第6話 いけにえ

 アッツが敗走した後のフライタウンは、陰鬱な空気に覆われていた。

 アッツは知らなかったことだが、にゃん黒四天王といえば、そこらのにゃん黒軍団員とは一線を画す、絶望の象徴とでもいうべき存在であったのだ。

 加えて、いけにえを捧げねば、皆殺しにするという声明。ことはもはや、主要産業が失われるという次元の問題では無くなったのだ。


「ちくしょう……ちくしょう……。」


 悪くなった油のように淀んだ空気の中で、アッツは苦しんでいた。


「ちくしょう……ちくしょう……。」


 傷の痛みに。街を覆う痛々しい空気に。そして何よりも、無様にも負けて逃げ出した記憶からくる、心の痛みに。


「ちくしょう……ちっ……ぐしょぉう……!」


 うわごとのように、ちくしょう、と繰り返し、傷付いた身をさいなむ痛みに抗っていた。

 そんなアッツの身体の傷を、プリムは回復魔法で癒していた。


「『天に遊ぶ天婦羅天使よ』『天の油にての者を癒したまえ』――『オイルヒール』」


 星のように瞬く温かな光と油がアッツの身体に降りそそぎ、傷口を包んで塞いでいく。

 その効果は高く、数秒数えるうちにアッツの傷はきれいになくなった。


「っあ……ありがとう……。」


 回復魔法の温かみに包まれ、少し気が落ち着いたアッツは、感謝の言葉を口にした。


「いえいえ。街のために戦ってくれたのです。これくらいのことは」


「街のために……なって、ないよな、俺」


「そんなことはありませんよ。にゃん黒軍団の子猫兵ミャーセナリーたちを追い払っていただけただけでも十分です」


「そうそう。数が減るだけでもだいぶマシになるんだぜ」


 プリムの言葉に同調したのは、先ごろ大きな瓶を担いで街に飛び込んできて、にゃん黒軍団の襲来を街に伝えた男、ジュウシ・トリカラ。植物油採取を生業なりわいにしていて、いつものようにフライ森に向かった際に、にゃん黒軍団を目撃したらしい。


「いくら四天王っていっても、一人じゃできることは限られるんだぜ。他の街から援軍を呼ぶ時間くらいは稼げるんだぜ」


「……その時間稼ぎの間に、どれくらいの被害が出るんだ」


 アッツに質問され、ジュウシは言葉に詰まる。


「……それはあんちゃんが気にすることじゃないんだぜ。これはフライタウンの問題なんだぜ」


「気にするよ……俺がギトニャンあいつを倒してれば、こんなことにはならなかったのに……!」


あんちゃん、いや、アッツ君よ」


 ジュウシは、諭すような口調で言う。


「さっき、四天王でも一人じゃ出来ることは限られるって言ったが、それはアッツ君も同じなんだぜ。いくらアッツ君が強くたって、一人じゃ出来ることは限られるんだぜ。俺だって、拳闘士の真似事くらいは出来るが、逃げてにゃん黒軍団が来たことを報せるのが精一杯だったんだぜ。だから、一人で責任を感じなくていいんだぜ」


 アッツは押し黙った。そうは言っても、後悔の念が拭い去れない。


「そうですよ、アッツさん。自分に出来る範囲のことをすればいいんですよ。私の場合は、傷付いた方を癒し、悲しむ人を一人でも少なくすることです」


 そう言って、プリムは立ち上がり、去ろうとする。


「プリムさん、どこ行くんだぜ。怪我してるやつはもういないんだぜ」


「……回復魔法でなくても、お役に立てることは、ありますから」


 プリムは、笑顔を残して、去っていった。


「……俺も、色々と、準備してくるんだぜ」


 やがてジュウシも去り、アッツは小さな治療室に、ただ一人となった。

 静かな、しかし、部屋の外からわずかに街の住人たちが騒いでいる声が聞こえてくる、痛々しい沈黙の中で、アッツは、ひとり悶々と悩むことになった。




 一方、治療室を離れたプリムの頭の中に、一切の悩みは無かった。

 いや、少しは悩んだ。自分の選択は、馬車までくれた親戚の心遣いを、踏みにじるような行為なのではないかと。しかし、そんな悩みもすでに振り切った過去のことだ。

 今、プリムの頭の中にあるのは、大好きなフライタウンでの思い出、ただ、それだけであった。

 そして、美しき海老天の少女、プリム・エヴィテンは、薄暗いフライ森の闇の中へと、足を踏み入れた。

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