第十話 頂ノ階段

次々と襲いかかって来る黒い腕を、一つ残らず消していく。絶えず生成されるそれは、しかし動きが鈍いためそれほど苦にならない。


しかし、ソフィに近付いたところでどうやって呪いを解くか、俺はそれをまだ考えていなかった。この剣を刺せば解呪できるだろうか?いや、ソフィの体を傷つけるわけにはいかない。



「くっ!」



徐々にだが、動きを早くする黒い腕に俺は翻弄されていた。これの意味するところは、つまりソフィの意思が無くなってきているということだ。


彼女の意思が無くなれば、閉じられた眼が開けられるだろう。一体何が起こるのか全くわからない。考える猶予は一刻も無さそうだ。



「呪いって事は、聖魔法みたいなやつで解けるかもしれない」



だが、俺は聖魔法を知らなかった。使えるのは今のところ下級火球ファイアーボール下級風刃ウィンドカッターのみだ。アイリス達に魔法を教わればよかったと、今更ながら後悔する。



「愚かな種族ヨ、何故抗ウ?」



終極ジ・エンドに至ったソフィの口から初めて言葉が紡がれた。それは複数の声が重なったような声色で、とても不気味に感じてしまう。



「ソフィ……なのか?」



「否──我は過去と過程を司る神、シドギエル。依り代よりこの世界に参っタ」



黒い腕の猛攻も今は止まっており、薄暗い平原に場違いな声色が響き渡っている。目の前の存在が神だと聞いて驚くが、同時に今回の原因を作った張本人であるシドギエルに対して怒りが湧いた。



「何故こんなことをした!」



ソフィの意思を無視して依り代にした行為は、絶対に許せないことだ。この理不尽な行いに、俺の怒りは徐々に高まっていく。



「愚問だな人間ヨ。理由はただ一つ、この世界において成し得なければならない事があったからダ」



「成し得なければならない事って……まさか、あの子供達を集めたのもそのためか?」



「そうダ。現状このむすめの出来る範囲で集められる最強のSスキル達、七つの大罪セブン・シリーズの力を我は利用すル」



セブン・シリーズ、つまり七つの大罪と言いたいのだろう。たしか憤怒・嫉妬・傲慢・怠惰・強欲・色欲・暴食の七つで構成される人間の罪源だったっけ。



「何で地球のものが……」



怒りよりも疑問の念が上回る。七つの大罪は地球のものだったはずだ。何故異世界であるイーシェルに存在する?



「話は終わりダ。我が喋れるようになったのも、この娘が完全に蝕まれたからであル。さぁ、死ぬがいイ」



衝撃的な発言の後、シドギエルはその瞳をゆっくりと開かせる。真っ黒な眼球に赤く光る点。相変わらず不気味と思えるその瞳を、俺は見てしまった。



「ぐっ!」



■HP 8,956,838/10,001,000



突如として全身に走る痛み。力が入らなくなり、地面に膝をつく。刺すような痛みから今度は痺れを含み、耐えきれず地面に崩れ落ちた。



■HP 7,702,642/10,001,000



ひどい耳鳴りとともに、体中を焼けるような熱さが駆け巡る。大量の汗とともに気力も流れていくみたいだ。



■HP 6,583,290/10,001,000



視界の端に浮かび上がるHPのステータスバー。黄色く点滅しているところを見るのは初めてだ。



■HP 5,405,329/10,001,000



「呪いの進行が遅いナ。人間にしては異常ダ」



朦朧とする意識の中で、シドギエルの声がうっすらと耳に届く。手足の感覚は無くなり、うつ伏せのまま起き上がることが出来ない。ただ顔のみが横に向いており、シドギエルの姿を捉える事ができる。



■HP 4,277,963/10,001,000



ああ、このまま死ぬのかな。思い返せば転生した頃の俺は創神の力に自惚れていたっけ。今じゃ単なる馬鹿力にしか思えないけど。アグラードやヴァンザドールとの戦闘は、正直楽しかったよな。



■HP 3,209,542/10,001,000



アルドベルクは強かった。まるで攻撃が通らないし、通ったとしても謎の防御力とリリスの回復魔法ですぐに元通りになる。正直もう戦いたくない相手だよ。イーリスの能力があまり使えないと感じ出したのも、この辺りからかな。



■HP 2,089,534/10,001,000



ステータスバーが赤色に点滅し始める。迫り来る死に、恐怖ではなく悔しさの念が押し寄せてきた。こんなところで死ぬわけにはいかないのに。まだソフィを助けられてないのに。この世界でやり残したことが多すぎる。



■HP 954,235/10,001,000



イーリスごめん。世界……救えないみたいだ。アイリスとリリスも約束破ってごめんな。生きて帰ることは出来そうにない。



■HP 16,782/10,001,000



両親にも謝らなきゃ、きっとあっちで悲しい思いをさせてるだろうから。産んでくれてありがとうって、お礼もまだ言えてないのに。



■HP 3,472/10,001,000



俺はこの世界で何が出来ただろう。誰かを救えたか?何か歴史に残るような事をしたか?変についた正義感は、しかし役に立った試しがない。偽善を振り回しても、結局何も変わらないんじゃ意味がないよな。



■HP 508/10,001,000



「くっ…………そ…………」



枯れきった目から涙が溢れる。もはや何も見えず、何も聞こえない。ただ浮かび上がる死の宣告。刻まれる終わりの刻。逃れられない死が、もう目の前にいた。



■HP 1/10,001,000



ごめん、こんな事しか言えないけど。もう少し、時間が欲しかったかな。



■HP 0/10,000,000



俺の意識はそこで終わった。











人は死ぬとどこへ行くと思う?天国と地獄か、はたまた魔界みたいな異世界か?


違う、答えは真っ白な空間だ。


全ての人間がここに来るかは分からないが、今俺がいる場所は転生する時にいたあの空間と非常に似ている。いや、もしかしたら全く一緒なのかもしれない。


何にもない空間で何することもなく、しばらく呆然と突っ立っていると、不意に後ろから少女の声が聞こえた。



「おはよう……かな?」



どこか懐かしい声。俺がこの世界に来て初めて会話した相手であり、イーシェルを創造した双神の一人。俺がこの世界に来るきっかけを作ってくれた神レベルで可愛らしい少女。それはもう一人しかいない。



「おはよう、イーリス」



下手くそな笑顔で振り返り、目の前の少女と対面する。イーリスはあの時のように白いワンピースを着ていて、にこやかに微笑んでいた。



「まさかここが天国だったとは」



「違うよ、ここは私の神剣の中……って、その様子だと今の自分の状況がわかってるみたいだね」



イーリスの言葉に俺は頷く。そう、俺は死んだのだ。シドギエルの呪いに蝕まれて、きっと魂すらも消え失せたんだろう。



「ごめん、頑張ったつもりだったけど何も出来なかった。世界を救うって言ったのに、約束破ってしまったよな」



「いいよ、君はよくやってくれたからね。あれはフィーニスの影響も出ていたから、流石に君でも勝てなかったと思うし」



そう言われると、途端に気持ちが楽になった。勝てない相手だったら、別に負けても仕方ないはず、俺は悪くないよね。


なんて、昔の俺だったらそう言ってただろうな。だけど、今は違う。この世界に来て目的が出来たし、守りたい人達も出来た。短い時間の中で、色々と学んだりもしたし、悩むこともあった。けれどそれが、それこそが。俺にとってかけがえのない時間であり、同時に手放したくない居場所にもなっていたんだ。



「イーリス、率直に言うよ。俺を生き返らせてくれ。魂でも肉体でも、なんでもいいから用意して欲しい」



「残念だけど、魂を創造すると全く別の人間になっちゃうよ?」



「それでも、守りたい人達が……助けたい少女がイーシェルにいるんだ」



「……そっか」



俺の思いが届いたのか、イーリスは諦めたようにそう呟く。



「わかった、生き返らせてあげるよ」



「本当か!?」



「ただし、君は一つ誤解してることがある。魂は消滅したと思ってるかもしれないけれど、私の神剣の中で大事に守られてるからね?今もこうして意思疎通が出来てるのも、君が魂の状態だからだし」



そうか、確かに【光輝の神剣ソル・イーリス・ブレイド】にはスキル無効以外にも所有者の魂を保管すると書いてあった。



「てことは、俺は今のままで生き返ることが出来るのか?」



「そういうこと」



イーリスの言葉に、心の奥底から嬉しさがこみ上げてくる。飛び上がりそうになる体を必死で抑えつけ、にやけ顔で俺は言う。



「ありがとう、今度は絶対に負けないから」



「だけど、今のままじゃ絶対に勝てないと思うよ?だから私も力を貸してあげる」



「えっ?」



唐突なイーリスの提案に、俺は言葉を詰まらせる。



「力を貸すと言っても、詠唱を手伝うってだけだよ」



「詠唱って、魔法か?」



「違う、終極ジ・エンドに至らせてあげるってこと。君はシドギエルとの戦闘で、EXの値が100%になってたから」



それはつまり、あの神と同じ土台に立てるということか。神と同等でなければ触れることも出来ない相手、だけど俺が終極ジ・エンドに至れば不可能だったことが可能になる。確かな可能性に、俺は拳を強く握り締めた。



「ありがとう、絶対に勝ってみせる」



「うん」



「この力を使って、ソフィを助ける」



「うん」



「だから、力を貸してくれ。イーリス」



それを聞いたイーリスは、クスりと小さく笑った。





「君の思うがままに」




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