春の日

 春だ。

 のんびりとした、空気と時間。

 満開に咲いた桜の下で、のんびりと読書に耽る。


灯狩ひかるさん、見っけた!」


 元気な声。春にぴったりの……あづやの声だ。

 ぱたぱたと、軽やかな足音が近づく。

 あづやが来たんじゃ、読書どころじゃなくなるなぁ。

 本を閉じて、足音のする方向を見ると、元気に駆け寄ってくるあづやと、その後をのんびりと歩くあすかの姿があった。


 息を弾ませて、あづやが僕の隣にぱたんと座り込む。

「やぁ。今日も元気だね」

 そう言って、くしゃくしゃとあづやの頭を撫でると、嬉しそうに笑った。

「今日は、聞きたいことがあるんです」

「聞きたいこと?」

「灯狩さんとあすかくんって、いつ知り合ったんですか?」

「あすかと?」

 あづやが、こくんと首を縦に振る。

「話してないのか?」

「ん」

 心なしか、照れたような表情であすかが頷いた。

「そっか。……んーっと、あれは、僕が大学に入ってすぐだったから……」



    □  □  □



 いつもの散歩コース。住んでるアパートから、隣街のお気に入りのお寺までの約30分。

 その距離をのんびり歩くのが、最近の日課だ。

 この辺りにはまだ、畑とか野原とかが程よく残っている。道沿いに咲く花や木、それから畑で働くおじいさん、おばあさんの元気な横顔を見るのが、散歩には丁度良い。


 今日は特に、春の暖かな光が心地よい。

 ゆっくりと、咲き始めた桜や木蓮を鑑賞しながら歩く。

 その時だった。


「危ないっ!!」


 突然、頭上から少し甲高い叫び声が聞こえた。


 ……上?

 思わず、立ち止まる。その直後。


 トタン。

 瞬間、軽やかな音と共に、目の前に、上から下へ影が過ぎた。

 その影を追うように、桜の花びらが一斉に降り注ぐ。


 見上げると、1メートル程上で、大きく揺れる桜の枝。続いて、視線を下に向ける。

 そこには、12、3歳位の少年がしゃがんでいた。腕の中に、小さな三毛猫を抱えて。


 少し前まで、この空間には、少年なんていなかった・・・・・よな?


「ったぁ~」

 少し甲高い、声。先程聞こえた、叫び声と同じ声だ。

 と、いう事は、さっきの主は、この少年か。

 ……上から、落ちてきたのか?


「大丈夫か?」

 声をかけた。

「うん」

「怪我は?」

 聞くと、落ちてきた少年はよっこらしょっと立ち上がった。そして、仔猫を抱えたまま、軽くジャンプしたり、足を伸ばしたりして、痛くないかを調べ始めた。

「大丈夫……だと思うよ。あの位の高さなら、ヘンな落ち方しなきゃ、どうってことないし」

「そっか。でも、一体どうして落ちてきたんだ?」

「こいつが、木の上で鳴いてたから」

 そう言って、腕の中で鳴く仔猫を見せた。

「木に登って、降りれなくって、鳴いてたみたいだからさ」

 助けなきゃって。

 少し照れた表情を浮かべて、少年が言った。


 仔猫の方は、どうやら足を怪我していて、そのせいで上手く木を降りれなくなっていたらしかった。

 動物病院を一緒に探しながら、少年と色々と話をした。

 


 少年は、『あすか』という名前だそうだ。漢字ではなく、平仮名で書くらしい。

 12歳で、中学生だということ。すぐるという、双子の弟がいること。

 先程の家が自宅で、おじいさんが道場を開いていること。

 そんなことを教えてくれた。


 なんとなく、この少年とは気が合った。

 モノの見方や、感じ方が似てる、というか……。



    □  □  □


「……で、その頃からかな。時々、一緒に散歩するようになったんだ」

「へぇ~。長いお付き合いなんですね」

「あづやほどじゃないけど、そうだね」

「試験近くになると、よく灯狩んちに行って、教えてもらったよなぁ」

「あすかの専属教師に感謝しなさい」

「その節は大変お世話になりました」

 そう言って、あすかが大げさな態度で頭を下げた。

 あすかの横では、あづやが「あすかくん、私に秘密でそんなことしてたんだ」と、少しだけ拗ねたような顔をしていた。それを見たあすかが、困ったような表情を浮かべる。

 このふたりがいる場所は、いつでも暖かで、幸せな空気に満ちていて。


 少年だったあすかが、大事そうに話してくれた少女のこと。

 絶対、俺が幸せにするんだと、あの頃から話してたっけな。


「幸せにしてやれよ、あすか」

 小声で呟く。

 あすかが小さく「了解」と答えた。

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