第4話 ループ因数公式

***


 ループ小説を読み終わって、俺はひどくうとうとしていた。夏休み最終日。どうしたらいいかわからなくて、珠美と一緒に宿題をやってみたりもした。しかも何度かやってみたけれど、珠美はいつも同じところで躓いていた。……珠美は気づいてないんだ。何も。まあ誰もループしているなんて信じてないけど、でも、珠美だと思っていたんだけどな……

 やっぱりループの中でぐるぐるしているのは俺だけなんだ。そんな風に妙にさみしくなって、少しずつ、少しずつ、意識が遠のいていく。


 目覚めたら朝が来ていた。……またループの手掛かりを得られないまま7月だ。そろそろ起きて朝ごはんを食べよう。洗面台へ向かい、支度する。

「ごはんよ~」いつもの声がする。またやり直しだ。諦めてテキパキと食卓へ向かう。諦めも肝心。今日の朝ごはんはもう遠い『昨日』の晩御飯の残りのしゃけと豆腐の味噌汁……

 と思っていたのだけれど、母さんが持ってきたのはホットサンドだった。

「今日から学校ねえ……明日からお弁当作るのでいいわよね。今日は何か食べたかったら購買か食堂で何か食べてちょうだい。」明日から弁当が一つ増えるのに母さんは何となく嬉しそうだ。でも待って。

「え、今日から学校?」今日から夏休みのはずだ。

 この部屋の壁にはなぜか昔から日めくりと月間、二種類のカレンダーが貼られている。見慣れてしまった八月のカレンダーの花火大会が秋の装いに変わっている……

 九月一日が来たんだ。


 バタバタと走りながらえらいこっちゃえらいこっちゃと面白い動きをしながら学校へ向かう。まだ見ぬ明日がやっと来たんだ。今日はどんな日なのかな、って思いながら、大事なことを一つ忘れていたこともついでに思い出し


***


 ……ベッドから落ちた。

「……ゆめ……?」いやでも、俺は確かにカレンダーの向こう側を……

 階段を駆け下りる。転びそう。右手に曲がって、右手に見える扉を開けて、洗面台に手をかけた。俺の顔は、なんだかいつもより目が大きい気がする。息が荒い。バカみたいだな。なんか。

 いつもより冷たい水で顔を洗う。手に石鹸を取って泡立てて適当に顔を真っ白にする。息が苦しい。どうやって息継ぎしてたっけ。早く流さなきゃ。

 顔を上げたら、いつもの俺だった。息が荒い。目の下が引きつっている。確かめなきゃ。早く。忘れないうちに。干しっぱなしのタオルで顔だけを拭く。若干髪は濡れているけど、ご愛敬だ。

「おはよう」

「ずいぶん急いでいたけど大丈夫?明日から夏休みよね?何かあるの?」

「いや、何でもない」そうだな、今日は七月二十一日だ。そうだ。……月間カレンダーの前に立つ。一枚、二枚とめくる。

「え?どうしたの?」朝ごはんのいいにおいがする。味噌汁のにおいだ。

 九月。そのイラストを、俺は確かに“見た”。既視感が俺を煽ってくる。イヤー残念ダッタナーアトチョットダッタノニナー。

 母さんがこっちを不思議そうに見つめている。何でもないよ、と返して見慣れた食卓と向かいあう。ただいま。でも、もうちょっとだった。

 ヒントは、すでにこの手にある。俺にはもうその仮説を確かめることしかできないだろう。






 意識の暗転の中、誰の名を呼べばいいか全くわからず、あの不審者の名を呼ぶ。

『なんだ』

「話を聞いてくれないか」

『……あぁ。いいぞ』

「彼女は俺のいない明日を望んでる」


 ―――俺があの時、思い出したこと。それは珠美に誕生日のお祝いのメールを送り忘れていたことだった。そして俺はポケットから携帯を取り出して、いつものように誕生日おめでとうを打って、それとほぼ同時に記憶を失った。

 そのあと、何度も繰り返した。メールを送る時間を変えてみたりした。早めに送った時にはすぐに意識が暗転する。一生懸命三時まで待って送ると、暗転は夢の中。じゃあ三時まで起きてメールを送り、徹夜を決め込んでみるとその暗転は九月一日の朝六時半ころだった。彼女の起きる時間を尋ねてみた。六時、とのことだった。たぶん、彼女が誕生日おめでとうのメールを受け取るころに、暗転しているんだろう。―――


 何も言わない。二人とも。少ししてから、俺が口を開く。

「珠美はときどき、遠くを見てる。最近ちょっとだけ気が付いたことがあるんだ―――」俺は、二の句を継ぐことができずにいる。あまりにも憶測に近い話だ。でも何度も何度も繰り返すたび、それが確かな基準のように感じられる。他の日にもメールを送ってみたこと、それを見た時間を彼女に尋ねたこと、彼女が遠くに見ているもの、彼女の友達が教えてくれたこと……それはもう、語り継ぐ意味を失っているように思えた。もしもこれが真実に近づく手段でなければ、俺はこの試行錯誤のことをまた無限のループの中で忘れていくのだろう。

『……私はいったはずだ。“君ののぞむ世界にもどれるとはかぎらない”と』……知っていたのだろうか。

「聞いた」

『これ以上、何か私にたずねたいのか』

「……いや、質問はない。ただ、こんな話をする相手がいないんだ」珠美は、俺と一緒にいることを迷ってる。俺にできることはたった一つだった。

 彼女を想うこと。

『……それもそうか。

 ……後悔は、しないのか』

「――――後悔をしないために、このループをもう一度余計に消費したい」




If Subjects = Achieve Then

Date = Continue

Else

Date = Return

End If



「珠美、ごめんな。」俺にできることは何もなかったよ。

「え……」

「……これが最後だから、付き合ってくれ」



 俺は、ありとあらゆるデートスポットへ行った。水族館、動物園、花火大会、プール、海、美術館、音楽祭、小さいライブにも行ったし、公園でハトに餌をやったりもしてみた。中学校に夜になってから忍び込もうかと言ったらさすがに怒られたけど、珠美の小学校には明るいうちに遊びに行ってみた。俺の小学校のほうが小さいなーとか人が多いからか遊具が多いなーとか思ったけど、それよりもやっぱり育ってきた環境が違ったんだよなあ、と思わされた。この一巡りで俺が聞きたかったのは、彼女がどんなことを考えていたのか。どんなものが好きだったのか。どんなものを見ていたのかだから、終盤は考えつかなくなったこともあって彼女の懐かしい風景を一緒に巡って、ずっと彼女の話を聞いていた。彼女も最初は何でそんなことを聞くのかという顔をしていたけど、いつからか自分で話してくれるようになった。図書館では好きだった本も教えてもらった。彼女はやっぱり動き回るのよりも美術館みたいな静かな場所のほうが好きみたいだった。だから音楽祭みたいなのは嫌いかって言うと、それは大間違い。彼女は音楽を聴くのが結構好きだったみたいだ。それは彼女自身もあんまりわかってなかったみたいで、吹奏楽部にでも入ればよかったんじゃないかななんて言うと静かに同意してくれた。俺も吹奏楽部に入っているやつがいつも忙しそうでも楽しそうにしてるせいか、吹奏楽は好きだ。……誘われたことがあったんだって言う横顔が何にも言えなくなるくらい切ない。

(次はそのお誘いにちゃんと乗ればいいよ、忙しくなるぞ)なんて思いながら、少し笑う。

 彼女が好きだった遊具に登って、彼女が好きな街を眺めて。きれいな横顔を見つめて、これが最後だと誓う。空が青い。明日からまた学校かーなんて、まだ来ない明日を思う。だけどきっと彼女に『明日』をつなぎたい。そう思った。






 そして次の日。空が青い。俺は珠美の前にいた。最後は、直接伝えたかったから。

「誕生日おめでとう、珠美」彼女の困ったような笑み。そして、ここで世界は暗転する。

 それは、彼女が初めて素直に表現してくれた感情で、明らかな拒絶だった。

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