第8話

「ヒマだなぁ……」


 日直日誌を職員室に返したあと、あたしはトボトボと廊下を歩いてた。

 今日は土曜日だから、部活とか委員会がない子は、もうとっくに帰ってる時間だから、校舎に残ってる人はそんなに多くなかった。

 今までだったら、あたしもすぐに帰ってたんだけど。


「ハルちゃん、今日も生徒会かぁ……」


 教室に戻ると、もう誰もいなかった。

 体育祭も近いせいか、最近、特に忙しいみたい。

 教室で顔を合わせることはあっても、お昼休みも放課後も生徒会室に篭りっきりで、中々、二人きりになれなかった。

 それに。


「あ……リサちゃん?」


 教室の窓から見える第二グラウンド。

 そこで陸上部が練習してるんだけど、その中にリサちゃんがいた。


「やっぱり目立つなぁ」


 二つに結った色素の薄い髪とか、スラッとした背の高さとか、遠くにいてもすぐに分かった。

 一昨日の木曜日、リサちゃんは、前の学校と同じ陸上部に入った。

 そのことは別にいいんだけど、結果、リサちゃんが寮に帰って来る時間が少し遅くなった。

 ご飯のときとか、自由時間にお喋りはしてるけど、一人で部屋にいてもあまり面白くなくて。

 マンガ読んでも、ゲームしても、すぐに飽きちゃって、リサちゃんが帰って来るまでゴロゴロしちゃってるんだよね。


「……帰ろっかな」


 心の中にじわーっと染み出てきたモヤモヤを振り払うように、頭を振った。

 寮に帰って、紫月ちゃんとゲームしようかな。

 でも、出たばかりのRPGやってるって言ってたしなぁ……。

 バッグを背負って、ため息をつきながら教室を出たとき。


「おぉッ! ゆめっち。いいところに!」

「え? どうしたの鹿取さん」

「あのさ。今日って、この後、用事あったりする?」

「別に何もないけど……わぁッ!」


 って答えた瞬間、あたしは鹿取さんに引っ張られて。


「ちょうど良かった! ちょっと手伝って欲しいんだけど」

「え? で、でも、あの」

「大丈夫! ゆめっちならできるって」


 って、まだやるって言ってないし、しかも何をやるのかも聞いてないんですけど。


「あ、そうそう。ゆめっち、ご飯は食べた?」

「ううん、まだだけど……わぁっ!」


 急に方向転換して、向かった先はカフェテリア。

 ワケが分からないまま、鹿取さんが買ったパンを持たされて、被服室へ。


「じゃあ、このパンが報酬ってことで。お願い! 手伝って!」

 ……それって、被服室に連れ込んでから言うセリフじゃないなぁって思ったけど

 ヒマだったし、何かに没頭したいなって思ったから、あたしはコクンと頷いた。

 と、そんなわけで、手芸部の手伝いをしてるんだけど。


「……っしょっと」


 最後の部分に裁ちばさみを入れると、布の切れ端が机にパサッと落ちた。

 ふぅ、と一息ついてから、そっと待ち針を外して、針山に刺していく。


「ゆめっち。調子はどう?」

「あ、これ切ったよ。どうかなぁ」

「うん、キレイに切れてるよ。なーんだ、ゆめっちってば、結構、器用なんじゃん」

「そ、そんなことないよ。それに、すっごく遅いし」


 他の人がもう次の布に取り掛かって、もう半分以上切ってる頃、ようやく一枚目が終わったところだもん。

 本当に、役に立ってるのかなって、心配したら。


「ゆめっち。先生も言ってるでしょ? 『みなさん、運針は一針一針、気持ちを込めるんですよ』ってさ」


 鹿取さんが、家庭科のおばあちゃん先生のマネをした。

 言い方とか、声の高さとかとても似てたから、周りの子たちもクスクス笑ったり、もうやめてよねーとか言ってる。


「でも、布を切ってるだけだよ?」

「裁つのも縫うのも一緒。大事なのは心を込めることだからね。と、言うワケで、頼んだよ、ゆめっち」

「うん、分かった。でも、そういうのは最初に言って欲しかったかなぁ。鹿取さん、ムリヤリ連れてくるんだもん」

「あれ? そうだったっけ? まぁ、細かいこと言わないの。じゃあ、また後でねー」


 鹿取さんは手をヒラヒラ振って、自分のところに戻った。

 ……もう。調子いいんだからなぁ。

 元気いっぱいで、裏表が無くて、学級委員やってて、クラスの中心にいて

 手芸部に入るぐらいだから、手先が器用で、趣味はぬいぐるみを作ることだったっけ?

 でも、走るのも早いし、スポーツは何でも上手で、中等部の頃から、何で運動部に入んないのって言われてるんだよね。

 そんな鹿取さんは、ミシンの前に座って、真剣な表情で作業をしてる。


 うん。せっかく誉めてくれたんだから、がんばらなきゃ!

 切り取った布を横に置くと、二枚目の布を机に広げた。

 光沢のある濃い紺色の布で、サラサラして手触りがいいんだよね。

 その布に型紙を当てて、ズレないように、待ち針で止めてから、ゆっくり、丁寧に、裁ちばさみを入れる。

 ジョキッ、ジョキッと布が切れていく。ズレないように……型紙を切らないように……。

 作業に没頭というか、集中しないといけないから、余計なことを考えなくていいかも。

 きちんと型紙どおりに切ることだけ考えて、ジョキッ、ジョキッと裁ちばさみを丁寧に動かした。


 土曜日の放課後の被服室。

 いつもは……って、家庭科の授業でしか使ったことがないんだけど、賑わうような場所じゃないと思う。

 でも、今はまるで戦場みたい。

 絶え間なくミシンの音が聞こえて、みんなはその音に負けないように大きな声で叫んでる。

 それもそのはずで、体育祭は来週の土曜日。

 高等部一年生は、応援合戦のための衣装とか旗とかを、来週までに作らないといけなくて、手芸部を中心にみんなドタバタ準備をしてるんだ。

 あたしのクラスは鹿取さんが中心に、手先の器用そうな子が中心になって準備をしてたと思うんだけど、やっぱり人手が足りないのかな。


「……よいしょっと」


 七枚目の布を切り終えて、横に置く。

 うん。あたしも段々、慣れてきたかも。

 ところで、これって何になるんだろう。

 シャツかな? でも、袖が無いから……ベスト?

 型紙には『紺色』の文字しか書いてないから、見当もつかなかった。

 そんなことを考えながら、次の布に取り掛かろうとしたら。


「ゆめっち、どう? 慣れた?」

「あ、うん、まぁ一応」

「ふむふむ……よし、ここはゆめっちに任せよう」

「え?」

「その布が終わったら、この白い布と、茶色い布もね。型紙は、これとこれ。型紙に色が書いてあるから間違えないでね」

「え? あ、うん」

「わかんなくなったら、いつでも呼んでくれていいから」


 それだけ言うと、鹿取さんは他の子を引き連れて、別のところに行っちゃった。


「……と、とりあえず、切ろうかな」


 あたしは次の布を手に取った。


   ◆


 結局、部活動の時間が終わるまで、あたしはひたすら布を切り続けた。

 もう、一年分どころか、一生分の布を切った気がする。


「すごいじゃん。よくがんばったね、ゆめっち」

「さすがに疲れた……」

「じゃあ、さっさと片付けて帰ろう!」


 ……鹿取さんって元気だなぁ。

 大きな声で、テキパキと動いて。

 手芸部って意外とハードなのかも。

 そんなことをぼんやり考えながら、道具や布を片付けて、鹿取さんたちと一緒に昇降口に向かった。


「ありがとー、ゆめっち。ホント助かったよ」

「ううん。役に立って良かった」

「じゃあ、また明日ね」

「……え?」


 まさか、衣装が完成するまで、手伝うことになってるの!

 別にやることないけど、でも、どうしようって考えてたら。


「あはははは、ウソウソ。冗談だってば」

「え? な、なんだ。良かったぁ」

「でも、来週から、クラスのみんなにも作業してもらうから、結局、月曜日には来てもらうかも」

「……そ、そうなんだ」


 次は縫ったりするのかなって考えたら、どっと疲れが出て来た。

 ミシンも手縫いも得意じゃないっていうか、ヘタだからどうしよう。

 今まで、家庭科の授業が被服のときは、いっつも居残りで、クラスが違ってても、ハルちゃんに最後は手伝ってもらってた。

 でも、今年は体育祭の準備が忙しいみたいだし、今までみたいに手伝ってはもらえそうにないよね。


「うー、どうしよう」

「大丈夫だって。ゆめっちが切った布地、キレイだったよ。今日みたいに、丁寧にやればいいじゃん」

「でも、来週までに、完成させないといけないんだよね」

「まぁ、その辺りは度胸と根性と勢いで!」

「……さっきと言ってることが違うよ?」

「そうだっけ?」


 まぁ、大丈夫だよって、鹿取さんが明るく笑い飛ばした。

 昇降口に着くと、部活が終わって帰り始める時間だから、意外とガヤガヤしてて賑やかだった。


「じゃあ、ゆめっち。またね」

「うん、バイバイ」


 靴を履き替えながら、鹿取さんを見送ってたら。


「ユメ、残ってたの?」

「え? あ、ハルちゃん」


 振り返ったら、少しだけ驚いた顔のハルちゃんがいた。


「うん。鹿取さんに頼まれて、体育祭の応援合戦で使う衣装作りを手伝ってたの」

「え? ユメが?」

「うん。あ、でも、あたしがやったのは、型紙どおりに布を切っただけだよ」

「ふぅん、そう。大丈夫だった?」

「もう、切るのは任せてよ! たくさん、切ったんだからね」

「それって、そんなに威張ることなのかしら」


 ふわっとハルちゃんが笑った。

 その笑顔を見てたら、あたしも自然に笑ってた。

 ハルちゃんと並んで昇降口を出たんだけど、もう、ここでお別れだった。


「じゃあね、ユメ」

「うん……」

「どうしたの?」

「だって、最近、お喋りしてないから、寂しいなって」

「……そうね。来週なら大丈夫よ。そんなに忙しくならないはずだし」

「そうなんだ。分かった、来週までガマンするね」

「ごめんね、ユメ」

「ううん、いいよ」


 あたしは手を振って、正門の方に歩いてくハルちゃんに手を振る。

 さーて、帰ろう……あ。

 高等部の昇降口の正面に中等部の昇降口があるんだけど、部活が終わって帰る人たちがいた。


 ……リサちゃん、いるかなぁ。

 一瞬、どうしようって思ったけど、そのまま寮に帰ることにした。

 もしかしたら先に帰ってるかもしれないし、去年までいたけど、中等部の校舎に入るのってちょこっと抵抗あるし

 それに、リサちゃんの下駄箱がどこだか分からないし。


 あたしは校舎に沿って、中庭の方に向かう。

 昇降口付近の賑やかさとは違って、本当にあたし以外に人がいない。

 同じ寮の和佳ちゃんは手芸部なんだけど、違うクラスだったから、被服室にはいなかった。

 別に一人で帰るのはいつものことなんだけど、時間が遅いから、ほんの少し暗くなってる。

 時間を確認しようと思って、ケイタイを取り出したとき。


「……あ。メールしておけば良かったんだ」


 そうすれば、一緒に帰れたかもしれないのに。

 誰かと待ち合わせて帰るなんて、小学校のときも含めて一度も無いから、考えもしなかった。


 ……今からでもメールしておこうかな。

 もしかしたら、早めに帰ってきてて、心配してるかもしれないし。

 メールの作成画面を開いて、本文を打ち始めたんだけど、ふと、指を止めた。


 ……もしかしたら、あまり気にしてないかも。

 また、心の中にモヤモヤが染み出てきた。


   ◆


 おかしいなって思い始めたのは、一昨日の寝た後。

 相変わらず一緒のベッドで寝てるんだけど、おやすみなさいを言った後に、何か違和感があったんだ。

 それに気づいたのは、金曜日の夜の勉強時間。

 ……そう言えば、リサちゃん。昨日も今日もあたしにキスしてこないなって。


 先週の日曜日に入寮して、それから毎日、朝とか夕方とか寝る前とか、ふとしたときにキスされて。

 水曜日なんか、お風呂場で、あんなところに……。

 でも、あれが最後だった。

 昨日も一昨日も、普通に喋ったりはするし、一緒のベッドで寝てるけど……でも、ドキドキするようなスキンシップは無くなった。


「イヤって言ってはいないはずなんだけど……」


 でも、理由は? って聞かれて、答えられなかった。

 キスされるのって、ドキッとするけど、イヤじゃない。

 でも、何で? って言われても、分からない。


「イヤじゃないとしか、言いようが無いんだけどなぁ」


 思い切って、リサちゃん本人に聞いてみようと思ったけど、そういう話をしようとすると、サラリと避けられちゃう。

 ハルちゃんに相談するしかないなぁって思っても、生徒会が忙しくて落ち着いて話せないし。


「来週、時間が空くって言ってたよんね。そのときに、聞いてみよっと」


 でも、どうやって聞こうかなぁ。

 ごまかしても、ハルちゃんには見透かされそうだし、だからって、ストレートに聞けないし。何かいい方法ないかなぁ……。

 そんなことを考えながら、カフェテリアの前を通り過ぎて、駐車場の側を歩いてるときだった。


「何をブツブツ言いながら歩いてるんですか?」

「うわぁッ!」

「もう、大きな声を出さないでください」

「……リ、リサちゃん!」


 振り向くと、すぐ側にリサちゃんが立ってた。

 いつの間に? 全然、気がつかなかった。


「あー、ビックリした」

「それは私のセリフです。いきなり『ギャーッ』なんて大きな声で叫ぶので、驚きましたよ」

「えー。ギャーなんて言ってないよぉ」

「あら。私にはそう聞こえましたけど」


 リサちゃんは、まるでイタズラが成功した子どもみたいに笑った。

 絶対に、あたしをからかおうと思って、コッソリ来たに違いない。


「もう、リサちゃんのイジワル」

「ふふふ……さぁ、帰りましょう」


 あたしたちは並んで歩き出したんだけど。


「あれ? リサちゃん、シャワー浴びたの?」

「そうですけど……髪、濡れてますか?」

「ううん。石鹸の香りがしたから。いつもと違う匂いだなって」

「……夢乃さんって、匂いに敏感なんですね」

「え? 別にそんなこと、言われたことないけどなぁ」


 でも、リサちゃんの匂いだけは分かるんだよね。

 寮だから、使ってるシャンプーもトリートメントも同じだし、それに、よく分からないけど、いい匂いがするんだよね。


「そう言えば、こんな時間に帰るなんて、珍しいですね」

「うん。体育祭の準備で遅くなっちゃって」

「飼育委員なのに、ですか?」

「えっとね。高等部の一年生が応援合戦をするんだけど、その衣装作り。もう疲れちゃった」


「そうなんですか。夢乃さんって裁縫が得意なんですね」

「え? えっと、その……」

「違うんですか? それなのに駆り出されるなんて」

「あたしはたまたま鹿取さん、手芸部の子にお願いされて、何となくってカンジかな」

「そうだったんですか」


「どこのクラスも手芸部の子が中心になって衣装を作って、あと振り付けはダンス部かな。

 あたしのクラスはその人たちが中心になって考えてるよ」

「高等部の一年生だけがやるんですか?」

「うん、そう。あたしも詳しいことは知らないんだけど、昔からの伝統なんだって」


 これはハルちゃんからの受け売り。

 三年生の朋夏さんに聞こうって思ったのに、そう言えば忘れてたなぁ。


「夢乃さんは、何か個人種目に出るんですか?」

「あたしは千メートル走だよ」

「えぇッ! 本当ですか?」

「うん。毎年出てるけど……そんなに意外?」

「えっと……はい。あまり運動とか得意そうじゃないので」

「短距離はダメだけど、長距離は得意なんだ。一月のマラソン大会でも、結構、上位に入るんだよ」


「そうなんですか。それなら、陸上部に入ればよかったのに」

「そんなに速くないよ。短距離より好きかなってぐらいだし」

「でも珍しいですね。長距離って運動部の人が中心なのに」

「まぁ、そうなんだけどね。あたし、黙々と走るのが好きなんだ。苦しいけど、走り続けてればいつかゴールに辿りつけるし

 それに走ってると……あれ? なんだっけ。気持ちよくなってくる、えっと……」

「ランナーズ・ハイですか?」

「そう、それ。いろんなモヤモヤとか、ぱーっと無くなってきて、すっごくいい気分になるんだよね」


 小学校の頃から持久走とかマラソンって得意だったんだよ。

 黙々と自分のペースで走るのが、あたしの性にあってるのかも。

 あ、そろそろ練習しておかないとなぁ。

 明日から、朝はジョギングしようかな。


「そうですか……」

「リサちゃんは? 陸上部だからリレー?」

「私は四百メートル走です。専門は中距離なので」

「そうだったんだ。ねぇ、四百メートル走ってきつくない? ほとんど全力で走るんでしょ?」

「ええ。でも、それが面白いというか……夢乃さんと似たようなカンジです」

「あたしと?」

「ええ。黙々とっていうわけにはいきませんし、最後の百メートルなんて苦しみしかないですけど

 ゴールした瞬間の気持ちよさは格別なんです」

「ふぅん、そうなんだ。じゃあ、リサちゃんが走るときは、一生懸命、応援するね」

「はい。ありがとうございます」


 リサちゃんがニッコリと笑う。

 あたしは何か嬉しくて、元気よく、寮のドアを開けた。


「ただいまー」

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