サックの背後に、龍と見紛うほど、大きく、美しく、覇気を放つ、サバの幻影が降臨する。

 優美に虚空を泳いで現れたサバは、やがてサックの刀「鯖捌サバサバキ」と一体になり、殺猫巨人ゴロニャンタイタンの身の丈にも届く、長大な刀身が姿を表す。

 名刀と大魔法が融合したこの刃は、ただの刀でも、魔法でもない。ゆえに、前代未聞の魔法剣として、新しい名をつける。

 それは世を斬り悪を斬る、サバフライの霊刀――


「――『娑婆鯖裁シャバサバサバキ』いいいいぃぃぃぃ!!」


 振り下ろされた霊刀は、宣言通り、中の四天王ごと、殺猫巨人ゴロニャンタイタンを真っ二つにした。


「悪魔! 鬼! 人でなし! サバ! サバフライィ!!」


 身を守るものを全て貫かれ、自らの身体をも切り裂かれた四天王スカル・ザ・ドラは、サックを恨む断末魔を残して、刀の錆となり果てた。

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