「はい。あー」

「あー」

「……はい、もういいよー」

「はーい!」

 コカナシとナディの間にだけふわふわした空気が流れている気がする。

 とりあえず俺がナディの抗体を採取しそうとしたのだが……なぜかナディは俺と先生に懐いていないのだ。

「なんででしょうね」

「……知らん」

 先生が珍しく寂しそうだ。ナディに夢中なコカナシの頭を掴んで自分の方に向かせる。

「それから抗体を抽出する。持ってこい」

「はーい……?」

 いつもと違う先生に首を傾げながらもついていくコカナシを見てアデルが口を開く。

「その抗体をどうするんだい?」

「ワクチンを応用した技術の資料があった。これに錬金薬学を合わせて完全なものにする」

「それは……拒絶反応とか起きないのかい?」

「親戚でもない奴のモノを体内に入れたら普通に拒絶反応を起こすだろうな」

 真顔で言った先生……

「だめじゃあないか!」

「なんの為のヒトネズミだ。こいつの細胞と結合させて身体を騙す」

「騙す……ですか?」

「外はヒトネズミの細胞。効果は抗体というわけだ」

 なんともないように言ったけど……

「そんな事できるんですか?」

 俺の言葉に先生はニヤリと笑う。

「ワタシを舐めるなよ?」

 背を向けた先生はそのまま小さな声で付け加える

「まあ、三日はかかるけどな……」

「……え?」

 錬金術を途中でやめることはできない。途中でやめようとしたなら変な反応を起こして爆発……良くてぐちゃぐちゃのヘドロのような何かが出来るくらいだ。

 それは先生でも三日間寝ずに錬金をしないといけないって事を意味している。

「一応決行は明後日としておく。明日は一日食う寝るしかしないから邪魔するな」

「は、はい」

「コカナシはワタシのサポートについてくれ。明日はその用意を頼む」

 一方的に言った先生は臨時研究部屋に入って行った。

「……なんだか、僕たちは蚊帳の外だねぇ」

 小さく呟いたアデルにの肩を叩く。まったく……激しく同意だ。


 *


 翌日の昼になっても先生は部屋から出てこない。恐らくまだ寝ているのだろう。

 並べられた昼飯も先生の分はない。ネズミ肉飽きたなぁ……

 一応野草などがあるからなんとか栄養は問題ない……と、思うのだが。

「おはよぉ」

 飯の匂いに誘われたのかナディが目を擦りながら起き上がる。

「おはよーナディちゃん。食べる?」

「うん。たべるー」

 まだ眠いのかゆっくりと立ち上がったナディは少しふらつきながら食事の場にむかって……

「あ……」

 糸が切れたかのように倒れた。

「ちょ、大丈夫かい!」

 アデルが呼びかけて近づくが反応はない。

「……寝たのか?」

 俺とコカナシ、それからアカサギも近づくが……反応はない。

「う……い」

 ナディの口が小さく動く。

「どうしました?」

「う……ご、かない」

 そう言ったナディの小指が少しだけ動く。

「少し触るね」

 慣れた手つきで触診をしたコカナシが深刻な顔で小さく呟く。

「筋力低下……?」

 その言葉を聞いた瞬間アカサギの顔が険しくなり、先生が寝ている方に向かって大声を出した。

「医者! ナディを診てくれ!」



「先生! 起きてください!」

 アカサギの大声でも目覚めなかった先生を揺らす。

「…………」

 無言で起き上がった先生は時計を見た後、俺に視線を向ける。

「……殺すぞ」

「す、すみません……です」

 小さく言うと先生は横になった。

「…………」

 怖。何今の顔。怖い。

「じゃなくて! 本当に大変なんです!」

「……言ってみろ」

「ナディちゃんが……とりあえず診てください!」

 俺の言葉から数秒だけ間を置いて先生はまた起き上がって上着を羽織った。

「なんとも無かったら吹っ飛ばす」


 *


「どう……ですか?」

「…………」

 先生は言葉を発することなく再度触診をする。

「頭痛、関節痛、筋肉の衰えに震え……発音障害もあるな」

 ナディから離れた先生はアカサギの方を見る。

「お前、食わせたな」

「……なんの事だか」

「キミア様?」

 問うような呼び掛けに先生がこっちを向く。

「診断結果は……クールー病だ」

 先生の言葉にコカナシの顔が青ざめて口をおさえる。

「コカナシちゃん? キミア、どういう事だい?」

「クールー病はカニバリズムによって発症すると言われているモノだ」

「なっ……」

 アデルが固まる。アカサギはさっきから誰とも目を合わせようとしない。

「あの、カニバって……?」

「今回は緊急的なで一時的だからカニバリズムというのは正確な表現ではないが……」

 先生はナディの方を少しだけ見て小さく口を開く。

「食人。これは人の肉を食べることで起きた症状だ」

 ようやく俺にも皆が固まっていた、あの反応の理由が分かった。

「食人って……」

 思わず出てしまった言葉にアカサギが口を開く。

「オレの判断だ。ナディは何も知らない」

 アカサギの言葉に先生が反応する。

「ワタシたちに食べさせたのは……」

「ネズミだけだ。アレは緊急用、ナディは大きいから豪華なモノとでも思っているようだけどな」

 ナディが最初に言っていた大きい肉というのはソレの事だったのだろう。

「ソレに関しては後にしてほしい。ナディは治るのか?」

 その言葉に先生は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 俺はこの顔を見たことがある。

「ワタシは医者だから嘘は言えん……治る可能性がある処置は可能だ」

「ならば……」

「可能性はある。しかしワタシは処方できない」

 先生が出した結論は分かっている。俺の時と、智乃の時と同じ。現代の医学では治療不可。しかしある学問なら……

 先生はゆっくりと口を開き、予想通りの言葉を発した。

「これは……錬金術でのみ治せる可能性があるモノだ」



「命を糧とする……か」

 先生に錬金術と錬金薬学の違いを説明されたアカサギは呟いた後しばらく考え、また口を開いた。

「ここにいる大量のネズミの命を使うことはできないのか?」

「理論的には可能だが余計な物のない、純粋な生命力が必要だ」

 錬金石の役割の一つはそれにある。錬金者の生命力や体力のみを取り出して錬金に込めてくれるのだ。

「純粋な生命力。それがあれば可能なんだな?」

「可能だが……今の錬金学では成功例がない」

 遠まわしの不可能宣言にアカサギの顔つきが変わる。何かを決意したような……それでいてどこか諦めのある表情。

 その諦めの決意がアカサギの口から発せられる。

「なら……俺を素材にすれば可能か?」

「……え」

 思わず声が出る。先生は声を出すことなくしばらく考え、結論を出す。

「可能だ」

「なら、その方向で進めてもらうことはできるか?」

 先生はまた少し考える。

「まあ、その方法ならギリギリ錬金薬学の範疇と捉える事も……できなくはない、か」

 呟いた後先生はアカサギをまっすぐと見る。

「そんなことをしたらお前は完全に消えることになるぞ」

「問題ない。元々監獄に囚われた地縛霊、孤独に消滅を待つよりはいいだろうさ」

「そうか……」

 先生はアカサギに背を向け、俺の肩を掴む。

「そういう事だ。やってやれ」

「…………」

 先生の顔を見る。どうやら冗談ではなさそうだ。つまり……

「俺がその錬金を……?」

「もちろんだ。ワタシは抗体の錬金をしなければならないからな」

「いや、でもほぼ錬金術のモノはまだ俺には……」

「じゃあお前が三日三晩寝ずに錬金をするか?」

「それは……」

 確実に不可能だ。

「ワタシが出来ない。ならお前しかいないだろう?」

「まあ、そうですけど……」

「今のお前なら問題ないはずだ……自信をもて」

 先生にしては珍しい言葉に揺らいでいた決意が固まりはじめる。

「……やってもらえないか?」

 今までどこか軽かったアカサギの言葉に重みを感じる。

 どうあがいてもできるのは俺しかいない。ならば……無理やりにでも決意を固めるしかないのだろう。

「わかりました。やってみます」


 *


 幸いにも朽ちた研究室に必要な素材は揃っていた。コカナシとアデルが素材を吟味し、今ある中で最高の状態が整った。

「錬金の仕方は伝えた通りだ。いつもより引き込む力が強いだろうから入り込みすぎないように気をつけろ」

 先生はそのあとに細かい指示をだし、素材を確認した後俺たちに背を向けた。

「……先生?」

「ワタシは明日に備えて寝る。サポートはコカナシに頼んだ」

「ちょ、キミア、それは……」

「いや、いい」

 アデルの言葉を止めた俺を見て先生は部屋に入って行った。

「確かにキミアも大変だけどタカが遠慮する必要はないと思うよ」

「遠慮とかしてないから大丈夫」

「よかったですね、タカ」

 アデルは疑問符を浮かべているが俺とコカナシには先生の行動の意味が分かっていた。

 錬金開始を見ることなくこの場を離れた。

 つまり先生は『見ていなくとも大丈夫』と言ってくれたのだ。

 これは……やる気を出すしかないだろう。

 俺はカバンから取り出した錬金衣装を羽織り、顔を叩いて自分を鼓舞する。

「いいんだな? アカサギ」

「さっさと完璧にやってくれ」

 確認は終わった。

 俺はいつもの、気持ちを切り替えるための言葉を口にする。

「錬金……はじめます!」

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