②
夜になってもコカナシは帰ってこなかった。
ずっと不機嫌でふて寝している先生から逃げるように俺は外に出ていた。
「久しぶりだな、若き錬金術師」
持たれた肩から冷や汗が出る。小さいのに体の内側に響いてくるこの声は……
「アルス・マグナ」
「警戒する必要はない。キメラの件は事故であり故意ではない」
俺がアルスを警戒している理由はキメラの件ではない。彼が先生やコカナシを狙っているからである。
「こんな所でどうしたんですか?」
「前と変わらず人探しだ。で、何をしている、師はどうした?」
少し動揺したが何とか態度には出さない。アルスは俺の師がシャーリィさんだと思っているはずだ。
「シャーリィさんはアルカロイドですよ。俺は知り合いの服屋の付き添いです」
「そうか……ところで」
生気の無かったアルスの目に感情が宿る。
「キミア・プローションについて何か情報はあるか?」
「え……いや、特に」
「そうか」
立ち去ろうとしたアルスを見て口を開く。
「あの、なんでその人を探しているんですか?」
「キミア・プローションの持っている素材が必要だ。あれは錬金学の発展に必要不可欠だ」
「それって……」
「エルフの生き血。あとキミア・プローションの近くにはもう一つ有用なモノ、大いなる小さき娘がいると推測している」
返事をする間もなくアルスは言葉を続ける。
「情報があれば大歓迎だ。連絡手段はあるか?」
「……はい、番号さえ教えてもらえれば」
バックの中にPHSがあるが……コカナシの番号もある事から念のためアルスの番号だけを聞いておいた。
「報酬が必要なら錬金素材を用意しよう」
そう言ってアルスは去って行った。
アルスが見えなくなったのを確認して俺は走り出す。ここに留まるのはまずい、とりあえず先生に報告しなければ!
*
宿に入ると先生がソファに突っ伏していた。
「先生! まさかアルスに……」
「うあ……きもちわるい」
こっちを向いた先生の顔は真っ青だ。まさか毒を……
「……うわ」
鼻を塞ぎたくなるほどの刺激臭。でもそれは毒とかそういうのではなくて……
「先生、酔ってます?」
「……なぜあいつはおこってかえってこない!」
酒は強い方だったはずだけど……やけ酒かな。
いや、今はそれより。
「先生、大切な話が……」
「むり。クスリ。かんいはこ」
「いや、本当に至急の話で」
「むり、クスリ」
ため息をついて簡易薬箱を開く。中にはいろんな種類の錠剤が少しずつ入っている。
確か二日酔い防止は丸いヤツだったけど。
「どれでしたっけー?」
「もってこい、みずも」
言われた通り水を渡して箱を開いて先生の前に出す。
「……これ」
「え、ちょ、それは」
先生が数粒取ったのは細長い錠剤。俺が止める間も無くそれを飲んでしまう。
確かあの錠剤は……睡眠薬。
思い出すと同時に水が床に吸い込まれる。
「先生……先生?」
いくら揺らそうが先生は起きない。あの睡眠薬は一錠でもある程度の効果があった筈だ。
特に体調の変化はなさそうだが……恐らく起きないだろう。
普通に寝てる時でさえ中々起きないのだから。
「ああもう、こんな時に……」
ため息をついて水を一杯飲む。
十分ほどかけて先生をベッドに運んでベランダに出る。
少し前まで賑わっていた商店通りの光は一つも点いていない。見える唯一の大きな光は駅だろう。
昼と夜では随分と印象が違う。そんな事を考えながらコカナシに電話をかける。
数回かけ直してようやく繋がる。
『……なんですか』
「今どこにいるんだ?」
『どこでもいいじゃないですか、どうせタカはキミア様の肩を持つんでしょう?』
先生と似たようなことを考えてた事もあったから少しドキッとしたが何とか声には出さない。
なんだか今日は偽装技術を試される日だな。
「違う違う。で、どこにいるんだよ」
『別にどこでも……うわっ』
電話の奥からセルロースさんの声が聞こえてくる。
「いや、もうどこにいるかは分かった。ちゃんと宿にいるならいいんだ」
『なんですかそれ、私の方が年上なんですけど』
「とりあえず明日一回会えないか? 先生の方の意見しか聞いていなんじゃ不公平だし」
数秒の沈黙の後、渋々と言った感じの声が聞こえてくる。
『……キミア様がこないなら』
「分かった。じゃあまた明日電話する」
通話を終えて部屋に戻る。念のため覗いてみたが先生は起きる様子もない。
「まあ……この宿から出ないのなら安全ではある、か」
こんな状態ではさすがの先生も錬金をしないだろう。いくら敏感なアルスであっても錬金術を使わなければ見つからない筈だ。
コカナシの方に言う事も考えたが……前言っていないから言っていいのかが分からない。
とりあえず明日はコカナシに会って説得、それから先生が起きたらアルスの事を話す。この予定で行こう。
ここまで考えてため息が出る。首をツッコむつもりは無かったのに……本当に面倒くさい。
*
翌日の昼前、既に混み合っている商店通りでコカナシと会うことになっていた。
「あれ? セルロースさんも?」
待ち合わせ場所にはコカナシとセルロースさんがいた。
「私を丸め込もうたってそうはいきません。寧ろこちらがタカを取り込むくらいの気持ちでいかなければ」
「和解という手は?」
「私は何もしていません。キミア様が謝るまで私は帰りませんよ」
この話は終わりとばかりにコカナシは顔を背けた。
「で、肝心のキミアは何してるの?」
「昨日酔い潰れた末に間違えて睡眠薬を飲んでぐっすりです」
「え! だいじょ……なんでもありません!」
途中で怒りを取り戻したコカナシに代わってセルロースさんが口を開く。
「それって大丈夫なの?」
「シャーリィさんに聞いて見ましたけど問題無いそうです」
朝先生の状態を確認してから一応聞いておいた。シャーリィさんによれば今日中には目を覚ますだろうとの事だ。
「タカくん昼食べた?」
「いえ、まだです」
「じゃあとりあえず昼飯にしよっか。コカナシちゃんもそれでいい?」
コカナシが頷いたのを見てセルロースさんが歩き出す。コカナシが何も言わずその後に着いて行った。
*
先生に対するコカナシは俺たちに対するコカナシとは結構違う。
先生と話すコカナシは何というか……子供っぽいのだ。ローラさんと話していた時は自分でそれを『違う自分を演じている』と表現していた。
今までコカナシの態度が変わるのは主に先生だけだと思っていたのだが、今回の件で気づいた事がある。
セルロースさんに対するコカナシもまた違うという事だ。
あまりに構ってくるから鬱陶しいと思っている。なるべく近づかない。そんな扱いだと思っていたがどうやら違う。
コカナシとセルロースさんは姉妹のようなのだ。
セルロースさんと話しているコカナシは先生の時と同じく少し幼く見える。でも先生の時とは違って自然な、演じていない印象を受けた。
いつも嫌がっているアレだってもしかしたら照れ隠しだったりするかもしれない。
ここまで考えて心の中でかぶりを振る。
まだ出会って一年も経っていないのにわかったようになってはいけない。
だって俺は……
「絶対私から歩み寄りません」
今コカナシを説得する事さえ出来ないのだから。
どうにも出来そうに無くてセルロースに視線を向ける。
「完全にコカナシちゃん寄りだから。今回はキミアが悪い」
頼みの綱に離された。これは分が悪すぎる。
俺は降参とばかりに手をあげる。
「どっちの話も聞いたけど……俺にはどっちも責められない」
「中立、ですか」
「まあそんな感じ。直接話しにくい事があったら伝言役として使ってくれ」
「敵じゃないならいいです」
少しだけ、ほんの少しだけ機嫌を直したらしいコカナシがフォークを置いて口を拭く。
「で、タカくんはどうする?」
「……なにがですか?」
「あたし達これから買い物に行くけど」
商店通りに用事は無いが……コカナシを外に出すのは心配だ。
セルロースさんにフワッと話して協力を得るのは……ダメだ、先生の肩を持った俺の策略だと思われたらややこしくなる。
現状俺に出来そうなのは着いて行く事くらいか。
「行きます。あまり見てないし」
「よし、荷物持ち確保ー!」
セルロースさんとコカナシがハイタッチ。
「…………」
はめられた!!
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