第5話

「……ふぅ」


 あたしは読みかけのマンガを、ポンと横に置く。


「何か……気分が乗らないなぁ」


 何度目かのため息をついたとき、寮内放送で消灯時間を知らせるオルゴールのヒーリングミュージックが流れた。

 マンガをサイドボードに積み上げたまま、部屋の明かりを消すと、そのままベッドに寝転がる。

 目を閉じてみたけど、眠くないから、全く寝付けない。

 いつもなら、マンガ読んだり、ゲームしたりしてるんだけど……そんな気分にはなれなかった。


「……逢いたいなぁ」


 薄暗い部屋に、あたしの呟きがもれる。

 こういうとき、一人部屋って便利だけど……やっぱりイヤかも。

 だって、誰かがいれば寂しさも紛れるし、それに寂しくなんてならなかったかもしれない。


「莉紗さん……何してるんだろ?」


 出会った日から、もうすぐ一週間になる。

 始業式まで毎日逢ってたのに、もう三日も逢ってない。

 たぬき屋でハルちゃんとご飯を食べたあと、橋を通ったけど、莉紗さんには逢えなかった。

 次の日も、その次の日も、学校が終わったあとに行ってみたんだけど、やっぱり逢えなかった。


「……何で逢いたいんだろ?」


 莉紗さんのこと、いろいろ知ってるようにみえて、実は何も知らなかった。

 年齢も、学校も、連絡先も。

 もしかすると、こっちに住んでないのかもしれない。

 もう一生、逢えないかもしれない。

 だから、もう一度、逢いたいって思ってるのかな。


 あたしは起き上がって、サイドボードの引き出しを開けた。

 莉紗さんから借りっ放しのタオルが入ってる。

 ホントは洗濯しないといけないんだけど、でも、莉紗さんの匂いが消えちゃう気がして、洗濯できなかった。


「……もう、うっすらとしかしないなぁ」


 くんくんと嗅いでみても、微かにしか匂いがしなかった。

 引き出しに仕舞おうとした手を止めて、あたしはタオルを握ったまま、横になった。


   ◆


「山下さん。東山先輩が呼んでるよ?」

「え? あ、朋夏さん」


 翌日の土曜日。

 四時間目が終わって、後は帰りのホームルームだけ。

 先生が来るまでの間、トイレに行く子もいれば、本を読んでる子もいるし、でも、ほとんどの子は、友達とお喋りしてた。

 あたしも、ハルちゃんと喋ってたんだけど、クラスメートの子にそう言われて、顔を上げたら、ドアのところで寮長の朋夏さんが手を振ってた。


 三年生で寮長の朋夏さんは、バスケ部のエースで、学校新聞にもよく載ってるし、今年も、県大会で大活躍したんだって。

 背がとっても高くて、ショートヘアーが似合ってて、しかも、頼りになる性格で、ちょっと低めの声で。

 だから、そんな朋夏さんに「王子様~」って憧れてる子が多いんだ。


 朋夏さんに気づいた子たちが、小声でキャーキャー言ってるのが聞こえる。

 ……行きにくいなぁ。

 あたしはハルちゃんに断ると、みんなの視線を感じながら、入り口に向かう。


「ごめんね。急に」

「いえ、大丈夫ですよ。ところで、どうしたんですか?」

「じゃあ、ちょっといい?」


 教室からちょっと離れたところに、朋夏さんがあたしを連れ出した。

 何だろうって見上げた朋夏さんの顔は、いつもの活発でスッキリした表情じゃないような気がする。


「あのさ……明日って、何か予定があったりする?」

「え? 別に何も無いですけど」

「じゃあ、ずっと寮にいる?」

「たぶん……。あの、何かあるんですか?」

「実はね。転校生が、入寮することになったんだよ」

「えッ! ホントですか!」

「私も、ついさっき寮監の先生から言われて、今日の夜には寮のみんなに伝えようと思うんだけど

 でも、ユメちゃんには急いで知らせなきゃって思って。一緒の部屋になるからね」


「わぁ、楽しみ……あ。どんな子なんですか?」

「学年は中等部の二年で、名前は……あれ? なんだっけ。えーっと、石井? だったかな? ごめん、覚えてないや」


 申し訳無さそうに、朋夏さんが頭をかいた。

 ちょっぴり大雑把で、どこか抜けてて……って、あたしもそうだから人のこと言えないけど。

 でも、大らかで元気いっぱいで、だからみんなに好かれてるんだよね。


「中等部の二年生か……月曜に飼育委員の集りがあるから、聞いてみようかな」


 同じクラスとは限らないけど、転校生がたくさんいるとは思えないし、うまくすれば昼休みにコッソリ見に行けるかも。

 ところが。


「あー。実は、入寮日が明日なんだよね」

「……えッ! 明日!」

「うん。それで、急で申し訳ないんだけど……出迎えとか頼んじゃって平気? 一応、夕方ごろに来る予定なんだけど」

「大丈夫ですよ。朋夏さんが忙しいなら、寮の案内もしておきますけど?」

「ホント! 明日は部活で引退試合と壮行会があってさ。夕食までには戻れるとは思うんだけど」

「分かりました。朋夏さんは試合の方、がんばってくださいね」

「うん、ありがとう。じゃあ、お願いね!」


 そう言って、バタバタと朋夏さんは廊下を走っていった。

 朋夏さんを見送って教室に戻ったとき、ちょうど担任の先生が入ってきて

 帰りのホームルームが始まった……んだけど、頭の中は転校生のことでいっぱいだった。


 どんな子かな?

 朋夏さんみたいな元気な子?

 和佳ちゃんみたいな、おっとりさん?

 それとも、紫月ちゃんみたいにゲーム好き……だと三人で遊べるんだけどな。

 同じ寮の人たちの顔を思い浮かべながら、誰に似てるのかなって考えてたら。


「山下さん。聞いてますか?」

「……えッ! は、はい!」


 って、注意されちゃった。チラッと隣を見たら、ハルちゃんがため息をついてた。

 ……ハルちゃんみたいな、しっかりした人もありかな。


   ◆


「新しい寮生が来るんでしょ?」


 ホームルームが終わって、バッグに教科書とかノートとか仕舞ってたら、ハルちゃんがそう言ってきた。


「えッ! 何で知ってるの?」

「ユメの浮かれた様子と、寮長が来たことと、あと転校生がいるっていうことも理由になるかしらね」

「そうだ。ハルちゃん、転校生って、どんな子か知ってる?」

「詳しいことは知らないけど、東京から転校してきたみたいね」

「へー。東京からなんだ」

「自己紹介でそう言ってたって、中等部の生徒会の子たちが話してたのよ」


 寮生はあたしを入れて七人なんだけど、東京出身って、あたしだけなんだよね。

 同じクラスの佐藤さんが、東京から引っ越してきたって言ってたけど、部活とか、趣味とか、あまり接点が無くて、そんなに話したことは無いし。


 ……そっかぁ、東京の子なんだ。

 一気に親近感が湧いたかも。


「他には? 何か知ってる?」

「うーん……転校生について喋ってるのは覚えてるんだけど、内容までは……ごめんね」

「ううん、いいよ。どうせ明日には会えるんだし」

「え? 明日なの?」

「うん。朋夏さんも、さっき聞いたみたい」

「いやに急な話ね。手続きが遅れてたのかしら?」

「あたしも寮に入ったのは入学式の本当に直前だったよ。引越しの準備とかいろいろあったし」

「ふぅん、そう……あ、もし何かあったら言ってね。力になれることもあるかもしれないし」

「うん。ありがと、ハルちゃん」


「じゃあ、私はそろそろ生徒会に行くわね」

「あれ? 土曜日なのに?」

「だって、再来週は体育祭でしょ。いろいろ準備があるのよ」

「あ、そっか。大変だね」

「そうでもないわよ。もう四年目だしね。ユメこそ、部屋の片付けとか大丈夫?」

「え……あ、うん。まぁ……」


 そっか。部屋を片付けておかないといけないんだ。

 そんなに散らかってないと思うから、ちょこっと掃除すれば済むよね。


「ユメ、本当に大丈夫? 手伝おうか?」

「あ、うん。大丈夫だって。今日、しっかり片付けるし、明日もあるから」

「……そう。もし、何か困ったことがあったらメールしてね。明日は何も無いから」

「うん! ありがとう、ハルちゃん」


 嬉しくて、ギューッて抱きつきたかったけど、他の人もいるから、ガマンした。

 あたしはバッグを背負うと、ハルちゃんと一緒に教室を出た。

 廊下の突き当たりで、生徒会室に向かうハルちゃんを見送って、階段を下りようとしたとき。


「そうだ。お昼ごはん、買わなきゃ」


 寮で食事は出るんだけど、平日と土曜日の朝と夜だけなんだ。

 平日はカフェテリアで食べたり、購買でパンやお弁当を買って教室や屋上で食べたりしてるんだよ。

 土曜日もカフェテリアは開いてるから、そこで食べるか、あるいは寮に帰って、自分で作るかなんだけど……どうしよう。

 まかないのおばさんが、いろいろと材料を用意しておいてくれるから、適当に作って食べればいいんだけど、何にしようかな。


「うーん……あ。昨日のビーフシチューがまだ残ってるはずだから、オムライスにしようかな」


 ケチャップライスに薄焼きたまごのオムライスも好きだけど、ふわふわたまごにビーフシチューとか、デミグラスソースを添えたのもいいんだよね。

 そう言えば、昨日読んでた……あ!


「そうだ。新刊、出てたんだっけ」


 明日は買いに行けないから……今日、行こうかな。

 一度、寮に帰ろうかなって思ったけど、そんなにお腹も空いてないし、早く読みたいから、買いに行こっと。

 あたしは昇降口で靴を履き替えると、正門の方に歩き出した。


   ◆


「あ~。良かったなぁ……」


 あたしは、傾き始めた太陽を背に、川べりの遊歩道を歩いてた。

 もちろん、頭の中は、何度も読み返した新刊のことでいっぱい。

 ホントは、買って帰るつもりだったんだけど、手に取ったらすぐに読みたくなっちゃって

 それで、近くのファーストフードに入って、お昼を食べながら読んじゃったんだよね。


「寮に帰ったら、もう一度、一巻から読み返そうかな~」


 階段をトントンッとリズミカルに上って、橋の入り口に出る。

 橋を渡ってるとき、眩しい西日が目に入った。

 チラリと川を見ると、水面がキラキラと反射してた。


「……もう、逢えないのかなぁ」


 あたしは橋の真ん中で立ち止まった。

 先週の今日、二人でこんな夕日を見て、お喋りをした。

 次の日も、その次の日も、そして更に次の日、キス、したんだよね。


 そっと指を唇に押し当てた。

 もう、感触はハッキリと覚えてない。

 でも、そのときのドキドキは今でも覚えてる。


 それだけじゃない。

 莉紗さんの体温とか、匂いとか、キレイな声とか、間近でかかる吐息とか……でも、少しずつ、莉紗さんの記憶が薄れていく。

 不思議な夏の思い出になっちゃうのかな。


「ま、仕方ないよねッ」


 まだ、気持ちの整理はちゃんとついてないけど、そのうちハルちゃんに話そうかな。

 不思議な人にあったんだよって。

 とってもキレイな人なんだけど、大きな口を開けて笑うんだよって。


「さーてと。暗くなる前に帰らなきゃ」


 手すりから体を離して、歩き始めようとしたとき。


「夢乃ちゃん!」


 その声に思わず振り返る。その人があたしの方に走ってきた。


「り、莉紗さん……」


 心臓がドキドキしだした。バッグのベルトをギュッと握る。


「夢乃ちゃん……よね?」

「え? はい、そうですけど……」


 莉紗さんは息を切らせて、あたしを見てる。

 あたしは、何て言えばいいか分からなくて、莉紗さんの返事を待ってた。


「まさか、また会えるなんて……」

「あ、あたしもです」


 三日ぶりの莉紗さんは、今までとは違って、ラフなカンジだった。

 七部袖のTシャツに、ジーンズとスニーカー。

 あたしの普段着とほぼ同じだけど、やっぱりキレイな人が着てると、様になるんだなぁ。

 ぼーっと見とれてたら、莉紗さんに質問されて、思ったとおりに答えたら、ニッコリ笑って。


「ありがとう。夢乃ちゃん」


 その笑顔に、胸がドキッって高鳴る。

 お礼を言われて、ちょっと恥ずかしい……のとは違うカンジがする。

 でも、どういう気持ちかって言われると、よく分かんない。


 莉紗さんはあたしの横に立つと。


「……ねぇ。夢乃ちゃんの学校って、どんなところなの?」

「へ? 学校ですか?」


 予想外の質問に、あたしは戸惑った。


「そう言えば、いろいろお喋りしたけど、学校のことって聞いてなかったなって。その制服って、蓮華女子のでしょ?」

「あ、はい。そうですけど」

「それで、どんなところなの?」

「そうですね……」


 何を話せばいいんだろう?

 仏教系の学校で、女子校で、明治時代からあって……学校案内に載ってるようなことを思いついたんだけど、何か違う気がした。

 だから。


「あの、何か知りたいことってありますか?」

「そうね……じゃあ、夢乃ちゃんの好きな場所ってある?」

「好きな場所ですか? うーん……あ! ネコ小屋です」

「ネコゴヤ?」

「はい。うちの学校でネコを飼ってるんです」

「あぁ、ネコ小屋。って、ネコ? ウサギじゃなくて?」

「はい。うちの学校でネコを飼ってるんですよ」

「変わってるのね。でも、何でネコを飼ってるの?」

「それはですね……」


 ネコ好きの校長先生のこととか

 あたしが飼育委員をやってることとか

 ボスネコのこととか

 いたずらっ子が高いところに登って下りられなくなったこととか……

 そんな話を莉紗さんは楽しそうに聞いてくれた。


「何か、夢乃ちゃんの話を聞いてると、学校のあちこちにネコがいるように思えてくるわね」

「あちこちにいますよ。木陰でお昼寝してたり、お昼になると、何かもらおうと中庭に来たりしてますし」

「まるでネコの学校ね」

「あ。莉紗さんってネコが好きですか?」

「好きだけど……どうして?」

「今度、ネコ小屋に来ませんか?」

「そうね……一度、見てみたいかも」

「じゃあ、今度……あ」

「どうしたの?」


 さすがに女の人でも、部外者を校内に入れるのってダメだよね。

 それ以前に、守衛さんに止められちゃうかもしれない。

 どうしよう……あ! そうだ!


「お姉ちゃんのフリをすればいいんだ」

「え?」

「あたし、大学生のお姉ちゃんがいるんで、妹の様子を見に来たって言えば、入れると思うんです」

「あぁ、そういうこと……ふふふッ」

「え? 莉紗さん?」

「ううん、何でもないわ」


 そう言うけど、まるで面白いものを見つけたみたいな、いたずらっ子のような顔で笑ってる。

 そんな莉紗さんがちょっとカワイイなって思った。

 怒られるかもしれないけど。


「ねぇ、連絡先、教えてくれる? スマホある?」

「えっとケイタイなら」


 あたしは背負ってたバッグから、ケイタイを取り出した。

 えっと赤外線ってどうやるんだっけ……って思ったら。


「あ、わたしのついてないんだ。メアド見せてくれる?」

「えっと……はい。これです」

「ふむふむ……」


 あたしのケイタイを見ながら、莉紗さんがスラスラとスマホを操作してる。

 そんな姿が、とてもカッコよかった。

 ……そう言えば、莉紗さんって、何歳なんだろう?

 あたしのお姉ちゃんは今年、大学生になったんだけど、お姉ちゃんよりも、もう少し大人に見える。

 歳が気になるけど……聞いたら失礼かなぁ。


「ん? 何か顔についてる?」

「あ。い、いえ!」

「そう? はい、送ったから」

「えっと……あ、届きました」


 ブーッて、ケイタイが震えた。

 莉紗さんからの初めてのメール。

 電話番号と、メアドと、『よろしくね』って言葉と絵文字。

 シンプルだけど、莉紗さんっぽいなぁって思った。


「ヒマなときにメールしてもいいからね」

「え……いいんですか? メールして」

「メールして欲しくない相手に、連絡先は教えないわよ。でも、夕方か夜じゃないと、返事はできないと思うけど」

「あ、はい! 返事はいつでもいいです!」

「……ホント、面白いわね。夢乃ちゃんって」

「え……」


 莉紗さんは涼しげに笑った。

 その笑顔を見てたら、また胸がドキドキしてきて、思わず逃げ出したくなる。

 もちろん、もっともっと一緒にいたいのに。


「ところで……夢乃ちゃんって、どの辺りに住んでるの? よくここで会うけど、近くなの?」

「えっと、あたし、学校の寮に住んでるんです」

「……そう、そうなの」


 莉紗さんが微かに笑いながら、納得したように何度も頷く。


「ねぇ。寮での生活ってどうなの?」

「え? どうって……まぁ、特別なことは無いと思いますけど」

「でも、家で暮らすのとは違うでしょ?」

「まぁ、そうですね。基本的に、二人で一部屋なんですけど……あ、そうだ! 明日、新しい人が来るんですよ!」

「新しい人?」

「はい。中等部の転校生で、同じ部屋になるんです」


「ふぅん……。その転校生って、どんな子なの?」

「東京から来たらしくて、中等部の子で……」

「それで?」

「……それしか知らないんです」

「え? それだけ? 名前も知らないの?」

「はい。寮長さんも知らなくて……寮監の先生なら、知ってるとは思うんですけど」

「そう。でも、知らない人と同じ部屋になるのって、怖くないの? 不安じゃない?」


 莉紗さんが不思議そうな顔であたしを見た。

 言われて見ると莉紗さんの言うとおりかもしれないけど。


「怖くはないですよ。不安は……まぁ、ちょっぴりはありますけど、でも、ワクワクの方が大きいんです」

「夢乃ちゃんって、前向きなのね」

「そうですか?」

「だって、仲良くなれなかったらどうしようって思わない?」

「思わなくもないですけど、でも、莉紗さんとも仲良くなれたので、大丈夫な気がします」

「……夢乃ちゃん?」

「だって、莉紗さんと出会ってから、まだ一週間ですよ?

 でも、楽しくお喋りできるし、逢いたいなって思えるから、きっと、新しく寮に来る子とも大丈夫かなって」


 ……あれ? 何かサラリとヘンなことを言っちゃった気がする。

 その証拠に、莉紗さんが目を大きく見開いて、驚いたような、ポカンとしたような顔であたしを見てる。

 そして。


「……ふ、ふふッ。あはははは」


 今までにない明るい笑い声だった。

 こんなに大笑いした莉紗さんを見るのは初めてかも。

 そんなにツボに入るようなこと、言ったっけ?


「あ、あの、莉紗さん?」

「ご、ごめん……なさい。おかしくて、笑ったんじゃないの」

「え?」

「……はぁ。何て言うのかな……そうね。あまりに夢乃ちゃんがかわいくて」

「え……ッ!」


 それはほんの一瞬だった。

 気づいたときには、もう莉紗さんの顔は離れてた。

 あたしは黙ったまま、莉紗さんの顔を見上げた。


「どうしたの?」

「……」

「もしかして、おねだりしてるの?」


 ……オネダリ?

 ……何を?

 ……あッ!


「ち、違います!」


 勢いよく首を振った。

 でも、そんなふうにするのって、逆に莉紗さんに悪い気がして、ハッと顔を上げた。


「リクエストに応えてあげたいところだけど、誰が見てるか分からないし……だから、また次に会ったときにね」

「え、あ……その……」

「と、言うわけで。またね、夢乃ちゃん」


 莉紗さんはくるっと後ろを向くと、スタスタと歩いていった。

 そんな莉紗さんの後姿を、あたしはただぼーっと見送るしかできなかった。


   ◆


「……ふぅ。まぁ、こんなものかな」


 あたしは自分の部屋をぐるっと見渡した。

 寮の部屋は結構、広くて、ベッドを勉強机が二つずつ置いてあるけど

 それでもまだ、もう一つずつ置けるぐらいのスペースはある。

 ベッドとベッドの間にあるサイドボードは、あたしの読みかけ本置き場になってたけど、今は電気スタンドしか置いてない。


「あれ? シーツとか、毛布とかどうするんだろう?」


 埃がつかないように、ベッドカバーはかけてあるけど、シーツも毛布も枕カバーもない。

 予備の毛布とか、どこかにしまってあるのかな?

 あとで朋夏さんに聞いておかないと。


「机も棚もキレイにしたし、クローゼットも大丈夫。どこか片付け忘れてるとこって無いかな……」


 こんなに整理整頓された自分の部屋を見るのは、ホント久しぶりかも。

 でも、ここまでするのは大変だったんだよ。


 昨日は、いろいろあって、何もしないまま寝ちゃって、今日は目覚ましをセットし忘れたのもあって、起きたのは十一時ごろだった。

 急いで朝ごはん兼用のお昼を食べて、バタバタと掃除を開始。

 そんなに汚してはいないんだけど、とにかく本が多くて。

 二人で使う棚は、あたしのマンガやラノベで埋まってたし、仕舞いきれない分がクローゼットや机に置いてあったり、もう一つのクローゼットと机も使ってたり。


 ……うん、さすがに反省しました。


 他の人が読みそうなマンガを談話室に置くことにして、それでも、大き目の紙袋にどんどん詰め込んで、三階の談話室と二階の部屋を往復すること六回。

 「買いすぎだよー」とか、「久しぶりに読みたいから、貸して?」とか

 「談話室の本棚は、ユメちゃんと、紫月ちゃんの予備の場所じゃないんだぞ」とか言われたけど、片付けは何とか終わったよ!


「あ~、疲れた……あ、電話だ」


 机の上に置いておいたケイタイの着信メロディが流れた。

 誰からかなって立ち上がって……え、莉紗さん! な、何で?


「も、もしもし」

『あ、夢乃ちゃん? 私だけど』

「どうしたんですか?」

『実はね。今、寮の前にいるのよ』

「え……な、ど……」

『どうしたの? 夢乃ちゃん』

「あ、いえ……あ。今、下に降りますね」

『そう? じゃあ、待ってるわね』


 あたしは電話を切って、部屋を飛び出す。

 古い木造の床と階段をギシギシ鳴らして玄関に向かうと、話し声が聞こえてきた。


「じゃあ、ユメちゃん、呼んでくるね」

「はい……あ、大丈夫みたいですよ」

「え? あ、ユメちゃん。今、呼びに行こうって思ってたんだ」


 玄関ホールに、同じ学年の和佳ちゃんと莉紗さんがいたんだけど、何か違和感があった。

 別にヘンな格好はしてない。

 二人ともうちの制服を着て立ってるだけ。

 今日は日曜日だけど、和佳ちゃんは部活があるって言ってたし、莉紗さんは……ん? 制服?


「今日から入寮する西木さんだって」

「あ、うん……」

「じゃあ、わたし、部活に戻るね。西木さん、また後でゆっくりお話しようね」

「はい。ありがとうございます」


 和佳ちゃんがパタパタと出かけたあと、あたしはペタリとその場に座り込んで、莉紗さんを見上げた。

 今、目の前に立ってるのは莉紗さんで間違いない。

 それで今日、入寮する転校生が来ることになってて、その子は中等部の二年生。

 そして、莉紗さんがうちの制服を着てるってことは、つまり……。


「夢乃さん?」

「……えっと……莉紗、さん?」

「はい。あ……リサで構いませんよ」

「あ、うん……えっと、じゃあ、リサちゃん?」

「はい、なんですか? 夢乃先輩?」


 莉紗さ……じゃなくって、リサちゃんがニッコリと笑った。

 何か言いたいこととか、聞きたいこととかいっぱいあったけど、いい言葉が見つからなくて。

 だから。


「えっと……清麗寮に、ようこそ……」

「……ふっ、ふふッ……あはははは」


 リサちゃんが、大きく口を開けて笑い出した。

 そして。


「夢乃さんって……面白いですね」

「そう、かなぁ」

「ええ、面白いですよ。そして」


 リサちゃんがそっとかがんで……!


「宜しくお願いしますね。夢乃さん」


 あッ、て気づいた時には、もう唇が奪われてた。

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