Episode.1 狐族の少女
「やあ、ルー。待たせてしまってすまなかったね」
フェルに連れられてやって来た先。
ギルドの奥にある個室にいたのは
キラキラとしたオーラを振り撒く〈
「爆ぜて霧散してしまえ」
「あはは……、開口一番でそれは酷いな」
このアッシアのギルドマスターでもある――オルトリだ。
オルトリとテーブルを挟んで向かい合うように置かれたソファーに腰掛け、置かれていたお茶を口に含むと、オルトリの目がにこやかなそれからは一転、すっと細められた。
「――そのお茶、賞味期限切れてたんだけど味はどうだい……うん、冗談! 冗談だから! その物騒な銃はしまってくれないかな!」
両手をあげて降参してみせるオルトリにイラッとしつつ銃をしまうと、オルトリは乾いた笑みを浮かべたままため息を吐いた。
「まったく。ルーには冗談が通用しないなぁ」
「お前の冗談は笑えねぇんだよ。それより、仕事の依頼なんだろ?」
「……うん、そうなんだ。――すまない」
そんな事を言いながら、唐突に頭を下げてみせる。
「別にお前が気に病む必要ねぇだろうが。俺は俺の仕事をするだけだ」
「……そうは言われてもね。僕としてはキミにこういう仕事を続けさせるのは本意じゃない。辞めたいと言ってくれればいつでも力を貸すつもりだ」
頭を掻きながら答える俺を探るように、オルトリが真剣な表情のままじっとこちらを見つめてきた。
……まったく。
コイツは妙な所で人が良すぎる。
「……辞める気はねぇよ。まだ、終わってないんだからな」
「……ルー。そんな事を続けるなんて彼女も望んでは――」
「オルトリ」
一言でその先を言うなと言下に告げてみせると、オルトリはしばらく沈黙した後でふっと息を吐いて肩を竦めた。
「……すまない、ちょっと言葉が過ぎたようだね。こんな事を話すためにわざわざルーを呼んだわけじゃないんだ」
「いいさ、別に。お前がそういうヤツだってことぐらい、十分過ぎるぐらいに知ってる」
「そう言ってもらえて良かったよ。こんな話をした後で言うのも心苦しいんだけど、公私混同もよろしくないね。――仕事の話といこうか」
いつまでも引きずっていても、俺の答えが変わるわけじゃない。
ビジネスを先に済ませる方がギルドマスターとしては建設的だ。
オルトリの考えは間違っていない。
――だから、そんな辛そうな顔すんじゃねぇよ。バカ野郎が。
そんな事を思いつつ、俺はオルトリから齎された〈
◆
オルトリから解放されたのは、それから一刻程が経った頃――中天に太陽が昇りきった頃だった。
朝一番からギルドで待ちぼうけさせられ、そのままオルトリとの話し合いで長い時間を過ごすハメになってしまった俺は、空腹を訴える腹を擦りながら、アッシアの町を歩いていた。
アッシアの町はそれなりには栄えているものの、やはり交易都市や領都、王都に比べれば穏やかなものだ。
対魔物用の外壁に囲まれているのはどこの町でも言わずもがなだが、長方形の町はきっちりと東西南北に向けて門を構えるように作られており、町の中心部にある噴水広場を中心に、この十字に繋がる大通りは商店が建ち並んでいる。
その中でも、南にある交易都市――クラッセリアと、北にある王都――アルドリッドを繋ぐ南北の大通りは、人の往来も群を抜いていて、東西に繋がる大通りの工房や宿などが構えている通りよりも熱を帯びている。
大通りの店に入る気はない。
南側の通りから少し外れた場所にある、一軒の喫茶店。
決して繁盛している訳ではないのだが、俺がこの町に来る度に行きつけになっている店があり、そこへと向かった。
「……はうぅぅ。美味しそうですぅ、お腹空いたぁぁ……」
見慣れた店の前にいる、見慣れない女。
ぺたん、と〈
狐族、か?
少し長い三角形の耳と、もふっと大きな尻尾を揺らしている、くすんだ燈色の髪が肩口まで伸びている十代中盤といったところの女。
赤みがかった茶色いアーモンドアイは店内の光景に釘付けになっているようで、こちらには向いていない。
恐らく――冒険者だろう。
とは言っても、腰に提げている片手剣も胸当てなどの防具などもあまり上等なものには見えないし、色気の「い」の字が見える程に装備を整えられていない辺り、駆け出しといったところだろう。
「……なぁ、通してもらっていいか?」
「へ……? はうっ、す、すみましぇん! どうぞ!」
「いや、腹減ったって言ってたろ。入るんじゃねーのか?」
「ふぇっ!? い、いえいえ! わたしはもうお腹いっぱいで――」
――ぐぎゅるぅ~……。
「…………はぅ」
「ずいぶんと活発だな? その消化活動」
「そ、そーなんですよー、あはははー……」
棒読み。しかも目が泳いでるが。
まさか誤魔化せてると思ってるのか、これ……。
「えっと……、いい天気――」
「おいやめとけ。それは誤魔化しの中でも最もどうしようもないセリフだぞ」
「はっ! じゃ、じゃあ、えっと、真っ黒ですね! 髪も目も服も!」
「あぁ、まぁ服はどうしたって黒が多くなるだろ。汚れ目立たないし。髪と目は生まれつきだし、どうしようもないが」
「はう、そうでした……。ごめんなさい、お腹、空いてます……」
いや、知ってたけども。
「……あの、冒険者さん、ですか?」
「そうだけど、なんだ?」
「あ、えっと、その……。つかぬ事を伺いますけど……依頼って何がオススメですか……?」
「……駆け出しか?」
「はい、装備揃えたらお金なくなっちゃって……。なので、いい〈
「そう言われてもな……。戦えるなら討伐系の仕事の方が金にはなるだろ」
「それが、私ができそうな仕事はもうなかったんです……」
俺がギルドで待ちぼうけされてる間は見かけなかったからな。
恐らくはあの新人少年と同じく、出遅れたんだろう。
駆け出しの間は仲間もいないソロじゃ、外に出て討伐や採集をこなせるわけでもない。
経験も実力もないんじゃ、魔物の餌にしかならないからだ。
それに比べて、町の仕事は外に出なくて済むから安全だ。
もっとも、力仕事なんかの単純な作業ぐらいしか回ってこないし、駆け出しじゃ荷物を預かって配達するなんて信用が必要な仕事はギルドが許可しないため、よほどの力自慢でもなければ町中の仕事をこんな時間から得られたりはしない。
そのため、割のいい仕事が朝一番に取られちまうのはザラにあるし、前もって依頼された仕事は依頼票をさっさとキープされちまう。
要するに、今日は諦めるのが一番だと思うが。
……「何か良い知恵はありませんか!?」とでも言いたげに見上げてくる狐娘の縋るような視線が、どうにもその一言を口にするのが憚られる。
「――来い」
「ふぇっ!? わわっ!」
半ば強引に腕を引っ張り、扉を開けて中へと入り込んだ。
この店は昼は喫茶店としてコーヒーや軽食、夜は酒を振る舞う店だ。
幾つかのテーブルが窓際に椅子と共に置かれ、カウンターの向こうから初老の男性がグラスを拭きながらこちらを見てにこやかに「いらっしゃい」とだけ静かに告げる。
店内には数人の客がいるが、それぞれがお一人様といったところか。
相変わらず、どこか時間を切り離された場所に思える。
窓際一番奥の席。
俺は少女を半ば乱暴に椅子に座らせ、その向かい側に腰掛けた。
困惑しつつも漂う食事の匂いに目移りさせながらも、少女は助けを求めるかのようにこちらを見た。
「えっと、私、お金なんてないですし……」
「冒険者にとって、満腹は危険だ」
言葉を遮って告げると、少女はきょとんとした顔で「はあ」と気のない返事をした。
「腹が膨れちまうと気が緩んじまう。町の中なら構わねぇが、外でそんな真似をするヤツは三流以下だな」
「……えっと?」
「なら空腹がいいのかって話になるかもしれねぇが、空腹も危険だ。多少の飢餓感なら神経が研ぎ澄まされるだろうが、極度の空腹状態は判断力が鈍りるからな」
何を言わんとしているのか分からないとでも言いたげな少女を他所に、俺はマスターにちらりと目配せしてみせる。
俺が何を言わずとも小さく微笑みを浮かべて頷きつつ、すでに料理の準備をしていた。
相変わらず、必要以上に気が利く店だ。
「駆け出しがこんな時間から仕事を探そうとしたって、碌な仕事にありつける訳がねぇ。仕事をするなら明日にしろ。夕方ぐらいにゃ明日の仕事が色々と掲示板に貼り出されるだろうさ」
「あう、はい……」
「――お待たせしました」
コトリ、と音を立てて机の上に置かれたパスタ料理が二皿。
種類を別にしてみせ、机の中央に置かれたそれは、俺がどちらもたまに食べる料理であって、同時に万人受けする二種類の品目。
少女の好みも分からない上に、注文さえ受けていない。
それでもどちらかなら食べられるだろうという判断のようだ。
実際、少女は目を爛々と輝かせて二つの皿を見つめている。
この様子ならどっちも食えそうだな。
マスターに視線を向けて「サンキュ」と短く告げて、正面の少女を見やる。
「好きな方を食っていいぞ」
「えぇ!? い、いい、いいんですか……!?」
「あぁ」
「ふわぁ……っ! こっちは見るからに美味しそうですし、あぁぁっ、でもこっちの白い方はなんだか可愛いです……! うぅっ、迷いますぅ……!」
食べ物を選ぶのに可愛さってのもおかしな話だが。
少女はじゅるりと涎を零しそうになりながら、椅子の横に下ろしていた尻尾をブンブンと景気よく振っている。
狐の癖に犬みたいなヤツだな。
僅かな逡巡の後、少女は「はっ!」と何かに気付いたように顔をあげると、両手をぐっと握り締めた。
「お、お金はないですけど、なんでも言ってくださいっ! ちゃんと身体で払いますからっ!」
穏やかな喫茶店の時間が、確かに止まった。
周囲のお一人様客からは軽蔑にも近い視線が向けられ、マスターからも咎めるような目がこちらに向けられる。
おいやめろ、俺をゲスでも見るかのような目つきで見んじゃねぇ。
「……あのなぁ。そんなの要求するつもりはねぇぞ」
「でもでも、ちゃんと働きます! 掃除とか洗濯とか荷物持ちとか!」
「そういう意味かよ……」
「そういう意味……? ……はうっ!? そ、そそそ、そういう意味ですよ!? 変な意味じゃないです! あう、私そういうの経験ないですし、むむむ無理ですからぁっ!」
自分で口にした言葉の意味をようやく理解したのか、ぼふんと音を立てそうな勢いで顔を真っ赤にして、少女が慌てて説明を始めた。
「いいから食え。迷うなら両方食っていいぞ」
「両方いいんですかっ!? あうぅ~……。じゃ、じゃあ、いただきます」
恥ずかしそうに、けれどこれ以上は我慢できなくなったらしい。
少女は申し訳無さそうにゆっくりとフォークを手に取ると、パスタを一口。
目を輝かせ、「ふわぁぁ……っ」と感動の声を漏らしながら満面の笑みを浮かべた。
尻尾がブンブンと視界の隅で暴れている。
やっぱ犬だな。
「マスター、俺の分もくれ。メニューは別で。それとコーヒー」
ようやく妙な疑いも晴れて、再び店内には穏やかな時間が流れ始めた。
決して品のないガツガツとした食べ方じゃない。
少女の食べるスピードはゆっくりと、けれど淀みなく進んでは至福の笑みを浮かべてと、実に幸せそうだ。
運ばれてきたバケットサンドを食べ終えてコーヒーを口にしつつ、そんな少女につい苦笑してしまう。
――まったくもって似てやしない。
性格も正反対だが、屈託のない満面の笑みを俺に向けながら「美味しいですっ!」と語る姿だけは、どうにもアイツと被っている気がした。
そこまで考えて、思考を振り払うようにコーヒーを一口。
ガラじゃねぇ。
仕事でもないってのに他人を救うような真似をしちまった。
それもこれも、オルトリがあんな顔をしたせいだ。
おのれ、イケメン。
爆ぜて霧散しろ。
自分にそう言い聞かせながら、俺は少女が食べ終えるのを待っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます