④
「お前だったか」
数分走った先にアルスは立っていた。片手にはコカナシが抱えられている。
「コカナシを離せ」
「…………」
今の言葉で敵と判断したらしい。アルスが合図を出すと同時に正面にいた大ネズミが襲い掛かってきた。
なんとか直撃は回避して後ろから麻酔毒をかける。避けきれなかった尻尾型のミミズ腫れが痛むが気にせず走り抜ける。
「その手を離せ!」
カプセルに詰めた麻酔毒がアルスの顔に命中する。
「ナイスコントロー……ル?」
大ネズミを縛り上げていたセルロースさんの語尾が疑問形のソレになる。
「痺れ……いや、鎮痛のモルヒネが強いか」
そう呟いたアルスが一瞬で錬金を終え、ソレを縛られたネズミに命中させる。
「ちょ、うそ!」
大ネズミがロープを食いちぎってアルスの元に戻る。まさか成分を当てられて解毒薬を作るのにかかるのが数秒だとは……いや、それより
「なぜ毒を受けながら動いた……?」
隙をみてもっと強力な毒を作るか……それとも量を増やして……
「無駄だ。ワタシに毒は無意味だ」
とてもハッタリとは思えない。どんな身体をしているんだアイツは。
そういえばさっき身体を作るとか言っていたような気がする。
「どういうことなんだ」
「…………」
今まで錬金術に関する質問を投げかけるとある程度の答えはあったが、今回はそんな暇はないらしい。
無言のまま広げられた両手にはいくつもの指輪……錬金石がついている。
手が二匹のネズミの上に来ると同時にその全てが一瞬光を放った。
一回の瞬きの間にネズミは炎を纏っていた。燃え上がったわけでは無い、現にネズミは暴れることなく普通の様子だ。
「火鼠……燃やせ」
アスベストスとのキメラなのだろう。ネズミは意思を持った炎となり俺たちに襲い掛かってくる。
「……くそっ」
このままネズミから逃げていたのではアルスを逃がしてしまう。
何度も何度も避けた後セルロースさんと背中合わせになる。
「少しだけ耐えて」
その一言の意味を理解する前にセルロースさんがアルスに向かって走り出した。
ソレを追おうとしたネズミの尻尾を掴む。尻尾自体は燃えていないが身体からの火が手を焦がす。
「チューチュー鳴いてないでこっち来やがれ!」
手を離すとネズミは俺を追い始めた。意思があるのは厄介だがそれが幸いしたようだ。
とは言っても足の速いネズミを主とした炎だ。上がることに弱いからなんとか逃げきれているが長くは持たないだろう。
セルロースさんはいったいどんな作戦を……
「はあっ!?」
横目で見るとセルロースさんはただただアルスに向かって走っていた。まさか策がないのか
アルスは一瞥した後、瞬時に火をおこして彼女に放つ。あれも錬金術……?
火はまっすぐに飛んでいき……セルロースさんのローブに着火した。
「……ローブ?」
そう、着火したのはセルロースさんではなくローブ。まさかあれは……
「こっちもアスベストよ!」
セルロースさんはそのままアルスに抱き着く。ローブからアルスの服に火が伝わって強くなる。
「燃えちゃいなさい!」
「……これもまた無意味、どちらも燃えない」
燃えているのはローブとアルスの服のみ……アルスは毒だけでなく火をも意に介さなかったのである。
*
「無駄な事はやめておけ」
平坦なアルスの言葉にセルロースさんがにやりと笑う。
「あんたもあたしも大丈夫。でも……あんたが抱えているコカナシちゃんはどうかしらね!」
アルスの顔が初めて動いた。そう、対策の無いコカナシだけは燃えてしまうのだ。
コカナシに傷がつくのはアルスにとっても良いことではない筈だ。
「……取れ」
数秒だけ考えたアルスはコカナシを投げた。それと同時にいつの間にか追いついてきたらしいケルベロスキメラが走り出す。
セルロースさんの狙いはコレだったのだ。気づくと同時に俺も走り出す。
流石に走力では勝てない。ポケットを探る。奇跡的に残っていた一つ……今が使いどころだろう。
「どきやがれこの犬野郎!」
俺を追い抜いて行こうとしたキメラに最後の麻痺毒をかけてコカナシに向かって走る。
もう少し……後少し……
「コカナシ……!!」
飛び込みながら受け止める。コカナシを抱きかかえながら地面を転がって壁にぶつかる。
「うわ……」
ぶつかったのは壁ではなくアルスだった。セルロースさんを振り切って俺たちの前に立ちふさがる。
「渡せ」
「……素直に渡してたまるか」
アルスがストックボックスを取り出して俺に向ける。セルロースさんに放った火はこれからのモノか。
アルスに背を向けた瞬間、大きな声が辺りに響いた。
「その箱をそう使うのには親近感が沸くけれど……穏やかじゃないわね」
歩いてきた女性が俺たちとアルスの間に立つ。白を基調とした服を身に纏い、手には槍と剣が合体したような武器が握られている。
「フィジー! そいつコカナシちゃんの敵!」
フィジーと呼ばれたその人はセルロースさんの言葉に頷いて武器を構える。
アルスがキメラを呼び寄せて口を開く。
「……お前になんの関係がある」
「そうだね、前口上を名乗らなきゃね」
フィジーさんは前髪をはらって謎のポーズ。
「私は国営傭兵団、治安維持課所属のフィジー・セルピエンテ! 罪状とかはないから見逃してもいいわよ」
「治安維持課……か」
突き出された剣槍を見つめたアルスはキメラを下がらせて背を向ける。
「また会おう、若き錬金術師」
俺の答えを聞く前にアルスは去って行った。
数分の沈黙の後、フィジーさんがセルロースさんを呼び寄せた。
「……で、これはどういう事態なわけ?」
*
「ようやく帰ったか。何をして……」
珈琲を飲んで言いかけた先生がコカナシを見て立ち上がる。零れる珈琲を気にもせずコカナシに駆け寄ってくる。
「擦り傷に火傷、軽度だが治療した方がいいな……そこに座れ」
「は、はい」
まだ少し眠そうなコカナシを椅子に座らせて先生が治療を始める。
「その……キミア様」
「……なんだ」
「ごめんなさい」
「謝るな」
少しの沈黙。口を開いたのは先生。
「悪いのはワタシの方だ」
「いえ、私の方が……」
「……ワタシだ」
「甘い雰囲気のところ悪いけどここは離れた方がいいんじゃないかな」
「ん?フィジー? どういう意味だ?」
フィジーさんから視線を感じた。一番状況を理解しているのは俺か。
「端的に簡潔に言いますと……アルスがコカナシを攫おうとしました」
「アルスだと! なにもされていないだろうな!」
「はい、特に違和感はありません。直接処方をされましたけど……素材を見る限り普通の睡眠薬かと」
「それならいい」
治療を終えた先生が荷物を纏めだす。
「出るぞ。タカも用意しろ」
「あ、はい」
「じゃあ私も」
椅子から降りたコカナシを先生が止める。
「お前は座ってろ。ワタシがやる」
なんとも珍しい先生の言葉にコカナシは笑顔で先生に抱き着いた。
「大好きです!」
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