第6話

「……ん~」


 ケイタイのアラームが、あたしを眠りの世界から引きずり出した。

 寝転がったまま手を伸ばして、ケイタイを取る。

 ぼんやりした頭でケイタイを操作して、アラームを止める。

 ふわぁ……って大きなあくびをしたとき。


「おはようございます。夢乃さん」

「……え?」


 目の前に誰かがいる。

 あたしの顔を覗き込んでる。

 寝ぼけてた頭が一気に目覚めた。


「……あ」

「どうしました?」

「うわぁッ!」


 あたしは飛び起きて、ベッドの上に座った。

 そんなあたしを、リサちゃんが可笑しそうに見てる。


「もう慣れてください。これで三日目ですよ?」

「あ、うん。ご、ごめん……」


 あたしはコクコクとうなずいた。

 でも、目が覚めたら、いきなりリサちゃんの顔があるんだもん。

 見慣れてきた顔だけど、リサちゃんみたいな美人に、ジッと見つめられたらビックリすると思うんだけど。


 リサちゃんはあたしよりも早く起きて、シャワーを浴びてるんだって。

 そして、部屋に戻ってきて、どういうわけか、あたしが起きるときに顔を覗き込んでくる。

 一昨日も昨日も、そして今朝も。

 たまたまですよって言うけど、絶対、驚かそうとしてるとしか思えない。

 それに……。


 あたしはベッドに腰掛けてるリサちゃんを見る。

 ピッタリしたキャミソールと、ショーツ以外に何も着けてない。

 寝るときもその格好だった。


 一昨日の夜、ビックリして。


「家でもそうだったの?」

「ええ……海外育ちだからでしょうかね。私の周りの子たちがたまたまそうだったからかもしれませんけど」

「え! そうなんだ。どこで暮らしてたの?」

「ヒューストンの側の町なんですけど、南部だからかなり暑くて。それで慣れてしまったというか、まぁ、そんなカンジです」

「ふぅん。そうなんだ」


 リサちゃんっていろいろ不思議なところがあるけど、海外で暮らしてたからなんだなぁって。

 でも、ちょっと目に毒っていうか、目のやり場に困るっていうか……どうすれば、あんなに大きく……。


「どうしたんですか?」

「え……お、おはよう、リサちゃん」

「よく眠れましたか?」

「え? あ、リサちゃんこそ、眠れた?」

「はい。私は眠れましたけど、……二人だと寝にくいですか?」

「ううん、大丈夫だけど……」


 そう答えたけど、実はほんのちょっと寝不足気味だった。

 今、あたしとリサちゃんは、一緒のベッドで寝てるんだ。

 ベッドは二つあるんだけど、毛布とかシーツとかが用意されてなくて、それで届くまで一緒に寝ようってことになった。

 ベッドは二人で寝ても十分なぐらい大きいし、ハルちゃんが泊まりに来たときも一緒に寝たことはあるんだけど。


「どうしたんですか? 夢乃さん」


 ずいっとリサちゃんが顔を近づけてきた。

 反射的に目を下に反らしたんだけど。

 ……すごい。同じ寮の紫月ちゃんも、和佳ちゃんも大きいし、二人と一緒にお風呂に入ることはあるけど、こんな近くで見たことなんてない。

 ハルちゃんだって、リサちゃんに負けないぐらいだけど、でも下着姿でこんなに近くにいたことはないし。

 だから、ここ最近は、なかなか寝つけないでいるんだよね。今日には毛布とか用意できるって言ってたから、もう大丈夫だと思うんだけど。

 と、そんなことを考えてたら。


「……触ってみます?」

「ふぇッ?」


 驚いて顔を上げると、リサちゃんがクスリと笑いながらあたしを見てた。

 よく分からないけど、背筋を何かがゾクリと走る。


「だって夢乃さん、昨日も一昨日も見てましたよね?」

「え……あ、ご、ごめんなさい……」

「謝らなくてもいいですよ。見られて減るものじゃないですし」


 リサちゃんが少しずつ、あたしに近づいてくる。


「え、でも……おかしくない?」

「スキンシップですよ」

「そうなの?」


 海外の人たちって、そういうものなのかな。

 でも、だからって、日本人のあたしは「うん」って言えるわけがない。

 リサちゃんに気おされるように、少しずつ後ろに下がる。

 けど、ベッドの端っこに追い詰められて……ッ!


「わぁッ!」


 ガクンと体が後ろにひっくり返った……と思った瞬間、ぐいっと引っ張られて、そして。


「危ないですよ? 夢乃さん」

「あ……」

「それとも……計算してました?」


 気づくと、あたしはリサちゃんの上に覆いかぶさるようになってた。

 というより、リサちゃんの胸に顔を埋めてるって表現の方が当たってるかも。


 ……こ、こんななんだ。

 とっても柔らかくて、いい匂い。

 橋の下でタオルを借りたときと同じ匂いだ。

 何か、すごくイケナイ気分になってきそう……。


「夢乃さん?」

「……」

「別に構わないですけど……せめて、夜にしませんか?」


 ハッとして、リサちゃんから慌てて飛び退いた。

 あ、あたし、な、何て……。

 口をパクパクさせて、起き上がるリサちゃんを見てた。


「夢乃さーん。大丈夫ですか?」

「あ、ありがとう……って、その、助けてくれてって意味で、その、そういうことじゃなくて……」

「……ホント、面白いですね。夢乃さんって」


 クスクスと笑いながら、リサちゃんがベッドから立ち上がった。

 あたしが、ぼーっとリサちゃんを見ていると。


「夢乃さん。そんなにゆっくりしてて、大丈夫ですか?」

「え? あ、今何時?」


 壁の時計を見ると、そろそろ七時になるところだった。

 遅刻する時間じゃないけど、ノンビリしてられる時間じゃない。


「顔、洗ってこなきゃ……あ、リサちゃんも一緒に行く?」

「私はもうシャワー浴びたので、いいですよ」

「あ、そっか。じゃあ、急いで洗ってくるね」


 タオルとポーチを持って、洗面所に行こうとしたんだけど。


「あ、夢乃さん。忘れ物です」

「え? な……!」

「じゃあ、着替えて待ってますから」

「あ、う、うん」


 あたしは部屋を出て、洗面所に……は行かなかった。

 部屋のすぐそばにあるトイレの個室に駆け込む。

 ……心臓が痛いぐらいにドクドクしてるし、顔も熱い。

 ポーチから鏡をだしてみると、やっぱり真っ赤になってる。


「これも、スキンシップなの?」


 今朝も触れあった唇に、そっと指をあてながら、熱が引くのを待った。


   ◆


「先生。これ、どこに置けばいいですか?」

「そこの机の上に、置いといて」


 先生が指差したところに、あたしとハルちゃんは、持って来た問題集を載せた。

 四時間目が終わったとき、あたしは先生に。


「じゃあ、山下さん。これ、数学準備室まで運んでくれる?」


 って頼まれちゃって。

 さすがに一人じゃ持てないなって思ったら、ハルちゃんが手伝ってくれたんだ。

 まぁ、何でそんなことを頼まれたのかっていうと。


「山下さん。きちんと授業中は集中するんですよ」

「は、はい。分かりました」

「次は……お昼抜きにしちゃおうかしら?」

「えぇーッ! そんなぁ」

「冗談よ。でも、宿題を増やすぐらいはしちゃおうかな」


 先生のちょっぴり本気のような脅しから逃げるように、ペコリとお辞儀をして、数学家準備室を出た。


「はぁ……疲れた」

「それは、わたしのセリフでしょ」

「そうだね。ありがとう、ハルちゃん。手伝ってくれて」

「別にいいけど……」

「お昼、どうしようかな……。ハルちゃんはお弁当だよね」

「ううん、今日はカフェテリアで食べようかなって思って」

「そうなんだ。じゃあ、行こう」


 あたしとハルちゃんはカフェテリアに向かったんだけど

 数学準備室に行ってて遅れたせいか、ほとんど席は埋まってるし

 料理を受け取るところも長い列ができてた。


「どうしよう、ハルちゃん」

「そうね……パンかおにぎりでも買って、どこか違うところで食べましょ。購買コーナーはそんなに並んでないし」

「うん。そうしよう」


 カフェテリアにある購買コーナーには手作りのパンとか、サンドイッチとか、おにぎりとか、お弁当とかいろいろ売ってて

 その中でも一番人気なのは、限定五〇個の生シュークリーム。

 でも、食べたことがある人は少なくて、一部では実在しないとか、学園の七不思議とかって言われてるほどなんだ。


「何にしようかな」


 いくつかの品物は売り切れてるけど、まだまだ種類が残ってるけど、何か食べたいってものが無い。

 お腹は空いてるんだけど、ペコペコってカンジじゃないんだよね。


「おや、どうしたんだい。食欲が無いのかい?」

「え? あ、まぁ……」

「じゃあ、これにしな。新商品の夏野菜カレーパン。見た目ほどカロリーは高くないし、野菜も入ってるから栄養満点だよ」


 購買のおばさんが、トングでパンを掴むと、あたしの前に差し出した。

 カレーのいい匂いが鼻とお腹を刺激する。


「あ、じゃあ、これ下さい」

「はいよ。じゃあ、百円ね」


 あたしはお金を払うと、ビニールに入ったパンを受け取って、購買コーナーから離れる。

 ハルちゃんは……壁際の自動販売機のところに立ってた。


「おまたせ。行こう」

「もう買わないの?」

「うん。あ、飲み物買わないと」


 紙パックのミルクティを買って、ふと顔を上げると、何故かハルちゃんが不思議そうな顔をしてる。


「どうしたの? ハルちゃん」

「ううん、何でもない。さ、行きましょう」


 あたし達はカフェテリアを後にして屋上に向かった。

 まだ残暑が厳しい時期なんだけど、それが大丈夫なんだな。

 生徒会と園芸部の共同企画で、屋上大緑化計画っていうのがあって

 ベンチが置いてあるところにアーチを作って、そこに植えたゴーヤとかヘチマでできた緑のトンネルが直射日光を防いでくれてるんだ。

 校舎の中ほど涼しくは無いけど、緑に囲まれてて空気が美味しく感じられる気がするから、あたしは好きかな。


「ところで、ユメ。何かあったの?」

「ふえ? ……何が?」


 食べ初めて少ししたとき、ハルちゃんがマジメな顔で聞いてきた。

 あたしは口の中にあったパンを飲み込んで顔を上げた。


「何がって、ここ最近、注意されてばかりじゃない」

「そうだっけ?」

「月曜日は朝拝と英語と生物、火曜日が日本史と古典と帰りのホームルーム

 そして今日は音楽、化学、数学……まだ午後の授業が残ってるから、記録更新するのかしらね」

「う……よ、よく覚えてるね」

「隣の席なんだから、当たり前でしょ。それに、それ」

「パンがどうかしたの?」

「いつもなら三つも食べてるユメが、カレーパン一個だけだなんて……ねぇ。何か悩みでもあるの?」


 ハルちゃんが心配そうにあたしの顔を見た。

 ……どうしよう。ハルちゃんなら、何か良い考えとか思いつくかもしれないけど……でも、相談出来ないしなぁ。

 だって、同じ寮の子にことあるごとにキスされるけど、どうしたらいいの? なんて、ハルちゃんにも言えないもん!


 リサちゃんって、キライじゃないし、話もあうし、頭もいいし、顔もキレイだし、だから、一緒に生活してて何の不満も無いはずなんだけど……ひとつだけ。

 起きた瞬間とか、着替えてる途中とか、夜ご飯の前とか、勉強中とか、毎回毎回じゃなくて、ふとしたときにすっとキスされるんだよね。

 キスされる場所も、唇以外にも、ほっぺただったり、首筋だったり、手の甲だったり。


 もしかしたら、リサちゃん流のスキンシップなのかもしれないけど、慣れないあたしはドキドキしっぱなし。

 特に寝る前にキスされると、寝付けないから、ちょっと困る。

 でも、イヤなのって言われるとイヤじゃなくて……ホント、どうしたらいいんだろう。


「……ユメってば!」

「……え? あ、ごめん。ぼーっとしてた」

「ちょっと、本当にどうしたの? ご飯のときまでボーッとするようじゃ、かなりの重症ね」

「そ、そんなことないよ……たぶん」


 うつむいてパンを食べ始めたとき。


「もしかして……新しく来た子が原因なの?」

「えッ!」


 思わず顔を上げた。

 メガネの真ん中のところをくいって持ち上げて、あたしを見てる。


 ど、どうしよう……。

 相談したいけど、相談出来ないし。

 でも、ハルちゃんに見透かされてるから、隠しても仕方ない気もするし、でも……。

 ぐるぐる、もやもやしてたら。


「その子と、合わないの?」

「え……。う、ううん」

「本当に?」

「うん。リサちゃん、いい子だし」

「それなら、ユメはその子とどんな話をしてるの?」

「どんな話って……特にこれといってないけど」

「その子から相談とかされたりは?」

「うーん……あ。お風呂の時間とか、帰ってからの過ごし方とか聞かれたよ」

「……まぁ、それも大事なことなんだけど」


 ハルちゃんはペットボトルのお茶を一口飲んで。


「その子、転校生なんでしょ? 今までと違う生活が始まって、不安なこととか、あるんじゃないかなぁ」

「まぁ、たぶん」

「ユメもそうだったでしょ? もちろん、楽しみもあったと思うけど、ちょっとした小さな悩みとか心配ごととか、あったんじゃないの?」

「うん。そうだけど……」


 リサちゃんに悩みなんかあるのかなぁ。

 もう、何年も暮らしてますってカンジに過ごしてるし、それに、悩みごととキスに関係があるとは思えないし……。

 ハルちゃんの話の行き先が分からなくて、首をかしげながら聞いてた。


「ユメが何に悩んでるのか分からないけど、とりあえず、その子ともっと話をしてみたら?

 その子のことがよく分からないから悩んでるだけかもしれないし

 もし、他に何か理由があったとしても、その子のことが分かんなかったら、対策をたてようも無いでしょ」

「そっか……。そうだよね!」


 何か道がぱぁっと開けてきた気がした。

 リサちゃんのこと、知ってるつもりだったけど、考えれば知らないことだらけな気もする。


「ありがとう! ハルちゃん。何かスッキリしたよ」

「そう、よかった。ユメがいつものユメに戻って……」


 そのとき、ブー、ブーって、ケイタイのバイブの音がして。


「あの、校内では使用禁止のはずですが……」


 ハルちゃんのケイタイにかかってきたみたいだけど、誰からなんだろう? と思ったら。


「え? 今からですか? あのちょっと……え!」


 一方的に切られたみたい。

 ハルちゃんは複雑な表情で自分のケイタイを見てる。


「どうしたの? ハルちゃん」

「……はぁ。ちょっと、生徒会の呼び出しがかかったから、行ってくるわね」

「うん……でも、大丈夫? 何か疲れたカンジだけど」

「まぁ、うん。いろいろとね……」


 さっきまでのピシッとしたカンジはどこへやら、何か萎れた花みたいになっちゃった。

 高等部の生徒会って、そんなにタイヘンなのかなぁ。


「ごめんね、ユメ」

「ううん、いいよ。ハルちゃんこそ、大丈夫?」

「まぁ、うん……えッ!」


 あたしはハルちゃんの手をキュッと握り締めた。


「ユ、ユメ?」

「あたしの元気が伝染しないかなって思って」

「もう、ユメったら……ありがと」


 そう言って立ち上がったハルちゃんは、いつもの凛としたハルちゃんだった。


「じゃあ、わたし、行くね。あ、教室に戻ってていから」

「うん。いってらっしゃーい」


 ブンブンと手を振って、ハルちゃんを見送った。

 さてと……どうしようかな。

 一人で屋上にいてもつまんないし、気持ちの整理がついたら、急にお腹が空いてきたし。


 あたしは食べかけのカレーパンを食べると、ゴミをまとめて、校舎の中に戻った。

 お昼休みの校舎は全体がザワザワしてて、時々、きゃーって楽しそうな声も聞こえる。

 そんな中、一人でいるのが、ちょっと寂しかった。


「こういうときは、甘いのがいいよね」


 元気も出るし、そう言えば、何か新商品があった気がする。

 階段を降りて、廊下を早歩きしてたとき、何気なく中庭の方を見たら、見覚えのある後ろ姿が目に入った。


「……もしかして、リサちゃん?」


 あたしは思わず、足を止めた。

 確かめようと思ったんだけど、ここからじゃハッキリとは分からなかった。

 せめて横顔でもチラっと見えれば分かるんだけど、窓を開けて声をかけようにも、ちょっと遠すぎるしなぁ。

 そのリサちゃんらしき人は、うつむいてるカンジで、ベンチに一人で座ってた。

 本を読んでるみたいだけど、何となく、その後姿を見てたら、心がキュッて掴まれたみたいになった。

 どうしよう……って思ってたら。


「あれ? ゆめっち、何やってんの?」


 振り返ったら、同じクラスの鹿取さんがいた。


「え? あ、うん。その、カフェテリアに行こうと思ってて」

「そうなんだ。じゃあ、一緒に行こ。お弁当が足らなくてさ、パンを買いに行くところなんだ」

「あ、うん。いいよ」


 あたしは鹿取さんと一緒に、カフェテリアに向かった。

『今までと違う生活が始まって、不安なこととか、あるんじゃないかなぁ』

 さっきのハルちゃんの言葉が、ふと頭の中を通り過ぎた。

 今日は帰ったら、リサちゃんといろいろ話をしてみよっと。

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