⑥
パブロフ乱入騒動は国営傭兵団を主体に対処された。
数時間後には白狼討伐隊の緊急会議が行われ、その報告会が開催される運びとなった。もちろん俺たちも参加する。
言葉飛び交う会議室の中でいきなり襟に手を突っ込まれた。
「ちょ、なにするんですか」
「いや、そろそろ取っておこうと思ってな」
先生が持っているのは一枚の紙。どうやら名刺のようだ。
『怪盗・参上!! 次は言葉を交わそうね!』
「これってさっきの……」
「錬金が自由すぎるヤツだろ。ワタシもあった」
「先生のところにもですか?」
裏を見るとサインらしきものが書かれていた。俺の知っている言語ではなさそうだ。
裏を向けてコカナシに渡す。サインだからか崩された字なのだろう、少し間を置いてから口を開く。
「ニャル……と書かれています」
どうやら彼女はニャルと言うらしい。文面から見てまた会うことになりそうだが……
「緊急会議の報告を始めるぞー!」
凄まじく大きい団長の声が響き、皆が同じ方向を見る。
「面倒だから結論から言う。白狼討伐の時間を早めることが決定した」
本来は三日後の午後だったはず。騒めく会場の中、団長に代わり棋王が前に出る。
「白狼の到達予測は変わっていない。しかしパブロフの一部が想定より早く此方へ来ている。パブロフに進行された後の白狼戦は困難だと判断した。」
まるで先発隊だ。賢いとは聞いていたがまさかそこまで……?
少し皆が鎮まるのを待った棋王は咳払いをして口を開く。
「よって白狼討伐隊出陣の時を三日後の午前とする!」
*
緊急会議から三日後。つまり白狼討伐戦当日である。
場所はハンス・グレーテから少し離れた平原。遠くの方に小さく競技場が見える。
「パブロフ到達予測時間まで約十分、全員心の準備はいいか!」
前の方にいる戦士が大きな声をあげる。
後方で治療するから比較的安全とはいえ、どうしても緊張してしまう。
「……きたぞ!」
団長の大声から少し遅れて野を駆ける音がした。ここまで聞こえているのなら前衛では視認しているかもしれない。
「敵は未だパブロフのみ、恐れる事はない! 防衛隊開け! 一番隊……突撃!」
防御の要である防衛隊が左右に分かれその間を一番隊が駆け抜ける。
団長は一番隊の少し後ろで指揮を取り、棋王は防衛隊の後ろで戦況を見極める。
今回の副隊長であるグリムさんは……一番隊にはいないようだ。
遠くの方で鈍い金属音が鳴り響いた。恐らく一番隊とパブロフの集団が衝突したのだろう。
少しして棋王が扇をあげる。その色を見て先生含む遊撃班が戦火に突入する。
遊撃班、中継班を通じて数人が運ばれてくる。幸い大事には至っていないが足を捻挫したり前衛に立つのは困難だと思われた人だ。
治療班でもベテランの人が数人の治療にあたる。どうやら俺の出番はまだ先のようだ。
しかし火蓋は切って落とされた。
白狼討伐戦、開始である。
*
パブロフの討伐が始まって数十分ほど経った時、棋王が黄色の扇を上げ数人が笛のようなモノに口をつける。
法螺貝のような音が辺りに鳴り響き防衛隊と一番隊が前後に入れ替わる。
防衛隊が少し耐えた後二番隊が一番隊の代わりとなって前線に立った。
「一班から三班は引き継ぎ重症を、三班以降にNo.1からNo.5の薬品を五ケース!」
キリーさんが叫ぶと同時に俺の班のメンバーが動きだす。
「No.3担当します!」
副班長からのサインを見て声を出す。
俺を含む治療補助班の基本的な仕事は薬剤の供給である。班長であるキリーさんの指示を受けて各班に適切な薬剤を運搬するのである。
人が足りない場合はサポートに入る事になっているが、基本は体力勝負だ。
「どんな軽傷でも治療して貰え! 少しの油断が死に繋がるぞ!」
団長の声を聞いて戦場の方を見る。一番隊の人たちが到着したようだ。
重症の人は中継班によって事前に送られる為この時に来ることは少ないという。
重症人を治療するのは番号の少ない班が中心となっている。
「治療が終わった人は此方に来てください!」
薬品を運び終えたら補給班に混ざり水などの補給に回る。
一番隊の治療が終わりようやく一息つく。運んだ薬剤は少し余るくらいだった、キリーさんの采配が完璧だったのだろう。
少しするとあの法螺貝のような音が鳴り響いた。
*
戦法的には織田信長の三段構えのような感じだろうか。
あの後二番隊、三番隊と入れ替わって二巡目になった。
疲れがあるのか一巡目と比べて途中で運ばれて来る人が数人増えている。
「さっきより薬多めに、No.8から11、あと14も追加!」
キリーさんが戦況を見て指示を出す。まるで第二の軍師だ。
言われた薬を運び終わった時、徐々に集まってきていたパブロフが急に増えだした。
法螺貝の音が鳴る。さっき交代したばかりなんじゃ……
そんな疑問は即座に打ち消された。前線の少し後ろにいた棋王は俺たちより早くアレが見えていたのだ。
上げられた扇は赤。
それは最上位の危険信号。全防衛隊が前線に集結するほどのモノだ。
今回の討伐戦においてそれ程のモノは一つしかない。
ゆっくりと歩く大きな影。その下にある岩はあっけなく砕け散り、前足の一振りで周りの木々が薙ぎ倒されて行く。
触ると怪我をしそうなくらいバサバサな白い毛。岩のような固そうな何かを一部に纏い、大きさ故か身体を震わせると煙が立つ。
それは少しすると歩みを止め、ルビーのような深紅の目で俺たちを睨みつける。
緊張からか五感が混乱狂い出す。目の前にいるような錯覚を与え、聞こえるはずのない息遣いが伝わってくる。
犬などではない。まさにその姿は……『白狼』の名に相応しかった。
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