「よし、逃げれた……なにがあったんだよあの人と」

「キリーさんは薬剤師資格試験の監督で……規律の鬼です」

「鬼?」

「はい、彼女のモットーは」

「規律を軽く見る者は命もまた軽し、ね」

 言葉が終わる前にかぶせられた声はさっき聞いた……

「人の顔を見て逃げ出すのは失礼に値すると思うんだけど?」

「さ、さっきぶりですね……キリーさん。受付の方はいいんですか?」

「今は休憩時間よ、タカヤくん」

「ご、ご苦労様です」

「はいどうも」

 キリーさんはいつの間にか手にしていた珈琲を飲んでポケットから一枚の紙を取り出した。

「まだ説明は終わってないわ。今回から試験結果の発表時間が変わって正午になったから」

「そうなんですか」

 今までがどうだったかは知らないが……特に困ることもないだろう。

「ま、それだけ。キミアに関する愚痴とかは試験のあとにしといてあげるわ。じゃね」

「……はあ」

 去っていくキリーさんを見ながら俺はつぶやく

「俺が先生の事でこんな目に……」

 先生が付いてこなかった理由の一つは恐らくコレだろう。まったく困ったものだ……


 *


「さあ、ご飯にしましょう!」

 豪邸に帰るなりローラさんがコカナシの手を引っ張って行った。

「タカヤ様、こちらでございます」

 俺はヴァルクールさんに連れられたのはさっき案内された食事用の部屋だった。

「う……おお」

 大きな机に並んでいたのは声も出ない程多く豪華な料理。案内された席に座ると隣のコカナシはすでに何かを口に含んでいた。

「コカナシ、こういう場なんだから少しマナーというか遠慮をだな……」

「……………………」

 鋭い目で俺の言葉を遮ったコカナシは口の中のモノを飲み込んで口を拭く。

「今のはローラさんに押し込まれたのです」

 コカナシの視線の先、ローラさんの方を見る。

「ほおばる姿は可愛らしいだろうなって思って」

 すごい笑顔だ……

 その後談笑と食事を楽しんで……主にローラさんが楽しんでいると部屋の端にいたヴァルクールさんがローラさんの元に来て何かを耳打ちした。

「ああ、そう。わかったわ」

 ローラさんは抑揚のない声で返事をして立ち上がる。

「ごめんなさい少し離れるわ。貴方達はそのまま食事を楽しんでいてね」

「え……は、はあ」

 ローラさんは迎えに来た使用人について部屋をでる。

「申し訳ございません。急に重要な会食が入りましたので」

 謝罪して部屋の端に戻ろうとするヴァルクールさんをコカナシが呼び止めた。

「ヴァルクールさんはいかなくてもいいのですか?」

「ああ、それは大丈夫です」

 ヴァルクールさんが一瞬だけ寂しそうな表情を浮かべた気がした。

「今回の会食は例の婚約者様関係の者でして……そういう時には私は同席しないようにとローラ様に言われているのです」

「……なんでですか?」

「なぜでしょう……」

 ヴァルクールさんは少し黙った後、言葉を続ける。

「ただ、ローラ様は『見られたくない』とおっしゃっていましたよ」

 話は終わりと言う意思表示に頭を下げ、ヴァルクールさんは部屋の端に戻って行った。

「……どう思う?」

「さあ、いくつか思いつくことはありますが……」

「へえ、教えてよ」

 コカナシはかぶりを振る。

「いえ、すべて確証のない私の妄想なので……それより」

「…………?」

「試験勉強をした方がいいのでは? 一日やらないと頭から抜けてしまいますよ」

「…………!」

 俺は噛んでいたパンを流し込んで立ち上がった。

「すいません。やってきます」



「……迷った」

 なんだこの豪邸の広さ。俺が泊まる部屋はどれだ。

 どこがどこだかわからない上に部屋に書いてある文字は俺の読めない。この国の共通言語だ。

 公共施設やキリーさんの資料は『ネ語』で書かれていたから何とかなっていたが……試験が無事終わったら言語も学ばないといけないかもしれない。

 どこだかわからない以上不用意に開けることもできない。

「戻った方がいいか……?」

「素晴らしいワインを仕入れたのですが、どうですかな」

 呟きに被さってきたのは男の人の声、開いていた扉の隙間から覗いてみるとローラさんと小太りの男の人がいた。あれが婚約相手とかいうやつだろうか。

「お酒はまだ嗜みません」

「そうか、ならば珈琲にしようか。砂糖とミルクは?」

「砂糖は二つ、ミルクはいりません」

「そうか、さっそく入れようじゃないか。僕は自分で挽いて飲む派なのですよ」

「そう、それは楽しみですね」

「もっと心を開いてくれてもいいのですがね。婚約者なんですから」

 男の言う通りローラさんはコカナシやヴァルクールさんと話す時とは違い、なんというか外用の話し方のようだ。

「……もどろうかな」

 また呟いて扉を閉めようとしたらローラさんと目が合った。

「……………………」

 なんかすごい見てくる。なんなんだ。

 少しの間意味を考えているとしびれを切らしたようにローラさんが手招きをした。

「ああ、なるほど」

 小さく咳払いをして男が帰ってくる前に部屋に入る。

 奥の部屋で珈琲を作っている男に聞こえるような声を出す。

「ローラさん。ちょうどよかったです」

 ローラさんは少し驚いたような演技をする。

「あら、どうしたのかしら」

「えーっと、部屋が分からなくなってしまって」

「その人は誰ですかな」

 男がコーヒーミルを持って戻ってきた。

「こちらは客人です」

 超簡易的に紹介された俺は頭を下げる。

「男の客人……行商人には見えませんが」

「この人に特に用事があるわけではありませんわ。本命はこの人の従者です」

「そうですか。ならいいのですが」

 なんかすごい睨まれてる……悪い虫とかじゃないんだけどな。

「で、迷ってしまったのね」

 脈絡もなくローラさんは話を戻した。

「えっと、はい」

「じゃあ誰かおよびいたしますわ」

 ローラさんは部屋の端にあったトランシーバーのようなものを使って連絡を取り始めた。

「僕はショウと言う、よろしく頼むよ。砂糖は好みで入れたまえ」

 ショウさんから渡された珈琲に幾つか砂糖を入れてかき混ぜて俺も簡単な自己紹介をした。

「ほう、錬金薬学師。軽度ならば量産している薬で、重度ならば手術を施す方が効率がいいと聞いている」

「まあ、そうですね」

「ならなぜそんなモノを学ぶ? どちらにしろ資格は同じなのだから普通の薬剤師になればいい」

 智乃を救うには現状錬金術しか方法がない。それが答えなのだが……

「今は効率の悪い錬金薬学ですけど……研究を重ねれば現代薬学も追い越せると思うんです。ただ研究者が少なくて遅れているだけです」

 俺は無意識にそう言っていた。いつだったか先生が言っていた受け売りだ。

「……ほう。面白い」

 ショウさんがそう呟くと同時に扉が開いた

「タカ……何をしているのですか? 資格勉強はどうしたのですか?」

 入ってきたのは恐ろしい笑顔を浮かべたコカナシ。穏やかな口調が余計に怖さを増幅させる。

「ま、迷ったんだよ……」

「問答無用です。これで殴ってやりましょうか」

 そう言って近くに鉢に植えてある紫色の葉をした木を持つコカナシを見て俺は土下座をする。スライディング土下座である

「本当にすいません! ご足労ありがとうございます!」

「さっきまで感じた強い意志の欠片も見えないな……」

 情けない俺の姿を見てショウさんはそう言ってため息をついた。



 先生がするような休憩ではなく、上品な食後のお茶。

 紅茶に口をつけたローラさんはそれを入れたヴァルクールさんのほうを見る。

「ルーク、これ……」

「申し訳ございません。いつものローネフルトは切らしていまして……本日のはマリアフールとなっております」

「そう……おかしな話ね」

 ローラさんがヴァルクールさんの足を軽く蹴る。

「マリアも嫌いじゃないけど食後はローネがいいって言ってるわよね」

「…………」

 黙って頭を下げるヴァルクールさんの足がまた蹴られる。

「だんまりかしら?」

 あた一蹴り。少し痛そうな音がした。

「……ありがとうございます」

 数秒の沈黙の後、隣に座っているコカナシと目を合わせる。

「今、お礼を言いましたよね」

「ああ、言ったな」


「……ヴァルクールさんはマゾヒストなんですかね」

「うん、俺も思ったけど口にするのはやめようぜ?」

「やっぱりローラさんはサディストですかね」

「少し黙ろうか」

 コカナシの口にクッキーを押し込む。

「で、観光はしたのか?」

 クッキーを紅茶で流し込んだコカナシは少し考えてから口を開く

「あまり外に出ていないですね」

「え? なんで」

「家事をしなくていいというのが楽で楽で」

「…………」

 いつもお世話になっております。

「でも、少しもったいないかもしれませんね」

「だろ? どっか行こうぜ」

 言った瞬間コカナシの目が鋭くなる。

「資格勉強は?」

「き、気分転換だ」

 この数日勉強尽くしで息が詰まりそうなのだ。

「でも試験は明後日……」

「少しだけ、勉強しすぎもよくないって言うだろ?」

「そんな話は知りませんが……まあいいでしょう」

 コカナシは紅茶を飲み干してニヤリと笑う。

「タカには荷物持ちになってもらいましょう」


 *


「なに買いに行くんだ?」

「錬金術の素材……ですかね」

「こんな時まで先生の為に、か」

「もちろん私の個人的な買い物もしますよ。荷物持ち」

 呼び方が酷い。それにしても……

「コカナシの個人的な物ってなんだ?」

 服はいつも『メイド服亜種』みたいなやつだし……よく淹れてるし紅茶の茶葉とかかな?

「いろいろありますが木材とかですかね」

「……木材?」

「はい、私の趣味は日曜大工ですから」

「意外だな」

 この世界に日曜大工なんて言葉があったのか。どこまでも日本語と同じだ。

「私自身はあまり着飾りませんが、物にデコレーションするのは好きですよ」

 そういって取り出したPHSは俺のとは色が違う。色の種類は多くないが綺麗にまとまっている。

「そういうのを作るのか」

「はい。ではタカはこれをお願いしますね」

 いきなり話を打ち切られ渡されたのは一枚のメモ用紙。錬金術の素材が書いてある。

「ん?」

「タカ……荷物持ちはこれを買ってきてください」

「いやいや、雑貨ならまだしも錬金術の素材はダメだろ」

 同じものでも錬金術にとってはそれぞれ効能が違う。コカナシと違って俺はそれを判別できないのだ。

「問題ありません」

「いや、問題しかねぇよ」

「ありません、さっさと行かないと勉強の時間が消え去りますよ」

「……行ってきます」

 コカナシの目が鋭くなったのを見て俺は大人しくする事にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る